22.亀甲乙女
首一点狙いなら躱せる。強は腕も上げずノーガードで避け続ける。
桜を煽るかのように、少しでも彼女の動きが雑になるように。
「避け続けるだけじゃあたしには勝てないわよ!」
「女に手を出すのは趣味じゃなくってな!」
「それでどうやってあたしに勝つのかしらね!」
フェイント混じりの攻撃が増えてくる。
だが狙いが分かる攻撃に戸惑っている場合ではない。
これくらいなら余裕で躱せる。一色桜にそう見せつけなければならない。同じ攻撃をし続けても進展はない。そう思わすことが彼等の狙い。
打撃を捌き、顔をかすめる縄に冷や汗をかきながらそれはおくびにも出さない。
これにより桜の攻撃は次のフェーズへと移行する。
攻撃のテンポが一加速上がり桜の手段に蹴りが混じる。
いつまでもそのまま彼女の攻撃を捌ききれるものではない。
「っ!?」
桜の圧に強が後退する。不意に飛んできた蹴りを避けると足が
そしてバランスを崩したその一瞬の隙を見逃す程彼女は甘くなかった。
直接首を狙えなければ動きを制限してやればいい。
強の左手はいつの間にか桜と一つの縄で繋がっていた。
「まずい!」
これは桜の必勝パターン、ここから数々の強敵を打ち倒してきた策の初動。
皆人が、ローズが声を上げる。
この中で桐人だけが静かに祈っていた。
「貰ったわ!」
距離を空け、安易に飛び込ませない。
縄に手を掛け、相手から崩れるのを待つ。
力負けすることなど端から毛頭ない。
絶対的な自信がある桜ならではの戦法だ。
「この状況ってどれくらい不利なんだ?」
皆人は未だ転がっているローズに問う。
ほどいてやろうかとも思うがいかんせん満足気なお嬢様だ。縄から快楽物質でも出ているのかと疑いたくなる。
「ああなったら主導権は桜さんにありますわ。力比べは負けず、ロープを張った状態から前へ踏み込んで運良くバランスを崩させても距離を取っているせいで容易に立て直されてしまう」
「元より踏み込もうとした時点で気取られてしまうんだ。まったく、厄介な相手だよ」
「力比べで勝てないのなら前に出るしかない、けどそれは――」
「奴にとって飛んで火に入る夏の虫って訳か」
ならこの状況をどう打開すればいいのか、桐人はどんな策を強に授けたのか、視線を彼に送る。
「大丈夫、強君ならやってくれる」
自分の作戦を遂行してくれる。桐人はそう信じていた。
強は右手で縄を掴み力比べに応じるようだ。
踏ん張りを利かせ、相対する。
意外にも縄はそう簡単には靡かず相殺されている。
強も一端の男、自慢する程ではないが多少鍛えている。そう易々と女子に遅れを取るわけにはいかない。
彼のプライドがそれを許さない。
「なんか良い勝負してないか?」
「もしかしたらあるのか……いや、ないか」
ギャラリーも好き勝手考察を始める。
それに聞き耳を立てながら桐人は首を横に振った。
「桜君がこの力比べに強いのは腕力があるからじゃない、足腰の異様な強さ、あの飛ぶような踏み込みもそうだね。……あれを見て!」
皆人は桐人の指先を目で追う、彼女の顔にはまだ余裕がある。
そして視線を落とすとそれだけで彼の言いたい事が分かった。
彼女はまだ
強の力を測っている。いや、遊んでいるのかも知れない。
真意は読めないが一色桜の力はまだ残されている。
と、もうこの戦いに飽きたのか、もしかしたら皆人達の声が聞こえたのかも知れない。
桜はタイミングを計ったかのように腰を落とすと一気にその力を発揮した。
それが奴等の術中という事も知らずに。
その一瞬を強は見逃さなかった。
引っ込めた右手を胸に、パチンという音は桜にまでは届かない。
桜は相手の足に注目を置いていた。
それが動こうものなら臨機応変にアクションを変えなければならない。
だからこそ、強の
「きゃあああああ!!?」
「腕が抜けたぁ!?」
強の左腕はまるでジェットのような勢いですっぽ抜けた。
何も知らないギャラリーからしたら目にも止まらぬ速さで飛んでいく左腕は本物に見間違えても仕方がない。
だが、桜はバランスを崩す前にしかとその目で捉えた。
後方へ流れるベルト、偽物の腕。
それは小野灯から貸し出された切り札の一つ。
「しゃらくさい!」
完全に意識の外からの一手、なのに彼女の化物染みた体幹が転ぶのを許さない。
半回転しつつも大きく床を踏み抜き、転倒を防ぐ。
これくらいの隙は許容範囲内、その為の距離だ。
まだ流れは桜にある。その甘えが彼女の次の手を鈍らせた。
皆人達は全てを見ていた。
義手を飛ばした強は左手を生やしサングラスを外す。右肩に入れたパッドを投げ捨てると懐から取り出したのは一つの赤い縄。
その先には小さな分銅が括られていた。
それを重りに頭部上で回すと桜の足元へ向かって放たれた。
「なっ!?」
桜の軸足に縄が巻き付いていく。
距離なんて関係ない。視線を外した瞬間、この策に嵌まっていた。
「何で私の縄……がぁ!?」
縄が勢い良く引かれ足元を掬う。
桜は受け身に失敗し、顔面から畳に落ちた。
一色桜は知る筈もない、いや、気付かなければいけなかった。
柔道部の顧問が亀甲縛りから解放されていた事に。
強はこの試合の為に二つの武器を手に入れた。
一つは義手、もう一つはこの縄である。
全てを隠す為にだぼついた柔道着を羽織り、手袋に肩パット、残りのアクセサリーは意識を散らす為のブラフ。
全てはこの一手の為の布石。
「桜君は型破りに見えてある意味、型にはまっていたのさ。分かりやすく言えばパターンが読みやすい」
「けど柔道部員の時は股抜きしたりバリエーションが豊富だったぞ? たまたま……って訳じゃないよな?」
「僕が考えるに柔道部とは三度目だから――」
「……なるほど、対策済みって訳だな」
キャラ対は仕上げている。それを柔道部員は越えられなかったという事だ。
逆に初見相手には慎重にならざる得ない。
そこが付け入る隙。
「流れは完璧に僕の予想した通りだよ。けど僕は予想しただけ、ここまでやれたのはそれを見事にこなした強君一人の力さ」
「……それは違うぞ」
「えっ?」
皆人はこの試合で使われていないスタンドマイクを桐人へと突き出す。
「この作戦あってこの結果だ。お前等二人の戦果だよ」
「……ありがとう」
桐人は潤んだ目を擦りマイクを受け取る。
試合はまだ終わっていない。そのマイクに力を込める。
「桜選手が立ち上がる前に強選手が背後を取ったぁ!!」
当然転ばしたままで終わるわけがない。
強はうつ伏せの彼女に一気に距離を詰める。
そして腹部に両手を回すと――、
「ちょっ!? あんた女には手を出さないんじゃなかったの!?」
「記憶にございません……なぁ!!」
一気に地上から引っこ抜いた。
「ちょっと待って! ストップストップ!!」
「降参以外聞かねぇぞ!」
そんな安っぽい言葉に騙されはしない。もう強は止まらない。
「時代逆行――」
「おーーっとこの技は――!!?」
「男女平等――ジャーマンスープレックス!!」
「ぎゃあぁぁぁああ!!?」
見事なブリッジと共に一色桜は畳へと突き刺さった。
「桜選手動かない! これは……これは……! 解説の普済さん!」
「この学校の男女全てを敵に回してもおかしくない見事な一撃でした。強選手の勝利でしょう!」
強は手を離すと彼女はゆっくり沈んでいった。
この状況に周りは呑み込めていない。
あの一色桜がどこの馬の骨とも知らない男に敗れたと脳が追い付かないのだ。
「よっっしゃあああああ!!」
強の雄叫びが道場内を木霊する。
そこでギャラリーはどよめきと歓声を取り戻すのだった。
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