第39話

海沿いの絶壁にたつ遊郭に1人の男が現れたのは、月が白々と消えかける時間のことだった。

汚れた装束、疲れ切った表情で、それでも客として彼女を指名したのは。



由『…升の君…!』

升「…由姫さま」



部屋で顔を合わせた瞬間、信じられないと言わんばかりに崩れ落ちる由姫。


…攫われてからこれまで、周囲の人間はまったく信用ならなかった。

何を見聞きしても、悲しみやつらい思いが増幅されるばかりで。


しかし今目の前に現れた友人は、それら全てを払拭するかのように、優しく笑いかけてくれる。



升「若宮さまの特命を受け、あなたをお助けに参りました。ともかくも、こうしてお会いできて良かった…」



安堵と懐かしさが、それまで溜め込んできた涙という形をとって、ひたすら溢れてきた。

あの直井邸襲撃から、まだそんなに長い日数が経っているわけではないのに。



升「若宮は、本当にお心を痛めておられます。しかしご身分柄、自ら先頭に立ってあなたを探しに出ることは出来ず…。それで私が、こうして代わりに」

由『…探し当てて、くださったですね』



その場に敷かれた布団や枕は、もはや遊郭としての意味を持ちはしない。

「失礼」と呟いて、倒れ込むように横になる升。


大枚を払ってこの日一日の自分を“買って”いるのだから、この部屋でどうしようと彼の自由ではあるのだが…よく見れば顔色がひどく悪い。

泣き顔のまま心配そうに、升のそばに寄る。



由『大丈夫?もしや昨日は眠っていらっしゃらないのでは…相当お疲れのご様子だもの』

升「…このような状況でまで、ご自身以外の人間を気遣ってくださるとは」



あなたの心根は、何も変わってはいない。

さすが、若宮が愛でられた唯一無二の御方だ。

升はそう言って笑った。



升「本当に、おつらい思いをなさったでしょう。体調は…ご病気やお怪我などは、されていませんか?」

由『え?…えぇ…身体は…』



それを聞いた瞳が、ほっとしたように閉じる。

やはり、かなりの疲労が蓄積しているのだろう。



升「…では、私が金を払った分の遊興時間が終わったら、ここを発ちましょうか。大丈夫、ご心配には及びません。遊郭の主人には何としてでも話をつけて、あなたを若宮のもとへお連れします」

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