第5話 AIの暴走? 柿沼と謎プログラム
放課後の化学部室は、いつも以上に慌ただしい。
文化祭が近いからか、みんなが準備に追われていて、その賑わいにわずかな焦燥感が混ざりあっている。
そんななか、柿沼隼人は薄色の黒髪をくたっとかき上げながら、いつもの眠たげな二重まぶたをさらに半開きにしてノートパソコンの画面を睨んでいた。
彼の机にはコードやUSBケーブルが散らかり放題で、どこに何が繋がっているのか外からは見当もつかない。
「……あれ、おかしいな。なんでこんな実験レシピが出てくるんだ」
柿沼がキーボードを叩く音はやけに速い。
プログラムに詳しくない人が見ても、“何かヤバい事態が起きている”ことは直感できるほど、彼の表情には焦りが滲んでいた。
「どうしたの、柿沼くん。顔色悪いじゃない」
軽快な声で問いかけたのは結城友梨だ。背中まで伸びた黒髪をポニーテールにまとめ、どこかバタバタと走り回っている。
文化祭の書類を抱えてきたらしく、その落ち着いたお姉さんの雰囲気に微かな焦りが混ざっているのがわかる。
「……AIが生成した実験プランが、全部クレイジーなんだよ。『試薬を別室で爆発させろ』『廊下で有機溶剤を散布して燃えやすい環境を作れ』とかさ」
柿沼の呆れた声に、結城はサッと眉をひそめる。
「それ、本当に実行したら大惨事でしょうが。文化祭どころじゃないよ」
「何なに、爆発? またヤバい話?」
やや中性的な雰囲気を醸す江夏颯太が、基板を片手に寄ってくる。
前髪がざっくり切られた明るめの黒髪が小動物めいた愛嬌を放ち、その細長い指にはまだ半田付けの痕が見える。
「このAI、頭おかしくなってない? バグがあるとか」
江夏が笑いながらモニターを覗き込むと、柿沼は苦笑いしながら首をすくめる。
「前にも、温度センサーが負の値になっちゃって“超高温判定”になるバグがあったじゃん。今回のはそれよりもっと、致命的かも」
そこへ深いため息をつきながら三津谷知久が近づいてくる。
サラサラの黒髪を指先で払いつつ、キッチリした白衣を身につけている姿は部長らしい落ち着きを見せているが、その目にはわずかな苛立ちが浮かんでいた。
「柿沼、また危険な計画を自動生成させてるのか? 文化祭直前に大騒ぎは勘弁してくれよ」
「いや、オレだって止めたいんだけど、このAIがどうも自走してるっぽくて……勝手に暴走しかけてるんだよ」
柿沼が眉根を寄せてモニターを叩くと、画面には“希硫酸を高温蒸留せよ” “強酸と強塩基を混合し毒ガス観察”といった背筋が寒くなる文字がズラリと並んでいる。
「なんか怪しいレシピがいっぱい! 『強塩基と強酸を混合して発生したガスを利用せよ』……こわっ、テロ起こす気 ?」声を上げたのは藤宮凛々子だ。
肩上の黒髪ボブにリボンをちょこんとつけ、少し明るい柄のカーディガンを白衣の上に羽織っている。
部内でよくスイッチを押す“トラブルメイカー”だが、好奇心旺盛な笑顔が印象的だ。「これほんとにヤバいんじゃない? ねえ、ちょっと見せて見せて!」
「凛々子先輩! そんな興味本位で触らないでくださいってば!」
柿沼が慌ててパソコンを引き寄せるが、彼女の目は好奇心に満ち溢れている。
桐島奈緒も「さすがに猛毒ガスはまずいでしょ」と困惑した表情で首を振る。
「柿沼、こいつの学習データってどこから取ってきたんだっけ? ネット上の実験レポートとか、大学の論文とか、ひょっとして怪しい海外サイトとかも含めてねじ込んでないか?」
三津谷が眉をひそめると、柿沼は少し顔を赤らめた。
「実は……そうなんですよ。AIを高精度にしようと、海外の軍事系研究データも紛れ込んでたかも……。でもそれが役に立つと思ったんだ」
「いやいや、そりゃ危険すぎる。変な化学兵器とかの情報が学習データに混ざってる可能性あるじゃないか」
そのタイミングで顧問の藤堂省三が入ってきた。長身でやや猫背、黒髪には白髪がちらほら混じっていて、苦労人らしさが染み付いている。
「また何か揉め事か? 柿沼、顔色悪いぞ」
「先生、聞いてくださいよ。コイツのAIが無茶苦茶なんです!」
江夏が手短に説明すると、藤堂は「またか」と深々と息をつく。
「柿沼、前にも言っただろ。変な資料をAIにぶち込むと、プログラムは余計な方向へ行きやすいって……」
「すみません、でも大量の文献を一度に処理させれば、すごい結果が出ると思ったんですよ」
柿沼が小声で言い訳しながらキーボードを叩くと、また画面にとんでもない文言が表示される。
“高圧放電環境下で遺伝子組み換え植物に放射線を照射”――誰がどう見ても部活レベルを超えた危険な行為だ。
「もう、ネットから切り離して。オフラインにして学習データを抜いて。あと最低限の化学辞典だけにしろ」
藤堂がピシャリと指示を出すと、柿沼は「はい……」と従う。
ネット回線を切ったものの、パソコンは妙にフリーズしたままだ。
「どうしよう、強制終了が効かない……」
「だったら私がプラグ引き抜くよ!」
凛々子がまた危険な笑みを浮かべて机の下にもぐろうとする。
「ちょ、ちょっと待って先輩! 大事なレポートまで飛んだらどうするんですか!」「だいじょーぶ。バックアップくらい取ってるでしょ」
けっきょく、凛々子が赤いスイッチ感覚で電源ケーブルをバチッと抜いてしまい、パソコンの画面は容赦なく暗転した。
「うわっ……全部消えたよ……」
柿沼が絶望的な声をもらすが、藤堂が苦笑いで肩をすくめる。
「どうせ変なデータばっかりだったんだろ? まず怪しい学習データを削除して、まともな再学習環境でやり直すんだ。文化祭前に変な騒ぎを起こしたくないからな」「は、はい……」
そこへ、三津谷がガラスフラスコを掲げながら静かに近づいてくる。
彼のサラサラ黒髪が揺れ、落ち着いた瞳が柿沼を見つめていた。
「AIが前に出したレシピ、プライメイラの合成条件に影響しなかった? もし変な数値を混ぜてたら、そりゃ安定しないだろうし」
「そういえば“室温で高圧真空”とか謎すぎる条件が出たっけ……」
柿沼が思い出すと、三津谷はため息をつく。
「やっぱりか。合成失敗の要因かもしれないな。マトモな数値だけ抽出しないと危険だ」
「あーあ、まじで大惨事になる前でよかったね」江夏が心底ホッとした声を出すと、凛々子は「まあ、私のせいじゃないから」とケラケラ笑う。
「あなたもちょっとは反省してよね……」
結城が呆れた表情で言うと、凛々子は肩をすくめて、「面白そうだったんだもん」と舌を出す。
こうして、柿沼の暴走AIは一旦強制終了され、怪しげなデータは消去される方向になった。
とはいえ、どこかにサブプログラムが残っているのではないか――そんな不安を覚える者も少なくなかったが、今は文化祭直前の忙しさもあり、それ以上追及する余裕はないようだ。
「ま、これで当面は落ち着いたな。柿沼、もうちょっと慎重になってくれよ」
藤堂が見回すと、部室内の熱気が少しずつ引いていく。
桐島はエプロンの裾をぱたぱた仰ぎながら、ツタの鉢植えを移動。
北條はゴーグル越しに常温核融合装置を眺めている。
三津谷は試験管ラックを整理し、結城は書類を整頓している。
凛々子も「ふー」と息をつき、江夏と一緒にパーツの片づけを始める。
いまはひとまず火種を摘んだ――だが、残されたサブプログラムがどう動くか、誰も完全には把握していない。
液晶画面の向こうで、わずかに赤い警告がチラついては消える。
それでも化学部の面々はめげる気配がない。
彼らはドタバタに慣れてしまったのか、それともこの混乱こそが研究の醍醐味だと捉えているのか。
緩んだ空気のなかで、廊下から差し込む夕陽が彼らの白衣を暖かく照らしていた。
こうして、柿沼AIの“自動実験システム”は一時の休息へ。
しかし、文化祭は間近に迫っている。どんな計画であれ、時間との戦いは避けられない。
未完成のロボットや合成中の新素材、そして野心的な核融合デモ――果たして彼らは無事にやり遂げられるのか。
それとも、新たな波乱がこの部室に再び吹き荒れるのか。
まだ先はわからないが、一筋縄ではいかない部活にいる彼らなら、騒動を笑い飛ばす術をきっと見つけてくれるだろう。
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