アポカリプスより、星に願いを。

透々実生

アポカリプスより、星に願いを。

 起き抜けの目に、陽光が差込んだ。


 7月7日――小暑夏になりたての暑さを和らげるクーラーの駆動音と、外から響くウー、ウーという低い唸り声とが、今日も変わらず聞こえてくる。

 目を擦りながらパジャマから私服に着替え、台所でコーヒーを作る。本当は豆を挽いて作りたいが、そもそもこんな世の中じゃ豆も手に入りづらい。今日も変わらずインスタントだ。

 湯気の立つコーヒーを啜りながら、冷蔵庫の中を確認。もって明日か、と残りの食材を見て勘定する。


 今日にでも調達が必要か。

 にも一緒に来てもらおう。


 コーヒーを飲み干し、カップをシンクに入れてから、同居人たる彼女の部屋へ。一応の礼儀としてノックしてから、ドアを開けた。

 部屋の壁際にポツンと置かれたベッドの上。彼女は壁にもたれ、すよすよ眠っていた。幸せそうによだれまで垂らして。

 床には、模様にも見える文字の書かれた紙が散乱している。きっと、昨晩も沢山練習したのであろう。最近彼女は、文字を書く練習に励んでいる。目的は不明だが、別に止める理由もないのでそのままにしていた。

 それにしても、幸せそうな寝顔。

 そんな顔に、ずきりと心が痛む。

 ……まだ寝かせてあげるか、と思って引き返そうとすると。

「……んぁ」

 と彼女は声を上げた。眠けまなこを擦り、僕を見て。

 眠気でも吹っ飛んだかの様に、ぱあっと笑顔を弾けさせた。そして彼女――織蔓おりづることは両手を僕の方に伸ばす。

 ぎゅってして、ということか。

 ……仕方ないな。

 僕は求めに応じて抱きしめた。


 温かい白い肌。

 ふわりとしたシャンプーの匂い。

 とくとくと鳴る優しい心臓の鼓動。


 普通なら感じるはずのそれらを、しかし、琴は


 異様に冷たい暗黄緑アイビーグリーンの肌。

 消臭剤や芳香剤では隠しきれない腐乱臭。

 そして脈のない胸。


「あー」

 言葉を失くした彼女は笑みながら、僕を抱きしめてくる。加減を覚えてくれたらしく、少し痛むが耐えられない訳じゃない。


 そう。

 織蔓琴は、ゾンビだ。

 生きていた頃、僕の恋人だった。


「琴。今日外に食糧を調達しに行くんだ。一緒に来てくれる?」

「う!」

 琴は嬉しそうに返答する。久々にお出かけできるのが嬉しいのか、抱きしめる力が強くなった。こうなると、「痛いよ」と言っても聞かないのは知っている。僕は黙って、その痛みを暫く受け入れることにした。


          🧟‍♀️


 ――丁度1年前の6月30日。

 世界で、ゾンビ化ウイルスが蔓延した。

 それにより、世界人口の7割の肌が暗黄緑アイビーグリーンに染まった。お蔭でもう白黒ハッキリ付ける必要もない――そういう意味では、世界は平和になったのかもしれない。

 ……この世界のゾンビも、よく映画で見るヤツと同じだ。唸り声を上げて徘徊し、生きた人間を見つけると誰彼構わず襲いかかり、そして喰われたヤツは、ウイルス感染し媒介者ゾンビとなる。そこに、愛とか絆とか友情とかは介在し得ない。

 そういう意味で、琴は特殊だった。言葉は話せないものの、どうやら会話は理解できる様だし、僕に危害を加えて来ない。初めの内は、一体いつ正気を喪うかビクビクしていたが、数週間もすれば、正直慣れてしまう。


 そんな訳で今日も、ゾンビ臭に塗れた街の中、自転車を全速力でかっ飛ばす。夏の蒸し暑さで腐り易くなってるのか、この時期はいっとう臭いが強まるので、マスクが必須だ。

「うー! あー!」

 一方琴は、僕の自転車に2人乗りせず、なんとついて来る。何なら僕に襲いかかるゾンビを返り討ちにし、頭を蹴り潰したりする。

 ……やっぱり琴は人間を辞めたゾンビになったんだな、と寂しさが募る。

 これだけは、どうも慣れそうにない。


          🧟‍♀️


 自転車を走らせること10分、よく使うスーパーへ到着。

 中へ入り、ブレーカーを入れる。こんな世界で電力は貴重なので、普段は切っておいてる。まだどうにか冷房は稼働するようで涼しい。むしろ、汗で張りついた服には寒いくらいだ。

 そんなスーパー内にも、残念ながらゾンビは徘徊している。

 油断すれば喰われる。

 そう思いながら、カゴを持つ。

「じゃ、ササっと帰るか」

「う!」

 そう返してから琴は笑顔のまま、とたたっとスーパーの奥へ行ってしまった。数秒後に始まった「うー!」という声とゾンビを殺す音とを聞きつつ、早速僕は回収にかかる。

 生鮮食品は既に全滅している(ちなみに野菜類は家近くの土地で育てている。肥料ゾンビは周辺に腐るほどいるから調達が容易で、野菜達もよく育つ)。なので、加工食品類をここでことにしている(決して「買う」ではない。しかし「盗む」と言うには僕の心は弱すぎる)。

 具体的には主食の小麦粉、腹と舌を満足させる袋菓子、タンパク質源のプロテイン――筋トレで使う粉タイプのアレだ――、ビタミン補助サプリメント。飲料は重すぎるのでここでは入手しない。

 これら食品を効率良くゲットできるよう、頭の中にルートは叩き込んである。あとはいつも通り、ゾンビに警戒しつつ巡るだけ。

 最初は奥の方の粉物コーナーで小麦粉、続いて3つ右隣の栄養食品コーナーへ行き、プロテインとサプリをカゴへ放り込む。まだこの近辺に生き残りがいるのだろうか、徐々に在庫が減ってきている。

 その内、別拠点に移ることも考えなきゃかもな――そう思いつつ、最後の袋菓子コーナーに入るため、角を曲がる。



 目の前に、ゾンビが居た。



「っ!?」

 思わずカゴを投げつける。ゾンビの頭にクリーンヒット――同時に背を向けて逃げる。だが痛覚のないゾンビは一切怯まず、ノータイムで僕の方へ駆けて来た。

 とたたたたた、と。

 とんでもない速さで。

 手も足も滅茶苦茶に振り回すので滑稽に見えるが、50m走4秒台という恐るべき速度を出すので、笑ってられない。

「くそッ!」

 僕はすぐに角を曲がり、手近なコーナーに入る。追いかけてきたゾンビは急には止まれず、目標を失ったまま真っ直ぐ駆け、壁に激突した。

 ……これで大丈夫。

 今の内に、さっき投げたカゴを――


がしっ。


 ……足首を、掴まれた。

 一気に背筋が凍る。

 振り向けば、「……ぁぁぁ」と呻く暗黄緑アイビーグリーンのゾンビが、僕の足に齧りつこうとしていた。

 噛まれたら、ゾンビ。

 この世界に生きる以上想定はしているが、覚悟などしてない!

「っ、あああああっ!」

 ゾンビの顔を蹴る。2度、3度と。それでも構わず、ゾンビは僕に噛みつこうとし続ける。

 まるで、生きている人間を噛めば、人間に戻れるとでも思い込んでいるかの様に。

「んの、野郎っ!」

 蹴る。蹴り続ける。だが、離れない。

「クソッ! クソ――」


とた、とたっ。


 その時、僕のいる所へ歩いてくる音がして。

 振り向く。


 壁にぶつかったからだろう。

 鼻が潰れ。

 口が裂けて顎が垂れ。

 目玉の取れたゾンビが現れて。

 ぐるりと、僕の方に、振り向いた。


 ひゅっ、と喉が鳴る。

 殺される。

 殺、される!

 殺され――っ!




「うーっ!!」




 ……僕の足下で、グシャッと、果物でも潰れる様な音がした。

 振り返ると、目の前にはゾンビ――但し、そのゾンビは織蔓琴。満面の笑みで僕を見つめている。

 足下へ視線を滑らせると、僕の足を噛もうとしたゾンビが、頭を潰され死んでいた。

 その間に琴は、僕の横を通り過ぎ、顔の潰れたゾンビに立ち向かう。しかし勝負は一瞬で、相手のゾンビが頭を潰され、呆気なく倒れた。

「……っ、あ」

 思わず僕は、尻餅をついてしまった。

 ここ数週間で1番、死ぬかと思った。

 だが、休んではいられない。とっととこのスーパーから出なければ――そう思っていると。

「あー♪」

 カゴを持って、嬉しそうな顔で琴が戻ってきた。中には、僕がぶちまけた小麦粉、サプリ、プロテインと――大量のお菓子。

「うっ! うー!」

「……分かったよ」

 思わず苦笑してしまった。

 まるで、頑張ったからお菓子買って、とねだる子供に見えてしまって。


          🧟‍♀️


「うーあー! うあーっ」

 スーパーから出る前、琴が僕の服を掴んで呼び止めた。琴の目線の先には、短冊のかかった笹。

 ――ゾンビ騒ぎになったのは、丁度1年前の6月30日。七夕が近かったからか、短冊が飾られた笹や、短冊を書くための色紙いろがみやペンが、誰にも片付けられずそのままになっているのだ。

 勿論、僕もこの存在には気付いていた。そりゃ、何度も来ているのだから。

 それでも敢えて、僕は、この短冊を意識しない様にしていた。


 丁度7月7日――の日である今日も。

 それどころか。

 この1年間、ずっと。


――――――――――――――――

サッカーがうまくなりますように――こうた

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推しのライブチケ当たりますように! どうか、どうか…!――♡まなみ♡

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――――――――――――――――

家族みんな イ建康でいられますように――建人

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 平凡で、平穏だったあの頃の、願いの残滓を見るのが、辛くて。

 その平凡さに引き摺られて――


『ね、シューイチ。新しくできたクレープ屋行こうよ! モチロン、シューイチの奢りでっ!』

『えいっ。……へへ、何の曲聞いてるのかな〜って。……ふっふっふっ。イヤホン、返してほしくば私を捕まえてみよ〜っ!』

『良いよね〜。こーやって、手繋いで、一緒に帰るの。……えへへ。シューイチとずっと、こんな風にいられたらいいのに』


 ――悪戯な笑顔や純真な笑顔を浮かべる、織蔓琴恋人との何でもない会話の数々を、思い出してしまって。

 それで……無性に、辛くなるから。

 今、こんなに笑顔と好意をぶつけてくれる織蔓琴ゾンビがいるというのに、どうしても織蔓琴恋人と同一視できなくて――


「って、琴?」

 ふと気付いた。

 琴が、ペンを暗黄緑アイビーグリーン色の拳で握り、色紙に書き付けていることに。

 きゅっ、きゅー、っと。

 震える手で、慎重に、

 を書いていく。

 暫くして、琴はふう、と息を吐き。

「う!」

 笑顔で、僕に。

 その短冊を見せてくれた。


――――――――――――――――

す゛ つと

いつし よ に

いられ ますよーーに


こと

――――――――――――――――


 ずっと、いっしょに、いられますように。

 所々大きかったり、クルッと丸める字が苦手なのか形が歪だったりするけど、間違いなく、そう読めた。

 ――琴の部屋に散らばった、文字の書かれた紙を思い出す。

 まさか琴は、、文字を練習していたのか?

 平凡で、平穏なあの頃と変わらず、僕が好きだよと――不滅の想いを伝えるために。


 ……琴を見る。

 ゾンビの首を吹き飛ばし、途轍もない速さで走り、もうおよそ人間とは呼べない暗黄緑アイビーグリーンの彼女。

 その頬に、朱が差しているのを幻視するほどに、琴はいた。

 僕はいつの間にか、琴を抱きしめていた。

「……う」

 恥ずかしそうに、琴は僕を抱きしめ返しながら、耳元で囁いた。


          🧟‍♀️


「うー!」

 まだまだ陽の沈む気配のない帰り道、琴は僕に襲い掛かるゾンビ共を元気に蹴散らしていた。

 頼もしいと思う一方、申し訳なさも募る。

 ……自分の感情の変化に驚くが、それでも『申し訳なさ』というのは琴に失礼だ。

 琴はきっと、僕に生きていて欲しいのだ。

 琴の大好きな、この僕に。

 だから、進んでゾンビを蹴散らしているだけ。


 ……あの短冊を見て、僕はようやく、このゾンビの恋人に向き合った気がする。


「ありがとうな、琴」

「うー♪」

 夏の太陽のように明るい笑顔を返してくれる琴。

 ああ。


 随分と様変わりしてしまったけど。

 やっぱり僕は、琴が好きなんだな。

 そう実感して、微笑んだ。


















――――――――――――――――――――――――――――――――

「ね、シューイチ」

「何だよ」

「シューイチは、私のこと好き?」

「……ああ、好きだよ」

「えへへー。じゃあさじゃあさ、どのくらい好き?」

「どのくらいって……めちゃくちゃ好きだよ。だから毎日、琴と帰ってるんだぜ」

「えへへへへ〜」

「……可愛いやつめ。そう言う琴はどうなんだよ」

「モチロン、大好きだよ! こーーんくらい、好き!」

「めちゃくちゃ大きく腕広げるじゃん」

「これだけ広げても足りないくらいだよ――って、わわっ!?」

「……なんだ?」

「きゅきゅ、急にハグしないでよっ!恥ずかしい……」

「いや、可愛くてつい」

「も、も〜……」

「……」

「……ね、シューイチ」

「ん?」

「私、シューイチが好き。たとえ生まれ変わっても、一緒にいるならシューイチが良い」

「……僕もだよ」

「……えへへ。嬉しいなあ。ずっとこうして、いたいなあ――」

――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――夕陽の光が空に滲む頃。河川敷で交わされた、とある会話。

 死んでも離れない想いを告げた、1年前、6月30日の記憶。







(終)



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