第4話


 風が、大分冷たくなって来た。

 イアンは「美味しかった、今度は部下を連れてくる」と料理を堪能させてくれた主人と女将に感謝し、レイドンにお礼を言って、馬に乗った。久しぶりにスペイン駐屯地に戻り、部下に声を掛けつつ今日は駐屯地の方で眠ろうと思ったのだが、何となく今日一日、やり残したことがあるような気がして、馬を走らせた。


◇   ◇   ◇


 神聖ローマ帝国軍駐屯地。

 見張りはイアン・エルスバトを知っていた。

「ご苦労様です」

「うん。これからスペインの駐屯地に帰ろう思ったんだが、フェルディナントがいたら一杯だけ飲んで話そうかと」

「フェルディナント将軍は街の守備隊本部にいらっしゃいます」

「あ~~~そうか……今日はそっちやったか」

「零時に引き継ぎが行われますので、それ以降戻られますが……報せを送りましょうか?」

「いや、ええねん。本当世間話でもちょっとしよかくらいの気持ちで来たから。そんな手間を取らせるのは申し訳ないわ。俺が来たことだけ伝えて、また飲もうやって笑っとったって言っといてや。急ぎの用じゃ何もないしな」

「了解しました」

 和やかな笑い声がして、イアンは駐屯地の中へ目を向ける。

「はは……みんな楽しそうやな」

 駐屯地中央の薪を囲んで、兵たちが食事をしつつ、笑っていた。

 ああ、と見張りが頷く。

「今日は特別です。ネーリ様が快癒されたので、つい皆嬉しくて酒盛りを。団長も今日だけは許して下さいましたので」

「快癒? ネーリ病気やったんか?」

「いえ。怪我をなさったんです」

「えっ⁉」

「ご存じありませんでしたか?」

「知らん。ちょっと忙しくて……いつの話や?」

「三週間は経つかと……肩を怪我されて、今日ようやく起き上がって駐屯地も散歩なさったんです」

 イアンは馬から降りた。

「ネーリ、今おるんか?」

「はい。騎士館の方に」

「ちょっとだけ会って来てもええか? 長居はせぇへんし」

「はい、もちろん……ですが、もうお休みになってるかもしれませんが」

「もう寝とったらもちろん声はかけずに戻って来るわ。俺、絵を今ネーリに頼んでるねや。

それなのに忙しくて怪我のこと知らんと……一言声掛けたいんや」

 見張りが頷く。

「分かりました。どうぞ。馬はよろしければこちらでお預かりします」

「おおきに。じゃあちょっとお邪魔するわな」

 イアンは馬を預けると、急いで歩いて行った。

(ネーリが怪我って……しまった詳細聞いて来るの忘れてもうたわ。けど三週間起きられへんって相当な怪我じゃないんか?)

 大丈夫だろうか、と騎士館に入ってネーリのことを尋ねようとしたところ、ふと、騎士館側の倉庫に明かりがついているのが目に入った。確か、フェルディナントの騎竜がそこにいると前に聞いた。何となくそちらに歩いて行って、入り口に立つとイアンは息を飲んだ。

 前は薪しかなかった倉庫に、画材が運び込まれていて、その中に、フェルディナントの騎竜が寝そべっていて、その彼の側にもたれかかる様に毛布に包まってネーリ・バルネチアが寝そべって眠っていたのだ。

 一瞬、笑いそうになったがすぐに彼はゆっくりとしゃがみ込んで、優しい表情で、眠るネーリをそこから眺めた。

 このフェリックスという竜がネーリには何故か懐いているということは前に聞いたが、どれだけ懐いているか知らないが、よくこんな生き物の側で眠ったり出来る、と驚く。寝ぼけて噛みつかれても大変なことになるではないか。

(けど……どう見てもこれは……安心しきって寝てもうてるなあ)

 確かにネーリの左肩には、固定された跡が見えた。

 一体何があったのだろうと思うが、一瞬過ったイアンの不安をネーリのあどけない寝顔が払拭してしまった。どんな傷を負ってようと、この顔で眠れるならきっと心配はない。

眠っていると少女のような顔をしているのに、本当に不思議な、剛胆な所がある青年だった。

 剛胆といっても、今日話に聞いた、豪気な王のような覇気というわけではなく、何かその場に彼がいるだけで、安心させ、和らがせ、包み込むような雰囲気をネーリは持っている。

(いや。そういう意味では覇気も包容力も、同じものなのかもしれんなぁ)

 何となく分かる。

 自分も最近、色々あった。

 忙しかったし、仮面の男の件があってから、何か心が沈んでいるのを感じた。

 今日ここに来たのも、フェルディナントと確かに話したいことはあったが、そうか俺はこの子の顔が見たかったのかもしれん、とイアンはその時気づいた。

 弱っていた心がイアンに惹かれて、今日ここへ自分の足を向かせたのだ。

 ぴく、と目を閉じていた竜が目を覚まし、首だけ動かして振り返る。

 イアンは人差し指を使って静かに、という仕草をした。それからゆっくり立ち上がると彼をもう一度見下ろす。

「おやすみ」

 そっと優しい目を向けて呟くと、彼はその場を静かに後にしたのだった。



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