第3話 共生

 2人はどこかの木にぶつかり、水の膜は破れた。雨となっている間は、身体が水滴サイズになっていたが、木にぶつかる瞬間に元の大きさへと戻っていた。2人はバキバキと音を立てて枝を折りながら、幹まで落ちていったのだった。

「いったぁ!」

 2人は頭を左右に振ったり、尻を摩ったりしながら辺りを見回した。

「どこだここ。森・・・ではないよな?」

「まあ、人が多い場所じゃなくて良かったよ」

 2人はどうやら林に降りたようだ。15メートルないくらいの細い低木が立ち並び、適度な明るさの朝日が洩れていた。2人にとってこの光景はなんともなかった。ヴァイサイでも、近しい景色を毎日見ていたからだ。初めて人間界へ降りた2人にとって、降りるまでの景色のほうが大変刺激的だった。

「どうしようか、これから」

「さあ?てか何か暑くないか?」

「言われてみたら確かに。人間はこの温度下で暮らしているのかな」

 ヴァイサイと比較すると、人間界はかなり暑く感じた。2人は上半身に羽織っていた衣服を脱いで腰に巻き、上裸になった。2人は周囲を見渡し、1、2歩進んでみた。


「ぴとっ」

 腰に巻いたスイの衣服に何かが触れた。スイはその何かの方に目をやった。

「うわっ!!何だコイツ!襲われた!」

 スイは、じたばたした。異界の地で異界の生物に襲われ、恐怖した。

 その生物は「ジッ・・・ジッ・・・」という音を発し、衣服から離れない。

「取ってよ!レン!」

 レンはスイ以上に動揺していた。顔が強張り、冷や汗をかき、心もじたばたとしていた。

「取るったって、どうやって・・・」

「はたき落として!」

「コイツに触れっていうのかよ!」

 自分よりも遥かに小柄な相手なのだが、手だか足だか分からないものが6本もあり、どんな攻撃を仕掛けてくるのか想像もつかない。初めての相手と対峙した際には、相手の出方を伺う、これが勝負の鉄則だ。だからレンは先制を躊躇したのだが、スイはそれどころではなかった。

「ああ、もう!」

 レンも心と体がちぐはぐになり、とうとう人差し指でソイツを叩き落とした。


「ボウッ!」

 一瞬の轟音と共に、レンの指から炎が吹き出し、ソイツとスイの衣服に触れた。ソイツは炭化して地面にポトリと落ち、腰に巻いたスイの衣服は、肩のあたりが真っ黒になった。

「あっつ!!」

 スイは腰のあたりを摩った。レンの指が肌に少し触れたのだ。赤く変色し、皮が剥け、木の葉サイズの火傷を負ってしまった。

「わ、わりぃ。でも人間界で魔法は使えないんじゃなかったか?」

 レンは目を丸くし、ますます冷静でいられなくなった。焦げて転がったソイツとスイの腰を、何度も往復して見ながら言った。

「何故かおれたちは使えるみたい」  

スイはそう言いながら掌に水の膜を張り、レンに見せてから火傷の箇所にその手をやった。レンは不思議そうに自分の掌を見つめた後、近くの大木に手を当てた。

「ボワァッ!!バキバキバキ・・・!」

 その木の幹は勢いよく燃え上がり、他の木を1、2本薙ぎ倒していった。その瞬間、両の掌に収まるサイズの大量の何かが散り散りに飛んでいった。

「うわ!何だあれ!飛行機か?」

 スイは空を見上げて指を差した。レンはそれを無視し、スイの肩を引っ張った。

「スイ!そんなことより火を消してくれ!多分まずいことになった!」

 スイはレンに引っ張られ、レンの指差す方向に目をやった。勢いよく燃える大木と、白と銀鼠の中間色のような汚い煙が立ち上っている。スイは、慌てて両手から勢いよく水柱を放った。

 火は消え、シューという音と共に、木の葉から雨のようにパラパラと落ちる水滴の音が聞こえている。

「危ねぇ・・・」

「急に魔法を放ったりしないでよ!」

「いや・・・本当に使えるかまだ疑わしくて」

 レンは少しシュンとした。

 2人は人間界へ降りて、ものの数分の出来事に疲弊し、丸こげで転がっている大木の前に座り込んだ。

 さて、これからのことを考えようか、そう思った時だった。


「誰だ、そこにいるのは?」

 2人の背後から大声が聞こえた。2人は焦げた大木の陰からひょっこりと顔を出し、声のする方を覗いた。2人の身体を隠せる程度の大きさの木を倒したことは幸いだった。

 黒のキャップに迷彩の繋ぎを着た50代くらいの髭面の男が、小高いところからこちらを覗いていた。その男は、両手に持った何かをこちらへ向けながら、ゆっくりと近寄ってくる。丸焦げの大木が目の前に倒れている異常な光景に、その男は尋常ではないほど警戒していた。

「ちょっと待った!」

 スイは意を決してその男の前に飛び出た。レンはそれを静かに横目でじっと見ていた。

 飛び出てきたスイに合わせて、男は持っていた何かをスイの眉間に向けた。しかし、人だと分かり、すぐにそれを降ろした。

「なんだ子どもか。こんなところで焚き火なんてするんじゃねぇ。山菜が燃えたらどうする」  

その男はスイを諭すように叱った。

「ああ、ごめん。そう、焚き火?をやってみたくてつい・・・」

 スイはそう言うと、レンの方をチラチラと見た。

 レンは指先に火を灯し、背中にその男の気配を感じながら、木を挟んで臨戦態勢に入っていた。

 男はスイの視線に気がつき、視線の先に再び何かを向けた。

「そこに何を隠している?」

「いや、その・・・」

 スイはレンに視線をやった。レンは木越しに殺し屋のような表情を浮かべていた。スイは小さな声で、火を消して顔を出すようレンに言った。レンはスイを無視して男に飛びかかる覚悟でいたが、スイの火傷の負い目を感じ、指先の火を消して渋々顔を出した。

「弟と一緒なんだ」

 スイがそう言うと、男は再び直った。

「兄弟揃って火遊びか。お前たちどこから来た?街の方か?」

「いや、えっと・・・」

「親は?」

「いないけど・・・」

 スイの言葉は歯切れが悪かった。男は歯切れの悪さと、横たわる焦げた大木という異常な光景の2つの情報を重ね合わせ、再び警戒した。

「何なんだ、お前たちは」

 男のその言葉に、スイは黙り込んだ。数十秒の沈黙を埋めるように、風は木の間を抜け、木の葉を踊らせていた。

「まあいい。村に来い」

 男はそう言うと、2人に背を向けて歩きだした。背中を向けた男に、レンは人差し指を向けて睨みつけたが、スイはレンの腕を抑えて首を横に振った。


 2人は、男との間隔を数メートル空けて後を追った。まだ人間という存在に不信感を抱かざるを得ないが、スイはアオイの言葉を思い出した。人間は優しい、きっと助けてくれるのだと。スイは、アオイならこうするだろうと考え、男との会話を試みることにした。

「ねえ、その肩に掛けてるものは何?」

「おいおい、どんだけ田舎もんなんだよ。銃だ、これで動物を仕留めんだ」

「じゅう・・・どうぶつ・・・」

 男は怪訝な顔を浮かべ、ぶっきらぼうに答えた。スイは男の発する言葉で、聞き覚えのない理解できない言葉を繰り返し呟いた。レンもまた、スイのその様子を怪訝な顔で見つめた。

 レンは何気なく、足元に目をやった。すると、先程スイを襲った生物の死骸を発見した。

「おい!何なんだよコイツはよぉ!」

 レンはさっと後ろへ下がり、距離をとった。男はレンの声で振り返り、レンが指差す方向へと寄っていった。

「何だよ、セミじゃねぇか」

「おれ、さっきコイツに襲われたんだよ」

「・・・お前たちのこと田舎もんって言ったけど、訂正する。どこの御国のボンボンだ?セミを知らない奴なんてこの世にいるのか?」

 男は眉間に皺を寄せて、2人の顔をじっと見た。

「あ、ああ・・・セミか。いや、本では見たことあったかな・・・」

 スイは出任せを言った。そんなスイを軽く睨み、男は村へ向けて再び歩を進めた。

「雪国出身か?まあ、晩夏の生き残りが飛んできたんだろう」

 スイとレンはホッとした。まさか人間とここまで関わると思ってもみなかったから、人間の皮を被ることに必死だった。人間界に降りる他のシュピゼは、物を買う時に少し会話をする程度だ。だが、スイとレンは数十分の間に、人間界へ2泊3日の旅行へやってきたシュピゼ以上に人間と関わっていた。


「ほら、着いたぞ」

 男が指差す先には、テントが密集していた。その集落の周りを鬱蒼とした森が囲んでいる。土壌は荒れ果て、積み石でできた井戸枠は所々欠けていた。そして何より、この土地以上に村人の目は枯れていた。

「とりあえず、あの中で待っていてくれ」

 男はそう言うと、左右非対称で崩れそうな神社らしき建物を指差した。スイとレンは頷き、内へと入った。

 崩れた建物の隙間から微かな光が差し込んではいるが、視界はとても不安定だ。床板は腐って柔らかくなったものと、ささくれているものしかなかった。2人が建物の奥まで進んでいくと、格子状のものが見えてきた。


 次の瞬間、2人の後ろを付いてきていた男は、2人の背中を足蹴にした。

 2人はつんのめって奥へと入り、そして男の方を向いた。男は格子の扉を閉め、鍵をかけていた。この神社は牢屋として使われていたのだ。

「おい!何すんだよ!」

 レンは格子を蹴飛ばしながら男に怒鳴った。男は鍵をかけた後、2人に猟銃を向けた。

「お前たち、手ぶらでどうやってあの大木に火をつけた?川のないあの場所で、どうやって水をかけた?」

 2人は黙り込んだ。そこへ数人の村人が、わらわらと神社の中へ入ってきた。火を灯した蝋燭を片手に、農具を片手に持ち、異端を見る目で2人を睨みつけた。

「なんだ、この上裸の餓鬼どもは」

「ヨージ、獣の肉を獲ってきたんじゃないのか」

「獣は獲れなかったんだが、収穫はあった。この異端児をマージに売れば、大金を得られるかもしれん」

 猟銃を構えたヨージの目は、殺し屋のそれだった。今この瞬間、自分の利益のために仕事を全うしようとする目だ。

「ちょっと待って!おれたちは何も怪しくないよ!」

「だったら何者なのか、さっさと明かせ」

 スイは状況を打破しようと口火を切ったものの、人間は手ぶらでは火起こしと消火ができないという事実を突きつけられている以上、弁解の余地はなかった。もし、自分たちが人間ではないということを明かしてしまったら、どうなってしまうのだろうという思考が、脳内を巡っていた。そして、アオイの言っていた優しい人間を見ることができずに、終わりを迎えるのだろうと思っていたのだった。

「頭にきた、全員ぶち殺してやる」

 レンはヨージの胸の方に人差し指を向けた。今にも魔法を放ちそうだった。ヨージは奇怪な行動に出たレンに照準を合わせ、2人は睨み合いになった。


「分かった」

 スイはヨージの前に立ちはだかり、静かに言った。するとスイは、掌から水の球体を作って見せた。

「なっ!」

 ヨージと村人は怯んだ。不思議な光景を目の当たりにし、より警戒を強めた。そして村人は、スイに対して持っていた農具を構えた。

「おれたちはヴァイサイから来た魔法使い。ほら、レン」

 スイはレンの方を向くと、レンに魔法を出すよう促した。レンは舌打ちをし、掌から小さな炎の渦を出して見せた。

 スイとレンが人間ではないという情報が、この小さな村全体に広まるのに、多くの時間は必要なかった。気がつけば、村人全員が神社に集まり、2人に冷ややかな視線を向けていた。

「やはり、コイツらをマージに売るか」

「それがいいだろう」

 村人たちはコソコソと話している。スイにその言葉ははっきりと届かなかったが、無事では済まないということは察した。スイとレンは抵抗することなく、その場に座っていた。

レンは座ったまま、ヨージを睨みつけていた。


「ちょっと待って」

 群がる村人の中から、1人の女性の声が聞こえた。村人たちを掻き分けながら、お腹の膨れた40代くらいの茶髪のショートヘアの女性が現れた。お腹を支えながら、左右に体を揺らし、1歩1歩丁寧に歩いてきた。ヨージは振り返り、その女性に話しかけた。

「おい、ホテイ。口を挟むんじゃない。テントの中で休んでいろよ」

 ホテイはヨージの猟銃を取り上げ、地面に投げ捨てた。その後、自分の頭ふたつ分ほど高いヨージの頭に拳骨を喰らわした。

「いってぇ!!」

「バカな真似しないで!子どもに銃を突きつける暇があったら、しっかり獣を獲ってきな!」

 ヨージは頭を抑えて跪いた。数秒前までホテイを見下ろしていたが、見上げる立場となってしまった。

「それに、マージに売るよりも私たちの生活の役に立てる方が得策じゃない。火起こしは大変だし、ここ数日、ろくに水も飲めていないんだから。ここに降りてきたのも何かの縁よ」

 村人たちは、ホテイの意見も一理あると思った。確かにそうだという声が、ちらほら聞こえてきた。ホテイがこの村でどういった立場なのか定かではなかったが、この肝っ玉母ちゃん感は、スイには王と同格に感じられた。

「この子たちはウチで面倒見る。それで文句ないわよね、ヨージ?」

「分かった分かった。だが、どう利用するかは村全体で決める、それでいいな?」

 ヨージは、頭を摩りながらボソボソと言った。ホテイは頷き、牢屋の鍵をヨージから取り上げると、すぐに錠を開けた。そして、ヨージの指示で他の村人たちは帰っていった。

「2人とも、ごめんなさいね。さあ、私の家に行きましょう」

 ホテイはスイとレンの肩を抱いて、散々な床板を避けながら神社を出た。

「ありがとう、ホテイ」

 スイの言葉に、ホテイはニコッと笑った。


 3人は、集落の中心部にあるホテイの塒へとやってきた。小さなテントの中に、布団が敷いてあるだけの質素な塒だ。ホテイは慎重に布団に腰掛けた。

「適当に座ってちょうだい」

 スイとレンは、最も入り口に近い場所に座った。未だ信用できない人間から、いつでも逃げ出せるようにだ。スイは胡座をかき、レンは片膝を立てて座った。

「2人とも、さっき話した通り、行くところがないのならこの村にいなさい。仕事はしてもらうけどね」

 ホテイの言葉に、スイとレンは数秒考えてから頷いた。緊張感が少しずつ解れてきたスイの頭の中は、聞きたいことでいっぱいだった。スイは質問をまとめ、口を開こうとした。

「ここは何なんだ?」

 レンの方が先に口を開いた。スイは、もの珍しそうな顔でレンを見た。強さと王以外に興味を示さないレンが、人間とまともに会話をしている光景が、スイにとって新鮮で且つ少し嬉しく思えた。

「ここはアージ村。マージ街で税金を払えなくなったり、罪を犯して追放された人たちが集まっているの」

「ホテイは何したんだ?」

「子どもができたタイミングで夫が事故で亡くなったの。それで働き口もなくて税金が払えなくなって追い出されたのよ」

「おっと・・・ぜいきん・・・?」

「夫というのは父のことよ。税金は国に納めるお金のこと。お金っていうのは、この金属ね」

「ああ、ブロスのことか。金も昔の王に見せてもらったことあるな」

 ホテイは、人間界のことを知らないスイとレンに対し、あらゆることを詳細に教えた。レンは、態度は良くないものの、話はしっかりと聞いていた。

「ホテイはなんでお腹が膨れているの?」

「もうすぐ赤ちゃんが産まれるのよ。あなたたちもこうして生まれてきたのでしょう?」

「おれたちは分からないけど、ヴァイサイでは、トリンでできた容器の中で子どもは生ま

れるよ」

 ホテイは少し悲しそうな表情を浮かべた。見た目は同じ人間、しかし種族は異なる。種族が異なれば、出産の方法が異なっていてもおかしくはないと分かってはいたのだが、心のどこかで受け入れられなかったのだ。ホテイは大きなお腹を2、3回摩った。

「あなたたちのお母さんはどんな人?」

「氷の魔法使いだった。つい最近殺されたけど」

 ホテイは突拍子もない答えが返ってきたことに驚き、そして2人の気持ちを考慮し、すぐに謝った。スイは、なぜ謝られているのか分からなかったが、とりあえず頷いた。

「お母さんは好き?」

「分からないな。おれたちはそういう感情がない種族だから」

「ああ、そうだ。死んだときも俺は別に何とも思わなかったな」

 スイとレンは、ホテイの質問に悩むことなく即答した。ホテイは残酷な世界で生きてきたであろう2人に、心がキュッとした。それと同時に、彼らには人間の世界で人間らしい心を養ってほしいと切に願っていたのだった。

「でも、死んだとき・・・おれは嫌な気持ちだったかも。何だかよく分からなかったけど、とにかく嫌だった」

「確かに、あの時のスイは変だった。声が怖かったし」

 スイの答えに、ホテイは一筋の光明が差した気がした。ここでの生活を通して、彼らは人間としての感情を持つことができると確信した。ホテイは再び大きなお腹を2、3回摩った。


「スイよ、飲み水が底をつきそうだ」

「あー、身体中の垢が取れて気持ちいいなぁ」

「うちの洗濯物もお願い!」

 スイとレンが人間界へ来てから2週間ほどが経過していた。2人はアージ村での生活に慣れつつあった。村は水と食料の不足が解消され、豊かとはいかずとも生活に余裕がでてきたのだった。

「戻ったぞ」

「おう、収穫は?」

「大量だ。レンのおかげで狩りが捗るのなんの」

「ヨージの銃の腕も、なかなかだったぜ」

 狩りから戻ったレンとヨージは、背中に猪1頭、腰にウサギ3羽を結い、村人たちと懇談していた。レンと村人たちは打ち解けるまでに時間がかかったが、レンの狩りでの活躍が心を打ち、徐々に村人たちの方からレンに話しかけるようになった。ヴァイサイで褒められることが少なかったレンは、少しの嬉しさと小っ恥ずかしさを覚えていた。

 また、狩りに対して鍛錬のような楽しさを感じるようになっていた。スイは、レンのその姿を嬉しく思った。馴染めずにヴァイサイへ戻り、ブロスに頭を下げることになるかもしれないという未来も、頭の片隅にあったからだ。

 スイは子どもたちからも好かれ、噴水を見せたりしていた。スイが子守をしている隙に、男たちはレンと狩りに出かける。レンの鋭利で俊敏な炎の矢は、獲物だけではなく、男たちの度肝も射抜いた。レンと口を聞かず、口を開けば喧嘩をしていたヨージだが、レンの狩り姿に感銘を受け始めた。

 ヨージも巧みな銃捌きだった。無駄な動きが一切なく、獲物の急所をズドンと一発で突く。人間は弱い生物だと教えられてきたレンは、その技に驚愕した。

 いつしか2人は、互いに敬意を払い、そして力を高めあう存在となっていた。


 ホテイのテントの近くにテントを1つ建ててもらい、スイとレンはそこで生活をした。鍛練後と同等の疲労感がありながら、充実感はそれ以上にあった。2人は虫の声を聞きながら薄茶色のテントの空を眺めていた。

「レン、何してるの?」

「鍛錬だよ」

 レンがトリンの欠片を強く握る、すると高熱を帯びたトリンは黄色く光る。レンの手から炎が吹き出し、腕は力がこもって細かく震えていた。手の炎が消えると、トリンもまた光を失い、元の白銀色に静かに戻っていった。

「ダメか」

「トリン持ってきてたんだ」

「ああ、懐に入ってた」

 レンはトリンを枕元に置いた。スイもレンも、何故自分たちが人間界で魔法を使うことができるのか、未だに分かってはいなかった。しかし、人間との生活において不都合がない現状が、その疑問を根本から消しつつあった。

 その代わり、新たな疑問が生まれた。ヨージに言われて気がついたのだが、スイとレンの身長が伸びていた。それも1日に数センチメートル単位で。ヴァイサイではなかった現象だった。気がつくと2人とも、130センチメートルほどだった身長が、160センチメートルほどになっていた。

 ヴァイサイでリーゴの実しか口にしていなかったと聞いたヨージは、人間界で様々な食材を口にしたことで、様々な栄養が全身に行き渡ったのではないかと笑っていた。


「なぁヨージ。人間ってどうやって飛ぶんだ?」

 レンとヨージは、獲物を探して森の中をブラブラとしていた。いつもならヨージが獲物の位置を特定してくれるのだが、今日はその勘が鈍っているらしく、まったく見つけられずに、ただ時間の流れを感じているだけだった。そもそもヨージの勘というのは、一体何なのか分からないのだが、とにかく野生の勘としか言いようがないと誇らしげに言っていた。

 レンは、ブロスを超えるために考えていた「空を飛ぶ魔法」について、この余暇で何かヒントを得ようとしていた。

「飛行機に乗れば飛べるぞ。あとは何だろうな・・・」

「ヨージは飛べる?」

「まぁ、飛行機に乗れば。運転したことはねぇけど」

「いや、違う。ヨージが飛ぶの!」

「はぁ、なんだ?・・・頓知か何かか?」

 レンが知りたいのは、人間が飛べるかどうかであって、スイが興味を示している飛行機について知りたいのではなかった。人間という生物自身は飛ぶことができるのかどうかを聞こうとしていた。

「そりゃ無理だ。人間には羽が生えているわけでもねぇからな」

 レンは落胆した。人間からは、空を飛ぶという情報について、何も得られないと分かったからだ。やはり飛行機に乗るしかないのだろうか。しかし、飛行機に乗ってどうやってブロスと戦えば良いのか、それにヴァイサイまで飛んでいくことはできるのだろうか。そんな疑問を頭の片隅に置きつつ、質問を変えてみることにした。

「じゃあさ、俺は飛べると思う?」

「ん?あー、レンは人間じゃないからなぁ。炎を出せるし、可能性はあるんじゃないか?

なんか本で読んだことあるぞ。ロケ・・・なんとかとかいうデカい乗り物が炎を噴射して空を飛ぶとか」

「え、どんな感じで?」

「地面に炎を噴射して、その反動でじゃねぇか?難しくて内容は覚えてねぇ」

 可能性が見えてきた。ヨージにその本を見せてくれと頼んだが、とっくに捨ててしまったと断られてしまった。しかし、地面に向けて魔法を使えば飛ぶことができる。この要点さえ分かっていれば、あとは実際に試すだけだ。

「ありがとう、ヨージ」

「ああ。人間は魔法が使えるわけじゃないからアドバイスするのは難しいんだが、やり方次第でどうとでもなるんじゃないか?ほら、見てみろよ」

 ヨージが指差す先には、罠に掛かった鹿の姿があった。レンはガッツポーズをとった。

収穫ゼロでは、ホテイにこっぴどく叱られる。それを回避できることもあり、これは色々な意味で収穫だった。

「獲物を見つけられないこともあるから、罠を仕掛けておいたんだ。こうやって対策を打ったり、予防線を張ったり、機転を利かせることが重要なんだ。覚えておけ」

 レンは、屈託の無い笑顔で頷いた。


 アージ村の中央の炊事場と、外れの手洗い場を行ったり来たりで大忙しのスイは、ホテイのテントの中で束の間の昼休憩をとっていた。

「腹が減って、もう一滴も出ないよ」

「ご苦労様、午後はマタギたちが戻ってくるから、シャワーお願いね」  

 猪肉を頬張るスイにホテイは言った。スイは、忙しく過ごす日々を楽しんでいた。なぜなら、村人たちはとても優しく、その人たちの力になりたいと心から思えたからだ。スイは、疲労困憊するまで魔力を使うことを厭わなかった。

 それに、ホテイはスイの疑問に何でも答えてくれた。人間のこと、村のこと、街のこと。

スイは炊事や洗濯を手伝いながら、ホテイの話を目を輝かせて聞いていた。

「ホテイはさ、飛行機乗ったことある?」

「ええ。友人との旅行で離島に行った時に乗ったわ。だいぶ前のことだけど」

「すごいね!おれも乗れる?」

「街に行けばきっと乗れるわ」

「どうやって動かすの?」

「えっと・・・。運転はしたことないから分からない。乗せてもらったのよ」

「人間はみんな、運転?ってやつができるんじゃないの?」

「いいえ、できないわ。相当な訓練が必要よ」

 どうやら人間も、訓練という名の鍛錬が必要なようだ。シュピゼとは違い、見様見真似で技術を習得することはできないらしい。特に飛行機の運転技術は、訓練をしてもできるようになるか分からないのだとか。

 スイは同情した。同じ経験をしてきたからだ。何度も風魔法や転移魔法、あらゆる魔法を教わろうとしたが、上達することは愚か発動すらせず、時間を無駄にしてきた。人間界でもそういうことは往々にしてあるらしい。

「おれにはできるかなぁ」

「挑戦してみることはいいことよ。何でもやってみなさい!」

 ホテイは声を張った。

「私のお腹がこんなじゃなかったら、飛行機を見にマージ街の方まで行けるんだけどね」

 ホテイは大きなお腹を摩って言った。

「いいよホテイ!いつか連れてって!」

 スイは興奮した表情を浮かべ、声にはハリがあった。

「空を飛ぶってどんな感覚なの?」

「どんな・・・。少し揺れるくらいであとは何も。座っているしね」

「景色は?風を感じたりは?」

 スイは、無邪気な子どものようだった。思いついたことを、そのままホテイに吐き出していた。考えたこともなかったようなことを頻りに尋ねるスイに対し、ホテイは困惑したが、夢見る少年の幻想を壊すまいと、言葉を選んでいた。

「景色はものすごくいいわ!水平線に見えた太陽は眩しくて美しかったし、夜だと街が星のように綺麗で。風を感じる・・・ことはないわね。窓なんて開けたら吹っ飛ばされるくらいのスピードで飛行機は飛ぶんだから」

「すっごいなぁ!乗ってみたーい!」

 スイの高揚感は魔法にも表れていた。マタギたちが浴びるシャワーの勢いは、まるでバケツをひっくり返したようだった。

 その夜。スイとレンは、村を害獣から守るための焚き火を囲みながら話していた。お互い、仕事の合間に仕入れた話題を持ち寄り、披露した。

「おいスイ、人間自身は飛べないらしいぞ。だから飛行機に乗るんだって」

「知ってるよ。しかも、鍛錬を重ねた一部の優れた人間しか操れないんだってさ。それにさ、空から見た景色はすごく綺麗なんだって。街が星空になるらしいよ!」

「優れた人間?王みたいなやつなのかな?あ、そうだ、もうひとつ言わなきゃいけないことがあった!人間は魔法が使えないけど、強いかもしれねぇ。今日、ヨージが銃を使わずに獲物を捕らえやがった。なんか『機転』とかいう未来を見通す力みたいなのを使ってたみたいだ。すげぇよな。機転を使うことができれば、魔法で飛べるかもしれないってさ」

「ヨージすごいな!おれ、今度ヨージに鍛錬しないか誘ってみようかな!」

 2人は、ホテイとヨージが聞いたらガッカリしそうな虚言大会を繰り広げ、盛り上がっていた。それは焚き火が消える明け方まで続いた。


 話題は右往左往していたが、2人の最終的な目標は共通していた。

 それは「空を飛ぶこと」だ。

 2人はアージ村での生活を共にしながら、別の道筋を辿って目的を果たそうという結論に落ち着いたのだった。話がひと段落すると、急激な眠気に襲われた。2人は晴れやかな表情でテントへと戻り、横になった。その瞬間、落ちるように眠りについた。


「おい、ドイ!ホテイの様子が!」

 穏やかな木漏れ日と、慌ただしくホテイのテントへと走っていく村人の声と足音で、スイとレンは目を開けた。睡眠不足の2人は頭がぼーっとしていたが、目を擦りながらホテイのテントへと向かった。

 ホテイは、はち切れんばかりの大きなお腹を抱えながら横たわり、奇声を上げていた。

「うぅぅ、生まれるぅぅぅ!!」

 ホテイのお腹を摩っていたのは、長い白髪混じりの黒髪と髭を結い、銀縁の眼鏡を掛けた30代くらいの男だった。それは、かつてマージ街の闇医者だったドイだ。ドイは、自分のテントから持ってきた医療器具の内容を確かめていた。

「全員、テントから出なさい。スイとレンは、わたしが呼んだら温めた湯を鍋に入れて持ってきなさい」

 冷静で低い声だが迫力があった。その言葉で、スイとレンはやっと目を覚ました。大きく頷き、スイは鍋に水を入れ、レンは鍋の底を炎で温めた。

 どのくらい時間が経過したのかは分からないが、随分と長い間ホテイの奇声は村中に響き渡っていた。スイとレンは言われた通り、湯を沸かし続けた。村人たちは、2人をただ見ていた。

 あっという間に日も暮れ、松明を持ち寄り、ホテイのテントの前を明るく照らした。飯を食うことすら忘れ、全員がただただホテイのテントを眺めていた。

 晩夏とはいえ、日中は茹だるような暑さで、夜でも微かにその余韻を感じられるほどだった。ヨージは額にかいた汗を腕で拭おうとした、その時だった。


「おんぎゃあ!おんぎゃあ!」

 ホテイの奇声に、甲高い別の声が重なった。しばらくしてホテイの声は静かになった。

「う、生まれた!!」

 ヨージは叫び、ホテイのテントを勢いよく開けた。深呼吸をしながら目を閉じるホテイと、赤子を抱くドイの姿がそこにはあった。赤子は元気な産声を上げていた。

「やったー!!」

 村人たちは嬉しさのあまり、テントの外で産声を掻き消すほどの大声を上げた。スイとレンは何が何だか分からず、その場に座り込んだ。ヨージは、そんな2人の頭をグリグリと何度も撫でた。ドイは赤子をホテイの枕元にそっと置き、医療器具を静かに片付け始めた。ホテイは赤子に頬を寄せた。赤子は泣き疲れたのか、スヤスヤと眠っている。

 テント内は静寂が訪れ、この村においてホテイのテントは、台風の目のようだった。テントの周囲を、厚い雲のように村人たちが駆け回っている。

「ほんと、静かにしてちょうだい」

 笑顔のホテイは、小さな声でそう呟いたのだった。


 暑さも落ち着き、寝苦しい夜から解放された。ヨージは、今年も夏を乗り越えられたと歓喜していた。アージ村を囲む森は、穏やかな緑から燃えるような赤黄の葉へと移ろい始め、スイとレンはヴァイサイの「季めくり」を思い出していた。

 ライトが生まれたばかりということもあり、ホテイはライトに付きっ切りだった。スイは、基本的にホテイといることが多かった。炊事や洗濯を率先していたのがホテイであり、スイはホテイの指示に従って水魔法を使用していた。ホテイが側にいない今は、他の村人たちからの指示に従い、自分の業務をこなしていた。

「スイ、鍋に水を入れて!」

「洗濯物の脱水も頼む!」

「採ってきたこの山菜、洗っといて!」

 スイは毎日大忙しだ。しかし、大変さというものは微塵も感じてはいなかった。

「終わった〜!」

 その日の夕方、食器を洗い終えたスイは、炊事場の前に座り込んで鹿肉を頬張っていた。

「お疲れ様。ゆっくり休んで!」

 ライトを抱っこしたホテイは、スイに微笑んだ。スイは頷き、満たされた腹を摩りながらテントへと帰った。

 スイには、時間があるとやってしまう癖というか趣味みたいなものがあった。水魔法で掌に飛行機をつくることだ。ヴァイサイでレンがミニチュアの炎の剣をつくって遊んでいた光景を思い出し、スイもやるようになっていた。

 テントを背にし、空を見上げ、あの日ヴァイサイから見た飛行機の形を思い出しながら掌に水を出した。


「飽きずにやってるねぇ」

 突然、右手から声をかけられた。スイがそちらをちらっと見ると、そこにはドイの姿があった。ドイは眼鏡のブリッジを中指でクイっと上げ、スイの掌を覗き込んでいた。

「ああ、ドイ。今はこれが楽しいんだ!」

「ところで、なぜ空を飛びたいんだっけ?」

「ヴァイサイでは空を飛べる奴がいなかったから、飛んでみたいんだ。それに自由に飛び回れるって最高じゃないか!」

「・・・そうかい」

 ドイはため息混じりに言った。ドイのその反応には明らかに裏があった。スイはそれに気がつき、何か言いたそうなドイに尋ねた。

「飛行機に乗る前に、知っておかなければいけないことがあると思ってね」

「知っておかなければいけないこと?何それ?」

「そうだなぁ・・・。夜になったら、あそこへ来なさい。そうすれば分かる」

 ドイは、薪が積み重ねられた場所を指差した。いつも獣避けに焚き火をしている場所だ。

ドイはそう言うと、自分のテントへと帰っていった。スイは不思議そうな顔でドイの背中を見つめていたが、骨が折れる未来を予期し、休んでおこうとテントへと入った。


 日が落ちると、秋の虫が騒ぎ始めた。それとは対照的に、村人たちはだんだんと眠りにつき始めた。隣で大いびきをかいているレンを起こさないように、スイは静かに外へ出た。

 パチパチと音を立てる焚き火を体育座りで見ていたドイに、スイは後ろから近づいていった。草を踏み締める音に気がついたドイは、後ろを振り返った。

「来たね。では早速行ってきてくれ」

「行く?どこへ?」

「森へさ。ここを真っ直ぐ進むと川がある。そこまで行ったら戻ってきなさい」

 ドイはそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、松明をつくってスイに手渡した。

「それだけ?飛行機と何の関係があるのさ」

「まあまあ、それは帰ってきてから説明するから」

 ドイはスイの背中をポンっと押すと、眼鏡をかけ直してからスイに手を振った。スイは首を傾げながらも、とにかく進んでみることにした。


 月明かりだけに照らされた森は薄暗く、松明の灯りでも数メートル先は闇で何も見えない。梟だろうか、時折不気味な鳴き声が聞こえてきたが、恐怖心はなかった。スイはドイに言われた通り、ただ真っ直ぐズンズンと進んだ。川までの距離はそう遠くない。スイほどの若者であれば、息を切らすことのない程度だ。

「あ、着いたかも」

 耳を澄ますと、やはりせせらぎが聞こえる。スイは松明を真正面に突き出し、視界を明るく照らした。ゴツゴツとした岩が周囲に散乱した足元から、5メートルほど先に清流を確認した。スイはしばらくそこで川を眺めた。飛行機に纏わる何かがあるのかもしれない。

そんな期待を胸に、石ころを川へ投げ入れてみた。


 しばらくすると、暗闇の中から気配を感じた。ひとつふたつではない、複数の何かがスイへ視線を向けている。スイはぐるっと周囲を見回した。何も見当たらないが、確かにスイは嫌な視線を感じていた。

「グルルルル・・・」

 スイは地を這ってくるような、こもった低音を聞いた。その方向へ松明を向けると、鹿や猪ではない、目つきの鋭い数匹の獣がこちらへと向かってくる。どうやらその獣の声のようだ。

「何だ、こいつら」

 スイは正面を警戒した。しかし、獣の声は左右と背後からも聞こえ始めた。スイは囲まれてしまったようだ。スイは、松明を持っていない左手に水を纏った。その獣から殺気を感じ、そうするべきだと判断したのだ。

「ガウッ!」

 正面の数匹が、一斉にこちらへ走ってきた。スイはその獣たちの顔面に水を掛け、怯んでいる隙に村へと走った。振り返ることなく走っていたスイだが、複数の足音が近づいてきているのが分かった。恐らく10、いやもっといるだろうか、立ち止まれば死ぬ、そう思っていた。

 無我夢中で走っていると、村の焚き火だろうか、数メートル先に小さな灯りが見えた。

良かったと安心したその時、スイは右腕を引っ掻かれてしまった。

「うわぁ!」

 スイは松明を落とし、泥濘んだ地面に倒れ込んだ。松明の火は、吹っ飛んだ衝撃で消えてしまった。薄暗く、視界がはっきりしないが、右腕から温かい液体がポタポタと地面に落ちるのを感じる。その匂いに釣られるように、黒い影が四方からのそのそと近づいてきた。スイはあっという間に囲まれ、絶体絶命だった。


「パンッ・・・!パンッ・・・!」

 スイの背後から銃声が聞こえた。するとスイを囲んでいた気配は、一斉にどこかへと消えていった。

「しまった・・・遅かったか」

 スイは右腕を押さえながら振り返った。そこには猟銃を背負ったドイの姿があった。ドイは即席の焚き火を用意し、スイの右腕を手際良く治療した。

「良かった、軽傷だったね。あいつらはあの川周辺を縄張りにしている狼だよ。繁殖期が近いこともあって、最もイライラしている時期かも」

「ドイはそれを知ってて、おれを川へ向かわせたの?」

「ああ、そうだよ。だが怪我を負わせたのは想定外、わたしのミスだ、許してくれ。ずっとスイの跡を付けていたんだが、思いの外足が速くて間に合わなかった。狼の姿を確認した段階で銃を撃つつもりだったんだが」

「おれ、死ぬかと思った」

「本当にすまない。トラウマになってないかい?」

「大丈夫。で、あの狼が飛行機と何の関係があるの?」

 スイは包帯の巻かれた右腕をブンブンと降りながらドイに尋ねた。ドイは焚き火を踏み消しながら言った。

「ここは危険だ。まずは村へ帰ろう」

 ドイは医療道具を入れた鞄と猟銃を背負い、松明を片手に歩き始めた。スイはドイの後ろをピッタリと付いて歩いた。


 ドイのテントの中で、スイはもう一度同じ質問をした。ドイは医療道具を片して居直り、スイの目を見て答えてくれた。

「わたしが伝えたかったのは『不自由』だ」

 スイはドイの言葉を理解することができなかった。スイはドイの話に、よく耳を傾けた。

「いいかい?空に完璧な自由はない。例えば、飛行機でアージ村やマージ街があるこのピック大陸から外へ出るとしよう。つまり他の大陸へ行くとする。スイの乗った飛行機を見た他の大陸の人たちはどうすると思う?」

「どうするって・・・。手でも振ってくれるんじゃない?」

「そうかもね。でもその可能性は限りなく低い。まず撃ち落とされるだろう」

 スイは目を丸くした。ただ空を飛んでいるだけなのに、何故殺されなければならないのか理解できなかった。

「そりゃそうだろう。いきなり外からやってきた奴を味方だと思えるか?特にスイとレンはこの村で経験しているじゃないか。あれが答えなんだ。自国を守るために、危険因子である可能性があるものを排除するのは当然なんだ。ましてや他の大陸には飛行機を知らない国もある。その国からしたら、飛行機は悪魔以外の何物でもない」

 スイは、初めて村を訪れた時の嫌な記憶を思い出しながら話をしっかり聞いていた。確かにドイの言っていることは腑に落ちた。スイとレンが人間界の林に着いた時もそうだった。見たこともないセミという生物を、2人はいきなり殺したのだ。しかし殺意があったわけではない、あれはただ、自分たちを守ろうとした行為だった。

「領空と言ってね、空も一応はその国の管理下なんだ。だから勝手に入ろうもんなら殺される。それを森の中で経験してほしかったんだ。森を空だとして、川は他国だ。その川という他国へ近づいたから、狼という住人に襲われた。狼たちは自国を奪いにきた奴が現れたと思ったからだ」

 スイは頷いた。スイは少しだけ、飛行機で空を飛びたいという夢を諦めそうになっていた。それは、理想とのギャップがあることを知ったからだ。空を飛ぶことは自由であると思っていた。だが実際はそうではない、夢は夢だった。

 俯くスイに、ドイは肩をガシッと掴んで言った。

「空を飛んではいけないと言っているんじゃない。それを知っているのと知らないのとでは、未来が大きく変わるってことを知ってほしかったんだよ。現にこの話を聞いておいて良かっただろう?もう撃ち落とされて死ぬことはない」

 ドイは微笑んだ。ドイの眼鏡が、少し下にズレていた。スイはドイのその表情で和み、先ほどよりも大きく頷いた。

「あとひとつ、言いたいことがあるんだが、もう遅いから明日にしよう。それに、こっちはそんなに重要なことでもないか・・・。まぁ、身をもって経験するのがいいだろう」

「分かった!」

 スイは自分のテントへ戻り、横になった。レンは相変わらず、大いびきをかいていた。

スイはズキズキと痛む右腕を摩りながら、ドイの言葉をもう一度自分に言い聞かせて眠りについたのだった。


「やあスイ、おはよう。右腕の調子はどうかな?」

 ドイは火の消えた薪の前で、猟銃を布で磨くなど、丁寧に手入れをしていた。

「おはよう。大丈夫、まだ少しズキズキするけど」

 スイはそう言うと、右腕を振って見せた。

「そうか良かった。今日はわたしと狩猟へ出よう」

「ドイも狩りできるの?」

「ああ。罠の設置が多いけどね」

 ドイはアージ村の医者だ。アージ村は、マージ街と比較すると衛生的ではなく、安全性も低い。なので怪我や病気が絶えない。しかし、毎日医療行為が必要な場面があるわけでもないため、ドイも狩猟に出ることは多い。

「ホテイ、今日はドイと狩猟に行ってくるね」

「今日は洗濯物も少なそうだし、大丈夫そうね。行ってらっしゃい」

 スイはホテイと話した後、炊事場で握り拳ほどの大きさの鹿肉を受け取り、腰巾着に入れた。

「よし行こうか」

 ドイとスイは、アージ村を囲う森の中で最も安全なルートを選択し、歩き出した。危険な獣の巣はなく、ウサギやリスの多いルートだ。狩猟初心者のスイへの配慮だろうが、血気盛んなシュピゼとして、それは不要だときっぱり言おうと思った。しかし、あくまで空を飛ぶ上で重要なことを知ることが目的であると自分に言い聞かせ、人間としてのスイがそれを制した。

「そうだ。歩きながら常に水を撒いてほしい。わたしはほら・・・乾燥肌なんだ」

 ドイは眼鏡を何度もかけ直しながら、しどろもどろだった。乾燥肌という言葉も意図も何だかよく分からなかったが、スイはとにかくドイの言うことを聞き、両手の指からチョロチョロと如雨露で水を撒くようにしながら歩いた。


「ドイはアージ村で生活する前から医者なの?」

「そうだよ。どうして?」

「医者と闇医者ってどう違うの?ヨージが、ドイは闇医者だって」

「あのクソ・・・ゴホンッ」

 ドイは何か言いかけて咳払いをした。スイは、先頭を歩くドイの顔を後ろから不思議そうな顔で覗き込んだが、ドイは眼鏡のブリッジを中指で押さえながら視線をずらした。

「まあその・・・医者というのは免許というのが必要なんだが、わたしはそれを持たないで患者から金を取っていたんだよ」

「免許って・・・確か勉強?とかいう鍛錬をしないと貰えないものだっけ?じゃあドイは勉強しないで修復してたってこと?」

「鍛錬?あぁ、まあ・・・そういうことかな。割と昔から手先は器用だったんだ。だけど試験に受からなかったんだよなぁ・・・」

 後半はゴニョゴニョと濁した。思い出したくないことであると同時に、子どもにこんな話をして良いのだろうかと良心が咎めたのだ。スイはその話を聞いて、何故か満面の笑みを浮かべていた。

「すごいじゃん!鍛錬もなしに修復できるなんて、ドイは天才なんだな!」

「いや、その・・・」

 水をそこら中にぶち撒けながら飛び跳ねるスイに、ドイは何も言えなくなってしまった。

しかし、これまで何だかんだあったが、アージ村へ移り住んで良かったと、その時に思った。そしてドイは、スイという世間知らずの子どもを鼻で笑ったのだった。


 どれほど歩いただろうか、ドイは立ち止まることなく進んでいく。スイは、何も言わずドイの後を追いかけていたが、空腹で倒れそうだった。

「ねぇ、お腹が減ったよ」

「お、そうか。じゃ、お昼にしよう」

 スイとドイは、近くにあった切り株に腰掛け、鹿肉を食べることにした。スイは勢いよく頬張り、ドイは半分だけ取り出し、静かに食べた。

 2人は食事を終えると、再び歩き始めた。満腹になったスイは、口笛を吹きながら歩けるほどの元気を取り戻していた。

「スイ、水撒きを忘れないように」

 ドイはスイの眉間を指差して念を押した。スイは頷き、再び水を撒き始めた。未だ水撒きの意味が分かってはいなかったが、満腹という幸福感が、その疑問に蓋をした。

 しかし時間経過と共に、幸福感という名の蓋は開き始めた。ずっと魔力を使い続けていることもあり、1時間も経たないうちに再びお腹が空き始めた。そして、これは何の意味があるのか、ドイはいつ狩猟をするのか、どこに空を飛ぶ上での重要なポイントがあるのか、開いた蓋から疑問が溢れ出てきた。

「ちょっと待って。お腹が空いてきた。魔力が切れそう」

 ドイはスイの言葉で振り返り、やっとかと言わんばかりの意味ありげな微笑みでスイを見た。

「そうかそうか。じゃあわたしが持っている半分の鹿肉をやろう」

 スイがドイの掌に乗った鹿肉を取ろうとすると、ドイはひょいと引っ込めた。

「『タダで』とは言っていない。買うんだ」 「え、くれるんじゃないの?」

「ああ、あげるよ。銅貨1枚と交換だ」

 スイは眉を顰めた。村での生活で金銭を要求されたことなど一度もなかった。なのにドイは、切羽詰まったこの状況でこの肉を買えだなんて、なんと卑しいのだろう。これが闇医者ドイの姿か、スイはそう思っていた。

「金なんか持ってないよ。村では肉をタダで貰えるじゃないか!」

 ドイはため息を吐きながら首を振った。やはり分かっていなかったかという、呆れた反応を見せた。

「違う。スイは炊事や洗濯といった仕事をしている。その仕事の対価として肉を貰っているんだ。他の奴らもそうさ。狩猟で成果を挙げたから対価として肉を貰っているんだ」

 スイは日々の生活を思い出していた。確かにそうだ。みんな何かしら仕事をし、そして配給を受けている。

「村で金のやり取りはないが、マージ街や他国へ行ったらよく見る光景だよ。それにスイの故郷でも、人間界ではお金が必要だという話を聞いていたんだろう?」

「うん、そうだった」

「それはそれとして・・・本題はこっちだ。スイはもしかして、飛行機が永遠に飛べるものだと思っていない?」

 スイはドキッとした。何故分かったのだろうと思った。そしてその表情から、ドイに図星だと悟られた。

「やっぱり・・・。飛行機にも『燃料』が必要だよ。燃料がなければ飛べないし、飛行中に燃料が切れたら墜落する。今日はそれを教えたかったんだよ。飛行機が飛ぶというのは、常に燃料を消費している。今日のスイみたいに魔力を使い続けてるってことだね。魔力を使い続けた結果、どうなった?」

「お腹が空いて動けなくなった」

「そうだろう?飛行機もスイも同じなんだ。そしてその燃料は、誰かから貰わなければならない。その時には対価が必要だ、お金という対価が」

 スイは、大きく頷いた。昨晩の経験もそうだ。飛行機に乗りたいという想いを持って人間界へ来たが、飛行機のことを含め、あまりにも人間界のことを知らなすぎる、スイはそう思った。それ故なのかもしれないが、やはり空を飛び、世界を回ってみたい、世界を知りたいという想いがスイの中で強くなっていた。

「でもこの肉はあげよう。わたしの乾燥肌のために働いてくれたからね。実際は乾燥肌でもないし、空気が潤うほど水を撒いたわけでもないけど・・・」

 やはり後半はゴニョゴニョしていて聞こえなかったが、スイはドイから鹿肉を受け取り、頬張った。スイが肉を食べ終えるのを少し待って、2人は村へと歩き出した。


「なーんにも獲ってないけど、怒られないかな?」

「大丈夫だろう。そんな日もあるって誤魔化そう」

「狩猟うまいんでしょ?今から罠を仕掛けようよ」

「いや、やめておこう。面倒だし」

「・・・ドイ、いつも本当に獲ってる?」

「・・・獲ってるよ。夜中にヨージが仕掛けた罠からこっそり・・・」

 スイは呆れて何も言えなかった。これが大切なことを教えてくれた人間の思考なのだろうか。やはりドイの生き方は、相変わらず闇医者だった。


 紅葉と同じ色合いの夕日が沈みかける頃。2人が村へ戻ると、レンやヨージ、他のマタギたちもちょうど戻ってきたところだった。

「ん?珍しいな。スイも狩りに出てたのかよ」

「あ、レン!まあね。狩りというか散歩に」

 レンは両手にウサギを3羽ずつ、両耳を束ねてぶら下げていた。ヨージは鹿を2頭、両肩に乗せていた。スイもドイも、口をポカンと開けて2人のその姿を見ていた。さすがベテラン勢、あっぱれだ。

「お前たちは何か獲れたか?」

 ヨージが鹿を台所の流し場にどさっと降ろしながら聞いた。スイとドイは聞こえないふりをしていた。

「そうか、スイは初めてだったな。難しかったろう?ドイ、ちゃんと手取り足取り教えてやったのか?」

「あ、ああ。今日はあれだ・・・。罠の仕掛け方を教えたから、明日は獲れるんじゃないかな」

 ドイは眼鏡を拭きながら、適当なことを言っていた。スイはたまらず、口を挟んだ。

「嘘ばっかり!夜中にこっそり誰かが仕掛けた罠から獲物を横取りするんだ!」

「あ、こら!!スイ!」

 ドイはスイの口を押さえようとした。

「ドイ!てめぇ、そんなことしてたのか!来い!説教だ!」

「待ってくれよ、違うんだ!引っかかっているのを見かけたから、持って帰ろうとしただけだって・・・」

「言い訳はホテイと一緒に聞く」

「え、ホテイには言わないでくれ!頼むよ!」

 ヨージに首根っこを掴まれたドイは、子猫のように小さかった。レンはその姿を見て大笑いしていた。スイは、鼻から大きく息を吐くと、ドイの背中を見て微笑んだ。

「ありがとう、ドイ」

 スイはそう呟き、レンと共にテントへと戻っていった。


 ヨージがテントから顔を出すと、そこは真っ白で無音な世界が広がっていた。欠伸をし、尻を掻き、ゆっくりと外へ出た。

「うぅ、さみぃ・・・」

 ヨージは相変わらず迷彩の繋ぎを着て、首にボロい布切れを巻いている。寒さを和らげるため、繋ぎの中に穴の空いたシャツを何枚も着ているせいか、だいぶ身体はゴツくなっていた。


 スイとレンがアージ村を訪れてから1年と数ヶ月が経っていた。スイとレンも相変わらずだ。もちろん、人間としてという良い意味でだ。村人と協力をして日々を過ごしていた。

 2人は長袖のTシャツと7分丈のステテコを履いてこの時期は生活をしている。村人たちからは若干引かれたが、2人にとってはこの格好でちょうど良かった。

「こら、ライト!待ちなさい!」

 1歳のライトは、3歳児に匹敵するほどの足腰の筋力で、村中を駆け回っていた。成長の早さに村中は天才が生まれたと喜んでいたが、ホテイは何かと苦労している。

 しょっちゅう走り回っているライトだが、スイとレンのお手玉を見るのが好きなようで、動き回る水と炎の玉は座ってじっと見ていた。

 例年、冬は食糧不足に陥っていた。命を落とす者も少なくはなかった。マージ街は他国からの食料が豊富で、生活苦とは無縁なのだが、アージ村は、狩猟ができなければ死ぬという分かりやすい貧富の差があった。だが、スイとレンがこの村を訪れた年の冬から変化があった。レンの働きにより、迅速に加熱処理を施した獣肉の貯蓄ができ、スイの働きによって田畑を耕し、水路をつくり、米や野菜の栽培と貯蓄ができるようになっていた。井戸が凍ったとしても水の心配はなく、そして暖にも困らない。貧困の村とは言い難いほど、充足感のある生活ができるようになっていたのだ。


「今日は鹿肉の配給だ。室から持って来い」

 ヨージの一声で村人たちは室へと集まってきた。村人の1人が室から鹿肉を引っ張り出して、レンがその肉を焼き直し、切り分けて配る。肉から立ち上る湯気は、白銀の世界でもかなり目立った。ホテイはヨージから皿を受け取り、テントへと戻ると、ライトに母乳を与えた。ライトは母乳を飲むとすぐ眠りにつく。その後、ホテイは自分の食事をするというルーティーンがあった。今日もやはりそのルーティーン通りになった。ホテイは布団にライトを寝かせると、外の景色を眺めながら肉を一口齧った。


 狩猟に出ないレンは暇を持て余し、食事を済ませて散歩へと出かけた。新雪をザクザクと踏み締め、ヨージと初めて出会った林へと向かっていた。森に囲まれた殺風景なアージ村は、雪が降るとより殺風景になる。風景を殺すとはよく言ったもので、歩き慣れた森を一面真っ白な迷いの森へと変貌させるのが雪なのだ。

 レンはヨージの言いつけを守り、通過した木に赤い布を巻きながら歩いた。帰り道が分かるようにというのもそうだが、何かあった際にすぐ迎えに行けるようにと、ヨージから口酸っぱく言われていたのだ。

 林に着くと、丸焦げで横倒しになった大木が雪を被っていた。黒と白のコントラストがはっきりとしたこんな景色は初めて見たが、ハラハラとした思い出が頭を過り、レンには美しさを感じる余裕を与えてはくれなかった。ここの木は、アージ村を囲う木よりも細身だった。そんな中で、不自然に聳え立った3倍ほどの太さの大木に触れて燃やしたのは、シュピゼとして強いものを狙う習性からだったのだろうか。

 レンは目的があってここへ来た。飛ぶ練習をするためだ。ヨージたちと行動を共にする狩猟以外、炎魔法を森の中で使用することは禁じられていた。火事にでもなったら、森に囲まれたアージ村は壊滅してしまうからだ。しかし、降り頻る雪の下なら大丈夫だろうと練習の許諾を得てきた。

「よし・・・」

 レンは深呼吸をし、両の掌から降り積もる雪に向かって炎を噴射した。炎は雪を溶かしていくだけで、レンの身体が飛ぶ気配はない。レンはとりあえず、それを何度か繰り返した。

「おいおい、本当にこれで飛ぶのか?ロケなんとかってやつは」

 レンは愚痴をこぼしながらも、とにかく手を動かした。その甲斐あってか、すぐに核心に気がついた。

「火力だ・・・火力が必要だ。結局、魔力の強化が必要じゃん」

 諦めによって集中力を切らしたレンは、雪に仰向けで倒れ込んだ。そんなレンを、雪は優しく受け止めてくれた。その後レンは、トリンを使った鍛錬を行ったり、飛ぶ練習を行ったりを繰り返した。


 レンはうっかりしていた。気がつくと魔力は底をつきそうだった。歩いて帰る余力を残しておかなければならなかったにも関わらず、集中するあまり、それを忘れていた。

「あ〜あ、腹減った」

 レンはその場に座り込んだ。持ってきていた猪肉の欠片を口に放り込み、魔力の回復を待ちながら雪を丸めて暇潰しをしていた。

「おーい、レーン!」

 静寂の中から微かに声が聞こえた。それはスイの声だった。レンは、慌てて穴の空いた箇所を雪で埋めて隠した。

「あ、ヨージ。ここにいたよ!」

 スイは少し離れたヨージに声をかけ、レンへ駆け寄った。

「まったく、出掛けるなら声をかけてよ。んで、こんなところで何してたの?」

「い、いや・・・何も。ただ散歩しにきたんだ」

「こんな時間まで?もう夕方だよ?焚き火が消えちゃって、村のみんなが凍えそうだからすぐにレンを連れて帰ってこいって。ほら」

 スイは腰の巾着から猪肉の塊を取り出し、レンに手渡した。

 レンは、空を飛ぶ練習をしていたことをスイに話したくなかった。秘密裏に習得し、いつか披露して驚かしてやろうと思っていたからだ。

 ヨージには、レンがここで何をしていたのか大方予想はついていた。その上で、スイに秘密にしたい心理も汲み取っていた。

「スイ、見てみろよ。どうやらレンは、雪だるまを作りに来たらしい。こんな幼稚なことをしていると、村のみんなに知られたくなかったんだろう」

 ヨージは、レンの足元の雪玉を指差し、小馬鹿にした表情と口調で言った。

「レンはまだ子どもなんだね」

 スイもまた、嘲笑にも似た笑みを浮かべていた。レンはリーゴの実くらい顔を真っ赤にし、この白銀の世界では一際目立っていた。そしてアージ村に戻ると、同じく顔を真っ赤にしたホテイから、大目玉を食ったのだった。


 レンはその日から、練習しに何度もあの林を訪れた。この方法が正しいのかどうか定かではなかったが、朝から晩まで毎日毎日、炎を放ち続けた。その甲斐あってか、火力は日に日に増していった。しかし、レンの根気は火力の成長曲線に反比例し、日に日に休憩時間が延びていた。

「意味あんのかなぁ、これ・・・」

 ある日、林を訪れた瞬間からすでにやる気のなかったレンは、適当に済ませて帰ろうと思い、魔力を半分消費させる勢いで炎を一瞬だけ放射した。

「ゴオウゥッ!」

 レンの身体は僅かに宙に浮き、宙返りをして背中から落ちた。

「うわぁ!痛ぇ!!」  

いつもよりも激しい炎を噴射したことで、レンを中心に半径2メートルの範囲の雪が消え去り、雪の重みで押し固められた頑丈な土が顕になった。レンは、ハンマーで殴られたような鈍痛を背中に感じた。

 しかし、痛み以上の収穫があったこともあり、レンは喜色に溢れていた。

「これだ・・・!」

 レンはこの日、いつもよりも軽い足取りでアージ村へと帰ったのだった。

 今冬は、レンにとって有意義な季節となった。晩冬まで、ひとりで黙々と鍛錬を継続していた。

 嘘か誠か、春を迎えたその林には、植物の芽がまったく出ていない不自然なエリアが誕生し、ミステリーサークルを見つけたと、村人たちが騒いだとか騒いでいないとか。


 雪解けの水は、眠っていた草木たちの目覚ましとなった。気がつくと、緑がよく映える季節に変わっていた。寒さと飢えを耐えなければならなかった時間は果てしない長さに感じたが、どちらも解消された今冬は、あっという間に感じられた。動物たちは森を駆け回り、森で出会った商人から買った作物の種も元気に芽吹き始めた。

 ライトは季節を問わず駆け回っている。

「スイ、レン。ミルクを作りたいからぬるま湯を作ってちょうだい」

「分かった」

 レンは、スイが掌に作り出した水の球体に炎を当て、ゆっくりと温めた。できたぬるま湯を、スイは哺乳瓶へと注いだ。ホテイは2人にお礼を言うと、哺乳瓶をライトの口へと運んだ。ライトは哺乳瓶を握り締め、無我夢中で吸っていた。飲み終えるまでにかかった時間は、ざっと10秒ほどだった。ライトは哺乳瓶を投げ捨てると、テントを飛び出し、どこかへと走っていった。

「まったく・・・」

 スイはライトを追いかけた。ライトは、森と村の境界線をピョンピョンと走り回っていた。ライトは、僅かに残っていた雪を飛び越えようと高くジャンプした。しかし、爪先が石に引っかかり、転んでしまった。ライトは木に頭をぶつけ、その勢いは止まった。

「だから危ないって・・・」

 スイがライトに駆け寄ると、ライトはその場で泣き出した。

「バチバチバチバチィ・・・!」

 ライトの泣き声と共に、線香花火の連続音ようなものが聞こえてきた。数秒に1回だった音は、徐々に隙間を埋めていくように鳴っていく。ただ音量は、トンネルでの拍手くらい響いていた。スイは突然のことに戸惑い、その場で立ち止まって様子を伺った。ライトの身体を見ると、黄色とオレンジを混ぜたような色のオーラらしきものが見えた。そしてチカチカと点滅している筋のようなものも見えた。

 電流だ。ライトは電流を纏っていた。

「え、これって・・・」

 スイはこれが魔力だとすぐに感じ取った。スイが様子を伺っていると、レンとホテイ、そして他の村人たちも続々と集まってきた。

「なんだ、この音は!」

 村人たちはチカチカと点滅する物体を指差し、それがライトであることにすぐに気がついた。

「ライト・・・まさかそんな・・・」

 ホテイは目の前の状況を整理することに精一杯で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。レンはスイへ駆け寄り、とりあえず泣き止ませることを提案した。2人はライトの好きなお手玉を見せた。目の前を赤と青の球体が交差する摩訶不思議な光景に、ライトは気がついた。頭の痛みに意識が集中していたライトは、徐々に視界の光景に意識を向け始めた。それと共に、電流と泣き声もグラデーションをかけて消えていった。

 スイはライトをツンツンと突いて、電気が流れていないことを確認し、そっと抱き上げた。スイはホテイの方へと歩き出し、ライトを渡した。


 ホテイはまだ放心状態だった。そんなホテイに村人たちは駆け寄り、説明を求めた。先ほどの光景は何だったのか、ライトは人間なのか、そもそもホテイは何者なのか。見繕った疑問を、手当たり次第ホテイにぶつけた。スイとレンが初めてアージ村を訪れた時のような追及を、ホテイとライトが受けている。そこへ狩猟を終えたヨージが、ウサギ2羽の耳を束ねて左手に握りながら戻ってきた。

「ライトが電気を?」

 村人たちから一通り事情を説明されている間、ヨージは腕を組み、目を閉じていた。アージ村に村長は存在しないのだが、狩猟や力仕事など、この村の存続に一役買っていたのは間違いなくヨージだった。だから村人たちは、何かあるとヨージの判断で左右を決めるのだ。

「どうするも何も、うちには魔法使いがすでにいるんだから、今更だろう。特に気にすることは何もない」

 そう言うと、室近くにある台所兼解体場のテーブルの上にウサギを投げ置いた。村人たちは冷静になり、それもそうだと納得した様子で各々のテントへと戻っていった。


 その日の夜。ライトを抱えたホテイは、ヨージのテントを訪れた。一言お礼をすると、そこへスイとレンもやってきた。

「私が呼んだの、みんなに話したいことがあって」

 4人はヨージのテントの中で、眠っているライトを囲んで話し始めた。揺れる蝋燭の火が、ライトをやさしく包み込む。しかし、話の内容は穏やかとは言い難いものだった。

「ライトが魔法を使える理由に心当たりがあって・・・。隠すつもりもなかったんだけど、私、実は魔法使いの娘なの」

 3人は一瞬驚いた声を上げたが、すぐに口を噤んだ。ライトが起きていないことを確認し、ホテイの話の続きを聞いた。

「母の名前はバショウ。スイとレンがいたヴァイサイの魔法使いだったの。ただ、そこでの生活に嫌気がさして人間界へ来たらしいわ。そして人間の父と結婚をして、姉と私が生まれたの」

 ヨージは、何が何だか分からないといった表情を浮かべていた。アージ村にいる人たちは、訳ありなのは確かだ。だが誰も素性を話したり、ましてや探ろうとは思わない。


 スイとレンがアージ村を訪れる数ヶ月ほど前、森で狩猟をしていた時、倒れている人を発見した。ろくに食事も摂っていない痩せこけた状態で、お腹の少し膨れた妊婦としては危険な状態だった。それがマージ街を飛び出したホテイだったのだ。そんなホテイを、アージ村に迎え入れたのはヨージだった。当然、問題を抱えてここへ来たことは承知していたが、その境遇は突っ込まずにはいられないものだった。

「ヨージ、安心して。魔法使いだからマージ街を追い出されたのではないわ。だからマージ街の人間は、このことを知らない。スイとレンには話したけれど、夫が亡くなって生活ができなくなったから来たのよ」

「あ、ああ・・・そうか」

 ホテイは、話に割って入りそうなヨージをそっと制した。レンはポカンと口を開けていたが、スイは納得した様子で、とても冷静だった。

「確かに。初めてホテイに会った時の会話、違和感があったんだよね。おれたちがヴァイサイから来たって話をした時、ホテイは『降りてきた』って言ってたよね?ヴァイサイの場所までは言っていなかったのに、何故ヴァイサイが空にあるって分かったんだろうって」

 スイの勘の鋭さは、ホテイを刺すには十分だった。あの時すでにボロが出ていたのかとショックを受けた。ホテイはスイの言葉で、母のバショウから聞いた全てを打ち明けると決めたのだった。

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