九:瀬をはやみ…

第38話

升が早馬でよこした報告文を読んだ若宮は、ギリッと歯を合わせた。


「これでは…高橋を責めることは出来まい」


息詰まる感情を必死で抑えて、月を見上げる。


「由姫…!!」








―――伊勢、遊郭。


そこでは夜ごと高値で、大貴族の娘…由姫の取引が行われていた。


逃げようとすれば殴られ、余計に客を取らされる。

それを拒めば、間違いなく殺されるだろう。選択の余地はない。




「さーてと…、お姫さま?」


さやさやと響く、衣ずれの音。


「今宵もお美しい」


ほの暗い行燈の光に、由姫の白い肌が浮かび上がる。


『ぁ…』


完全に大人になりきってはいない、中性的で妖しい色香。


『っ…どうか、もう…』


金だけは持っている成り上がりの武士たちに弄ばれ、抱かれていく。生きるために。


『いや、いやぁ…!』


声を殺して、涙も殺して。

いっそ自分自身も殺してくれと願いながら。


『あぁっ…!』

「姫、由姫っ」


どうかその名を呼ばないでください。

このような身体になっては、もう若宮のお顔を思い出すことすら許されない…


『はぁ…ああ、もうお許しを…やっ、あ』







そして束の間訪れる、まどろみの時間。

包み込むように優しい声が、耳の奥で聞こえる。


“由姫”と呼ばれるのが好きだった。

けれど。もう叶わないとしても、私は…


『……っ……、あの御方にだけは…、封じ名をお教えしたかったのに…』


陽の光が後ろめたく感じられる、遊女特有の感覚。

寒々とした月明かりの下で、今宵もかすかに呟く。



『藤…』



―――若宮さま…

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