第2話 王と母

「おい、城へ急げ!」

 シュピゼたちが一様に城へ向かう。シュピゼにとって、城へ足を踏み入れる機会は多くない。王の座を奪う以外に、訪れる理由などないからだ。それなのに多くのシュピゼが訪れた理由、それは、現在の王を打ち破った者が、数十年ぶりに誕生したからだ。

「私はブロス!今ここに新たな王が誕生した!シュピゼの名に恥じぬよう、より一層の鍛錬に努めよ!」

 先代の王の骸の側で、左腕を押えながらやっとの思いで立ち上がったブロスは、シュピゼの群衆を鼓舞した。群衆は、ヴァイサイ全体が震えるかの如く声を上げ、王への志を表した。


 その頃家にいたアオイは、この結果をあまり良く思ってはいなかった。理由は色々あったのだが、総じて遺憾だった。そして、スイとレンがこの状況を嬉しく思っていたことにも嫌悪感があった。アオイは、唇を強く噛み締めて、拳を強く握り込んでいた。

「ブロスが王になったことで、俺のやる気が倍になった」

「歴代の王の中で最も若くて強いって言われてたよ。目指し甲斐があるよね!」

 アオイは、食べ終わったリーゴの芯を焼却しながら2人の会話を黙って聞いていた。王の座を奪うということは、王の命を奪うということ。息子が父の命を奪いに行くということだ。シュピゼには親子という感覚がないに等しい。だから、どちらかが死んでも何とも思わない。しかし、アオイは完璧なシュピゼになりきれていなかった。ブロスと息子たちの殺し合いが起こらないことを、心のどこかで願っていたのだ。


 ブロスが王になってから数時間が経った。シュピゼたちは城からじわじわと街へ戻り、いつも通りの鍛錬に勤しみ始めた。スイとレンも、鍛錬をしに森へ向かおうとした時、玄関の扉がスッと開いた。そこには、ブロスの姿があった。

「知っての通り、私は王になった。これからは城で生活をすることになる。弱者との生活もこれで終わりだ」

「わざわざそんなことを言いに帰ってきたの?」

 アオイがブロスの前に立つと、ブロスはアオイを見下ろした。ブロスはアオイに軽蔑の目を向け、その目をスイとレンに移した。

「王が挨拶をしにきてやったんだ。お前たちも精々がんばれよ。まあ私が王である以上、もう王になるのは不可能だろうが」

 レンは、眉間に皺を寄せて1歩出た。しかし、それをアオイが制した。

「ブロス、この子たちが首を獲りにきたらどうするの?」

「殺りにくるなら殺る」

 ブロスは、周囲にプレッシャーを放った。スイとレンは押し潰されそうになり、尻餅をついた。

「そんなことは絶対にさせない」

 アオイの周囲は冷気に包まれ、スイとレンの呼吸は白くなった。その冷気は徐々に広がり、テーブルやソファ、玄関の外の草まで凍り始めた。スイとレンは、ゾクッとした。それは冷気による影響ではなく、今まで見たことのない温厚なアオイの、冷たく殺意に満ちたような目によるものだ。白目とは呼べないほどに血走った目で、ブロスを睨みつけていた。ブロスは一瞬たじろいだが、鼻で笑った。

「お前が変な真似をしなければ、コイツらはもっと張り合いがあっただろうな・・・。さて、お別れだ、アオイ」

 ブロスはそう言うと、アオイに背を向け、城へ向かっていった。その背中が小さくなっていくにつれ、冷気は徐々に治っていった。

「どうしたの、アオイ?」

「おいおい、アオイってこんなに強かったのか?俺より先にアオイが王になるかもしれねぇ」

 スイとレンがアオイに駆け寄った。アオイは2人を一瞥することなく、もう見えなくなったブロスの方をじっと見ていた。その目はどこか悲しそうだった。

「何でもないわ」

 アオイは、その言葉と共に視線を2人に向けてから玄関を閉め、そしてソファのクッションを軽く叩き、水魔法で洗濯を始めた。スイは、いつものアオイに戻ったことに安堵し、リーゴの実を一口齧った。レンは今見た光景が頭から離れず、スポーツ観戦後の興奮冷めやらぬ少年のように元気に外へと走っていった。その手からはやる気の炎が漲っていた。


 王の特権は2つある。それは、城の私有化と法の制定だ。先代の王は「人間を知る」という旨の法を定め、その結果生まれたのが「季めくり」と血縁関係のグループ化、つまり核家族化だ。親子は支え合って生きていかなければならない。反対する者も多かったが、ヴァイサイはシュピゼの国家、弱者は強者に従う独裁国家だ。反対意見など無意味であった。家族愛など存在しないシュピゼにとって、同居というのは苦痛であったが強制された。だから今回の王位剥奪により、これらの法が撤廃されることをシュピゼの多くは望んでいた。

 数日間、王になったブロスに動きはなかった。日を追うごとにシュピゼの期待は大きくなり、意味もなく城の前を訪れる者も出始めていた。現在のヴァイサイの景色は夏だ。王が変わり、夏の景色のままとなったヴァイサイだが、空気は大きく変わろうとしていた。硬く濃い緑に染まったリーゴの葉が、風によって大きく揺れた。シュピゼたちがふと大樹の方角に目をやると、城の真上に集合の合図である花火が上がったところだった。


 ブロスが城の扉を開けると、そこに瞬間移動で多くのシュピゼが集まってきた。

「我々シュピゼの繁栄を考慮し、かなりの時間を要した。だがやっと、私の中でひとつの方針が固まった」

 ブロスは、ざわつくシュピゼたちを制すように声を張り上げた。

「これより『人間に関わる全ての行為を禁ずる』シュピゼとして鍛錬に努めよ!」

 核家族化が解かれたことを、シュピゼたちは大いに喜んだ。早速、自分の新たな住処を探しにいく者もちらほら見られた。そんな中、ブロスに疑問を投げかける者もいた。

「なら、人間界に食べ物を獲りにいくのは?」

「もちろんそれも禁止だ、無駄な行為だからな」

 一瞬不満に思ったシュピゼもいたが、何より個人での自由が確約された喜びの方が大きく、それ以上に異論を唱える者はいなかった。ブロスの話を聞いていたアオイの元へ、スイとレンは走ってやってきた。

「アオイ、どうなった?」

「わたしとあなたたち、それぞれで暮らすことになったわ」

「なんだ、それだけか?」

 スイの質問に淡々と答えたアオイは、レンのその反応に少しムッとした。

「それに、もう飛行機は見られないわ。やっぱり、こうなると思ったのよね」

 アオイはため息を吐き、街へ歩き出した。スイとレンは、少し寂しそうなアオイの背中を不思議そうに見ていた。

「レン、どうしよう。おれたち人間界へ行けないよ。ブロスにお願いしようか」

「バカやろう、そんなの聞くわけないじゃん。王位を奪って自分で法を変えた方が近道なんじゃないか?それより、さっさと俺たちも住処を探すぞ」

 そう言うと、レンは街の方へと歩き出した。スイは駆け足でレンの後を追いかけた。  


 数週間後。やはりヴァイサイは、いつも通り空を漂っている。そして相変わらず、街外れのあたりでスイとレンは鍛錬をしていた。トリンの家が2軒並んだ目の前で、水柱と火柱が高く上がっている。

「おい、お前たち」

 街の中心に住む男のシュピゼが声をかけてきた。街からすぐ飛行機を見に行けるようにと、街外れに家を建てたこともあり、他のシュピゼと会う機会も少なくなっていた。珍しいこともあるもんだと、その男の方をチラッと見て魔法を止めた。

「どうかした?」

「どうやらブロスから王位を奪いに来た奴がいるんだとさ、そいつが誰か聞いて驚くなよ?」

 男のシュピゼは満面の笑みを浮かべ、仕入れた情報を揚々と披露した。

「アオイだよ。お前たちの両親が争うんだ」

 スイとレンは、その男の話を聞くや否や、城の方へと走った。男はその様子を見て、口角を片方だけ上げ、そして光の粒となって消えていった。


 城内、決闘用に設けられた広間には結界が張られていた。その中でブロスとアオイは向かい合っている。その結界を取り囲むように、シュピゼたちがわらわらとしている。そこへ、数秒前にスイとレンにこのことを伝えていたシュピゼの男が、光の粒の中から姿を現した。

「おい、面白そうだからスイとレンにも声かけてきたぞ」

 その場にいたシュピゼたちは、知ったことではないと言わんばかりに、ただ笑っていた。

ブロスが王になってから日が浅いこともあり、短期間で次の王が誕生する可能性に、シュピゼたちは興奮していた。前例がないことをやり遂げるかもしれないアオイは、かなりの注目を浴びた。

「もう少し、穏やかな生活を楽しみたかったんだがな」

「いいわ、そういうの。さっさと始めましょう」

 呆れた物言いのブロスに、アオイも呆れた物言いで返した。

「容赦はせんぞ」

 ブロスの言葉にアオイは反応せず、右足を蹴り上げた。すると氷の刃がブロス目掛けて飛んでいく。ブロスは掌を目の前に出し、炎の防御壁を張った。氷の刃を防いだブロスは、足元が凍りついていくことに気がつき、1歩退いた。すると瞬間移動したアオイが後ろに控え、ブロスの背中に触れると、ブロスは全身氷漬けになってしまった。押しているアオイに、周囲は盛り上がった。そこへ遅れてスイとレンがやってきた。

「はぁ、はぁ。どうなった?」

「見てみろ!アオイが押してるぞ」

 息を切らしたスイとレンに、近くのシュピゼが言った。

 アオイは、氷漬けになったブロスの様子を伺った。すると、右方向からスイカほどの大きさの紅蓮の火球が、10個ほどアオイ目掛けて飛んでくる。氷漬けになったブロスは、木の案山子だった。アオイは身体の表面に水の膜を張った。その膜から全方向へ水が吹き出し、結界内は大洪水となった。ブロスは雷魔法の結界を自分の周囲に張り、水を受け流している。ブロスは、アオイが考えている最悪な結末を予期した。すぐに手を打たねばと、水の中のアオイを探した。目を凝らすと、溢れ出る水の中心で目を瞑り、手を合わせるアオイを見つけた。ブロスの雷魔法は徐々に弱まり、水が自分の身体に近づいてくる。

「チッ、やっぱり得意でない魔法だと持続せんな」

 雷魔法が解け、ブロスは激流に呑まれた。

 アオイが目を見開くと、激流はアオイを中心に外に向かって凍り始めた。その間ざっと5秒、広間を囲う結界に沿って氷塊ができあがった。

「ねえ、これって・・・」

「ああ、2人とも死んじまったんじゃないか」

 男女のシュピゼがヒソヒソと話している。

「おい、結界を解け!」

 男のシュピゼが大声を上げた。結界を担当していたシュピゼは魔法を解いた。目の前には、とんでもないデカさの氷塊が転がっている。激流の動きをそのまま固めた氷塊だ。白く濁り、中がどうなっているか見当もつかない。

「おい、あそこ!」

 レンが指差した先には、浅い呼吸で命からがら氷を突き破り、這い出てきたアオイの姿があった。

「ハァ・・・ハァ・・・。ゴホッ!」

 魔力を使い果たしたアオイは、咳き込みながらその場に倒れ込んだ。

「おい誰か、アオイに修復魔法を!」

 複数のシュピゼがアオイに駆け寄り、修復魔法をかけようとしたその時だった。

「バキッ・・・!!」

 氷塊の一部に大きなヒビが入った。よく見ると氷塊の奥が赤黒く光っている。その光に気がついた次の瞬間、氷塊は粉々に砕け散り、赤黒いまさに地獄の業火がアオイと近くにいたシュピゼを襲った。シュピゼはその炎に呑まれ、一瞬にして塵となって消えた。アオイは残った魔力で氷の防御壁を張ったが、炎の勢いに押されて吹き飛び、広間の壁に叩きつけられた。壁にもたれかかり、目を開けていることがやっとな状態のアオイの目の前には、業火の中からゆっくりと歩いてくるブロスの姿があった。

「見くびっていた。まさか自らの命を懸けるとは」

 ブロスはアオイを見下ろした。虫の息のアオイは壁にもたれ、ピクリともしない。

「ねえ、もういいんじゃない?」

「殺すことないだろう」

 シュピゼたちは口々に言った。それはアオイに対する心配ではなく、もし自分が王と戦ったら、殺されるかもしれないという恐怖心から出た言葉だった。

 ブロスは、アオイの脳天に人差し指を向けた。指先が高熱を帯び、橙の光と共に黒煙が上がっていた。

 今まさに、アオイの脳天に炎の矢が放たれようとしていた、その時だった。


 水の槍が放たれ、それはブロスの腕に刺さりそうになった。ブロスは腕を引っ込めて退いた。槍が飛んできた左方に目をやると、20メートルほど先にスイが立っていた。

「ブロス、もういいでしょ」

 その場にいた全員がスイの方を向いた。

「スイ!邪魔してはいけない!勝負の最中なんだぞ!」

 誰かが声を上げたが、スイは見向きもせず、ブロスだけをじっと見ていた。

「おい、スイ!どうしたんだ?何やってんだよ!」

 レンがスイに近寄った。

「分からない。でもなんか嫌な気分になったんだ」

「はぁ?」

 レンは眉を顰めていた。この勝負を見届けたかったレンにとって、スイの横槍は嫌悪感しかなかったのだ。

「まったく、呆れるな」

 ブロスは指の魔法を解いた。

「アオイ、大丈夫?」

 スイは急いでアオイに駆け寄り、肩へ手をやった。浅い呼吸で微かに肩が上がるのを感じた。

「ええ・・・なんとか・・・」

 アオイの声はとても小さく、スイはアオイの口元に耳を寄せた。

「アオイは王になることに興味がなかったんでしょ?何故ブロスに挑んだりなんかしたの

?」

「ブロスが王になることで、あなたたちが人間界へ行けなくなることを危惧したからよ。案の定、予想は的中した。だから王位を奪ってやろうと思ったの。それとスイ、わたしから手をどけなさい」

 アオイは一言一句、僅かな気力で絞り出した。スイはその言葉を聞きながら、アオイの肩に乗せた自分の手を見た。徐々に冷たくなり、凍りつきそうなほど感覚が失われていた。

慌てて手を引っ込めた後、アオイの全身を見た。冷気が吹き出し、全身が凍り始めている。

「これは・・・!」

 スイは少し焦った。

「それに・・・わたしは・・・」

 アオイの言葉と言葉の間隔が、だんだんと広くなってきている。スイは、さらに耳をアオイの口元へと寄せた。

「ブロスを・・・愛してた・・・認められたかった・・・」

「えっ、愛?」

 スイは、目を見開いた。シュピゼにはない感覚だと思っていたからだ。しかし、冷静にアオイのブロスに対する今までの行動を思い出し、その違和感が愛によるものだとするなら納得がいく。そしてその言葉を聞いて、今自分がアオイに対し、何故こんな行動をとっているのか疑問に思った。それはアオイがブロスにしてきた行動に近いものを感じたからだ。

「それは、おれにもある?」

 スイは静かに聞いた。アオイはニコッと笑った。

「ええ、あるわ。だって・・・わたしの子だもの・・・」

 アオイの言葉に、スイは特に反応を示さなかった。というよりも、実感がないから示せなかったという方が正しいかもしれない。ただ、胸のあたりが萎むような違和感はあった。


「スイ、レンを連れて人間界へ降りなさい。あと2回夜が来たら、降りられるはず・・・」

 アオイの身体は足先から腹の辺りまで氷漬けになっていた。震えた微かな声で、とても早口だった。

「うん、分かった」

 スイは大きく頷いた。

「わたしの家に、人間界への行き方を示す物があるから、それを2人で開けてみなさい。

そして人間に会いなさい。そうすればきっと、あなたの夢・・・」

 アオイは話の途中で静かになった。アオイの胸には赤黒い炎の剣が刺さっていた。

「アオイ?」  

スイはアオイの肩を揺すった。目を少し開いたまま動かなかった。

「暴走してた。放っておいても長くはなかったが」

 ブロスは炎の剣を握り、スイの背後からそう言った。スイはすくっと立ち上がると、城門へ向かって歩き出した。

「おい、スイ。どこ行くんだ?」

 レンはスイの後ろ姿に声をかけた。

「帰る」

 スイは歩みを止めることなく答えた。静かなスイの声に狂気を感じ、レンは一瞬たじろいだ。レンは、ブロスを一瞥してからスイの背中を追いかけた。

「決着はついた!全員帰れ!」

 ブロスはスイとレンの方を見て鼻で笑った後、観衆と化したシュピゼたちに言った。その声を聞いたシュピゼたちは、瞬間移動で次々に消えていった。ブロスは自ら修復魔法をかけた。傷や服の破れが、柔らかな光に包まれながら治っていく。一呼吸おいて、図書館ほどの広さの書斎へ向かおうと歩き出した時、壁にもたれかかるアオイの亡骸が残っていることに気がついた。ブロスはゆっくりと近づき、何も言わず両腕でアオイを抱えた。アオイの亡骸は、微かに笑っているように見える。

 アオイは、ブロスの全身から噴き出た業火により、骨も何も残らずに消えたのだった。


「レン、起きてる?」

 翌日、レンの家の扉をスイが叩いた。レンは、重たい瞼をなんとか開いた状態で玄関の扉から出てきた。そして頭を掻き、欠伸をしながらトボトボとスイの後を追った。空はまだ薄暗く、太陽が顔を出したがっているところだった。シュピゼたちも顔を出すにはまだ早く、街はとても静かだった。スイは何も言わず立ち並ぶ家を抜けていき、その後をレンは追いかけた。

 スイはある家の前で止まった。そこには、トリンで造られたアオイの家があった。

「ん、アオイの家じゃん。何の用?」

「ここのどこかにある」

 レンの問いに中途半端に答えたスイは、アオイの家へと入っていった。レンは疑問に思いながら、面倒くさそうに続いた。元々4人で住んでいた家だ。相変わらず整頓されており、アオイの性格が如実に表れていた。

 スイは、ソファやテーブルをひっくり返しては戻し、頻りに何かを探している。レンはただ突っ立ってそれを見ていた。まだ眠気が少し残っており、何度も欠伸をしては伸びをしてを繰り返し、暇を潰していた。


「あった、これかも」

 スイは、ブロスの書斎だった部屋の棚から、手のひらに収まるくらいの白く質素な箱を見つけた。明らかに魔法がかけられた感覚を覚えたスイは、これがアオイが残した何かであると確信した。

「なんか小さな穴が2つ開いてるな。鍵穴か?」

 レンは、スイの掌に乗った小さな箱を覗き見て言った。小指の半分ほどの大きさの穴が2つ並んで開いていた。スイは枝を突っ込んで回したりしたが、何も起こらなかった。

 アオイの家は、恐らく今日で取り壊される。だからシュピゼの誰かが来る前に、この箱の秘密を解かなければならなかった。

「時間がないな。レンも鍵を探してみて」

 スイはそう言うと、本棚の本を片っ端から床に放り投げ、棚を調べた。レンは渋々ブロスのベッドをひっくり返した。

 2人で手分けして探していると、いつの間にか日は昇っており、遠くから微かに魔法の衝突音が聞こえ始めた。時間に追われて時間に気がつかなかったのだ。

 そして時間に比例して、2人は躍起になっていき、探すというより荒らすの方が表現として近い状態になっていた。


「ゴウンッ!!」

 ものすごい地響きと轟音を感じた。玄関の方からだった。2人は動かしていた手を止め、散らばった本を掻き分けながら玄関へと向かった。玄関の扉はバラバラに砕け散っていた。

 するとそこへ、3メートルほどの大きさの物体が入ってきた。スイとレンは、慌ててソファの陰に隠れてそれを見た。トリンでできたゴーレムだ。スイはすぐに、それがブロスの遣いのモノだと分かった。

「ブロス、こんなの造っていたのか。どうりで今日はこの辺が静かだと思った。これに家を処理させるつもりだったんだ」

 スイは小声でレンに言った。窓から外を見ると、そのゴーレムが2、3体控えているのが分かった。

「ヤベェって。もう出ようぜ、スイ」

 レンはスイの肩を何度も叩いた。スイは頷くと、ゴーレムを視界にとらえながら、匍匐前進で勝手口へと向かった。レンも同じようにしてスイの後を追いかけた。

 ゴーレムの脚は大変細いが、腕だけは異常に太かった。顔面と思しき場所の中心に、野球ボールほどの穴が1つ空いており、赤く怪しげに発光している。

 匍匐前進する2人をよそに、そのゴーレムは腕を大きく振りかぶり、テーブルに叩きつけた。テーブルはけたたましい音を上げ、粉々になった。  


 勝手口に着き、2人は扉を開けてゆっくりと外へ出た。玄関付近で待機しているゴーレムたちを確認し、裏手から街を抜けて自分たちの家へ戻ろうとした。

 しかし、2人がゆっくりと後ろを向くと、目の前にゴーレムが立っていた。2人は反射的に身構えた。レンの掌からは、すでに炎が吹き出し、いつでも攻撃できる状態だった。

緊張感が走り、焦りに身を任せて攻撃をしてもおかしくはなかったが、鍛錬の成果だろうか、2人はとても冷静だった。相手の出方を伺ったのだ。ゴーレムは10秒ほど2人をじっと見つめた。しかし、何もすることなく再び巡回を始めた。

 遠ざかるゴーレムの背中を、まだ強張って見つめていた2人に、強めの風が吹いた。その風は、冷や汗を拭い去っていった。

「焦った、襲われるかと思ったぜ」

「たぶん家の処分命令しか受けてないんだろうね。確かに焦ったけど」

 2人は気を取り直して、自分たちの家へと向かった。


 2人はスイの家で箱を眺めていた。それが時間の無駄だということは分かっていたのだが、それ以外にできることが何もなかった。アオイの家が取り壊されてしまった今、もう鍵を探す手立てはない。開かない箱など、持っていても意味はないと諦めつつあった。

「どうすんだよ、これから」

「分からないよ」

 レンは、ソファに寝そべりながらスイを責めた。スイの声は弱々しかった。

「アオイもアオイだよな。箱の隠し場所は言うくせに、鍵のことは言わないなんて」

 スイは、レンの言葉に確かにそうだと思うと同時に、違和感を覚えた。アオイは「箱がある」とは言っていなかった。魔法がかかっていることも不可解だ。

「アオイは鍵のことは何も言ってなかった。2人で開けろって」

「いや、どうやって?」

 テーブルに箱を置いて、2人はまじまじと穴を見つめた。この小さな穴に入りそうなものなど、何も持ってはいなかった。レンは試しに髪の毛を1本抜き、突っ込んでみたが、何も起こらなかった。その後、叩いたり振ったり叩きつけたり、あらゆる方法を試したが、何も起こらなかった。

 スイは、まさに投げやりという感じに、レンに向けて箱を投げた。それを受け取ったレンは、再びソファに寝転んだ。

「炙ってみるか」

「トリンだよ。魔法は意味ないでしょ」

 スイの言葉を無視し、レンは人差し指から炎を出して全体を炙ってみた。やはり意味はなく、トリンの性質なのか、かけられた魔法の影響なのか分からないが、レンの魔法を阻むかのように、トリンと炎の間に数ミリほどの空間が生まれていた。

 レンが諦めて箱から炎を少し遠ざけたその時、炎から僅かに出ている煙が片方の穴に向かい、穴に近づくと、ものすごい勢いで吸い込まれていった。それに気がついたレンは、指の炎を穴の近くに寄せた。すると、穴の中に炎が吸い込まれた。

「うわ!吸われた!」

 レンの大きな声にスイは驚き、レンへと駆け寄った。

「スイ、俺の炎が吸われた!ほら!」

 レンは再び穴に向けて炎を出すと、小さな穴に吸い込まれていった。スイはそれを見て確信した。アオイが言っていた「2人で開けろ」という意味は、2人の魔法で開けろということだ。


「レン、テーブルにその箱を置いて」

 レンはテーブルの上に箱を静かに置いた。スイがレンに目で合図をすると、2人はそれぞれの穴に炎魔法と水魔法を放った。赤と青の細い線のように放たれた魔法が、穴に吸い込まれていく。

「ギュン・・・」

 しばらくすると、奇妙な音と共に一瞬だけ白い光に包まれ、それはリングケースのように開いた。中は空で、蓋側の内部は透明になっており、中で赤と青の魔法が揺れ動いていた。それはまるで時限爆弾のコードのようで、2本あるから動かせているような、そんな様子だった。しかし、爆弾のような恐ろしさはまるで感じなかった。

「開いたぞ!でも、何も入ってねぇな」

「でもこれで間違いない。きっと何かあるよ」

 2人が空の箱をじっと見つめていると、あることに気がついた。箱がどんどん冷たくなっていく。触ると痛いほどに冷たくなり、箱の周囲に氷煙が漂い始めた。2人は少し離れ、何が起こるのだろうと身構えた。

 箱の中からゆっくりと氷のオブジェができていき、それは小さなリーゴの木の形となった。そしてその氷のリーゴの木は、オルゴールのようにゆっくりと回り始めた。

「きれい・・・」

 スイは再び近づいた。レンはまだ遠くから見ている。


「スイ、レン、聞こえる?」

 箱から微かに声が聞こえた。それは紛れもなくアオイの声だった。レンは慌てて箱に近寄った。

「アオイか?聞こえるぞ」

「良かった。箱にわたしの魔力を少しだけ残しておいたの。これで少しの時間、会話ができるわ」

 姿はないが、そこには確実にアオイがいた。2人は、氷のリーゴの木をじっと見つめていた。

「スイには話したけど、明日になれば人間界へ降りられるわ。時間がないから手短に話すわね。まず明日の朝、ヴァイサイの周辺に大きな雲が現れる。それは雨雲と呼ばれるもので、人間界に向けて雨という水を降らせるものなの。それに乗ってじっとしていなさい、それだけで人間界へ降りられるわ」

 レンは、戸惑った。すぐに人間界に降りるという話は初耳だったからだ。レンはスイを咎めようと口を挟もうとしたが、時間がないという現状に従い、我慢した。

「帰る時は?魔法は使える?気をつけることは?」

 スイは矢継ぎ早に質問した。限られた時間の中で聞きたいことは山ほどある。興味と焦りが混濁していた。

「海という大きな水の中に入りなさい。シュピゼは海に入ると、消えてヴァイサイに戻れるようになっているの、理屈は分からないけど。それと魔法は使えないわ。わたしは使おうとしたことはないのだけど、他のシュピゼが使えないと言っていたの。あと、捕まってしまうから罪を犯すのだけはダメ。人のものを盗んだり、人を殺したり。魔法が使えないから、捕まったら何もできず、死ぬのを待つしかなくなるわ」

 スイと同じくらいアオイも早口だった。懸命にスイの質問全てに答えていた。レンは、後でスイに聞けばいいと、腕を組んで欠伸をしながら流し聞きしていた。

「帰るかどうかは人間に会ってから決めなさい。戻らないという選択肢もあるわ。現にブロスは人間界へ降りることを禁じたから、戻ったとしても何をされるか分からない」

 アオイが一通り答え終えると、スイの表情は落ち着いた。落ち着いたからであろうか、箱が徐々に凍りついていくのに気がついた。スイとレンは、時間なのだと悟った。

「2人とも、頑張るのよ」

 アオイのその声と共に、赤と青の魔法の線は真っ二つに切れ、蓋を閉じた。蓋の閉じた箱は、完全に氷漬けになった後、跡形もなく弾け飛んだ。2人は驚き、箱から顔を逸らした。再びテーブルの方へ目をやると、氷の粒が少し溶けて水と混ざり、キラキラとしているだけだった。

 スイには、明日の朝スムーズに事が進むのか一抹の不安があったが、初めての経験への期待の方が大きかった。他のシュピゼには理解されないのだろうが、魔法の強さ以上に、人間と飛行機への興味の方が強かった。


 その日の夜。強く吹く風で大きく揺れる星明かりに照らされたリーゴの大樹からは、日中にはない悍ましさが感じられた。

「ゴンゴン・・・」

 明日の朝に備えて早めに眠りについたスイだったが、急な物音で目が覚めた。玄関から音がする。

「スイ、起きろ。外がヤバい」

 レンの声だ。スイは飛び起き、玄関の扉を勢いよく開けた。

「アオイ、朝方って言ってたけど、もう来そうだぞ」

 街外れに建てた家のため、水平線というのだろうか、雲の海と空との境界が見えやすい。急いで2階へと上がり、窓から外を眺めたスイは、人間界に向けて縦に伸びる大きな雲を視界に捉えた。その雲は徐々にヴァイサイへと近づいてきている。いわゆる積乱雲というやつだ。

 レンは自分の家の2階の寝室から外を眺めていた。すると、今まで見たことのない形の雲が見え、それが徐々に大きく見え始めたことから、ものすごいスピードで移動してきていることに気がつき、慌ててスイを呼んだのだ。

「まずい、もう行こう」

 スイはそう言うと、ヴァイサイの端に向けて走っていった。レンは慌てて部屋の灯りとなっていた蝋燭の火を吸収して、スイを追いかけた。


 スイは急に足を止めた。視線の先にはトリンが転がっていた。そのトリンが突如として動き出し、巡回するトリンゴーレムとなったのだ。スイとレンは、それが人間界へ降りようとするシュピゼを抹殺するためのものであるとすぐに察知した。

「ブロスの奴、考えたな。あれなら結界を張り続けなくていい」

「魔力の消費を相当抑えられるね」

 先代は、人間界へ降りる日は結界を解き、普段はシュピゼが落ちないように結界を張っていた。しかし、ブロスの行為は、人間界へ降りようとする者には死をという思想がはっきりと表れている。そのためのゴーレムであり、結界を張らないということは、誤って落ちて死んでしまっても構わないということなのだろう。

 2人は、離れた位置からゴーレムを眺めながら、突破口を探った。数十体のゴーレムは不規則にヴァイサイの端を歩き回っている。こうしている間に積乱雲は、もう間も無くヴァイサイの真下へ入ろうとしていた。

「おれが囮になるよ。だから先に降りて」

 レンは頷いた。スイは勢いよくゴーレムへ向かって走り、1体のゴーレムに対して水魔法のグローブで殴りかかった。スイの攻撃を喰らったゴーレムはその場に倒れ、首だけでスイの方を向いた。すると、周囲のゴーレムたちもスイの方を向き、青い目の光が赤へと変わった。

 スイは目の前に大波を立て、目眩しをした。ゴーレムたちがその波に突進をする。風の音のみだったヴァイサイに轟音が響く。他のシュピゼに気づかれる前に、片を付けなければならない。スイは必死に揺動に努めた。

 レンは、スイの方へ向かうゴーレムを避けて、ヴァイサイの縁に立った。下は真っ暗で何も見えない。昼間とは違い、白い雲は確認できなかった。レンは、降りられるのか不安になった。

「いいんだよな、本当に降りられるんだよな?」

 ゴーレムの猛追を受けながら、スイはレンの方をちらっと見た。中腰のまま固まったレンの姿があった。スイは、襲いかかる数十体のゴーレムを、1体1体水魔法で突き飛ばしながら、レンの方へと少しずつ寄っていった。

「レン!飛べ!」

 スイは躊躇しているレンの背中を押し、自らも真っ暗闇の空へと飛んだ。スイが見上げると、数十体のゴーレムはじっとこちらを覗いていた。その姿は一瞬にして小さくなっていった。


 ヴァイサイから積乱雲までは約1万メートルある。レンは叫びながら、手足をバタバタとさせて落ちていく。スイは冷静だった。下から突き上げてくる風の中、レンの方へと近づいていった。

「レン!そろそろ雲の中に入るよ!」

 スイの声は風の轟音に掻き消されていたが、レンに対して懸命に声をかけた。その声でレンは少し冷静になった。

 レンは、しっかりと目を開けた。すると突然、底なし沼に入ったかのように、ゆっくりと落ち始めた。

「うわ、なんだ!」

 レンは再び取り乱した。スイはアオイの話を思い出し、これが積乱雲の中であることに気がついた。

「雲に入ったんだ。これからおれたちは、雨になる」

 束の間の休息といったところだろうか、2人はもう十分な疲労感を得ていたが、第二波があることを知っていた。気のせいかもしれないが、雲の中はヴァイサイより暖かく感じた。


 朝日が顔を出し始めたようで、黒だかグレーだかよく分からなかった視界は、徐々に白い靄に見え始め、隙間からは青い世界が見えた。

「レン、雨になったら、さっきみたいに暴れてはいけないよ。目的地のマージ街近くの森に着かないから」

「分かってるけどさ、怖いんだよ」

「これで怖がってたら、空なんて飛べないよ」

「クッソ!ブロスを超えるため、耐えろ俺!」

 レンは第二波に備え、自分を鼓舞した。

 2人が足元に目をやると、雲の終わりが見えてきた。2人は深呼吸をした。息を吐くのと同時に、2人の身体は水の膜に包まれた。また徐々に落ちるスピードが速くなる。

「レン、じっとしてるんだよ」

「分かってるよ」

 スイはレンに声をかけると、前を向いて膝を抱えて丸くなった。レンは雨になる時の体勢を知らなかった。アオイの話をよく聞いていなかったからだ。レンはスイの体勢を見て、すぐに真似をしようとしたが、雲が途切れて落下が始まった。

「しまった!」

 レンは体勢を崩し、水の膜の中でクルクルと回り始めた。その影響でレンは風に煽られ、スイから離れて行ってしまった。

「レン!」

 スイはそれに気がつき、丸まった体勢を崩して水の膜の中をレンの方へ向けて走った。

あまりの強風に体のコントロールがきかず、スイは水の膜の中で転げ回った。狭い空間で転がされる2人は、叫ぶこと以外に何もできず、ただ地上に着くまで耐えているしかなかった。

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