告白デッドライン

角山亜衣

死を呼ぶ告白

 本当に行くんだな、と隣で息を荒らしている悠馬を見て、俺は心の中で呆れた声をあげた。


 俺の名前は高橋陽介。地方の高校に通う一年生だ。性格や趣味については、まあそのうち話すことにしよう。今は、それどころじゃない。


 隣で興奮した様子の中村悠馬は、中学時代からの親友だ。今日、俺が成し遂げようとしている「人生初のビッグイベント」を、何やら全力で応援しようとしている……ようだ。ただ、その応援の仕方が、どうにも空回りしている。


 俺の視線の先にいるのは、塚田友香。俺の初恋の相手で、幼稚園のころからずっと同じクラスだ。小学二年のとき、彼女への想いに気づいてからずっと――まあ、正直に言おう――ずっと片思いしている。


 けれど、彼女とまともに話せた記憶なんてほとんどない。いざ彼女を目の前にすると、頭の中は真っ白。言いたいことも言えず、挙句の果てに、無意味な悪態までついてしまう。本当に情けない限りだ……。


 それでも、今日こそは告白しようと決めたのだ。


「よし、今なら彼女一人だ! 絶好のチャンスだぞ!」

 悠馬が鼻息を荒くしながら俺に言う。

(なんで、お前がそんなに興奮してるんだよ……)


 俺は彼を一瞥し、深く息をついた。そして、決意を固めて一歩踏み出す。


「行ってくる。見ててくれ」

 振り返ると、悠馬が――白目を剥いて棒立ちしていた。


 ……大丈夫か、こいつ?


 とにかく、俺は覚悟を決めた。これから俺史に残る一歩を踏み出すんだ――


 と、その瞬間だった。

「ちょっと待ったー!」

 突然、腕を掴まれた。さっきまで白目を剥いていた悠馬が、いつになく真剣な顔をして俺を引き戻す。


「なんなんだよ!」

「今告白したら、お前……死ぬぞ」


 ……は?


 俺は思わず言葉を失った。けど、悠馬の表情は真剣そのものだった。ふざけているようには見えない。


「どういうことだよ。ちゃんと説明しろ」

「わかった。けど、時間がない。短く話す」

 悠馬は深呼吸し、一気に言葉を吐き出した。


「いいか、落ち着いて聞けよ。今の俺は、未来からタイムリープしてきた俺だ。今日、お前が告白して、デートすることになる。でも、その週末、お前は事故で死ぬんだ。俺はその未来を変えるために――」


「おい?」

 また悠馬が白目を剥いた。


「悠馬! おい!」

「ぬぁ!?……陽介、告白! どうなった!? イったのか? 逝ったのか!?」


「いや、だからお前が止めたんだろ」

 悠馬の顔を見ると、さっきまでの真剣な表情が嘘のように薄れていた。


「俺……止めたよな。そうだよな……」

 悠馬は頭を抱えた。俺には、彼がふざけているのか、本気なのか、まったくわからない。


 とにかく告白は延期だ。俺がホッとしているのは……まあ、なんとも情けない話だな。



数日後───。


 悠馬は「あの時」のことをすっかり忘れているようだった。

 本当に意識だけがタイムリープしてきて、あの瞬間だけ悠馬の中に宿っていたのか。正直、信じきれてはいない。ただ、あの真剣な表情と、一時的な豹変ぶりを思い出すと、完全に否定することもできなかった。


 だが、そんな疑念もひとまず横に置いておく。

 兎にも角にも、告白だ。リベンジの時は来た。


「本当に行くんだな?(はぁ、はぁ、)」

 まただ。俺の隣で鼻息を荒くしている悠馬が、前回とまったく同じテンションで問いかけてくる。


「ああ、行ってくる!」


 今度こそ、俺史に残る大いなる一歩を踏み出す――


「ちょっと待ったー!!!!」


 ……またか。

 踏み出した俺の腕を、再び悠馬が掴んで引き戻す。


「……また、未来から?」

 俺の質問に悠馬は、真剣な眼差しで頷いた。


「そうだ。信じてくれたんだな?」

「告白したら、死ぬと?」


 悠馬は頷く。彼の真剣さに苛立ちが募る一方で、無視できない何かを感じていた。


「そうなんだ。なぜかはわからないが、告白してしまうと、上手くいって、その結果お前はビルから落ちて……」


「……タイムリープできるんだったら、ビルから落ちる直接の原因を潰しに行けよ」

 俺の言葉に悠馬は一瞬口をつぐんだ。それから顔を曇らせ、首を振った。


「もちろん、それも試したさ。でも、この告白を阻止しない限り、どうしたってお前は死んでしまう……いや、殺されるんだよ。塚田友香に」


「はぁ? 塚田ちゃんが俺を殺す? なんで?」

 思わず聞き返すと、悠馬は苦い顔をして肩をすくめた。


「その理由まではわからない。ただ、お前が死んで、塚田が逮捕される。その未来を変えるには、この告白を止めるしかないんだ……」


 その瞬間、悠馬の体がふらつき、またしても白目を剥いた。


「おい?」

 彼を揺すってみるが、悠馬は目を覚ますと、また同じように混乱していた。


「ぬわぁぁああ!?……あ、陽介……また俺、タイムリープ来てた……な。……ぁ……そうか」


「お前、ほんとに大丈夫なのか?こんなこと言いたかないけど、一度病院行って診てもらったほうが……」


 そう言う俺に、悠馬は突然真剣な顔を向けた。

 それは、これまで見たことのないほどの覚悟に満ちた表情だった。


「陽介……上手く言えないけど、俺を信じてほしい。これから俺が何をしたとしても」


 その言葉に戸惑う俺をよそに、悠馬はきっぱりと言い切った。


「そんなのわかんねーよ。何を始めようってんだ?」

 俺の問いにも、悠馬は「信じてくれ」と繰り返すばかりだった。



数日後───。


 朝、教室に入ると、悠馬が教壇の上で何か浮かれた様子だった。


「報告ー! 塚田友香と俺はお付き合いすることになりましたー! 今週末、初デートでーす!」


 その言葉が耳に届いた瞬間、世界がぐらついたような感覚に襲われた。


なん・だと……?


 教室内は、瞬く間に騒ぎの渦に飲み込まれた。

 クラスメートたちは口笛を鳴らしたり、歓声をあげたりしている。でも、その声は遠くで響いているようにしか感じられなかった。


 なぜだ?


 なぜ悠馬が……?


 俺の告白を二度も止めておいて、なぜあいつが……塚田ちゃんと付き合う?


 は?


 気づいたときには、俺は教室を飛び出していた。



 それから週末まで、俺は悠馬と顔を合わせることを避けた。会うとどうなるかわからなかったし、奴の顔を見たくなかった。


 裏切られた。


 騙された。


 タイムリープ? なんだそれ? 結局、全部嘘だったんじゃないのか。


 奴も塚田ちゃんと付き合いたかっただけなんじゃねーの?


 それを隠すために、くだらない作り話で俺を止めたってことか?


 ふざけるな。


 ふざけんな……マジで、ふざけんなよっ……!


 怒り、悲しみ、憎しみ――負の感情が渦を巻いて俺の中で暴れていた。

 抑えようにも、そんな方法は知らない。ただただ、心の中を黒いものが満たしていく。



そして翌週───。


 朝のホームルームで、担任がいつもと違う表情をしていた。どこか重々しい声で口を開く。


「中村悠馬ですが、土曜日の夜にビルから転落して、現在意識不明の重体だそうです」


 教室内が一瞬ざわめき、すぐに静まり返った。

 脳裏に浮かんだのは、悠馬のあの浮かれた顔。そして、「信じてくれ」と言ったあの真剣な表情だった。


 ――俺は……。


 一瞬、『ざまぁ』なんて黒い感情がよぎった自分に、嫌悪感が湧いた。


 違う……違うんだ、そうじゃない。悠馬は……俺の身代わりになって、わざと……?


 胸に刺さるように響いてきたのは、悠馬のあの言葉だった。

『信じてくれ』

 その言葉が胸をえぐるような痛みを残す。



 その日の昼休み、塚田ちゃんが担任に呼ばれて教室を出たきり、戻ってこなかった。

 学校には警察の姿もあった。……彼女は重要参考人として話を聞かれているのだろうか。


 午後の授業中も、俺の頭の中は混乱したままだった。何がどうなっているのか。悠馬は? 塚田ちゃんは?


 何も解らないまま、放課後になった。



 悠馬が入院している病院を、なんとか担任に聞き出した俺は、その足で向かった。

 けれど、受付で返ってきたのは冷たい一言だった。


「申し訳ありませんが、中村さんは現在面会謝絶です」


 無力感に肩を落とし、病院のロビーで呆然と立ち尽くす。


 悠馬、お前に何があったんだ……。

 どうして、こんなことになってんだよ……。



数日後───。


 塚田ちゃんは、何事もなかったかのように登校していた。

 朝から女子たちに囲まれ、興味本位であれこれ質問されている。

 でも昼休みが終わる頃には、みんな別の話題に夢中になっていた。いつもの日常に戻ったように見えたが、俺の中では何かが変わってしまっていた。



 放課後、俺は初めて彼女をまともに呼び止めた。

「塚田……、ちょっといいか。悠馬の話、聞かせて欲しいんだけど……」


 塚田ちゃんは、少し驚いたような表情を浮かべたものの、黙って頷いた。



 校庭の隅で二人きり。


 かつては憧れだったはずの彼女とこうして向き合っているのに、トキメキなんて欠片もなかった。ただただ空気が重苦しい。


「土曜日の夜……悠馬と何があったの?」

 自分の中で矛盾した感情が渦を巻いているのがわかる。

 二人で何をしていたのか知りたい――でも、聞きたくない。真実を知りたい――でも、それを知るのが怖い。


 彼女は少し黙った後、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「あの日は、二人で街へ出て、ボウリング行って、ゲームセンターに寄って、食事して……夕方にはお別れしたの。警察にもそう話したけど、本当にそれだけ……」


 塚田ちゃんの肩が震えているのがわかった。その姿を見て、俺はひどい罪悪感に襲われた。


「でも……どうしてかわからないんだけど、警察の人が言うには、土曜日の夜、私が中村に『ビルの屋上に来て』ってメッセージを送っているって……。中村のスマホに履歴が残っていたって。でも、私はそんなメッセージ送ってないし、その夜はずっと家にいたから……」


 塚田ちゃんの声は震え、涙を堪えているようだった。


「ごめん。問い詰めるみたいなことして……」

 俺は俯きながら、なんとか声を絞り出した。

「悠馬とは親友……だったからさ」


 そう言いながら、胸が締め付けられるような感覚があった。


『親友』――その言葉が自分の口から出たことに、違和感を覚えた。まだ、彼に対する疑念は完全には晴れていない。でも、彼が俺のために何かをしようとしていたのかもしれない――そう思うと、ますます自分が嫌になった。


「私と中村さ、本当は付き合ってなんかいなかったんだよ……」

 塚田ちゃんの言葉に、俺は目を見開いた。


「理由は教えてくれなかったけど、中村が凄い必死に頼んできたの。『付き合ってるフリをしてくれ』って。1日だけデートみたいなことをしてくれって」


 俺の中で何かが崩れた。


 ――そうだったのか。悠馬は俺の身代わりになったんだ。裏切ってなんかいなかったんだ。


 涙が止まらなかった。怒りや悲しみ、後悔や感謝、いろんな感情がぐちゃぐちゃになって胸の中を駆け巡った。


「……泣いてるの? もしかして中村と高橋って、BL的な……」


「ば、ばか言ってんじゃねーよ! そんなんじゃねーし! 俺はお前……」

 言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。


 今、告白なんてしてる場合じゃない。

 もし本当に『塚田ちゃんに告白すると死ぬ』という何かしらの要因があるのだとしたら、悠馬の犠牲が無駄になってしまう。


「と、とにかく、ありがとな。教えてくれて」

 俺はそれだけ言うと、彼女に背を向けた。

 背中越しに感じた彼女の視線は、重かった。



数日後───。


 俺は塚田ちゃんと一緒に悠馬のお見舞いに行った。

 まだ面会謝絶かもしれない。でも、悠馬の様子を見たいという塚田ちゃんの言葉に、俺も頷いた。


 病院に到着すると、受付の人が教えてくれた。悠馬は別の病室に移されており、意識が戻ったという。

 その言葉を聞くなり、俺たちは足早に病室へ向かった。


 病室の扉を開けると、中では刑事らしき二人が悠馬から話を聞いていた。


「それじゃ、あとは我々に任せて。お大事にね」

 そう言って、刑事たちは出て行った。



「悠馬! 大丈夫なのか!?」

 俺が駆け寄ると、悠馬は軽く笑った。


「ああ、すまん、心配かけたな」

 そして俺たちを見て、ニヤニヤと茶化すように言った。

「それにしても、お二人さん、いつの間に?」


「ばか、そんなんじゃねーよ」

 慌てて否定する俺の言葉に、悠馬はさらに笑みを深める。

「塚田ちゃんもお前を心配して……」


「わかってるよ」

 悠馬は軽く手を振って言った。

「今、事件の真相は刑事さんに全部話したから、あとは警察が何とかしてくれるだろう」


「……何があったんだ?」

 俺は深い息をつきながら尋ねた。


「土曜日の夕方、塚田と別れたあと、メッセージが入ったんだ」

 悠馬はそう言って、自分のスマホを取り出し、画面を見せてくれた。


 そこにはこう書かれていた。

【一緒に星空を見たいから、藤山ビルの屋上で会えない? 21時に待ってる。】


 差出人のアカウント名は確かに、塚田ちゃんのものだった。


「え!? 私、知らないよ!? そんなメッセージ……私のスマホには履歴なんか残ってないし……」

 塚田ちゃんは震える声で言った。


「大丈夫、わかってる」

 悠馬は彼女を落ち着かせるように、穏やかな声で答えた。

「流石に変だなぁと思ってさ。一応、警戒して行ってみたのよ。藤山ビルの屋上」


 悠馬は少し視線を落とし、続けた。

「そしたら、誰もいなくて……。手すりの近くにスマホが落ちてて、画面が光っててさ。それを拾おうと近づいたら、いきなり後ろから突き落とされたんだ」


「お前を突き落としたヤツは! 顔は見たのか!?」

 俺は身を乗り出して聞いた。


「……ああ、見た」

 悠馬はゆっくりと顔を上げ、視線を俺に向けた。


「そいつは……」


 言葉が途切れる。悠馬の表情には、確かな恐怖と困惑が混ざり合っていた。



後日───。


 俺たちのクラスの副担任だった山口先生が逮捕されたという知らせが入った。

 ニュースを見て驚いた。逮捕の理由は――いわゆるストーカー行為だ。


 山口先生は塚田ちゃんのアカウントに不正アクセスを繰り返していたらしい。

「オレの天使に近づく男は誰だろうと許さない」

 そう供述したとかで、相当ヤバい精神状態だったそうだ。


 刑事が悠馬に話を聞きに来たのも、山口先生の行動が判明したからだったらしい。


 改めて、悠馬の言っていた「塚田ちゃんに告白したら死ぬ」という未来が、こうして回避できたんだと思うと、胸がざわついた。


 けれど、今はとにかく……悠馬も助かったし、塚田ちゃんも無事だ。

 それが何よりだと、自分に言い聞かせるしかなかった。



 「なあ、悠馬」

 放課後の教室で、俺は窓から外を眺めている悠馬に声をかけた。


「なんだよ」

「お前……身代わりになってくれてありがとうな。それと……ごめんな」

 素直に言葉にするのは、俺にとってすごく勇気が要ることだった。


 悠馬は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの軽い笑みを浮かべた。

「おいおい、なんだよ急に。気持ち悪いな」

「気持ち悪いってなんだよ」

 俺たちはそんな風に軽口を叩き合った。


 山口先生の逮捕によって、すべてが終わったわけではない。

 けれど、これで少しずつ元の日常に戻っていくことができるはずだ。


 俺たちの未来は――きっとこれからだ。



数日後───。


「本当に行くんだな?(はぁ、はぁ、)」

 隣で鼻息荒く言う悠馬に、俺は呆れた声を心の中であげた。


「(もういいよ……)」

 深く息をつき、俺は自分に言い聞かせる。


「んじゃ、行ってくるわ!」


 今度の今度こそ、俺史に残る大いなる一歩を――


「ちょっと待ったー!!!!」


 ……まただ。


 悠馬が俺の腕を引っ張り、いつものあのセリフを投げかけてくる。


「今告白したら、お前、死ぬぞ!」


 俺はその場で立ち止まり、悠馬を振り返った。

「おい……それ、まだ言うのかよ?」


 悠馬はいつもと同じニヤリとした笑みを浮かべていた。


「だって、お前、告白してOKもらったら……幸せ過ぎて昇天すんじゃね?」

 悠馬は声を上げて笑った。


 こいつは本当に……最後の最後まで、ふざけやがって。


「色々、ありがとな、悠馬」

 俺は軽く手を振り、振り返らずに歩き出した。


 後ろから悠馬の声が聞こえた。

「行けよ、陽介! 俺の親友!」


 その声が、俺の背中を押してくれた。


 校庭の向こうに、塚田ちゃんの姿が見える。


 彼女は俺に気づいて、ふわりと微笑んだ。

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