第9話
数日後。
由姫のもとへ一通の文が届いた。
なごりのアサガオが添えられ、丁寧に文箱へ収められたそれは、恋文に違いなく。
表書きに押されているのは、藤の花と皇室の文様を組み合わせた、独特の“皇太子印”。
使者は、升の君だった。
由『お使いご苦労さまです、升の君。…して、若宮さまは本心から私にこれを?』
升「それは…政略結婚であれば気が進まぬ、という意味でしょうか」
歯に衣着せぬ物言いをする武士に戸惑った由姫が、隣席へ視線を動かす。
そこには、祈祷のため屋敷を訪れていた弘姫の姿があった。
由『どうしたものかしら、弘…』
弘「そうねぇ。まぁ、政略結婚の要素が完全にないとは言えないにせよ、若宮さまもいい加減なお気持ちではないのでは?」
由『幼い頃からの情や縁という意味で?』
弘「それもそうだし、今のこの状況を考えてみても…ね。本気でいらっしゃるかと」
弘の言うことはもっともだった。
文の使者はもっと格下の召使いがするのが普通なのに、今回はわざわざ升の君に託されている。
しかもこの様子では、返事を受け取るまで帰るなと言われている可能性が高い。
弘「相変わらず、純情で一直線なのね。藤ったら…」
由『え?』
微笑む弘の横顔に、由はかすかな違和感を覚えた。
升も何か感じたように目を上げるが、すぐに「由姫さま、お返事を頂けませぬか」と職務に戻る。
―――升の退出と同時に、弘も「今日はこれで失礼」と帰っていった。
その夜、由姫の父・太政大臣は、女房たちから話を聞いて満足げにうなずいていた。
さもありなん、一人娘が皇太子妃候補となって喜ばない貴族はいない。
また、若宮の父である帝も「太政大臣の姫ならば何の問題もなかろう」と笑ったという。
こうして、世に認められた若い恋人同士の、晴れがましい交際が始まった。
―――夜毎、みすぼらしい車が神祇官家の裏口に現れるようになったのは、それとほぼ同時期のこと。
質素ななりで弘姫の部屋へしのんでゆく若者の袖からは、藤をあしらった独特の印が見え隠れしていた。
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