「長いお別れ」
安倍が『なにか』をぶつけた直後、鬼の身体の被弾箇所からシュウシュウと煙が立ち上り、鬼は痛みに耐えるためゴロゴロと床を転がった。刑事たちによる銃撃も、なにが起こっているのか理解できない小沼の制止で現在は止んでいる。今まで鬼に対しての有効打を確認できなかった小沼が急いで安倍の傍に近寄って訊いた。
「あれはいったい?」
「俺にもさっぱり。白峯教えてくれ」
インカム越しに白峯が大きな大きな溜息を吐く。
『いくら暗いとはいえ手元くらい確認すればいいだろう……あれは豆だ、うちの下にある喫茶店でもらった煎り豆があったろう、アレだ』
「マメぇっ? おまえがボリボリボリボリ食ってたやつか」
驚きのあまり、ひっくり返った声で安倍が叫んだ。隣にいた小沼もあんぐりと口を開けてパクパクとしている。
『なにを驚くことがある。古来より豆とは言い替えで魔を滅する、
「わーったわーった、おまえさんの蘊蓄は後で聞かせてくれ。この後どうすればいい」
安倍は塵にまみれた身体を動かして取り落としたデザートイーグルを手に取り、くたびれた肉体を奮い立たせて息を吐く。そして、鬼を真っすぐ見据えながら白峯に訊いた。
『豆をぶつけたことで一時的に鬼に備わった頑強な皮膚が弱っている。通常の射撃でも対応できる、始末はキチンとやるようにな。交信終了』
「えっ? おい、白峯っ。クソッ、みなさん射撃を再開してください。今なら拳銃でもいけるはずです」
安倍の言葉を受け、間髪入れずに滋丘が部下にインカムを通して指示する。
『了解。各員制圧射撃っ。SITは射撃の隙があれば援護を』
『了解』
滋丘の攻撃再開の合図を皮切りに大口径の拳銃による射撃が刑事たちの手によって開始された。拳銃から発射された弾丸は先程までとは違い、豆腐に包丁を入れるより簡単に鬼の皮や肉を抉り、削いでいく。
「効いてる」
「よしっ、このまま射殺します。安倍警部補は下がっていてください」
安倍が返事をする前に小沼が一歩前に出て安倍をかばいつつマガジンを撃ち尽くすように弾をバラまく。暗い廃ビルにマズルフラッシュの光が明滅し、なにも存在しない吹き抜けのフロアに音が響き渡る。数分してその銃声が止んだとき、安倍の光で眩んだ目の先には力が抜けて崩れ落ちた鬼の姿があるだけだった。
その姿を確認した公安刑事の一人がゆっくりと警戒して近づき、力なく握られた金砕棒を蹴り飛ばして鬼の顔面に銃を突き付けた。
『死んだか?』
「生きてます。しかし、虫の息です。まもなく死亡するかと思われます」
インカムマイクを通して死亡確認をする滋丘に鬼の息を確認した刑事が答えた。刑事の言葉に緊張が走っていた現場の空気が一気に緩む。そして、刑事たちが個別に声を出して後処理に移りだした。
各員が動き出した中、安倍は銃を下ろしてジッと鬼を見つめる。そんな彼の肩をポンっと小沼が叩いた。
「最後に、どうぞ」
あえて小沼はなにをとは告げずに、一言だけ呟いて安倍の傍から離れた。安倍は鬼、いや、マスターにポツポツと歩み寄る。
「なーんで……こんなことになっちまったんだろうなぁ……」
穴だらけになって床に転がり、既に助かる余地はないであろう程に致命傷を受けている鬼、ドミニクのマスターを見下ろして安倍は悲しげにつぶやいた。
安倍の言葉に反応するように、鬼がゴホゴホと口から血を吐き出して濁った瞳で安倍を見上げる。
「金……魚、割り……さん」
「なんだい」優しい声色で安倍が訊いた。
「うちの、店は……いい、店でした、か?」
浅く短い呼吸と共に消え入りそうな声でマスターが安倍に問う。安倍は泣きそうになりながらも、はっきりと心の内をきっちりと、後悔を残さないように、鬼の左手を握って一言。
「悪けりゃ通わないさ。いい店だったよ」目を合わせてそう伝えた。
マスターはその言葉を聞いて、一度深く深く息を吸って、ただ一言を絞りだす。
「ご来店、ありがとうございました」
その一言を安倍に告げて、マスターは目を伏せ、二度と開けることはなかった。
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