「待ち焦がれた再会」

 決戦の地は豊島区の外れにある廃ビルであった。当初の予定では公安の所有する地下核シェルターに引き込んで鬼と対峙する予定であったが、埋没による二次被害を回避するために人気のない廃ビルでの決着を責任者である滋丘が選んだのである。そして、決戦前の最後の打ち合わせを廃ビルの一階でおこなっていた。安倍と滋丘、白峯の元で待機している者を除く公安の刑事全員が作戦を口頭で確認し始める。

 時刻は午後六時、闇が支配する夜が訪れるまでもう少しだった。


「この廃ビルは七階建てで全てのフロアが壁なしの貫通状態になっています。さらに周囲には緊急用のエアマットを準備しています。いざとなったら飛び降りてください。小沼、爆薬は?」


 どこか死を覚悟をした表情の刑事たちを前に、滋丘が作戦内容を口にした。


「セット済みです。各窓を狙えるようにSITから人員も借りてきました、状況に応じてスナイプ可能です」


 小沼の返事に滋丘は軽く頷く。


「結構、では最終確認。鬼のターゲットである安倍警部補は廃ビル三階のフロア中心で迎撃の準備をお願いします。フォローの大杉班と北岡班は四階でいつでも突入可能な状態を維持して待機し、いざとなれば身体を張って止めること。それでも敵わないとなれば、ビルごと鬼を始末します。理解したら復唱っ」

『安倍警部補は死んでも守りますっ』


 公安の刑事は声を揃えて誓った。安倍はバツが悪そうにそれを見てボソリと呟く。


「あの……死なれたら夢見が悪いんでいい感じに生き残ってくださいよ?」

『頼もしい盾ばかりで結構じゃないか』同行しなかった白峯が事務所とつながっている無線から茶々をいれた。

「その悪辣なセリフ選びやめてくんない?」安倍が眉間を引きつらせながら苦情をいれた。


 待機すること一時間ほど。人目につかない場所にあるビルだからか、比較的早く安倍への来客は訪れた。安倍が耳につけたインカム越しに白峯がダウジングによるサーチで鬼到来を告げる。静まり返ったビルに、一歩ずつ一歩ずつズシンズシンという大きな足音が聞こえた。安倍はインカムのマイクに向かって一言「来ました」といって、三階フロアの中心で銃を片手にリラックスした状態で待ち受け、大丈夫、四階には刑事たちが詰めていると自分に言い聞かせて、開閉の度に錆びついた音が鳴るドアを見続けた。

 そして、ドアの前で足音が止まり、ゆっくりとドアが開いていく。開き切った先にいたのは緑色の皮膚をした身長二メートルほどの大男で、その両腕は筋肉がはちきれんばかりに肥大化している。なるほど、小突けば人なんて一撃だと、安倍は頭の冷静な部分で納得した。


「よっ、ドミニクのマスター。見ないうちにいい感じな決まってるパンクな格好しちゃって」


 安倍は恐怖を抑えて、明るく鬼へと声をかける。ドミニクのマスターである証拠など一つもないが、あえてそうやって語りかけた。


「金魚……さん」


 対する鬼も平然と安倍のあだ名を答える。意思疎通はできるのかと安倍は一縷の望みをもった。


「あ、普通にしゃべれんのね。じゃあさ、馴染みのよしみでお話に付き合ってくれや。ちょっとぐらい、いいだろ?」

「……いいですよ。少し、お話ししましょう」


 ドミニクのマスターは構えていた格好を自然体に戻し、安倍とは距離を取ったまま会話をすることに同意した。そのとんでもない状況に滋丘はインカムの先から絶叫する。


『なに考えているんですかっ、相手は化け物ですよっ』

「んなことないっすよ滋丘さん。相手は日本語が理解できて、会話に応じようとする理性がある。まずは話し合ってみないと見えてこないことってあると思うんです」

『しかし……』

「まぁまぁ、いいじゃないっすか。マスター、最初に聞きたいんですがね、なんで常連を手にかけたんです? バカの退魔師やっちまったんならとっとと北なり西なりにズラこけばいいだけだったでしょう」安倍は目をすっと細めて。「なんで、どうして、殺す必要があったんですか」と訊いた。


「なんで、でしょうね」


 自重するように鬼は沈痛な面持ちで答える。


「気づけば、モヒートさんを殺して、はらわたを食らってました。鬼のさがには逆らえなかった、ということにしておいてください」


 鬼の回答に安倍は泣きそうな表情をしながら、一歩踏み出そうとする自身の身体を抑えて距離を取ったまま告げる。


「……そうですね。マスター。今、降伏すれば悪いようにはしないと誓います。どうか、投降してください」


 安倍の懇願に鬼はニヤリと口角をあげて、不敵に笑う。


「んんっ……ふふふ……」


 鬼は答えを返さず、一瞬にして安倍に肉薄し右腕を彼の胴体めがけて薙いだ。安倍は急激な襲撃を間一髪、左に飛んで避けたことで全身が埃だらけになりながら鬼の攻撃を躱した。


「あっぶねぇっ」


 叫んだ安倍は転がって懐のデザートイーグルを抜き打ちする。片手撃ちをした影響で二発連続で撃った反動を殺せずに、安倍の手から銃は後方へ吹き飛んだ。放たれた弾丸は鬼の右腕と腹部に命中したが一切の傷もなく、再び安倍を仕留めようと彼へ突進した。


「おわぁああああっ」


 安倍はぐるりと横に回転し、鬼の振り下ろしてきた右腕を紙一重で回避した。命の危機に安倍は大声でインカムに向かって叫ぶ。


「へるぷっ、へるぷみーっ」

『突入っ』


 安倍の情けない声がインカムへと吸い込まれ、滋丘は即座に合図をかけた。唯一、無線を共有している白峯のみ安倍の痴態を聞いて笑っていた。

 四階で待機していた公安の刑事が滋丘の合図で三階に突入し全力で拳銃を鬼に対して発砲した。


「安倍警部補っ、御無事ですかっ」


 銃で牽制しつつ安倍の首根っこを掴んで鬼から距離を取らせた小沼が訊いた。


「三途の川で死んだ婆さんがダンスしてたっ」

「御無事ですね。おまえら、安倍警部補を守り切れぃっ」


 滋丘の部下で現場班を取りまとめる小沼が大声で指示を出し、それに呼応した公安刑事がさらに発砲した。大口径拳銃の起こす連発式花火のような乾いた音がパンパンと鳴り、鬼の身体へと着弾するが、それを意にも介さずジロリと公安の刑事を睨んでからビルの外壁に歩みよって、適当な部分に貫手を入れた。ボロりと崩れたコンクリート片たちが瞬く間に長い六角形の棒へと成形される。その棒の側面には三角錐が等間隔で生えており、鬼の膂力で振るわれたそれが掠りでもすればひとたまりもないことは見ればわかった。


「うわぁお、昔話でよく見たやつが鬼さんのお手々にできちゃったぞ白峯ぇっ」


 半泣きの安倍がインカム越しに白峯に怒鳴る。


金砕棒かなさいぼうだ。鬼といえば、だな』


 白峯は少し興奮した様子でいった。


「なにちょっと感動してんだオメーッ」


 安倍が口を尖らせ絶叫した。白峯は「はははっ」と笑って安倍に助言をする。


『そう叫ぶな。おまえのスーツに秘密兵器を入れておいた、役立てるといい』

「おまえ、そういう重要なことはさっさといえよっ」


 力任せに金砕棒を振るう鬼から離れ壁際に逃げ、壁に背を預けてスーツのポケットを安倍はまさぐる。そして、左のポケットを探したとき、カサリと感覚的に既製品の包装が指に触れた。それがなにかを確認せずに白峯に問いただす。


「あったぞ、これどうすりゃいいんだっ」

『鬼にぶつけろ。それで劇的に弱体化する』

「ああ、わかったよッ」


 安倍が器用に手触りでマジックカットの部分を探り、片手で個包装を破って左手に握り込んだ『なにか』をポケットから引きずり出す。

 そのなにかを安倍が力いっぱい鬼へと放り投げると、それは宙でばらけて散弾のように鬼の肉体へと命中した。すると、命中と同時に今までなにも有効打がなかった鬼が――


「あぎゃあああっ」


 絶叫をあげた。


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