第3話 【澄凪の人魚姫】3

「それはね、私が人魚だから……かな?」


 そう言った汐海から真面目な雰囲気を感じ取る。


 澄凪すみなぎ星浮ほしうかしの光景がそう感じさせるのか。

 それとも本当に真剣が故にそう感じるのか。


 表情をしっかり見ることができない薄暗い砂浜では、その判断をすることができなかった。

 できることは汐海の言葉を繰り返すことだけで……。


「……人魚」


「うん。ほら、人魚姫って王子様から愛を得られないと泡になって消えちゃうでしょ? そんな感じ。失敗はできない。だから私は一度しか人を好きにならないし、一度しか恋愛しない」


 こういう時、どんな言葉を使えば良いのだろうか。

 頭は悪くない。と自負しているけど、正解が分からない。


 ふざけた雰囲気を出して「そんなバカな」と笑い飛ばすべきか、それとも「そっか」と納得した様子を見せるべきか。


 どうすればいいのか……分からない。


「……なんてね。冗談だよ」


 そう言って珍しく笑みを見せる汐海。

 いや、可愛いけど! 可愛いけど……俺の悩んだ時間を返して欲しい。


「冗談……そっか、冗談か」


「うん。冗談。でも、一回しか恋愛しないつもりっていうのは本気だよ」


 そう言った汐海は俺から視線を外し海の方を見ると、言葉を続ける。


「澄凪の星浮かしが恋愛成就にご利益があるって言われ始めた理由は知ってる?」


「確か、七夕の織り姫と彦星……星の名前は忘れたけど、それが澄凪の海に反射して見えるから……だっけ?」


 以前ネットの記事で見たものを思い出しながら口にする。

 うろ覚えだけど、確かそんな感じだったはずだ。


「一般的にはそう言われてるね。ベガとアルタイルが星浮かしで神秘的に映るからっていうことで、恋愛成就と澄凪の星浮かしを絡めて旅行雑誌が紹介したのが始まりなんだけど、実はそれだけじゃないんだよ」


 指をクルクルと回しながら話す汐海。

 そして一瞬、溜めるように静寂を置いたかと思うと、海に浮かぶ星々を見ながら口を開いた。


「――この島はある時を境に一度きりの恋愛で結婚する人が増えたことがあるんだよね」


「……え?」


「まぁ、随分と昔の話だから、それを知ってるのは私の家とか、陸斗の家みたいな歴史のある家くらいだろうけど。でも、そんな人達がいたのは確かなことで、事実――恋愛成就にご利益があるって広まる前からこの島では澄凪の星浮かしで、愛を誓う行為は行われていた」


 そう言った汐海は、ジっと澄凪の星浮かしに目を向ける。

 

「昔、恋愛に失敗した人が澄凪の星浮かしの日に突如、消えるように失踪した事件があってね。それは人口の少ない澄凪島では大事件として捉えられて、それを見ていた島民は恋人を裏切ってはいけない。そうしなければ消えてしまう。って思うようになったんだって」


「へぇ……」


「で、その事件以降、澄凪の星浮かしと言えば、愛を誓う場所として語り継がれたってわけ。ちなみに失踪した人っていうのは私の先祖に当たる人ね」


「…………はぁ!?」


 淡々と語る汐海に一瞬反応が遅れた。

 島に残る伝承を聞いていたつもりが、語り手であった汐海が当事者だったなんて予想外も予想外。


 でも……やっと分かった。

 なぜ汐海が一度きりの恋愛にこだわっているのか。

 その理由は――。


「汐海が一回しか恋愛はしないって言ってるのって……」


 汐海は頷いて見せる。


 正直、島の外から来た俺にその価値観は分からない。

 そりゃ、一度の恋で結婚までいけるのならば、それは理想的と言えるだろうし、恋人を裏切ることは当然良くないことだろう。


 しかし、そう上手くいくことなんて稀だし、多くのカップルが別れてしまうところを見ると、人間関係はそう簡単じゃないのは明白だ。


 でも……。

 汐海の表情を見て否定することなんてできなかった。


「だから八木はさっさと私を諦めて新しい人を見つけた方がいいよ」


「……俺を選ぶって選択肢はないの?」


「八木を選ぶ? あはは、無い、無い。ありえないよ。だって一回限りの恋愛だよ?」


 脈なしを具現化したような笑い声。

 ……断るにしても、せめて真剣に断って欲しかった。


 確かに汐海には選ぶ権利はある。惚れている側の立場が弱いのは世界の常識だ。


 でも、でもだよ? 断り方!

 俺にも心はあるんだよなぁ……。


「あ゛ぁぁーーーー!!」


 思わず叫ぶ。

 そうでもしないと、現実のどうしようもなさに心が折れそうだった。


「うわっ! ビックリした」


 体をビクっと跳ねさせる汐海。

 一々可愛いなちくしょう!


「……どうしても無理?」


「無理。まぁ、将来は分からないけど、さっさと新しい子を見つけた方が八木も幸せになれるよ」


「それ、言われるの何回目だろうな」


「それを言うなら私もだよ。何回告られたと思ってるの?」


 お互いにそう言って、おかしくなって笑い合う。


 だから……本当にこういうところなんだよなぁ……。


 きっかけは俺の一目惚れからだった。

 でも、それは所詮きっかけで、今はこの空気が……汐海と過ごす時間が好きなんだと自覚する。

 

「無理かぁ~」


「うん。無理」


「でもさぁ、少しは……」


「無理」


 どうやら本当に無理らしい。

 現実っていうのは、そう上手くいかないものだ。


「……失踪したっていう汐海の先祖はどこに行ったんだろうな」


「さぁ? 泡にでもなったんじゃない?」


「相変わらずドライだなぁ」


 汐海の変わらない口調に俺は思わず笑ってしまう。

 しかし次の言葉――。


「でも……この澄凪の星浮かしを――完成された絵画のようでありながらも、どこか夢の中で見るようなあやふやなこの光景を見る度に思うよ。私は……私も間違えられないって……ね」 


 汐海の語る顔を見たら……。

 気付けば俺の浮かべた笑みは消えていたのだった。

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