第1話 始末屋

午前7時、東京のどこにでもあるような郊外の住宅街。神谷悠真はいつも通り、アラームの音で目を覚ました。窓の外には晴れた青空が広がり、鳥のさえずりが聞こえる。


「よし、今日も普通の高校生だ。」


自分にそう言い聞かせ、制服に袖を通す。鏡に映るのはどこにでもいる17歳の高校生の姿だった。短く整えられた黒髪、涼しげな目元、そして少し無表情な顔。それは、彼が抱える裏の顔を完璧に隠していた。


悠真が通う高校は、都内でも特に進学率の高い有名校だった。朝のホームルームで担任が進路の話を始めても、悠真は無表情のまま淡々とノートを取る。


「おい、悠真!」

隣の席の友人、木村翔が肘で軽く突いてきた。クラスのムードメーカーで、誰とでも気軽に話せるタイプだ。


「お前、進路とかもう考えてんの?」

「いや、特に。普通に卒業できればいい。」

「つまんねえなー。もっと夢とか語れよ!」


悠真は苦笑しながら肩をすくめた。この日常的な会話がどれほど貴重なものか、誰よりも分かっていたからだ。自分には夢などない。ただ、この「普通の生活」を続けるために、裏の顔を利用しているだけだった。


学校が終わると、悠真は家に帰るふりをして繁華街へ向かう。いつものように目立たないカフェに入り、スマートフォンを手に取った。画面には、暗号化されたメッセージが表示される。


「ターゲット:渡辺剛」

「罪状:違法薬物の密売、強請」

「報酬:500,000円」


悠真は画面を一瞥すると、無言でメッセージを削除した。始末屋としての依頼は、裏社会の一部の人間しか知らない秘密のネットワークを通じて届けられる。法で裁かれるべき悪人が権力や金の力で逃れる。そんな人間を裁くのが、彼の裏の仕事だった。


「次の仕事だな。」


悠真は静かにカフェを出て、夜の街へと歩き出した。


夜8時、東京の片隅にある廃ビル。渡辺剛とその手下たちが、違法薬物の取引を行っていると情報を掴んだ悠真は、そこに現れた。


薄暗いビルの中、悠真は足音を立てずにターゲットに近づいていく。手には何も持たず、ただ静かに歩いているだけ。それでも彼の目は鋭く光り、周囲の状況を一瞬で把握していた。


「おい、誰だ!」

渡辺の手下が気配に気づき、懐からナイフを取り出した。しかし、悠真は表情一つ変えず、左手を軽く振る。


「力の調律」

その瞬間、手下のナイフを握る力が弱まり、ナイフが地面に落ちる。悠真は間を空けずに素早く接近し、手刀を喉に叩き込んだ。男は呻き声を上げる間もなく気絶する。


「次はお前だな。」

悠真は渡辺に目を向けた。渡辺は青ざめながら、後ずさる。


「ちょ、ちょっと待て!俺は何も悪いことは……!」

「薬物を売りさばいて、他人を脅して金を巻き上げておいて、無実だと言うのか?」


悠真は冷たい声で言い放ち、渡辺の足元に転がっている鉄パイプを見た。軽く右手を動かすと、鉄パイプが勝手に動き、渡辺の手元に飛び込む。


「何だ、これ……?」

「お前の力を調節してやった。自分で自分を殴るのはどんな気分だ?」


渡辺は恐怖に顔を歪めながら、自分の意思に反して鉄パイプを持ち上げ、自分の足を叩いた。悲鳴を上げ、地面に倒れ込む。


「これで二度と悪さはできないだろう。」


悠真は渡辺の懐からスマートフォンを取り出し、取引の証拠データをコピーすると、その場を後にした。


夜中に帰宅した悠真は、報酬が暗号化された口座に振り込まれたことを確認した。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ソファに座り込む。


「……こんなことをして、本当に意味があるのか?」


自問自答しながらも、悠真にはこれ以外の方法がなかった。法で裁けない悪を裁くこと。それがシスター・マリアの犠牲に報いる唯一の道だと信じていた。


携帯電話には新たなメッセージの通知が届いている。それを無視して、悠真は目を閉じた。


「俺が裁いたところで、世界は何も変わらない。それでも……俺はやるしかないんだ。」


暗い部屋の中で、ただ月明かりだけが悠真を照らしていた。


翌日、いつものように学校に向かった悠真は、朝のHRの途中でふと気配を感じた。クラスの外に、見慣れない影がちらつく。それはまるで、自分を観察しているかのようだった。


「誰だ……?」


悠真は冷静を装いながらも警戒を強める。自分の裏の仕事が知られた可能性があるのか。それとも別の何かが近づいているのか。


平穏な表の生活に揺らぎが生まれようとしていた。

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