メデューサ異聞

平井敦史

第1話

「いけませんわ、ポセイドン様。こんな場所で……」


「よいではないか、よいではないか」


「ああ、いけませんわ、いけませんわ……」


 メデューサは三人姉妹の末っ子で、美人ぞろいの姉妹の中でも頭一つ抜きん出ているとご近所でも評判の美少女でした。

 その噂を聞きつけ、愛人にしてしまったのが、オリュンポス十二神じゅうにしんの一人でゼウスの兄でもある海神かいしんポセイドン。

 ポセイドンにはすでにアムピトリテというお妃がおり、にもかかわらず自分を口説いてくることに不信感をいだきつつも、主神しゅしんゼウスに次ぐ力を持つポセイドンに逆らえるわけもなく、メデューサは仕方なく愛人の立場を受け入れたのです。


 ポセイドンは、思春期男子さながらにメデューサを求め、今日はあろうことか、ゼウスの娘で知恵を司る処女神アテナの神殿で事に及んでいるのです。本当、ろくでもないやつですね。


 そして、そんな二人の様子を覗き見している者がいたのです。


「メデューサちゃん、昨日はお楽しみでしたね。イッヒッヒ」


 次の日、メデューサにそんなことを言ってきたのは、アテナ神殿の近くに住んでいる、チャラオストスという名の軽薄男でした。


「ま、まさか見ていたの!?」


「ああ、最初から最後までね。このことをアテナ様に密告さチクれたくなかったら……、わかってるよね?」


 それを聞いて、真っ青な顔でがちがち震えていたメデューサはすっと冷静になりました。


「馬鹿にしないで! 私のこと、そこいらのNTR物に出てくる馬鹿な女と一緒にしないでくれる?」


 メデューサがきっぱりと突っぱねると、チャラオストスはたじろいだ様子で、後悔するなよと捨て台詞を残して去って行きました。


 メデューサは不安を覚えながらも、楽観的に考えていました。

 元々、強引に迫って来たのはポセイドン様の方なのだし、そのことを説明すればアテナ様もわかってくださるだろう――。そう思っていたのです。



「――こともあろうに、私の神殿でそのようなふしだらな行為に及ぶなど言語道断! 絶対に許しません!!」


 アテナの激怒は収まる様子もなく、取りつく島もありません。


「待ってください、アテナ様! あれはポセイドン様が強引に……」


伯父おじ様に抗議したら、あなたが誘惑してきたと言っていたわよ!」


「え!? そ、そんな……」


 アテナの剣幕に恐れをなしたのでしょう。ポセイドンはあっさりと愛人メデューサを売ったのです。


「お願いです、アテナ様! どうか私の話を……」


「ええい、問答無用!」


 アテナはメデューサに呪いをかけ、恐ろしい化け物の姿にしてしまいました。

 艶やかな黒髪は無数の蛇と化し、口からは猪の牙が覗き、腕は青銅で、黄金の翼が生えています。

 黒曜石のように煌めいていた瞳はあかく濁り、その眼光を浴びた者はすべて石に変わってしまうのです。


 メデューサは嘆き悲しみましたが、とりあえずチャラオストスのところへ行って彼を石に変えると、人目を避けて山奥の洞窟に引き籠りました。


 メデューサの二人の姉、ステンノとエウリュアレは、妹が受けた仕打ちを知ってアテナに抗議しに行きましたが、こじらせ〇女に理屈は通用しません。

 二人もメデューサと同じような化け物にされてしまいました。

 ただ、アテナとしても若干後ろめたい気持ちがあったのか、二人には不死の特典を与えました。

 化け物の姿のまま死ぬに死ねないというのは、むしろ嫌がらせのような気もしますが。


 こうして、三姉妹は揃って山奥に籠り、寂しい日々を送ることとなりました。



 ◇ ◇ ◇



 さてその頃、エーゲ海の島の一つセリフォス島に、ペルセウスという若者がおりました。

 元々はアルゴスという都市国家の王の孫で、彼の母である王女ダナエがシングルマザーとなり、母子おやこで故郷を離れてセリフォス島で暮らしていたのです。

 ペルセウスは逞しく勇敢な若者でしたが、島の領主のポリュデクテスという男が彼の母ダナエに横恋慕し、邪魔なペルセウスを亡き者にしようと目論みました。


 ポリュデクテスはペルセウスに、メデューサを退治するよう命じました。

 無論、ペルセウスがメデューサに返り討ちにあうのを期待してのことです。


「そのメデューサとやらは、何か悪いことをしたのですか?」


 ペルセウスに問われ、ポリュデクテスは一瞬言葉に詰まりましたが、口からでまかせで誤魔化します。


「な、何しろ一目見ただけで人を石に変えてしまう化け物だ。すでに多くの人間が犠牲になっておる」


「多くの、というのは具体的に何人ほどですか?」


「う、うるさい! いいからさっさと退治して来い!」


 ペルセウスは納得が行きませんでしたが、実際に人を石に変える力を持っている以上、危険な存在であることは確かです。世のため人のために退治しておいて悪いことも無かろう、と思い直すと、素直にメデューサ退治に赴きました。


 しかし、迂闊に見ることすら出来ない化け物を退治するとなると、一筋縄では行きません。

 ペルセウスは知恵の女神アテナに知恵を借りることにしました。


 アテナは、メデューサたちを化け物に変えてもまだ腹の虫がおさまっておらず、ペルセウスが退治しに行くと聞くと、喜んで知恵を貸してくれました。


「人間がまともにメデューサを見たら、たちまち石になってしまう。この青銅の盾を鏡の代わりにしなさい。これに映る姿を見る分には、石化の魔力は及びません」


「なるほど。わかりました。ありがとうございます」


 ペルセウスは青銅の盾を持って、メデューサたちが暮らす洞穴に乗り込みました。

 ちょうどその時、メデューサは昼寝をしており、姉二人は食料を調達しに外へ出ていました。

 これ幸いと、ペルセウスは盾に映るメデューサを確認しながら、後ろ歩きで近寄ります。


「しめしめ、よく眠っているな」


 メデューサが眠っているので、髪の毛の蛇たちも皆眠っています。


 剣で首を刎ねるとなると、さすがに後ろ向きというわけにはいきません。

 メデューサの方に向き直り、剣を振りかざします。


 と、その時、メデューサの髪の蛇が一匹だけ、鎌首をもたげました。

 その蛇がペルセウスを見て、シャーッと威嚇音を発すると、他の蛇たちも皆一斉に起き上がります。

 そして、メデューサも目を覚まし、濁った紅い眼でペルセウスを見ました。

 たちまち、ペルセウスの全身が石と化していきます。


「くそっ! あと一歩のところで! こうなったら貴様も道連れにしてやる!」


 ペルセウスは死に物狂いでメデューサに抱きつきました。石と化した体でメデューサを抱き潰してやろうという魂胆です。

 メデューサも必死に抵抗し、もつれ合ううちに、はずみで二人の唇が重なりました。

 その瞬間、こじらせ〇女の呪いが解け、メデューサは元の美少女の姿に戻りました。


「え? え? え?」


 化け物がいきなり美少女になって、ペルセウスは大混乱です。


「ありがとう、勇敢な方。おかげで呪いが解けました」


 メデューサは冷静に礼を言い、ペルセウスにこれまでの経緯いきさつを説明します。


「それは……アテナ様、ちょっと酷いんじゃないかなぁ」


 ペルセウスはメデューサに同情しました。


「まあでも、一番酷いのはポセイドン様ですけどね」


「うん、それはまったくもってその通りだな」


 ペルセウスも同感です。


 と、そこへ、ステンノとエウリュアレが帰って来ました。


「ペルセウス様、お願いです。姉たちの呪いも解いてやっていただけないでしょうか。姉たちも私に勝るとも劣らない美人なんですよ」


 女性が言う「可愛い」だの「美人」だのはあまり信用が出来ないんだけどなあ、と内心思いつつも、ペルセウスは快く引き受け、目をつむったまま二体の化け物に口付けをしました。

 そうすると、二人の呪いも解け、美少女三姉妹が復活しました。

 姉二人の不死の特典も消えてしまいましたが、化け物の姿で死ぬに死ねないよりも、人間として死ねる方が良いに決まっています。


(おお、なるほど三人とも美人だなあ。でもやっぱりメデューサちゃんが一番だな)


 真面目な表情を保ったまま、胸の奥ではそんなことを考えていたペルセウスですが、三人からお嫁さんにしてくださいと頼まれると、そこは若い健康な男子のこと、いなやのあろうはずもありません。

 ペルセウスは三姉妹を妻とし、アテナの追及を避けるため、ギリシャを出て小アジア(アナトリア半島)へ向かうことにしました。


 メデューサたちが人間の姿に戻った時、背中に付いていた黄金の翼は剥がれ落ち、それぞれ翼を持った天馬ペガサスになっていました。

 四人は三頭のペガサスに騎乗し、安住の地を求めて旅立っていきました。



 ◇ ◇ ◇



 さて、また舞台は変わり、この頃エチオピアの王女でアンドロメダという名の美しい娘がおりました。

 しかし、母であるカシオペア王妃が、うちの娘は海の精霊ニュムペよりも美しいなどと放言したことから、海神ポセイドンの怒りを買ってしまいます。


 ポセイドンはこの時、妃のアムピトリテに出て行かれてしまっていました。

 メデューサと浮気をしたこともさることながら、そのメデューサを守ってやらなかった薄情さに、アムピトリテは腹を立てたのです。


 妻に出て行かれて孤閨こけいをかこっていたポセイドンでしたが、逆にこれは好機と、ニュムペを口説いていたのです。

 そのニュムペから、生意気な人間を懲らしめてやってほしいなどと言われ、ポセイドンはいいところを見せようと、海底の巨大な岩山をケートスという怪物に変え、地上へ差し向けました。

 そして、人間たちにアンドロメダを生贄いけにえとして捧げるよう命じたのです。


 人々は王と王妃にアンドロメダを生贄にするよう迫り、二人は泣く泣く愛娘を岩に鎖で繋いで、怪物の生贄としたのでした。


「助けて! 誰か、助けて!」


 アンドロメダはひたすら叫び続けましたが、誰も彼女を助けてくれる者は現れません。

 そして、ケートスが海面上に姿を現し、彼女を一飲みにしようと迫って来ます。


 アンドロメダは深く溜息をき、嘆かわしげに呟きました。


「か弱い乙女がこれほど助けを求めているというのに、漢気おとこぎのある男は一人も現れぬとは。ほんに情けないことじゃ」


 アンドロメダはふんぬ、と力をこめ、彼女を戒めていた鎖を引き千切ります。

 そして、ケートスに向けて拳を突き付け、高らかに叫びました。


「ネ〇ュラチェーーーンッ!!!」


 すると無数の鎖がケートスに絡み付き、その動きを封じます。


「ゴァッ! ガァッ!」


 ケートスが必死にもがいても、鎖を断ち切ることはかなわず、ついに化け物は力尽きて、元の巨大な岩に戻ってしまいました。


 アンドロメダは力強く地面を蹴って宙に舞い上がり、岩と化した化け物に跳び蹴りを食らわせます。


「アンドロメダキーック!!!」


 巨大な岩はぐらりと揺れて、海底に転げ落ちて行き――、ポセイドンの海底宮殿に直撃しました。



「ふん、世界は広いが、真の強者つわものにはそうそうお目にかかれぬようじゃな」


 アンドロメダは物憂げにそう呟くと、そのまま旅に出ました。「私より強いやつに会いに行く」と言い残して。

 そして向かった小アジアで、ペルセウスと出会って拳で語り合い、彼の四人目の妻となるのですが、それはまた別のお話。


 そして、それからはるかな後。ギリシャの財政が破綻し、その際有効な神託を下せなかったことで、知恵の女神アテナの面目は丸潰れとなるのですが――、それもまた別のお話。



――Fin.


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 メデューサを退治したペルセウスが帰り道に通りかかるのが何でエチオピアなんだよ、というツッコミは無しの方向で(笑)。

 ちなみに、放置されたままのダナエ母さんですが、ポリュデクテスの求婚を受け入れ、小物な彼を尻に敷いて、セリフォス島の事実上の女領主として善政を行い、民から慕われたということです。めでたしめでたし^^

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