第6話【澄凪の人魚姫】6

 

 俺は本当に汐海のことが好きなのだろうか。

 もしくは――――まだ好きなのだろうか。


 ふと、そんな疑問が頭を過った。


 場所は明かりの灯っていない自分の部屋。

 風呂上がりで髪は濡れっぱなしだけど、そんなことを気にしている余裕のない俺は倒れ込むように自分のベッドにダイブする。


 昔から稀にこうなることがあった。


 自分の中にポンと疑問が生まれて、それに囚われて、考えて、考えて、考えて……結局答えが出ないまま日常に戻る。それの連続。


 不安定。


 そんな言葉が一番しっくりする。

 好き好んでなっているわけじゃないから、ただただ疲れる。そんな状態だ。


 ――人を好きになるということが分からない。


 放課後に汐海しおみが言っていたことが頭の中をグルグルと巡る。


 普段ならこんなことは考えない。

 好きだから好き! それで普段の俺なら納得することができる。 

 でも、それは普段の俺ならという話で――。

 

 去年の春に一目惚れして、もう一年。

 これまでずっと、汐海のことを好きだと思っていたし、そう言ってきた。


 俺は汐海が好きだ。付き合いたい、少しでも一緒に居たい。

 そう思って、そう言って、そう行動してきた。


 汐海のことが好きな理由は好きだから。

 それが俺の考え。


 でも……どうして好きなのか。その理由を言葉にすることができない。

 それが俺の心に一滴の違う色のしずくを垂らす。


 もしかすると、ただ思い込んでいるだけなんじゃないか?

 自らを洗脳して、恋している自分に酔っているだけなんじゃないか?

 

 そんな可能性すらも探してしまう。


 俺は一目惚れという”植え付けられた”感情をそのままに、汐海のことが好きなのだと思い込み、自分はこういう人間だと自ら設定して、酔って、俺の個性にしているだけなんじゃないか?



 汐海が好き。という感情の種を植え付けられ。

 好きでなくてはいけないんだ。と洗脳されたようにその種を育てて。

 育った感情は、結果的に自分はこうだと決めつけて自分の個性とする。



「もしそうなら……まるで脅迫されてるみたいだな」


 汐海を想う感情。

 もしも、それが脅迫からきているものだとして――それは本当に汐海に向いている感情なのだろうか。

 自分だけに向いてはいないだろうか?


 当然のことのように、いつのまにか心に植え付けられている『汐海が好き』だという感情の正体が分からない。 


 俺は枕に強く頭を落とす。


 よくあるシチュエーションとして、壁に頭をぶつけて血を流すのがお約束だけど、今はベッドに寝転んでいるし、普通に痛そうだから……やらない。

 ここは枕で妥協してやろう。


 ……ああ、本当に面倒な状態だ。

 俺はいつからこんな風になってしまったのか。


 昔の俺は……。


 ってバカバカしい。 

 過去の自分なんて考えても仕方ないし、汐海が好きだという感情は俺のものだ。

 汐海が好き! それだけで良いじゃねーか。



 俺はバッとベッドから出ると、部屋の明かりを付ける。

 少しでも気分を変えないとやってられない。


 スマホを手にとって、アプリを起動。そしてワンコール。

 呼びつけたのは……。



「今日は何? どうしたの?」


「いや、暇だったから。陸斗だってどうせ暇してただろ?」


 言わずもがな、親友の星波陸斗ほしみりくとだ。


 陸斗の家はそこまで規則に厳しい家では無いようで、門限も無ければ、24時間、365日呼び出し可能なのである。


 できることなら、汐海を呼びたいところだが、学生寮は異性の立ち入りは禁止だし、そもそも呼び出しても来てくれる可能性はゼロに等しいだろう。


 だから都合の良い友人代表である陸斗を召喚したのだった。


「僕はそこまで暇じゃないよ。明日も学校だし」


「泊まっていってもいいぞ?」


「遠慮しとくよ。圭介の部屋、寝具は一セットしかないし、一緒のベッドで寝るのも、床で寝るのも嫌だからね」


 陸斗はこの一年で自分専用となった座椅子に腰をかけると、来る途中で買ったと思われる缶コーヒーを開ける。

 そして――。


「で? 今日はどうしたの? 顔色が悪いみたいだけど」


「別に何でもねぇーよ。暇だったから呼んだ。それだけだ」


「ふーん。そうは見えないけどね。どうせ鞠奈に関係することなんだろうけど……何に悩んでるの?」


 付き合いとしては一年だけど、流石は陸斗と言うべきだろうか。

 俺が本調子ではないことを察したようで、さっそく話を聞く姿勢を取る。


 真正面から向けられる視線。

 誤魔化すことはできなかった。


「……陸斗は好きな人が好きな理由ってどんなだと思う?」


「えっと、好きって単語が並んでて混乱しそうだけど……まぁ、一般的には顔が好みとか、性格が良いとかじゃない?」


「だよな。でも、それだけじゃないだろ?」


 そう。それだけじゃない。


「例えば……言い方は悪いけど、容姿が明らかに釣り合ってないカップルっているじゃん?」


「釣り合ってないって……まぁ、言わんとすることは分かるけど」


「逆に見た目は良いけど、性格がクズな恋人がいるパターンもあるよな」


「まぁ、よく聞く話ではあると思う」


「でも……一緒にいる。恋人になってる。理想の相手でもないのにだ。妥協してるのか、それとも違う理由……それこそ表面的なものじゃない、何かがあるのか……」


「……圭介、哲学にでもハマったの? それとも何かの宗教?」


「そんなんじゃねーよ。ただ気になって……」


 思い返すのは、今日の放課後に見せていた汐海の表情。

 そして、つい先程まで俺の頭を悩ませていた疑問だ。


「鞠奈から相談でもされた?」


「……え?」


 陸斗の言葉に目を見開く。

 すると、それを見た陸斗は大きく笑った。


「あはは、やっぱり? 分かりやすいなぁ~」


「……うるさい。それに相談って言うか、もっとラフな感じで人を好きになるってどんなことだろうって聞かれただけ」


「それを相談って言うんじゃない? でも、そっか。鞠奈がそう聞いてきたんだね」


「ああ、そうだ。最初に好きなタイプを聞かれて、ついに! なんて思ったけど、違ってさ」


「なるほどね。まぁ、原因はアレだろうなぁ~」


 陸斗は何かを察したのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。


 正直、ぶん殴りたい――が、流石は汐海の幼馴染とだけあって何か知っているのだろう。

 殴りたくなる衝動をグッと抑えると、陸斗の言葉を待つことにした。


「そんな怖い顔しないでよ。ただ鞠奈のお姉さんが帰ってきてたから、それで悩んでるんだろうなって思っただけ」


「汐海のお姉さん?」


「うん。つい最近お婿さんを貰ったお姉さんが実家に顔を出したみたいなんだよ」


「ふーん。でも、それと汐海の悩みって関係あるか?」


「関係あるよ。だって鞠奈のお姉さんだよ? ということは汐海の家の人ってこと」


 後の言葉はいらないと言わんばかりの陸斗の表情。

 まぁ……理解できたけどさ。


「……一度の恋愛で結婚」


「大方、一度きりの恋愛で幸せそうにしているお姉さんを見て、思うことがあったんじゃない?」


「なるほどな」


「うん。それに……言っては難だけどお姉さんのお婿さんって、優しそうで良い人なんだろうなって感じなんだけど、特別格好良い人って訳じゃなくてね」


 思い出すように左上を見上げる陸斗。

 そして小さく苦笑いを浮かべると、言葉を続けた。


「逆にお姉さんは誰の目から見ても美人って感じの人だから、それも悩む要因の一つになってるのかもね」


 汐海が悩んでいた理由に納得する俺。

 そりゃ、汐海自身が理想としている人とは違う人が、姉と幸せそうにしてたら悩むのは当然だよな。


 だから”人を好きになるってどんなことなんだろう”。なんて聞いてきたのだろう。


「……恋愛って難しいな」


「そうだねぇ~。現に圭介は五回もフラれてるし」


「うるせー」


 俺は手元にあったクッションを陸斗に投げつける。


 しかし――俺としては汐海のお姉さんと結婚したという人に会わなければいけないな。 

 そして聞くのだ。どうやって汐海の家の人と付き合ったのか……を。


 そう心に決めると、どんどんと夜は更けていく中、変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている陸斗と他愛のない話をする。


 夜に呼び出した友達のおかげだろうか。

 気付けば誰かに植え付けられたような疑問は、俺の頭から消えていたのだった。 

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