第2話 バレリーナになるのを諦めて、バレエは趣味にしたらいいとお母さんは言うけれど。

お母さん、発表会には申し込まなかったのは間違いで、本当は今年の発表会にいつも通り出ると言って。

皆の前で、他のお母さんの前で、言って。


私の思いは、お母さんに届いているはず。

お母さんは、私の思いを叶えてくれると思った。


だけど。

お母さんが、口にした言葉は。

「発表会には出ないわよ。帰るから早く着替えてきなさい。」


発表会の参加メンバーと保護者は、役の発表の後に、役の衣装についての説明がある。


「私達は、移動しますから、見学席をお使いになったら?」

保護者席にいた他のお母さんの一人が、私のお母さんにそう告げて、席を立った。

「お騒がせしました。」

とお母さんは、頭を下げる。


何が起きているの?


続いて、もう一人が席を立って、見学席から出ていく。

また一人、端っこの席にいた人が立ち上がった。

その後は、五月雨のように、次々と人が出ていく。


お母さん達が見学席から出ていく流れにオロオロしているのに、お母さんは、人の流れの邪魔にならないように、じっとしていなさい、なんて言ってくる。


お母さん達の移動に合わせて動かないと、出遅れてしまう。

私は慌てた。

「お母さん、急いで。私達も説明を聞きにいかないと。」

私がお母さんを引っ張っても、お母さんは動かない。

「早く行こう、お母さん。」

私が、早く早くと促しても、お母さんは、根っこが生えたみたいに動かない。


「お母さん、どうして行かないの?」

私は、お母さんを引っ張りながら、出口だけを見ている。

動かないお母さんを見ていたら、涙が出そうだから。


「今なら、遅れてすみません、で間に合う。お母さんってば、動いて!」

私の努力の甲斐なく、見学席に私とお母さんを残したままで、説明会が始まった。


見学席で、発表会の説明会を見ることになるなんて。

私の出ない発表会の説明会が、私の目の前で始まろうとしている。

「お母さん、どうして? 私は発表会に出たい!」


お母さんは、私が揺さぶっても平然としている。

私だけだ。私だけが、この時間に感情を荒げて、騒いでいる。


やる気と希望がいっぱいの説明会の時間に、発表会に出られなくなると焦って、困って、イライラしているのは、私だけ。


私の今の状態を、きっと惨めというんだ。

己が惨めだと確信した途端、泣くまいと止めていた涙があふれてくる。


「どうして、お母さんは、私の希望を叶えてくれないの?」

「バレエは、趣味にしておきなさい。大人になっても、バレエがやりたいなら、大人のお教室で習いながら、プロの演技を見るのを楽しみに生きていきなさい。」

お母さんは、私の考えていなかった言葉を吐き出した。

「趣味にしておくとはどういうこと? 私はバレリーナになるのに。」

「バレエで食べていくのではなく、他の仕事をしながら、生活に支障をきたさない範囲でバレエを嗜むようにしなさい。」

泣いていたら、お母さんと話せない。

「私はバレリーナになっちゃいけないの?」

私は泣かないようにしようとしたけど、涙は止められなかった。

「バレリーナとして食べていけるのは、ほんの一握りだから。」

「私は、ほんの一握りに入っている!」

「可愛い衣装を着たら、バレリーナになれるわけじゃない。

可愛い衣装を着るバレリーナになるためには、上達しないといけない。」

「私は、可愛い衣装を着るバレリーナになる。」

「一昨年よりも、去年よりも上達していたから、といって、バレエが上手とはならないのよ。」

「ひどい。」

「ひどいのは、お母さんじゃないわ。バレエを趣味にするなら、去年の自分より上達しておめでとう、来年は今年の自分よりも上達するように頑張ろう、で済む。

でも、仕事にしたいなら、他の人よりも上手じゃないと。他にもっと上手な人がいるのに、下手な人の踊りを見たい?」

「見たくない。」

「踊りが下手だという理由で人が見に来ないなら、踊る仕事はなくなる。

踊りが下手だと評判のバレリーナにバレエを習いたい人もいない。

あなたがバレエを仕事にしたら、生活できないわ。」

「私にはお母さんもお父さんもいる。」

「お父さんとお母さんが面倒をみるのは、子どものうちだけ。大人になってまで、あなたを養わないわよ。」

「お父さんとお母さんが、私がバレリーナになるのを応援してくれたらいいだけじゃないの?」

「お父さんとお母さんが、応援しても、あなたはバレリーナにはなれないわよ。」

「どうして?」

「他の人と自分の踊りを見比べてみなさい。」

「別に変なところはなかったけど。」

「上手じゃなかったでしょう?」

「え?」

「バーレッスンでは、際立っていなかったけれど、自分が踊っている姿と他の人の踊っている姿を見比べたことはないの?」

「踊っているときは、自分の踊りに集中しているから、周りと見比べたりしない。」

「鏡の前で、合わせているときは?」

「合っているかどうかを見ているから。」

お母さんは、ゆっくりと息を吐いた。

「今まで全く気づいていなかったのね? プロになりそうな人、プロを目指してもいいような人の踊りは、もうあなたとは違うわよ。同じクラスにいてもね。」

「私の踊りが、下手ってこと?」

「下手でも構わないのよ。趣味でやっていくなら。だから、バレエは趣味にしておきなさい。」

「まだ、私が下手かどうかなんて分からない。」

「下手じゃない人、見込みのある人は、先生から上のクラスへのお誘いが既にあって、上のクラスのレッスンにも参加しているわよ。うちは誘われなかったわ。」

「うそ。」

私は、息をのんだ。

「上のクラスに誘われなくても構わないのよ。あなたがバレエを楽しめたらそれでいいと思って、うちは習わせていたから。」

「楽しく?」

「楽しんでいたでしょう?」

「うん。」

「上のクラスに誘われて、上のクラスのレッスンを受けている生徒が今年は増えたから、去年までの発表会みたいにはいかないわ。」

「何が?」

「今年の発表会の参加メンバーのうち、去年よりもうんと上達しているメンバーが増えた。

去年の何倍以上も上手になった他の参加メンバーと同じ舞台に立って、去年の発表会と同じような配役を与えられても、明らかにあなた一人だけが見劣りする。」

「私は、周りとの差がはっきりとわかるくらいに、周りの人よりも下手なの?」

私、自分が下手なんて考えたこともなかった。

「趣味なら、下手の横好きでいいのよ。」

「下手って断定しないで。決めつけで、下手になっちゃう!」

「自分の上手い下手が分からなくても、趣味ならいいのよ。諦めなさい。」

「諦めない!私はバレリーナになる!」

だって、私はバレエを踊るのが好きなんだから。

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