第5話 それぞれの目的
「ゴオオオォォォ・・・!」
窯を中心に、工場内の温度がグングンと上昇する。木炭による炎の
勢いとは、比べ物にならないほどだった。
「す、すげぇ・・・」
汗を拭いながら窯を見つめるエリカの目には、真っ赤に燃えたレン
の姿が映っていた。窯の中に入り、全身から炎を吹き出すレンは笑顔
だった。
「凄いぞレン!これで燃料の確保に時間を割かなくて良くなった。仕
事が捗るぞ!ありがとう!」
オダマキは窯に向かって大声を上げ、感謝を土下座で表現した。レ
ンは久しぶりに頼られることが嬉しく、子どものように分かりやすく
照れていた。その照れは、火力をさらに増したのだった。頭上を金属
が行き来する状況に初めは戸惑っていたが、それも慣れ始めていた。
休憩のベルと共に、全員が一斉に手を止めた。エリカは持っていた
ハンマーを地面に放り投げ、レンがいる窯へと向かった。
「レン!昼休憩だよ!」
レンはゆっくりと窯から出て、伸びをした。そして2 人は工場の扉
を開け、空気の入れ替えを促した。
2 人はオダマキと一緒に、おにぎりを頬張った。3 人とも、空腹を
いち早く満たそうと必死だった。
「まさか、魔法使いがこの世にいるなんてなぁ」
オダマキはそう言うと、大きなゲップをした。レンは魔法を見られ
た際、出たとこ勝負で、その場から逃げようとしていた。アージ村の
時と同じ轍を踏むことを恐れたからだ。しかし工場の人々は、魔法を
使えることに驚いたものの、レンの敵意の無さと仕事への有用性を即
座に察知し、奇怪な生物を快く受け入れたのだった。
レンは、生まれた場所、そこでの生活、人間界へ降りた後の生活、
あらゆることをエリカとオダマキに話し、2 人とも興味深そうに聞い
ていた。レンは、少し前のアージ村と同じ居心地の良さを感じていた。
「ところで、これは何?」
レンは工場の隅を指差した。そこには、布が被せられた大きな何か
があった。オダマキは、その布を勢いよく引っ張った。目の前に全長
4 メートル、全幅5 メートルほどの超小型飛行機が現れた。外に並ん
でいるものよりもコンパクト且つ、デザインに派手さはなかった。
「これはオレの親父の遺作だ。1 人で気軽に乗れる飛行機を造ろうと
してたんだ。工場の裏に、あと数十台はある」
「誰も乗らないの?」
「ああ。燃料がねぇから飛ばせねぇ」
オダマキはプロペラに付いた埃を吹いた。原初の小型軽量プロペラ
機のようなそれは、軽合金のボディで、白とグレーを混ぜたような、
明るくも輝きのない色味をしており、なんとも地味だった。
「俺の双子の兄貴がさ、空を飛びたいっていう夢を持ってて、それで
人間界へ降りてきたんだ」
「魔法使いは飛べないの?」
「飛べない。今まで誰も飛んだことがない」
「おいらもまだ飛んだことないんだ」
エリカとレンの会話を聞いていたオダマキは考えていた。レンの力
を使えば飛ばすことができると思ったのだ。
「よし、1 日だ。1 日待て」
オダマキはそう言うと、飛行機の内部を調べ始めた。それと同時に
休憩の終わりを知らせるベルが鳴った。人が一斉に工場内へと集まり、
瞬く間に金属音が響き始めた。
「さぁ、おいらたちも戻ろうか」
エリカの言葉で、レンは急いで窯の中へと戻り、再び全身から炎を
吹き出した。
翌日、レンとエリカはオダマキに呼ばれて工場の裏手へと向かった。
そこには綺麗に磨かれた数十台の飛行機の姿があった。綺麗になって
いるだけではない、操縦席のやや後部側に、空へと伸びる全幅20セン
チメートル、高さ30センチメートルほどの筒があった。
「徹夜で改良したんだ。改良って言っても、燃料タンクをいじったく
らいだが」
エリカはオダマキの許可を得て操縦席へと乗り込んだ。オダマキの
指示通り、運転席に常備してある液体を足元の吸入口から注いだ。
「レン、ちょっとこっちに来い」
オダマキはそう言うと、レンを胴体の下部へと連れていき、そこに
ある小さな扉を開けた。
「ここに火球を入れてくれ」
レンは頷くと、掌から火球を出し、何も見えない暗闇の中へと放り
投げた。オダマキは扉を閉め、2 人は離れて飛行機を見ていた。
「よし、エリカ!エンジンをかけろ!」
エリカは、言われた通りエンジンスイッチを押した。グルンという
快音と共に、機体が小刻みに震え始め、プロペラが勢いよく回り始め
た。そして筒からは、ポーッと勢いよく白い煙が吹き出した。
「動いたよ!」
エリカは、笑顔でレンとオダマキに向かって叫んだ。レンは間近で
見る飛行機に圧倒されていた。オダマキはタバコに火を点け、胸を張
った。
「蒸気軽航空機『フェニックス』だ。蒸気の力でプロペラを動かして
る。石炭や木炭だと過重量且つ火力不足だろうが、お前の火力なら動
かせるんじゃねぇかと思ってな」
レンの炎は魔力が燃料だ。それは石炭や木炭といった重量物を必要
としないため、機体の軽量化と想像以上の駆動力が見込めるのではな
いかと考えたのだ。つまりフェニックスは、レンの魔力が尽きるまで、
操縦席で水を補給し続けるだけで飛行できる可能性があるということ
だ。
「でも、本当に飛ぶのか?」
「分からない。あとでオレが試す」
レンの質問に答えたオダマキは、煙を吐きながら足でタバコを踏み
つけた。そして、エリカに降りるよう、ジェスチャーを送った。
しかし、エリカはそれに気がつかず、飛行機を走らせた。
「あのバカ!」
オダマキは飛行機と並走し、エリカに向かって止めろと叫んだ。
「あれ、どうやって飛ばすんだ?」
エリカは適当にスイッチをいじくり回したが、飛ぶ気配はない。徐
々に増すスピードに恐怖したエリカは、急いでブレーキを掛けた。し
かし、10メートル先に工場が見えており、衝突する可能性が高い。
「あぶねぇ!」
レンは、ノーズギアとメインギアを炎の矢で撃ち落とした。すると
飛行機は胴体で滑り、火花を散らしながら減速した。飛行機に飛び乗
ったレンは、操縦席を覆うアクリル窓を蹴破り、エリカを抱えて飛び
降りた。
エリカを降ろすと、レンは工場へと滑っていく飛行機の前に立ちは
だかった。炎を纏ったレンは、石火の如く移動していた。向かってく
る飛行機は、依然として止まる気配はない。レンは両の掌から火炎を
放射した。それは飛行機を包み込み、押し返している。勢いは弱まり
つつあったが、レンの炎は、押してくる飛行機によって徐々に短くな
っていく。
とうとうレンは、機体に体当たりされ、工場の中へと吹き飛ばされ
た。身体の左側を窯へ強く打ちつけ、その場に倒れた。丸焦げの飛行
機は、工場から1 メートルほど離れた位置で静かになった。
「レン!」
オダマキとエリカは、レンに駆け寄った。レンは左腕を押さえなが
ら、ゆっくりと起き上がった。
「イテテ・・・」
左腕から出血していた。オダマキは、工具などが入ったウエストポ
ーチの中から包帯を取り出し、レンの腕に巻いて止血した。
「折れてるかもしれねぇ。急いでリンドウのとこ行くぞ!」
オダマキはレンを背負い、工場を勢いよく飛び出した。その後をエ
リカは必死で追いかけた。
「骨折はしていない、大丈夫だ。オダマキ、すまないが包帯と消毒液
を買ってきてくれ。それで治療代はチャラだ」
リンドウは、レンの腕の関節を見ながら言った。レンへの心配と、
道中に受けたオダマキの叱責によって、エリカは泣きべそをかきなが
らレンを見ていた。オダマキはお礼を言うと、エリカを連れて街へと
出ていった。
「はぁ。もう来んなと言ったはずなんだが?」
リンドウは嫌みたらしく言った。レンは膨れた面で無視を決め込ん
だ。
「まあいい。背中と肩も見るから服脱げ」
レンは何も言わずその指示に従い、T シャツを脱いだ。リンドウが
レンの身体を調べていると、左腕の三角筋のあたりに飛沫のような傷
があることに気がついた。
「お前、この傷・・・」
「これは今回できた傷じゃねぇぞ。生まれた時からある。兄貴は右肩
に同じような傷がある」
リンドウはレンの話を聞き、慌てて机に積み上がったカルテを漁り
始めた。引っ張り出した1 枚のカルテに目を通し、レンの方を向いた。
「まさか、アオイさんの子か?」
レンは驚いた。人間界でアオイの名前を聞くとは思わなかったから
だ。しかし、レンは冷静だった。人間ではないということを炙り出す
ための罠だと疑い、聞こえなかったふりをした。
「そうか、あの時の子だったのか。こんなに大きくなったんだなぁ。
いや、20年近く経っているにしては小柄か。まあ、それはいい。やっ
ぱり、何だか会ったことあるような気がしたんだ」
レンは、初めてリンドウと出会い、食事をした時のことを思い出し
た。やたら顔をジロジロと覗き込み、アオイやスイのことを聞いてき
た夜のことを。
「あんた、何なんだ?」
「おれは、アオイさんからお前たち兄弟を取り上げた医者だ」
レンは言葉を失った。リンドウのこの言葉は、レンにとって最も効
いた鎮痛剤となった。
20年ほど前、お腹の大きなアオイは、ヴァイサイから人間界へ降り
てきた後、街の風景と食事を楽しんでいた。泊まった宿では、布団の
柔らかさに感動し、どうにか持って帰れないかと一晩中頭を悩ませた。
人間界へ降りてから3 日経った時だった。街を散歩していたアオイ
は、突然の腹痛に襲われた。立っていることは愚か、座ることも許さ
れないほどの痛みで、アオイはその場に倒れ込んだ。街の人々は、ア
オイが妊婦であることに気がつき、街で最も大きな病院であるギアー
病院へと運んだ。
痛みを我慢しようと目を閉じていたアオイは、他の何かに意識を集
中させようとした。そんなアオイに、数人の医者がコソコソと話す声
は、はっきりと聞こえた。
「住民証を持っていない患者らしいぞ」
「手術代、払えるんだろうか」
「かなり若そうだし、怪しいな。私はやらないよ」
初めて人間に触れたアオイにとって、この状況は耐え難いものだっ
た。ラクウの言っていた人間とは、まるで異なる生物がそこにいたか
らだ。痛みは心まで広がった。そして、自分と子どもは一体どうなる
んだろうという一抹の不安が頭を過った。
「どけ、お前ら。メスより札ばかり握ってるから、いつまで経っても
二流なんだ」
アオイに届いたその声は、とても大きく荒々しかった。その直後、
声はしっかりとアオイに向いた。
「お母さん!すぐ子どもに会わせてやるから!」
その声で、アオイはゆっくりと目を開いた。黒髪で短髪、両耳に銀
のピアスをした細身の男の姿があった。陽気なお兄さんと呼ぶのが相
応しいような、色々な意味で軽そうなその男は、満面の笑みを浮かべ
ていた。アオイは、それに応えるように笑顔を作った。
「おい、リンドウ!勝手なことするな、首が飛ぶぞ!」
「うるせぇ!触んじゃねぇ!」
リンドウは、肩を掴んできた医者の頬を1 発殴り、アオイを連れて
行った。
「アオイさん!もう頭が見えてるよ!」
リンドウの懸命な声かけの中、アオイは痛みと戦っていた。アオイ
は声にならない声を上げながら、分娩台の手すりを握りしめていた。
「よし、生まれ・・・!」
リンドウがそう言おうとした時、赤子の右腕に何かがくっ付いてい
るのが見えた。リンドウは、その赤子を取り出しながら異変に気がつ
いた。
「腕同士が癒着してんのか。こいつは双子だ!」
赤子の腕の癒着部は、黒い塊ができていた。リンドウは2 人の赤子
を取り出した後、癒着部分を丁寧に切り取った。
そして、想像していたよりも長かったリンドウとアオイの戦いは、
無事に終わりを迎えたのだった。
「あ、ありがとう・・・」
アオイは、深呼吸をしながらリンドウにお礼を言った。リンドウは
赤子の顔を拭きながら、アオイの方へと近づいた。
「双子の男の子だ。傷は残っちまうが、命に別状はない」
リンドウは2 人の赤子を、アオイの枕元に並べた。
「良かった・・・」
右肩に傷のある子はスヤスヤと眠り、左肩に傷のある子は元気に泣
いていた。アオイは双子をしっかりと抱きしめた。
「本当だ、本当にアオイだ」
出産直後に撮ったモノクロ写真をリンドウから受け取ったレンは、
アオイが語った人間界へ行った時の話を思い出していた。しかしそれ
が、人間界で出産をしたことだったとは思いもしなかった。それにシ
ュピゼは、特殊な容器の中で生まれるのが一般的だ。人間のように母
胎となったシュピゼは、バショウとアオイだけだろう。
「アオイさんは元気か?アージ村にいるんだろう?」
レンは、リンドウの質問に何と答えるべきか躊躇した。アオイと接
点があるとはいえ、人間ではないということも、ヴァイサイから来た
ということも知らない。しかしリンドウは、そんなアオイを助け、さ
らにスイとレンが生まれる際に一役買った人物である。何とも言い難
い恩がある。レンはあれこれと考え、素性は明かさないものの、事実
は述べることにした。
「死んだよ。俺の父親に殺された」
「・・・それはアオイさんの夫にって意味だよな?」
レンは頷いた。リンドウは絶句していた。絶句した理由もすぐに分
かった。アオイはリンドウに、配偶者の話をしていたのだ。
「対等にぶつかってくれる相手はお前しかいないと言われた、なんて
惚気話を聞かされたよ。それでアオイさんはその人と結婚することを
決めたって、嬉しそうに話してた」
レンは、対等にぶつかるというのは鍛錬のことを言っているのだと
すぐに分かった。強い奴と自分の強さにしか興味がないのがブロスだ。
しかし、リンドウの話から、アオイはブロスの強さ以外の何かに惹か
れていたのだと分かった。
「まさか殺されるなんて・・・。ああ、そうだ。こんな形でアオイさ
んの子どもに会うなんて思ってなかったけど、渡さなきゃいけない物
がある」
リンドウはそう言うと、小さな何かを机の引き出しから取り出し、
レンに手渡した。
「アオイさんが、大事そうに握ってたんだ。だが、退院の時に落とし
て行ったみたいで。街中アオイさんを探したんだが、見つからなくて
な」
「・・・これは!」
レンが手渡されたのは、赤い輝きを放つトリンのイヤリングだった。
金属のような地味な色合いのトリンの中で、かなり希少な赤い宝石調
のトリンだ。ヴァイサイの自然下では見たことがなかったが、レンに
は見覚えがあった。ブロスの左耳に付いていた物と同じだ。レンとス
イは、過去にアオイから、無くしたイヤリングの話を聞いたことがあ
った。ブロスと出会った時に貰った物だと言っていた。
レンはそのイヤリングを強く握った。
「リンドウ、遅くなってすまねぇ。包帯と消毒液を買ってきたぞ」
オダマキとエリカは、部屋の扉を勢いよく開けた。エリカが包帯と
消毒液をリンドウに渡すと、レンはベッドから立ち上がった。
「世話になった。ありがとな」
「ああ、元気でな」
リンドウは、遠ざかるレンの背中を、見えなくなるまで見ていた。
工場に併設する宿舎。レンは、薄暗い部屋で窓際に座っていた。今
日1 日で経験したことは、消化するのに相当な時間を要する気がして
いた。その気配が、なかなかレンを眠りにつかせなかったのだ。レン
はアオイのことを思い出していた。生まれた時からシュピゼとして生
きてきたレンにとって、アオイの言動は理解できない点が多かった。
しかし、人間界へ降り、アージ村で生活し、そしてアオイの過去を知
っていく中で、レンは人間を知った。その結果、シュピゼとして誇り
を持って生きてきたことに、嫌悪感そして羞恥心さえ覚えるようにな
っていた。
さらに、ブロスに対する心境にも大きな変化があった。当初は、王
になったブロスから王位を奪う、強さの証明的な存在として位置づけ
ていた。今は違う、シュピゼとしてではなく、人間としての感情をブ
ロスに対して抱いていた。アオイの気持ちを無下にしたブロスが、と
ても憎かった。
「ブロスを・・・コロス・・・」
レンの拳は黒炎に包まれ、その手を開くと、そこには消し炭となっ
たトリンのイヤリングがあった。
「まさか・・・そんな・・・」
ホテイは泣き崩れた。スイは、アオイが夫であるブロスに殺された
こと、スイとレンがアオイの息子であること、全てをホテイとヨージ
に話した。
「なんて世界なんだ・・・」
ヨージは強く拳を握った。ヨージもホテイもそれを聞いた上で、ス
イとレンには、人間界で暮らし続けてほしいという想いが強くなった。
人間として生きなければ、やがて2 人が殺し合ってしまうのではない
かという不安があったからだ。王位を奪い合うだけの種族として生き
ることは、そういうことなのだとすぐに理解した。
ライトは、きょとんとした顔でホテイの涙を拭い、膝枕に寝転んだ。
そんなライトを、ホテイは優しく撫でた。ライトはあの時のアオイと
同い年くらいだ。魔法が使えるライトは間違いなくシュピゼであり、
戦闘に目覚め、強さを追い求めるようになる可能性もある。さらに、
海に触れればアオイと同じくヴァイサイへ送られてしまう。ライトは
その名の通り、雷光の如く活発で、瞬きをするといなくなっているよ
うな子だ。ホテイは、ライトの雷光以上に目を光らせ、そして目にか
けなければならないと思った。それはスイとレンに対しても同じだ。
アオイの息子たちが、ホテイを訪れたことは奇跡としか言いようがな
い。アオイの形見を守れるのは、自分だけだという責任感と愛情を、
より一層持ったのだった。
「レンは無事だろうか・・・」
ヨージは、テントの中から真っ暗闇の森を見つめて言った。虫の大
合唱が聞こえるが、どこで行われているコンサートなのか、さっぱり
分からない。焚き火のあった位置に、今は電灯がある。焚き火と比較
すると明るさと安全性は段違いだが、色合いとゆらめきによる温かな
安心感は、失われてしまったような気がした。
「ホテイ、ヨージ。明日マージ街へ行ってみるよ。おれたち本当はそ
こへ行く予定だったんだ。もしかしたらレンはそこへ・・・」
ホテイには、その言葉が何だか永遠の別れのように聞こえ、そして
胸がざわついた。いつの間にか寝てしまったライトに布団を掛け、ス
イに尋ねた。
「あなたたちは、どうしたいの?」
ホテイのこの言葉は、自分でも正しい言葉なのか、はっきりしてい
なかった。ただこの言葉しか出てこなかった。母が殺されたこと、危
険を承知で2 人で人間界へ降りてきたこと、実際に人間と生活してき
たこと、あらゆる経験を考慮し、且つ叔母としての親切心と心配を、
彼らへ向けた結果だった。
「おれは空を飛びたくて降りてきたんだ。だから飛行機に乗りたい。
飛行機に乗ってレンと世界を旅したい。レンは何て言うか分からない
けど」
ホテイは、スイが人間として生きようとしていることに胸を撫でお
ろした。世界を旅したいということは、いずれここから離れていくと
いうことだ。それは寂しく思ったものの、成長する子どもが独り立ち
することは当たり前であり、喜ばしいことなのだと納得した。
空が微かに明るくなり、鳥の挨拶が聞こえ始めたが、アージ村はま
だ静けさに包まれていた。
「気をつけてな」
ヨージは、布に包んだ肉の詰め合わせと米、少しばかりの硬貨をス
イに手渡した。
「いま発てば、夜には着くだろう。これで宿にでも泊まって明日から
動くといい」
「ありがとう。ごめんね、洗濯とか大変だろうけど」
「気にすんな。井戸も復旧してるし、問題ない」
ヨージはスイの背中を叩いた。その力は、背中が熱くなるほど強か
った。
「レンと2 人で、無事に帰ってくるのよ?」
スヤスヤと眠るライトを抱え、ホテイは言った。スイは頷き、ライ
トの頭をすうっと撫でた。
ヨージとホテイは、森へと入っていくスイの背中を見つめていた。
2 人は、今この瞬間が子どもの独り立ちの時のような気がしていた。
しかし、嬉しさや達成感はなく、少し胸がキュッとした。
「道は単純だった。舗装された道が見えるまで真っ直ぐだって、ヨー
ジが言ってたっけ」
スイは、足元に咲く花や虫、鳥を眺めながら歩いた。視界に入るも
の全てを楽しんでいたスイは、長時間歩き続けることを苦痛に感じて
はいなかった。子どものような無邪気さで生活してきたスイにとって、
あらゆる物事が楽しく思えていた。そのおかげで、あっという間に日
が暮れ、マージ街まであと少しというところまできていた。舗装され
た道はまだ見えてはこなかったが、森の終わりが見え始めた。木の隙
間から、キラキラと光る景色がちらつき、スイはその方向を目指した。
そこは海だった。スイの視界いっぱいに、海が広がっていた。沈む
夕日に照らされた水面は、赤橙と黒が交互に訪れ、それはまさに全て
を飲み込んでいく溶岩のようであった。
「すごい・・・間近で見たのは初めてだ」
スイは細心の注意を払いながら砂浜を歩いた。実際に人間界とヴァ
イサイを行き来した経験がないスイは、どの程度海へ入ったら消えて
しまうのか、想像もつかなかった。だから、スイの興味を大変そそっ
たのだが、うっかりヴァイサイへ行ってしまうのは問題だ。スイは好
奇心をぐっと抑え込んだ。
「あ、飛行機だ!」
水平線に沿って、スイの視界の左から右へ、数台の飛行機が通った。
恐らく他国のものであると、ビー玉ほどの大きさから予想できた。
「いいなぁ」
スイが流木に腰掛けていると、再び数台の飛行機が通った。左右を
行き交う飛行機の姿は、その後何度か見られた。
スイはハッとした。辺りを見渡すと、暗闇に包まれ、波の音以外何
も聞こえなかった。
「しまった、寝てしまったのか!」
スイは、ホテイにもらったレザーのショルダーバッグから小瓶を取
り出した。小瓶には、ライトの魔法で作った電気玉が入っていた。持
続時間は魔力に依存し、ライトの魔力では約24時間ほど明るい状態を
維持できた。
「明日の朝までは保つだろう」
スイは、朝まで野宿をすることにした。ライトの電気のおかげで、
瓶を置いた足先まではよく見えた。しかし、そこから先は暗闇で何も
見えない。視界は不安なほど奪われてしまったが、変わらない波音だ
けは安心感を与えてくれた。スイは鹿肉を頬張り、改めて眠りについ
たのだった。
スイは波の音で目を覚ました。目を開くと、雲ひとつない真っ青な
空がそこにはあった。ゆっくり起き上がり、足元に目をやると、空と
同じくらい真っ青な波が、空き瓶を攫っていった。
「ギィャァァァァ!危なーい!」
波はスイの足すれすれまで来ていた。スイは慌てて立ち上がり、腰
掛けていた流木よりも後ろに下がった。その流木も、あっという間に
海に浸かった。
「昨日より波が迫ってきてる。何でだ?まあいいか・・・」
スイは掌から出した水で顔を洗い、米と猪肉を食べた後、舗装され
た道を探して歩き始めた。
舗装された道を1時間ほど歩いていると、マージ街の外壁が見える
位置まで来た。
「よし、あと少しだ」
スイは深呼吸をして歩き出した。街に近づくと、民家がちらほらと
道沿いに見え始めた。それらは、今にも崩れそうな状態の空き家だっ
た。スイは、ホテイからマージ街の歴史を以前に聞いたことがあった。
マージ街やアージ村は、ピック大陸上に存在し、他にも複数の国が存
在している。中でもマージ街は、ピック大陸で最も大きな国だ。しか
し、他国に敗戦した過去があり、今は全盛期よりも国の規模を縮小し
たらしい。恐らく、ここらの民家は敗戦の跡だ。住民は、縮小したマ
ージ街へ引っ越したか、他国へ移り住んでいるかのどちらかなのだろ
う。
スイが人間の歴史を感じながら歩いていると、声をかけられた。
「お兄さん。ちょっと手を貸してくれないかい?」
声のする方を向くと、腰を曲げたおばあさんが立っていた。おばあ
さんが指差す先を見ると、屋根に4 畳ほどの大きさの汚れた布が被さ
っていた。どうやらどこからか飛ばされてきたものらしく、煙突が覆
われてしまい、困っていたのだとか。スイは軽快な身のこなしで屋根
へと登り、布を落とした。
「ありがとうね。服と体が汚れてしまったね、どうぞ洗ってくださ
い」
おばあさんはスイを家へ招き、釡の風呂を沸かした。その間に洗濯
までしてくれたのだった。
「おばあさんは1 人で暮らしているの?」
「そうよ。じいさんを戦争で亡くしてからだから、もう何十年も1人
だね」
「おばあさんの名前は?」
「ええっと。あら、何だったかしら」
おばあさんは、マージ街の訪問医の世話になっており、医療と食料
の援助によって生活していた。スイの名前を覚えられないだけでなく、
自分の名前も思い出せないほどの認知症を患いながらも、1 人で懸命
に生きていた。ただ、家事全般の動きは計算されているようなスムー
ズさであり、また、戦時下のことを流暢に話した。
「お医者さん、今日はずいぶん遅いわね」
いつもはお昼ごろに医者が訪れるらしいのだが、この日は14時を回
っても戸を叩く音はなかった。スイは先を急ぎたかったが、おばあさ
んを1 人にすることが心苦しくなり、道中に獲ったウサギの肉を分け、
2 人で食べた。それに、洗濯した服を乾かすには、まだ時間が必要な
ようだった。
「そう、お兄さんは飛行機に乗りたいのね。マージ街には飛行場があ
るから、行ってみるといいわ」
おばあさんは、スイに対して何の警戒心もなかった。スイの素性を
詮索することもなく、ただ会話を楽しんでいるように見えた。ヴァイ
サイでの生活は、ただ鍛錬をする生活ではあったが、そこには誰かが
いた。そしてアージ村での生活は、常に誰かと支え合っていた。そん
なスイにとって、孤独に生きる生物を見たのは初めてだった。
このおばあさんは、医者と会っている時間以外はひとりだ。何十年
もその生活を続けている。
スイは、人間という生物の強さと弱さを同時に知った気がした。お
ばあさんの話は、おじいさんの話がほとんどだった。それは寂しさか
らくるものだということが、人間界で暮らしてきた経験から分かった。
おばあさんは、おじいさんを失った悲しみに耐えながら生きている。
そんなおばあさんにとって、訪問医は多くの意味で支えになっていた。
誰かに燃料を入れてもらえるから、ひとりで立てる。
人間は硬いが、脆いのだ。
「ただ、飛行機に乗っても、死なないでね」
おばあさんの話の中で出てきたこの言葉が、スイの胸を刺した。何
故だろう、飛行機に乗ることは素晴らしいことだと思っていた。人間
にとっても空を飛ぶという夢は、崇高なものであると、アオイもヨー
ジも言っていた。しかし、このおばあさんはとても悲しそうだった。
その理由はすぐに分かった。
おじいさんは、戦争で飛行機に乗っていたのだ。そして敵機の追撃
に遭い、帰らぬ人となった。
飛行機に乗るということは、ただ空を飛ぶことができることと同義
ではなかった。人を殺す、国を滅ぼす、兵器としての側面を持ってい
るということをスイは知った。おばあさんの言葉は、おじいさんと同
じ道を歩んでほしくないという憂いからくるものだったのだ。
スイは誓った。誰かを傷つけるような真似は絶対にしないと。そし
て、実際に飛行機に触れる前に、おばあさんと会えたことは、巡り合
わせなのだと思った。
スイは、おばあさんの手伝いをして過ごした。結局、この日医者が
家を訪れることはなかった。スイはおばあさんの家で1泊し、街へ行
くことにした。
スイは、おばあさんよりも早くに目が覚めた。隣でスースーと寝息
を立てているおばあさんを起こさないように静かに起きたスイは、テ
ーブルの上に宿代を置き、外に出た。街はとっくに活動しているよう
で、元気に煙を立ち上らせていた。ふと、汚れたあの布を畳んでおい
た庭の方を見たが、布もまた活動的なようで、どこかへと飛び去って
いた。
街の西門に差し掛かった時、白髪混じりの黒髪短髪の男とすれ違っ
た。スイは何となく、軽く会釈をした。するとその男もまた軽く会釈
をし、どこかへと走って行ったのだった。
街へと入ったスイは、街中の人に声をかけて回り、レンを探した。
有力な情報はなく、ただただ時間が過ぎていくばかりだった。
「ここは、入っていいのかな」
街の中央に、一際大きな建造物があった。あまりにも大きく、家で
はなく建造物と呼ぶのが適当だった。入り口付近には、黒の制服と軍
帽を身に纏い、剣と銃を所持した男が立っている。そこはマージ街を
治める王宮だった。扉に着くまでに何段もの階段があり、人間界の王
というのは、さぞ足腰が強靭なのだろうとスイは思ったのだった。数
段上がったところで、2 人の人間が階段を降りてくることに気がつい
た。黒装束を着た2 人の顔は、よく見えなかったが、体格差のある2
人だった。そして階段を上り、扉に近づくと、近衛兵の会話が聞こえ
てきた。
「・・・ンの後を・・・命・・・」
スイはその会話に反応した。反応せざるを得ない言葉が聞こえたか
らだ。
「今、レンって言った?」
スイは近衛兵に声をかけた。近衛兵はスイを一瞬睨みつけて構えた
ものの、すぐに直り、口を開いた
「ああ、お前はレンの知り合いか?」
「兄弟だ」
2 人の近衛兵は、顔を見合わせた。すると先ほどよりも少し声を張
って話し始めた。
「たった今、レンという子の捜索依頼が入った。自国へ帰って王を討
つ旨の置き手紙が部屋にあったそうだ。レンの身が危険だということ
で、至急動いてくれと」
スイは動揺した。レンがヴァイサイの王になるという夢を、とっく
に捨てたと思っていたからだ。レンがまだシュピゼだということに、
驚きを隠せなかった。
「君らの国はどこにあるんだ?」
慌てるスイの肩をがっしりと抑え、近衛兵はスイに質問した。スイ
は言葉をつんのめらせながら答えた。
「雲の上!」
スイはその言葉を残し、長い階段を転がるように降りて行ったのだ
った。
スイは急いで門を飛び出し、海を目指した。道中、目線の左側には
飛行場、そして大量の飛行機が並んでいたが、スイは目もくれずに走
った。この時のスイは無意識で気がついていなかったが、水魔法で作
り出した波に乗って移動していた。その甲斐あって、あっという間に
海に到達した。
崖から3メートルほど下に広がる海を目の前にしたスイは、この方
法が正しいのか、本当に帰ることができるのか、あらゆることが定か
ではなかったが、意を決して海へと飛び込んだ。
「ドボン!ボコボコ・・・・」
水飛沫の音は、泡の音と共にゆっくりと消えていった。スイは目を
閉じていたが、ゆっくりと水中で目を開けた。すると、視界は真っ白
な世界に包まれていったのだった。
一昨日の早朝。スイを見送ったヨージとホテイは、早めの朝食を摂
ることにした。ヨージのテント前で、2 人は焼きたての鹿肉を齧りな
がら話していた。話題はやはり、スイとレンについてだった。
「心配ね。夜までに着けるかしら」
「大丈夫だ。スイは賢いし堅実な奴だ。それに水魔法も使える。身を
守れる術は持ってるし、心配することはない」
「まあ、そうよね。冷静に考えたら、スイもレンも人間離れした力を
持っているのよね」
ホテイは、彼らの能力に助けられてきたものの、無意識に人間とし
て接していた。その所為なのだろう、過保護な自分に気がついた。そ
うだ、彼らは大丈夫、根はシュピゼなのだから。ホテイは自分にそう
言い聞かせていた。2 人はスイのことを気にかけながら、1 日を過ご
した。
「どうしたの? 2 人とも早いね」
翌日の早朝、結局心配で早起きをしたアオイとヨージが話をしてい
ると、ヨージの向かいのテントがファサッと動き、眼鏡をかけながら
のっそりとドイが出てきた。
「お前こそ。まだ狩猟に行く時間じゃないぞ。まさか、お前また罠を
荒らしにいくんじゃないだろうな!」
「失敬な!もうそんなことしないよ!」
あたふたするドイに、ヨージは詰め寄った。ホテイは水を一口飲み、
口を開いた。
「スイがレンを探しにマージ街へ行ったの。それで心配してたのよ」
「ドイはスイと一緒にいることが多かったろ?お前も大丈夫だと思う
よな?」
ドイはヨージの問いに、すぐには答えなかった。少し考えてドイは
質問を返した。
「マージ街へ行くだけなら問題ないだろうね。ところで、レンを探す
手立ては教えてあげたのかい?あの街で住民証を持たないスイができ
ることなんて、食べ物を買うか宿に泊まるくらいなものだろう」
アオイとヨージは、顔を見合わせて言葉を失っていた。それは、う
っかりしていたという胸中を如実に表していた。ドイは察して、すぐ
に続けた。
「はぁ、まったく。ホテイはマージ街の出身だろう?なのにそれに気
がつかないなんて。外部の人間は、入国許可がなければ働けないし、
病院にも行けないし、捜索願を出すこともできない」
「でも、誰も住民証なんて持ってないし・・・」
ホテイがそう言いかけた時、ドイは待ってましたというような満面
の笑みで割って入った。
「これが使える!許可証だ。まあ偽造品だけどね」
ドイはズボンのポケットから、紙切れを取り出した。ホテイとヨー
ジはその紙切れに、崇めるような視線をやった。
「でかしたぞ!だが、お前が何でこれを持っているんだ?」
「街で闇医者をしてた時に、外部の無法者から巻き上げたんだ。こん
な危ない仕事、長くは続けられないと思ったから、街を追い出されて
も生きていけるようにってね」
「あなた、本当に狡猾ね。でもこれで何とかなりそうね!」
しかし、喜ぶホテイとヨージに、ドイは更なる試練を与えた。
「でも、これをどうやってスイに届ける?わたしは走るのはごめんだ
よ」
「確かにな・・・。スイを追いかけるのは至難の業だ。普通の人間は、
村から街まで1 日中歩いても着かないぞ」
3 人は、振り出しに戻されてしまった。スイが今日から捜索を始め
ると考えると、遅くとも明日の昼までにマージ街へ着いていなければ、
スイがどこでレンを探しているのか、皆目見当もつかなくなってしま
う。とても間に合いそうにない。スイに許可証を渡しに行ける人間、
そんなことが可能な人間は、アージ村にはいなかった。
「ぼくが行くよ」
眠そうな力のない声を出したのは、ホテイの膝枕で寝ていたライト
だ。ライトはむくりと起き上がり、目を擦っていた。
「確かにライトなら、何とかなるかもしれないね」
「そうか、その手があったか!」
ドイとヨージは、声を大きくした。まさに光明を見出した、そう思
っていた。
「どこが妙案なのよ!」
ホテイは、ドイとヨージよりも大きな声を発した。2 人は驚いてす
ぐに黙った。ホテイは鬼のような形相で2 人を睨みつけた。
「馬鹿なこと言わないで! 3 歳の子をひとり、森に放り出せっていう
の?そんなの了承する親がいる訳ないじゃない!」
ドイとヨージは、ぐうの音も出なかった。2 人とも何も言わずにシ
ュンとしていた。
「ライト、いつも狩猟に出てるかもしれないけど、森はとても危険な
の。3 歳の子がひとりで入るなんてこと、普通はしないわ」
「でもぼくは普通じゃないよ。魔法が使えるし、動ける。大人よりも
強いよ」
「屁理屈はいいわ!とにかく危ないから駄目!」
ホテイは徐々に声を荒げていった。危険な森と知りながら、幼少の
息子を、どうぞ行ってらっしゃいと送り出すことができるだろうか。
できるはずがない、人間の所業ではない。ドイとヨージは、ホテイの
心境がジワジワと伝わり、自分が行く、自分が何とかする、そう言お
うと機会を伺っていた。
「お兄ちゃんたちも、みんな困ってるんだ。できる人がやらなきゃ。
ぼくは大丈夫だよ」
ライトは必死に説得するが、ホテイは聞く耳を持たなかった。
「とにかく駄目なものは駄目!」
ホテイはそう言って立ち上がり、自分のテントへと帰っていった。
ドイとヨージとライトの3 人は、その場でホテイの背中をただ見てい
た。
「どうしよう、ホテイを怒らせちゃったよ」
「まあ怒るのも無理ないよなぁ。3 歳の子にこんな重労働を押し付け
るなんてよ。一瞬でも舞い上がっちまったことを恥ずかしく思う」
「大人なのに何もできなくて不甲斐ないよ」
ドイとヨージが情けなさを吐露していると、ライトは2 人の背中を
押すように言った。
「全然ダメなんかじゃないよ。2 人ともお兄ちゃんたちを助けようと
してる。ぼく、お母さんとまた話してみる。ダメでも勝手に行くよ。
その時は、ぼくの代わりにお母さんを守ってね」
ドイとヨージは、ぎょっとした。どう考えても、3 歳児から出てく
る言葉ではなかったからだ。
「お、おう・・・。いやしかし、何遍言おうがホテイが納得するとは
思えないが」
「それに、明日の昼までに着かないといけないとなると、説得してい
る暇はないかもしれない・・・」
ライトは、2 人の話を聞きながら猪肉を齧り始めた。お腹が空くと、
何時でもその場で食事を始めてしまうのは、やはり人間の子どもと変
わらないという目で、2 人はライトを見ていた。
すると、ライトの体表を電気の膜が覆い始めた。黄色いオーラを纏
ったライトは、立ち上がって指を差した。
「あっちだ。あっちの方からスイ兄ちゃんの魔力を感じる」
ヨージは驚いていた。ライトが指差す先は、スイを見送った方向だ
ったからだ。
「分かるのか?確かに、スイも魔力を感知できるって言ってたが、距
離があると無理だと・・・」
「電波的なものをキャッチしているのかな?ライトだからこそできる
芸当なのかもしれないね」
ドイは顎を触りながら冷静に答えた。
「スイ兄ちゃんから少し離れたところにいっぱい人がいる。これが街
かな?この距離ならすぐ着きそう!」
ライトが笑顔でそう言った瞬間、黄色いオーラは消え、スイの魔力
とマージ街を感知できなくなってしまった。
「どうやら一時的なものらしいな」
「いつもご飯食べた後、こうなるんだ。しかもこの後・・・」
ライトの話の途中、ホテイの大声が村中を包み込んだ。
「狩猟の時間だ!マタギはさっさと準備しな!」
村の男衆は、合図と共にせっせと猟銃やら手斧やらを担ぎ、森へと
入っていった。
「もうこんな時間か!どうする?無断でライトを行かせるか?」
「それはまずいよ!わたしたちが行かせたと知ったら、村から追い出
されてしまうよ!」
ドイとヨージは、テントへ戻るか話を続けるか、あたふたとしてい
た。ライトは2 人の間に入って言った。
「今日は行かない。明日の朝出れば、お昼には着くから大丈夫。狩り
に行こ」
ライトはそのまま走っていってしまった。ドイとヨージは、ライト
の言葉をすぐに理解できずに固まってしまった。
「朝に出て・・・昼・・・?嘘だろ?」
固まる2 人だったが、村の慌ただしい空気ですぐに我に返り、猟銃
を取りにテントへと走った。
その日の日暮。狩猟を終えたマタギが各々のテントへ戻っていく中、
ライトはドイとヨージのテントを訪れた。
「2 人とも、一緒にお母さんのところへ来てくれない?ひとりだと怖
いから」
ドイとヨージは頷いたものの、気乗りはしなかった。ホテイは間違
いなく、大人の2 人が唆したと怒るに決まっている。誰が好んで死刑
台に登るような真似をするだろうか。しかし、子どもの願いだ。しか
も、人助けをしようとしている健気な子の願い。それを断れるほど腐
ってはいない。2 人は、気合いを入れるように鼻から息を吐き、死刑
台へ登ることを決意したのだった。
「ねえ、お母さん。やっぱりぼくは行くよ。お兄ちゃんたちが帰って
くるには、ぼくが街へ行くしかないんだ」
ホテイのテントの中、ライトは洗濯物を畳んでいるホテイに言った。
ドイとヨージは、ライトの後ろに正座で控え、まるで将軍に仕える家
臣のようであった。
ドイとヨージの2 人は、策略のない真っ直ぐな言葉をぶつけるライ
トを見た後、ちらっとホテイの方を見た。同じ言葉が通用するはずが
ない。子どもの説得というものが大人に通用しないのは、言葉や手段
を変えることなく、何度も同じ手を使うからだ。2 人は怒号が飛んで
くることを覚悟するように、身に力を入れた。
「・・・もう。何なのよ、シュピゼって」
ホテイは、洗濯物を畳む手を止めて呟いた。そして、ライトの目の
前に座り、呆れた様子で言った。
「母が言っていたけど、シュピゼはプライドが高くて聞かん坊が多い
らしいわ。まったく、あなたもその血を継いでしまったせいで、手が
かかるったらありゃしない。レンもそう、勝手に出ていって。スイだ
って飛行機に気を取られて帰ってこないかもしれないし」
ライトはホテイの目をしっかりと見つめていた。ヨージは武士の如
く不動で、ドイは欠伸を我慢していた。
「分かった、行きなさい。あの2 人を連れて帰ってこられるのは、多
分あなただけだから」
ライトとドイとヨージは、顔を見合わせて喜んだ。
「ただし、夜までには必ず帰ってくること。あと、知らない人に付い
て行かないこと。あと・・・」
その後ホテイは、禁止事項を何十個と挙げていたが、3 人は全く聞
いていなかった。
明朝、ライトとヨージは、ドイを起こしにテントへとやってきた。
「おはようドイ。もう行くから紙切れちょうだい」
「ん・・・ええ、もう朝かい?」
寝ぼけながらテントから出てきたドイは、ライトに許可証を手渡し
た。
「ありがとう」
3 人が森の入り口まで歩いていくと、ホテイが待っていた。不安か
らなのだろう、ホテイの顔は曇っていた。
「本当に行くのね。大丈夫よね。あなたはまだ3 歳なのよ?」
「そうだよな。なんか不安になってきた。無事に帰ってこいよ、絶対
だぞ?」
「わたしの医療キットを持って行きなさい。まあ、使わないことを祈
っているけどね」
ドイは、医療キットをレザーの小さなリュックサックに入れた。肉
と水、医療キットが入ったパンパンなリュックサックを背負ったライ
トは、勇ましい顔をして言った。
「じゃ、行ってきます」
ライトは3 人に見送られながら、森の中へと入っていった。その背
中はすぐに見えなくなった。
ホテイは緊張のあまり、その場に座り込んでしまった。ドイとヨー
ジは、左右からホテイの肩をそっと抱いた。
「あの子たちが無事に帰ってくるまで、気が気じゃないわ」
ドイとヨージにも緊張が走った。ホテイの肩が震えていたからだ。
ホテイの悲しみは計り知れない。ホテイの下から離れていくシュピゼ
は、これで4 人目だ。そしてその全員が家族だ。アオイは亡くなり、
レンも無事なのかどうか分からない。どう考えても、冷静でいられる
はずがなかった。ドイもヨージも、ホテイにかける言葉を必死で探し
たが、気の利いた言葉は見つからなかった。
「おーい!」
遠くからライトが走って戻ってきた。3 人は目を丸くした。
「忘れてた」
ライトはそう言うと、両腕を高く天に伸ばした。
「ゴロゴロ・・・バチバチバチ!」
ライトの両手から放出された雷は、ドーム上に村を覆った。見上げ
ると、薄らと黄色い膜が張られているのが分かる。
「スイ兄ちゃんが防御魔法を教えてくれたんだ。これで明日までは安
心だと思う。ドイとヨージは、お母さんのことしっかり守ってね。じ
ゃ!」
そう言って魔力を使ったライトは、ムシャムシャと肉を貪り、また
走っていった。
一瞬の出来事に、3 人は目をぱちくりさせていた。しばらくして、
ホテイの肩が再び震え始めた。
「わっはっはっは!私の息子はなんて強いんでしょう!」
ホテイは大声で笑った。ドイは、唐突な肝っ玉母ちゃんの咆哮に、
ビクッとした。ヨージもホテイにつられて大笑いしていた。ドイは、
馬鹿馬鹿しいと言う具合に首を傾げ、クスクスと笑っていた。
「よし、息子が頑張っているんだ。私らも仕事に取りかかろうか!」
ホテイがドイとヨージの背中を強く叩いた。
「おう!」
2 人は力強い低音で、そう答えたのだった。
ライトは、雷光の如く森を駆け抜けていた。動物たちは、ライトの
姿を捉えることができていなかった。
「シシシ・・・!楽しいなぁ!」
ライトは穏やかに笑いながら、真っ直ぐ走った。狩猟ではヨージの
目の届く範囲でしか動けなかったこともあり、広い森を自由に駆け回
れることが至福であった。しかし、幼児という未熟なシュピゼだから
なのか、魔力の消費はかなり大きく、数十分走ると空腹に襲われた。
「ちょっと休憩。肉食べよ」
リュックサックを降ろし、鹿肉を頬張った。口の周りについた焦げ
を腕で拭き取り、瓶に入った水をゴキュゴキュと飲んだ。
「お母さんが、森で立ち止まるのは危険だって言ってた。もう行こ
う」
そう呟き、鹿の骨を草むらに投げ捨てると、リュックサックを背負
って再び走り始めた。
ライトの体表が黄色いオーラを纏い始める。すると、周囲の気配を
ビンビンと感じられるようになった。
「あれ・・・スイ兄ちゃんどこいった?」
アージ村を出る際に確認した、スイの魔力を感じられなくなってい
た。空腹で魔力が底をつきそうなのだろうか。急いで肉を渡してあげ
よう、ライトは更に使命感を強めた。
「助けてくれぇ・・・!」
肉を補給しながら順調に進んできたライトは、叫びにも似た微かな
声を聞いた。走りながら、声のする樹間を見た。男が2 人、1 人は座
り込み、1 人は斧を振り回している。その男たちの視線の先には狼の
群れがいた。
「あ、危ない!」
ライトは急停止し、近くまでゆっくりと歩き、木の幹に身を寄せて
隠れた。狼は視界に入る数だけで5 匹はいる。座り込む男の足からは、
血が流れているのが分かった。絶体絶命の窮地だ。ライトは、男たち
を助けようと身を乗り出した。しかし、他人の前で魔法を使うのは問
題だということに気がつき、躊躇った。
男たちは冷静さを失っていた。怪我をした男は泣き叫び、斧を振り
回す男は目をぎゅっと瞑り、死を覚悟したような表情を浮かべていた。
ライトは、右手で銃のような形を作り、先頭に立つ狼に照準を合わ
せた。
「ビビッ・・・!」
ライトの指先から放たれた雷の弾は、狼の首筋を捉えた。すると狼
の身体は硬直し、標本のような状態で横向きに倒れた。
「あ、当たった!」
周囲にいた狼たちは、身の危険を察知し、一斉に散った。
「なんだ・・・わしら助かったのか?」
胸を撫でおろす男の声は、まだ微かに震えていた。
「大丈夫?」
男が甲高い声のする方を見ると、自分の膝丈くらいの大きさの男の
子が走ってきた。
「なっ!これは坊主がやったんか?」
「うん、そうだよ!」
「嘘言え!何したんだ?」
「あ、うん・・・お母さんがいます」
ライトは、狼を気絶させたことが嬉しくて、うっかり魔法のことを
話しそうになってしまった。動揺したライトは、男の質問に対し、的
を射ていない回答をした。
「とりあえず、こいつが起きる前に移動しよう。おい、ワシをおぶっ
てくれ」
怪我をした男はそう言い、片足で立ち上がった。2 人とも顔や手に
皺のある60代くらいの男で、斧を持った方は太っており、怪我をして
いる方は痩せていた。どうやらマージ街とは別の街からやってきた旅
人らしい。その旅の途中、転んで怪我をしたところを、狼の群れに襲
われたのだとか。
「すまないな、医療キットまで貰っちまって。本当に死ぬかと思った
よ」
「いいんだ。ぼくは使わないと思うから」
「よくもまぁ、あの狼に石を当てられたな。すごいぞ坊主!ところで、
お前さん何歳だ?親御さんはどこにいるんだ?」
「3 歳。1 人できたんだ!」
2 人の男は目を丸くした。痩せた男は、ライトの身体を舐めるよう
に見た。
「3 歳だって!?確かに、言われたらそう見えなくもないが・・・。
3 歳児が一体こんなところで何してるんだ?」
「あぁ、えっと・・・。あれだ!山菜を採ってくるようにと、お母さ
んから頼まれて」
「こんな危ない森を1 人でか?なんて非情な母親だ!命を落としたら
どうすんだ!」
太った男は腕を組んで、野太い声で怒っていた。ライトは、嘘でも
ホテイを無慈悲な母にしてしまったことを申し訳ないと思い、苦笑い
で誤魔化した。
「で、これから帰るのかい?」
「う、うん・・・」
「よし!助けてもらったお礼だ。家まで送ろう」
「そうだな、それがいい。コイツに抱っこしてもらえ」
「お前を背負いながら、この子も抱えるなんて無茶言うなよ」
男たちはライトをチラッと見た。すると、とろんとした目で、うつ
らうつらとしていた。
「どうした坊主、眠いんか?」
「うん・・・時間なんだ・・・。おじさんたち、30分したら起こして
・・・」
ライトはそう言うと、その場で身体を丸めて眠りについてしまった。
ライトには懸念があった。魔力を消費し、満腹になる、これを繰り
返していると、急に凄まじい眠気に襲われる、それが道中で起こるの
ではないかと。その悪い予感が的中した。人間の幼児の体質が、今こ
こで現れてしまったのだ。
「おい、本当に寝ちまったぞ」
「疲れたんだろうな。助けてもらった恩があるし、ここで見守ろう。
ワシも歩けないしな」
男たちは、そう言うと獣よけの火を起こした。
「坊主、起きろ。30分経ったぞ」
「ん・・・」
ライトが目を開けると、2 人の男が顔を覗き込んでいた。ライトは、
目を擦りながら身体を起こした。
「ありがとう・・・」
「いいさ。よし、帰ろうか」
「いや、ぼくは大丈夫。それより、おじさんの怪我を治してもらいに、
街へ帰った方がいいよ」
そう言うと、ライトはリュックサックから布に包んだ肉を取り出し、
その場に広げ、3 つだけリュックサックに戻して残りを男たちに渡し
た。
「これあげるね。おじさんたち、ありがとう、バイバイ!」
ライトはそう言い残し、ピョンピョンと跳ねるように草むらの中へ
と消えていった。唖然とした男たちは、地面に置かれた肉を拾い上げ
た。
「すごいな、あの子は」
細い男はそう呟き、太い男の背中に身を任せた。太い男は細い男を
背負い、立ち上がった。
「ああ。ありゃ民衆を導く王になるぞ。間違いねぇ、そんな決断力と
威厳を感じた。石が偶々当たったなんて言ってたが、本当は狙って当
てたのかもしれねぇ」
「まさか、3 歳だぞ?泣きべそかいて寝るのが精一杯だったと思う
が」
「お前と一緒にするな。兎にも角にも、いい家族に育てられてんだろ
うな。非情な母親って言ったこと、謝りてぇよ」
2 人の男は、ライトについて話しながら、街の方へと歩いていった
のだった。
「スイ兄ちゃん、街に着いてるかな?」
ライトは再びマージ街へ向けて走った。太陽は天高くに位置し、恐
らく正午くらいだ。予定よりも少し遅れたが、順調だ。このまま止ま
らずに街まで行ってしまおう、そう思っていた。
「ドボオオオォォォォン・・・!!」
遠くで何かが爆発した。いや、何かが水に落ちたようだ。森の木よ
りも遥かに高い水飛沫が、樹間から上空に見えた。
「何だろう・・・」
最後の肉を齧り、周囲の気配を感じ取った。
「あ、スイ兄ちゃん!それにレン兄ちゃんの魔力も感じる!」
水飛沫の見えた方向から、スイとレンの魔力を感じた。ライトは、
満面の笑みで2 人のいる方向へと走った。
「グオオオオオォォォォ!!」
「ドゴオオオオォォン・・・!!」
巨大な獣の咆哮と、どこか遠くに爆弾が落ちたような轟音が同時に
聞こえた。
「うわぁ!びっくりした!」
その直後、上空を火球が通過していくのが見えた。ライトは、嫌な
予感と嫌な魔力を感じ、急いで2 人の元へと走った。
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