第2話
そこは部屋と言うにはあまりにも簡素だった。
玄関を入ると直ぐにキッチンがあり、奥に部屋がある1Kの部屋。
「何も無いけど、その辺に座って待っててくれ」
言葉の通り彼の部屋には光を遮るカーテンと、小さいテーブル。後はベッドとベッドサイドに置かれたサイドテーブル。その上にはガラスの灰皿だけがポツンと置かれていた。
まるで生活感のないモデルハウスのような部屋だ。
いつ消えてしまっても不思議では無い。危うげな雰囲気を感じる。
ただのミニマリストかもしれないけど。
部屋に入った時から感じる香りは仄かにに彼から感じた花の香り。香水か?すんすんと香りを嗅ぎ、虚無感に襲われる。
相手は自称おじさんだぞ。女の子じゃない。
と言うか俺は何故この部屋にいる。誘われたがままほいほいついてきて。これじゃ俺からヤンキーに乗り換えた彼女と一緒じゃないか。
いや、俺は二股じゃないから一緒じゃない。名前も知らない人と言う部分だけは彼女より酷いかもしれないけれど。
というか、話を聞いてもらうだけの相手に、なんでここまで動揺しているんだ。
しかも同性。だからこんなにも動揺してしまうのは、きっと彼の言葉と容姿のせいだ。
自分に言い聞かせ、深呼吸をする。さっきよりもはっきりと花の香りが鼻を抜けた。
良い匂い。もう男でもいいんじゃない?
……っておーい!違うでしょ!彼だって善意で俺を呼んでくれたのに、俺だけ邪な考えを抱いているのは失礼でしょうが!
「お茶入れてきた…………頭抱えてなにしてるの?」
ガチャりと扉が開き、彼が顔を覗かせた。手に持っているのはお盆とひとつの湯呑みに入れられたお茶。
「終わらない世界の戦争について頭を悩ませてました」
「ふーん」
彼は訝しげに俺を見ながらお盆を机に置いて、部屋の外。トイレらしき扉を指さした。
「1回抜いとく?それとも私にする?」
「ノーセンキュー」
改めて彼が同性だと認識した。
「そか。したくなっちゃったらいつでも言えよ。君、高校生くらいだろ?生理現象は仕方ない」
彼が伏し目がちに言う。高校時代に何かあったのだろうか。
でも何か彼の地雷を踏んでしまいそうで、聞くことも憚られる。
「TPOは弁えてるので」
「ふっ。君、人畜無害って言われたことないかい?」
「優しい人って言ってくださいよ。彼女にも優しいから好きって言われてたので」
「優しいのは良い事だ。君への好感度がひとつ上がったよ」
彼は、おっさんの好感度を上げても嬉しくないか。と微笑みながら隣に腰掛けた。
「神崎美織。君の名前は?」
「吉沢千秋です」
「お互い女みたいな名前だな!あっはっは」
「気にしてるんですよ。この名前のせいで昔から「ちゃん」付けで呼ばれるし」
「なよなよしてるから。ね。私も昔はコンプレックスだった。今は武器だけども。この名前も顔も、男にしては筋肉のつかない体も」
「そっか。神崎さんもなんですね……俺、今日彼女に振られて……中性的な所と優しい所が好きだって言われてたんですけど」
「フラれちゃったわけか」
その先を言い淀む俺の代わりに神崎さんはふふっと苦笑しながら言った。
「そうなんですよ」
「君を振るなんて勿体ない事をする彼女だ」
「……と初対面の人に言われましても」
「そうだね。でも表面的な事は言える。今は可愛い顔してるけど、君は数年後、もっとカッコよくなる」
「あはは……気休めですね」
「そうかな。私の勘は良くも悪くも当たる」
「そうなんですね」
「そうだ。さて、お茶でも飲みながら何があったか話してくれ」
神崎さんは、スっとマグカップを俺の方に寄せ、ベッドに腰掛けて足を組んだ。
ポケットからタバコとライターを取り出すと、タバコを口にくわえた。その様が美しくてついつい食い入るように見てしまう。
「あぁ、タバコは苦手かな?」
「いえ、大丈夫です。なんて言うか、所作の一つ一つが綺麗だったので。って男性が綺麗とか言われても嬉しくないですよね」
「悪くない。褒め言葉は嬉しいよ。特に君みたいに下心のなさそうな子に言われるとね」
ウンウンと緩やかに頷きながらタバコに火を灯す。
「それで?勿体ない事をした元カノは、一体全体なんて言って君と別れたんだい?」
「んー。頼りないとか、男らしくないとかですね」
いざ話すとなると、フラれた状況を話すのは恥ずかしい。
こんな綺麗の人の前で情けない話しをするのも気が引けてしまう。
「嘘だね。君があんなにも絶望した顔していたのにはもっと傷つく言葉を投げかけられたはずだ。大丈夫だよ。私は君を絶対に笑わない。それこそ初対面の私から言われても信用出来ないかな?」
「そんなことは」
ない。神崎さんは初対面の俺の気持ちを察して心地の良い言葉を投げてくれる。
だから甘えたくなってしまう。理性がなければ今すぐなだらかな胸に抱き着いて泣き言を漏らしてしまいたい。
「迷っているね。男心かな。それとも理性と性欲が戦っているのかな」
「両方です」
「ふふ。素直でよろしい。じゃあこうしよう」
神崎さんは灰皿にタバコを押し付けて火種を消すと、俺の正面に座り後頭部を抱き寄せてきた。
男性に抱かれていると言うのに鼓動が高鳴る。なんて言うか柔らかい。それに温かい。
ググっと引き寄せられて、そのまま体を預ける。
「どう?安心するだろ?」
長い黒髪がすぐ側にあり、頬に当たるとくすぐったくて、それに心地よい香りがする。
「は、はい」
「ふふ。君の為に入れたお茶だよ。これを飲むと更に落ち着く」
手渡しされたお茶を受け取って、少し口に含む。程よく温度の下がったお茶を飲んだら少し胸がほっとして、気が緩んだ。
「……っ」
目の前が急にぼやけて夕方の出来事がフラッシュバックした。
感情のダムが決壊した。俺の様子を見て、マグカップを落とさないように、神崎さんは俺の手からマグカップを回収し、机の上にコトンと置く。
「辛かったね。吐き出したいことがあるなら全部私にぶつけていい。私が全て受け入れてあげよう」
もう駄目だ。理性では抑え込めない。
神崎の背中にしがみつく。
楽しかったこと、悲しかったこと、ときめいたこと、今日傷つけられたこと。
色んな思い出の奔流を出し切るように、俺は神崎さんの胸の中で声を上げて泣いた。
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