◆十一:ちはやぶる…

第49話

沈みゆく陽が、食べかけの菓子を染め上げる。

祈祷所に他の人間の姿はなく、御簾の内で涙を落とす弘とその前で立ち尽くす升だけが、一枚の絵のようだった。



升「泣かないでください…」

弘「……やっと……」

升「え?」

弘「やっと、話しかけてくださいましたね」



ようやく始まった会話は、ひどくぎこちない滑り出しだった。



升「…あなたを傷つけたのは、私です。伊勢へ向かう前日…私は、一生この思いを封じ込めたまま生きていこうと…」

弘「いこうと…?」

升「そう、決めたはずなのに」



目の前に弘が出てきてしまえば、いとも簡単に動揺する心。

好きだ、その一言がずっと呪縛のように呼吸を苦しくさせ続けて。



升「…最初は、武士と神祇官という立場が問題でした。そして、あなたの若宮への想い。その次は、私自身があなたには相応しくないということ…」



理由は、次から次へと出てきた。

結ばれたいと願う気持ちをやすやすと越えて、升の存在は弘を苦しめてきた。少なくとも、升自身にはそう思えた。



弘「そう…なの?少なくとも、あなた自身が私に相応しくないとは思えないけれど」

升「…しかし…」

弘「身分差がと言うのなら、私がここを出ます。それでなくとも私は一度死んだとされた身…祈祷の出来る人間は他にもいますし、どうしても私が御所に残る必要は」

升「ならぬ!それはなりません!」



予期せぬ大声に、怯えた表情を見せる弘。

升は努めて穏やかな声を出す。



升「帝と皇后のためです。あなたは2人の傍にいて、心の支えとなって差し上げねば」

弘「では、私の支えは?」



その瞳が再び湿りを帯びる。



弘「以前からお聞きしたかったのですが…私は、あなたを頼ってはいけませんか?そして…あなたの支えにはなれませんか?」



見つめ合う2人。



弘「私は女性でも男性でもある。あなたの行くところ、どこにでもついていきます」

升「…弘、…姫…」



弘の手が、御簾にかかった。

その指先に触れたくて、同じように手をのばす。



升「弘!!」

弘「………っ」



舞い上がる御簾ごと、抱きしめた。

求め焦がれて病まなかったその身体に、やっと触れることが出来た。



升「申し訳ない。また泣かせてしまった…」

弘「…私を泣かせるのも笑わせるのも、一番はあなたです。私を幸せにも…不幸にもできるのは、あなただけだから」

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