第2話 アニー登場


「そんなわけないだろう!」

「本当なんだって!」



俺――フン・ロード・グランド子爵――は、思わず声を荒げた。この物語の主人公であり、異世界転生者。そして「超イケメンで超有能なVIPな若者」…だったらいいなと密かに願っているが、現実の俺は、剣と魔法の世界に転生した普通(?)の子爵だ。


異世界転生。そう、俺はかつて日本人だった。ある日突然、このファンタジーじみた世界に転生していたのだ。初めて魔法を目の当たりにしたときは胸が踊った。まさに夢と冒険が詰まった世界だ。だが、それだけじゃない。この世界には危険も満ちている。魔物が徘徊し、常に命がけの生活がつきまとう。だが、それでも俺にとってはワクワクする異世界ライフだった。


そんな俺の前に現れたのが、目の前にいるちんまりとした少女、アニーだ。


彼女は街をぶらついているときに見つけた子供で、今では俺の屋敷でメイドを名乗っている。しかし、その正体は…なんと自称「転生者」。彼女は「東京」だの「大阪」だの、異世界の住人が知るはずもない地名をペラペラと話し、俺と異世界トークで盛り上がった。彼女が俺と同じ日本人であることは疑いようがなかった。


アニーはかつて路上で浮浪児として暮らしていたという。ある日、日本人としての記憶が突然蘇り、「この世界にも自分と同じ転生者がいるのではないか」と考え、ひたすら日本語で話していたらしい。その奇妙な独り言を偶然耳にした俺が声をかけ、屋敷に連れ帰った――というわけだ。


さて、アニーが口にした衝撃的な情報はこうだ。この世界は、彼女がかつて遊んでいた「シルビア物語」という乙女ゲームの舞台だという。そして、そのゲームの中で「悪役令嬢」として断罪される運命にあるのが、俺の主君である大貴族、ビルディン大公家の令嬢、ローラ・ビルディン様だというのだ。


「そんなのあり得ないだろう」と冒頭の言葉が口をついて出た。ローラ様は俺から見ても聡明で気高く、美しい女性だ。それに、王家と大公家が決めた婚約を破棄するなんて、政治的にもあり得ない。そんなの、誰が考えたって無理だ。

だが、アニーの話を完全に無視するわけにもいかなかった。彼女は浮浪児でありながら、驚くべき貴族社会の情報を知り尽くしていた。

さらに、今後起こりえるであろう出来事さえ的中させた。国王陛下の崩御や、新国王による王太子殿下のご子息とローラ様の婚約発表。国王陛下は危篤状態だ。それは国民には伏せられていることだ。さらに、ローラ様の婚約などは、これはまだ水面下で打診しているだけの話だ。


これらは俺のような高位の貴族だからこそ知りえている情報だ。それを彼女は「ゲームの知識」として断言したのだ。


さらには、シルビア物語では色んなサブゲームがあるらしい。その中に投資というのがある。

それをアニーはやり込んでおり、ほぼ全部のイベントを覚えている。そのため、天才的な投資手腕を発揮している。誰だって、明日の株価を毎日的中させる人がいたら普通じゃないと思うだろう。彼女はそれをやってのけている。


オレは彼女を信じないということができない。無視できない、だが信じきれない。


だから俺は、アニーを手元に置き、彼女の助言を参考にすることにした。そして一つの条件を提示した。


「約束は守ってよね」

「わかっているさ」


その約束とは、彼女を貴族にすることだ。この国の法律では、俺は子爵として男爵の地位を授ける権限を持っている。もし彼女の知識がローラ様を救う助けになるなら、それくらい安い代償だと考えた。


もっとも、彼女の話がでたらめなら、その約束を守る必要もないのだが。


---


「お前の言っていることが信じられない理由を説明してやるよ」俺はアニーにそう言いながら、冷静に話を続けた。


この国には国王と4人の大公がいる。大公家はもともと王家とほぼ対等な立場で、主従関係とは言いがたい。これは建国時の歴史に由来する。

この国は400年前、魔王軍に対抗するために5つの国が統合されてできた。その中で最も中心に位置していた国が盟主となり国王家となったが、他の4国は大公家として実質的に独立した権限を保っている。


つまり、俺にとっての主君はあくまでビルディン大公家であり、王家ではないのだ。王家の命令に従う必要も、法律を順守する義務もない。


「だから、王太子がローラ様との婚約を破棄なんてありえないんだ」


さらに、この婚約は王太子にとっても政治的な必然だった。


ローラ様との結婚により王太子の地位は盤石となる。王太子の周囲には、強力な貴族の母を持つ弟たちが控えている。いつ彼らがライバルとして台頭してもおかしくない状況だ。そのため、王太子はビルディン大公家の力を必要としているのだ。


「それでも、婚約破棄なんて言うのか?」

「言うの。だって、本当にそうなるんだもん!」


---



アニーの言葉を無視することができなかったのは、彼女の目があまりにも真剣だったからだ。けれど、その「婚約破棄が本当に起きる」という確信めいた言葉は、俺にとってどうしても受け入れがたいものだった。


「お前の話、確かに無視はできない。でも、それを信じてどう動けばいいんだよ?このまま何もしなければ、ローラ様が断罪されるっていうんだろ?」


「そうだよ。だから、ローラ様を守るために手を打たないといけないの」


アニーの小さな拳がぎゅっと握られていた。彼女はローラ姫がどうやら“推し”だというのだ。その覚悟はオレが引いてしまうほど、興奮していた。目の前の少女にこんな覚悟があるのに、俺が立ち止まるわけにはいかない。

だが、どう動くべきか。大公家の家臣として、この状況をどう打開するべきか。


「……まず、状況を整理しよう。アニー、ローラ様が断罪されるって、具体的にどういう流れなんだ?」


「それは…」

アニーの表情が曇る。どうやら、話しづらい内容らしい。


「アニー。今さら恥ずかしがることなんてない。お前が知っていることは全部話してくれ」


俺がそう言うと、アニーは意を決したように小さく頷いた。


「ローラ様は…断罪の場で王太子に婚約破棄を言い渡されるの。その理由は、他の貴族令嬢たちへの嫌がらせや、王太子に対する執着心が原因だって言われる。でも、それは全部でっち上げなの。本当は、王太子がヒロインに恋してしまうから…」


「ヒロイン?」


「うん。この世界は乙女ゲームだから、ヒロインがいるの。この場合、ヒロインは平民の出身で、偶然に魔法の才能を見いだされて王立学園に入学した少女。彼女が王太子と恋に落ちる。それで、ローラ様が邪魔になったから、断罪されるの」


俺は思わず頭を抱えた。乙女ゲームだかなんだか知らないが、その話が本当なら、あまりにも理不尽だ。


「王太子が勝手に恋をするせいで、ローラ様が断罪される? そんな理屈が通るか!」


「でも、ゲームでは通っちゃうんだよ。それが『悪役令嬢ルート』ってやつだから」


「……そんな馬鹿げた話が現実で通じるわけがないだろ」


だが、アニーの話は的中し続けている。無視するにはリスクが高すぎた。


「俺が動かなきゃいけないのはわかった。でも、どうやってこの流れを止める?」


「それはね…」

アニーは俺をじっと見つめた。その目にはわずかな迷いが見えたが、やがて意を決したように言葉を続けた。


「ローラ様を王太子から引き離すしかない」


「なんだって?」


「ローラ様が王太子との婚約を破棄するように仕向けるの。そうすれば、断罪の舞台そのものがなくなる。べつに、攻略キャラは王太子以外にもいる。それ以外のルートならば、ローラ様は断罪されない。もしくは、ローラ様が『悪役令嬢』だと思われないように、周囲の評価を変える」


俺は愕然とした。王太子との婚約を破棄する? それはローラ様にとっても、大公家にとっても一大事だ。だが、確かに、シルビアという名のヒロインが王太子と結ばれるのであれば、断罪というイベントでも起きない限り、婚約破棄なんてありえない。それは最悪の未来が待っているということだ。


「そんなこと、簡単にできるわけがないだろう…」


「でも、それしか方法はないの。だから、お願い、考えて。ローラ様を守るために」

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