第5話【澄凪の人魚姫】5


 さて、俺と汐海は運命の仲ではないと言ったのを覚えているだろうか?


 運命じゃないやら、俺の気持ちは変わらないやら、運命よりも強い思いがそこにあるやら、運命なら両想いになってないとおかしいやら。


 確かにその時はそう思っていた。


 しかし! それは嘘だ!

 俺達は運命の赤い糸で結ばれていたんだ!


「……八木と一緒かぁ」


「おう! よろしくな!」


 四月に決められる委員会。

 学園祭を取り仕切るものや、比較的楽な委員会は簡単に埋まるのだが、清掃委員や図書委員などの拘束時間が長く面倒なものは人気がなく、結果的にくじ引きで決められることになった俺たちクラス。


 まさかそれで同じ清掃委員に選ばれるなんて……これが運命と呼ばずに何を運命と呼ぶのだろうか!


 嬉しさのあまり踊り出しそうだ。


「えっと、隔週かくしゅうで二日、火曜日と金曜日の放課後に清掃する、ね」


「汐海と一緒なら毎日、月火水木金土日、掃除しても良いけどな!」


「八木……今日のテンションどうなってんの?」


「そりゃ、最高潮。見れば分かるだろ?」


 そう。最高潮である。

 クラスの人数は30人。既に委員会が決まった奴らを除いて大体20分の2を引き当てた俺達は運命の赤い糸で結ばれているに決まってるのだ!


 場所は放課後の夕日が差し込むオレンジ色に染められた教室。

 そしてここにいるのは、俺と汐海の二人きり。


 ああ、なんてロマンチックなシチュエーションだろうか。


「はぁ……。さっさと終わらせて帰ろう」


「一緒に?」


「そんなわけないでしょ。そもそも方向が違う」


「遠回りするよ?」


「しなくていい。それより今日は花壇の清掃だって」


 汐海は俺を見ることなく、背を向けて教室から出て行く。

 相変わらずのドライな対応。


 しかし、今の俺はそんな態度で心にダメージを受けるほど弱くない。

 だって……この先一年間は放課後に二人きりの時間ができるんだからな!




「そう言えば、八木って足速い?」


「ん? サッカー部だったし、ポジション的によく走ってたから人並みって感じだけど?」


「そっか。それじゃ走って逃げるのはダメだね」


 花壇を清掃していると、そんなことを聞いてくる。

 ただの雑談。しかし、されど雑談。

 汐海の声を聞けるだけで幸せだ。


「逃げるって……でも急にそんなこと聞いてくるなんて、どうしたの?」


「いや、新学期って体力テストあるじゃん?」


「五月の頭くらいにやるんだっけ」


「そう。億劫だなって思ってさ」


 大きな溜息をする汐海。

 どうやら、体力テストが嫌な様子だ。


 まぁ、それはそうだよなぁ。

 その理由は恐らく――。

 

「汐海、足遅いもんな」


「うるさい。っていうか、なんで知ってるの?」


「そりゃ去年の体力テスト見てたし」


 それは去年、一目惚れしてすぐのことだ。

 隙さえあれば汐海を目で追っていた俺は、その日も変わらず汐海を見ていた。


 そして体育の授業、男女で場所は別だった中、なんとか汐海の姿を確認できた俺はジャージも雰囲気が変わって良いなぁ~とか思っていたわけなのだが、それ以上に周囲と比べて汐海の走る速度が明らかに遅く、そればかりに目がいった結果、その光景は脳裏に深く刻まれたのだ。

 

「覚えてるの怖いよ……。でも、そうなんだよね。私、水泳はできるけど、陸の競技ってどうもダメで」


「全中ベスト8だっけ?」


「だからなんで知ってる!?」


「俺は汐海のことなら何でも知ってる」


 何を当たり前のことを言ってるんだ。

 汐海のことなら過去、現在、そして俺と一緒になる未来まで知っている。


 まぁ、汐海が水泳部で結果を出したことを知ったのは、陸斗との会話で知ってるだけなんだけどな。


「八木、本当に怖いよ。いつかマジで捕まりそう」


「汐海が被害届を出さない限りは平気だよ」


「そう。それじゃ、今日の帰りがけに警察署でも寄って行こうかな」


 なんて会話をしながら花壇の掃除を続ける俺達。


 気付けばそこそこの時間が経過してして、花壇の清掃も残すは後片付けをするだけになった頃、ふと汐海が何かを考えているような表情を浮かべると口を開いた。


「八木って好きな子のタイプ……いや、何でもない」


「汐海」


「言うと思った。八木に聞いた私が間違いだったよ」


 ガクリと頭を落とす汐海。

 いや、俺が言うのもアレだけど、何を言われるか分かってただろ。


 ……しかし気になる。なんで汐海はそんなことを言ってきたのだろうか。


「急になんでそんなことを? まさか俺のこと……」


「それは断じて違う。いや、ね。人を好きになるってどんなことなんだろうなって思ってさ」


「それは残念。でも……人を好きになる。んー、深く考えたことはないな」


「正直分からないんだよね。人を好きになるってことがさ」


 そう言った汐海は俺のことをジっと見てくる。

 何を考えているのか。その表情からは読み取ることができない。


 唯一分かることは何かに悩んでいるということだけだけど……何はともあれ、汐海と近距離で目が合っている。

 この状況は嬉しい以外の何物でもない。


「私にとって恋愛する対象は自分にとって良い条件の人のこと。例えば良い生活を送らせてくれる人だったり……ね。だから自分の理想以外の要素で……それこそ人を好きになる……その人じゃなきゃダメっていう感情が分からなくて……」


 汐海の様子からも分かるように本気で悩んでいるようだ。


 人を好きになる……俺としては好きだから好き! って感じだけど……多分汐海が求めている意見はそういう大雑把なものではないんだろうな。


「少女漫画とか、ドラマとかでもそうだけど、本当の意味で人を好きになる感覚ってものが分からないんだよね」


「それは……難しい問題だね」


  人を好きになるのは好きだからだ!

 なんて考えている俺に難しいことは分からない。


 だから変なことは言わない方が良いだろう。

 どうせ俺の思っていることを汐海に伝えたところで、キモイと言われるのが関の山だし。

 

「はぁ……八木に聞いたのが間違いだった。何の悩みも無さそうだもんね」


「悩みならあるぞ?」


「ふーん。どんな?」


「汐海が俺を好きになってくれない」


 こればっかりは心の底から悩んでる。

 一年前から悩みっぱなしだ。


「帰る」


 立ち上がると、背を向けて教室に戻っていく汐海。

 ただ事実を言っただけなんだが、どうやらお気に召さなかったようだ。


 しかし、悪くない。

 夕日に照らされた校舎に、好きな子の背中。


 なんだか凄く青春を感じるシチュエーションだ。


 さて、このあとの行動はそうだなぁ……。

 まずは話しかけて、一緒にいる時間を増やす努力をすることにしよう。手始めに一緒に帰る方向で。


 一緒に帰れば警察署に行かれるのを阻止できるし、被害届を出される心配もないだろう。

 俺は抜いた雑草を一纏めにして袋に詰めると汐海の後を追うのだった。

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