20.亀甲乙女

「……負けましたわ」

「怪我してんでしょ? それであそこまで追い詰められたらあたしの立つ瀬がないわ。今回は痛み分けって事で……」


 お互い仰向けのまま相手の身を案じる。

 のちに名勝負として語り継がれるこの戦い、ここにいる誰もがその目に焼き付け、忘れないと心に誓う。

 それほど心打たれる試合であった。


「強君はどう思う?」

「怪我がなけりゃあローズが勝っていた……って断言はできないけど、俺はそう信じてるぜ」

「そんな新しい敵出したいけどライバルの評価落としたくないから怪我した名目で株を維持する格闘漫画みたいなノリで来られても……」

「ツッコミが長い」


 一刀両断だった。


「桐人はどう思った? 一色桜の事」


 不意に強が質問を投げ掛ける。


「恐ろしいね。ほとんどの技が一撃必殺に繋がると思った方がいいよ。ローズ君はあの怪我でよく捌いた方さ」

「対策はあるか?」

「何とも言えないね……けど、弱点が無いことは無さそうだよ」

「相談だけどこれは使えるかな?」


 そう言って強は秘策をいくつか桐人に見せる。

 それを見た桐人はニヤリと笑う。


「これは面白いね。うん、使えるかも」


 二人の作戦会議が始まった。

 何故、桐人なのか。横にいた皆人には想像が付く。

 桐人は格段目が良い。皆人には追いきれない場面を目で追えていた。

 そして注意力、人を観察する癖があるのだろう、実況の合間に時折呟いていた言葉を皆人は聞き逃さなかった。きっと今強に伝えているのが桜の弱点。

 この男がこの【亀甲乙女】攻略のキーマンになることは間違いない。


 強は指をパチンと鳴らす。するとムックが生えてきた。と言うのは比喩だがあながち間違っていない。いきなり現れたのだ。

 満足気な顔で登場したムック、心行くまで胃に詰め込んで来たのだろう。

 その表情を見るだけで皆人の疲れが洗浄される。


 強がローズを一瞥する。頷いたムックは彼女の下へ駆け出した。

 その一連の所作はまるで芸を仕込んだ犬と飼い主だ。


「さて、俺は準備に入るかな」


 そう言って強は柔道部の方へ歩み始める。

 強が何を企んでるのか、あの化物にどう立ち向かうのか、皆人は少し楽しみになる。


「そう考えればここもある意味特等席だな」

「でしょう! しかも僕の実況付き! プラチナチケットさ」

「桐人ってさ……格闘技とか好きなのか?」

「特にプロレスが大好きだね。もちろん見る専門だけど」


 納得、その派生で入れた知識なのだろう。

 桐人は興味ない事は全くやる気にならないと言っていた。

 その彼がこんな前のめりで付いてきてくれるのはこの試合を見る為か、皆人達を助ける為か、はたまたその両方か、皆人は嬉しく思う。


「ねぇ巨傲さん、あたし達って良いライバルになれると思わない?」


 そのままの体勢で桜は待つ、だがしかしいくら待てどローズからの返事は無い。

 おかしく思い桜は体を起こすと――、


「あああああああ!!」


 小さな少年に引き摺られていくローズの姿がそこにあった。両手を縛ったままその縄を引っ張り連れていく。


 それを見て少しの違和感、桜はローズと繋がっていた縄を引き寄せる。

 桜お手製の縄は見事に


(いつの間に? ロープに触れられた感触すら無かったんだけど)


 少し擦り潰した痕は見えるが注目しなければ刃物で切られたと言われても信じるレベルの切断面であった。

 まだまだ世界は広いと桜は認識する。

 そしてこの学校にはまだこれ以上の怪物が潜んでいると肌で感じていた。


「ただいまですわ」

「お帰り」

「良い試合だったよ」


 ムックに引き摺られながらローズは嬉しそうに帰還した。

 それでいいのか? と思った皆人だったが彼女が満足そうなので口を噤む。


「次戦う時は扇子に刃物仕込んでやりますわ」

「そこは正々堂々戦わないのか……」


 仰向けのままの彼女の高笑いと共に皆人は笑う。

 相も変わらず茶目っ気の強いお嬢様であった。


「そういえば強さんはどこにいますの?」


 ローズにそう言われ辺りを見回す。言葉の通り強の姿はない。

 お嬢様の言葉を皮切りに周りがざわめきだす。

 尻尾を巻いて逃げたのではないか、今の戦いを見て怖じ気づいたのではないか、さまざまな憶測が飛び交っているがムックもローズも知り合ったばかりの桐人、当然皆人も強はそんな奴ではないのは知っている。


「待たせたな!!」


 更衣室の引き戸が勢いよく開く。

 そこから現れた強は奇妙な格好をしていた。

 ぶかぶかの柔道着に身を包み、両手には黒の手袋、少し張った肩にサングラス、未だ頭に刺さっているストロー。

 ちなみに柔道着に縫われた名前は主将の物だと暗示していた。


 そんな格好して大道芸でも始めようとでもいうのか。


「……なめてんの?」


 先程の血が燃える戦いの後のこれだ。桜の機嫌も悪くなるのも必然。

 メインディッシュと前菜が入れ代わった気分だろう。

 だが強は揺るがない。


「本気も本気だ!」

「……あんた名は?」

「求平強、お前を倒す者だ。覚えとけ」


 周りのブーイングなぞ何のその、内容で黙らせる。

 強は堂々と桜の前に立っていた。

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