1ドルべんつ

栗ご飯

1ドルべんつ

 5年前のことだ。アメリカに単身赴任した父が現地の大家さんからベンツを1ドルで買った。元々処分される予定だったものを売ってもらったらしい。廃車寸前の車に金を使いたくない大家さんと四半世紀ベンツに憧れ続けた父との、Win-Winな取引であった。


 そうして我が家のものになったベンツと僕が初めて出会ったのはそれから1年後のことだ。出会ってすぐ、唐突に保育園のころ他界したひいおじいちゃんを思い出した。


 父は2年間の間毎日ベンツに乗って30分の距離を通勤した。僕も雨の日などでたまに兄弟と学校まで送ってもらっていた。エンジンをかけるたびに87年生まれの天然記念物はぷすぷす咳込んだ。アスファルトのすこし盛り上がったところに転びかけそうになっていたし、排出するガスはしょっちゅうすかしっぺだった。どういうことかわからない方もいるだろう。ようは想像していたかっこいい『Mercedes-Benz』ではなくヨボヨボの『べんつ』だったのである。


「ベンツで学校に行くなんて金持ちだなぁお前らは」


 学校に送ってもらう時、よく父にこう言われた。そういう時に限って前の車はBMWやレクサスだったりしたのだ。居心地が悪そうに震える『べんつ』はもはや『べんちゅ』になったように見えた。


 ところで、父はこのベンツを買ったのと同じ時期にもう1台

 トヨタのハイランダーを買っていた。


「ベンツだけだと会社より遠くに行くと空中分解しそうで怖かった」


 と後に父は教えてくれた。ハイランダーはどこかくすんだ黒色をしていた『べんつ』より何倍も肌のハリが良かった。目も曇っていなかった。何よりデカくて後部座席が圧倒的に広かった。


 すぐに僕たちは『べんつ』に乗らなくなった。それでも父だけは乗り続けた。維持費に毎年30万円以上かけながらも、父は『べんつ』に乗り続けた。


 驚いたことに、『べんつ』はバッテリーをあげたりエンストしたりしながらも走り続けた。腐ってもベンツなのだなぁとしみじみ思った。いや腐ってはないか。古いだけか。失敬失敬。


 そんな『べんつ』だったがある日、とうとう手放さなければならない時がきた。帰国することになったのだ。


 どうせ誰も中古車として買わないだろうということで、どこかの工場に鉄の塊として売った。工場じゃなかったかもしれない。そこはあまり覚えていないし父にも聞いていない。大事なのはそれが200ドルで売れたということだ。僕らはその日うっきうきでハイランダーに乗って回転寿司を食べに行った。あっという間に200ドルはなくなった。アメリカの物価の高さを再認識して少しガッカリした。それでも寿司はたらふく食べた。


 帰り道、父が「もう一生分のベンツは堪能できたかな」と笑っていた。1ドル分でも1人の男の欲望を満たせるほどの魅力があるとは大した車である。いずれ完全体のベンツで僕の欲は満たしたいと思う。

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