第8話 『 時代 』

「どうだっていいじゃねえか」

 彼はネットニュースを眺めながら一人事を言う。見ている記事は芸能人の不倫騒動についてだ。2年前に美人女優と結婚し、去年は子どもまで生まれた人気芸人(漫才師)が、女性ファンとの行き擦りの関係をマスコミにすっぱ抜かれ、そして転落した。或る意味どこにでも転がってそうな話だが、だからこそニュースを見ていて彼には違和感が付き纏う。

「芸人の不倫?他にニュースって無いのか?世の中、もっと面白い出来事だってあるだろう」

 要するに彼にはその手の話題への関心がないのだ。それに加えて他人のプライベートについても。彼はもう40代の半ば。独り者だ。人様の幸不幸に一喜一憂する歳ではないと思っている。むしろ他にもっと弁えるべき事があるだろうとも。

「それにしてもさ…」

 そんなに不倫が大変なことかね?要は浮気だろ。しかも芸人。その一個人の生き方に皆で寄って集って文句をつける。正論を吐く。そもそも夫婦・家族の問題は人様がとやかく口を挟むことじゃなかろうに…。

 彼にはむしろそっちの方が品がない、節度がない事だと感じられる。彼は地方の片田舎の出身で、子どもの頃は地域住民のプライベートへの無頓着さには心底ウンザリさせられてきたタイプだ。その彼からするとこの騒動はまさに田舎の井戸端話と大した違いはない。いや、正義ぶっているところに人間の臭みすら感じられるのだ。

 じゃあ、自分の生き方はどうなんだ?自分の幸福とか、人様への気遣いとか、そんな事をちゃんと普段から考えて、実行しているのか?

「人の批判ばかり上手くなるんじゃねえよ」

 彼はそう小さく毒づきつつも、実は人知れず自分のことを考え始める。

「自分の幸せか。そう云えばあまり俺も考えて来なかったな」

 毎日仕事してくたびれて、大して誰にも感謝されず、生きていくだけの給料を何とか頭を下げつつ稼いでくる。クソつまらねえ人生だ。理不尽だなんて言おうとは思わない。人生なんて、世の中なんてこんなものだと思うだけだ。だが、アホな連中の為に金と労力がやたらと要る。その無駄使いには我慢がならない。連中の言う正論には何の理屈も見通しもない。連中の手前勝手な思惑だけだ。その芸人も同じだろう。必死に夢を追いかけて、運良くそれを掴み、そして今はそれを連中に踏みにじられた。その時の気分で。

「時代のせい、って云うのかよ」

 彼はまだ呟いている。冗談じゃねえぜ。たった一つの生命。たった一つの人生じゃないか、お互い。下らない生き方をしてどうする?ささやかでもいい。それが評価される社会でありたいじゃないか。成功者がその時だけ我が物顔で意見を述べ、何かの僅かなミスだけでこき下ろされる社会なんてママゴトと同じだ。結局自分の都合しか考えていない。相手の存在がない。

 相手の事を考えて生きる。それを自分の生き方とする。責任を取る。

「せめて、そう云う生き方の邪魔だけはして欲しくないな。これ以上邪魔立てされたら本当に我慢が利かないかも」

 彼は本気だ。少なくとも気持ちの上では。社会のルールは人の勝手な思惑で運用されてはならない。勿論暴力・権力でもだ。今の時代には「許し」がない。「許し」がないところに「思いやり」も「勇気」「決断」もない。

 考えろ。さもなくば行動しろ。お前は何をどうしたい?


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