元チームメイトと監督

 入学式から既に二週間程経過し、みんな高校の雰囲気にも慣れ、仮入部期間も終わって私たち三人は入部届を提出し、正式に女子サッカー部の一員となった。今日は授業のない土曜日であるが、全国大会出場を目指すサッカー部はめでたく一日中練習である。授業のない日の練習は午前練習と午後練習に分けられ、今回は午前練習は走るメニュー、午後練習は主にボールを使った練習らしい。そして今は地獄の午前練習の真っ最中であった。




「はい、ペース落ちてるよ。そんなんで相手のドリブルに対応できんの?」




 監督の厳しい激が飛ぶ。部員達は息を切らしながらダッシュを続けた。




(おかしい。私はいつから陸上部に入ったんだろうか)




 ホイッスルが吹かれ、もう何本目だか分からない三十メートルダッシュをしっかり腕を振り、顔を上げて走った。フォームが少し崩れると監督が目ざとく見つけるモンだから一瞬たりとも気が抜けない。これからジグザグダッシュや千メートル走もあると思うと気が滅入る。




 なんとか走り終えると、次の出走に備え、列に戻った。ふと隣を見ると、中学時代のチームメイトであり、年代別の代表でもある藤堂 恵が短く切り揃えた髪を揺らし、少し息を切らしていた。




(やっぱり藤堂さんでもこの走りの練習はこたえるんだなあ)




 すると、藤堂さんもこちらを向き、目が合った。私は慌てて手を挙げるが、藤堂さんはそれを返さず、すぐに目を背けてしまった。




(なんだよ、感じわる。やっぱりあの時のこと怒ってるのかな)




『私ベンチだったし。どうでもいいっていうか、みんなに勝ってほしくなかったっていうか』 


『ベンチなら、尚更悔しがらなきゃダメなんじゃないの?』




(いや、軽蔑されてるのかも)




 私は藤堂さんの中ではただの補欠プレイヤーで、レギュラーになる努力をせず、味方の負けを願うただの小物という位置づけなのかもしれない。




 笛が吹かれると、藤堂さんはすぐに走り出し、あっという間に私から離れていく。私も必死に腕を振り、全力で足を動かすが、距離は縮まりそうにない。




(クソ、いつもそうだ。どれだけ必死に頑張っても、足は速くならない。才能あるヤツには追いつけない)




 三十メートル走にも現状が現れている気がして、少し気分が沈んだ。








「はーい、じゃあ午前練習は終了です!一時間後に午後練習を始めるから、食欲なくても少しは何かお腹に入れること。今日面談の一年生は時間になったら部室に来るように。じゃあ、解散」




 ほとんどの部員が座り込む中、ようやく午前練習が終了した。青い顔をしてトイレに駆け込む人も居り、もはや地獄絵図である。




「あ、メイ、お、おつかれー」




 有希がぜえぜえと息をしながら話しかけてくる。彼女もサッカー部に入部し、初心者用の練習メニューに日々取り組んでいる。




「おつかれ~。今日の練習は元陸上部からしてもきつかったの?」


「うん、なんか中学時代思い出した。陸上部入ってて良かったって身にしみるよ。普段から走ってなかったらって思うとゾッとするわ」


「二人共、お疲れ様です。フィールドプレーヤーの練習はすごかったみたいですね」




 GK用の練習を終えたらしいココアちゃんがのそのそと近づいてきた。練習着が汚れきっており、他人事のように言いつつも、GKの練習も相当の物だったようだ。




「二人共、お弁当はどうしますか?私、お腹すいちゃいました」


「私はなんか食欲ないなあ」


「ちゃんと食べないと午後練習で力が出ませんよ」




 厳しい練習の後でもココアちゃんは食欲が旺盛のようだ。高身長の理由はこういう所にもあるのかもしれない。




「メイちゃんは、どうします?」


「あ、私は面談があるから、二人で食べてて」


「そっか、メイは今日だったっけ?じゃあ、また後でね」


「うん」




 そう、一年生は面談シートなるものを提出させられ、それを基にした監督との面談がある。面談シートには呼ばれたい名前などよく分からない項目もあったが、希望ポジションなど重要そうな項目もあった。個人としてこの一年間の方針を決める、大事な面談かもしれない。




(まだ時間にはちょっと早いかな)




 私は部室の前に用意されていた椅子に腰掛け、コンビニおにぎりを頬張る。考えてみれば、監督と一対一で話すのは初めてだ。基本的に大所帯となる強豪の運動部では、監督と一度もよく話すことなく三年間終わるということもあるらしい。それを考えれば二十人程いる一年生全員と話す機会を設ける藤堂監督はいい監督と言えるのかもしれない。




「失礼しました」




 そんなことを考えていると。後ろからドアが開く音が聞こえた。




「あ…………藤堂さん」




 出てきたのは相変わらず美人で強気な目をしている藤堂さんだった。あの一件があった後では正直目を合わせるのは気まずい。




「何?」




 心なしか機嫌が悪そうに返事をされてしまった。




「ああ、いや、えっと」


(どうしよう、あのこと謝った方がいいのかな?けどもう半年以上前の話だし、今更蒸し返すのも)


「何もないの?じゃあ私、行くね」




 そう言うと私に背を向けて歩き出した。私は何もなかったことに安心して一つ息を吐いた。




「そういえば、沢渡さん」


「は、はい!」




 不意に声をかけられてつい声が裏返ってしまった。




「なんで敬語?まあいいや、別に大したことじゃないんだけど、やっぱり沢渡さんってスタミナあるなって思って。今日だって全然息切れてなかったし」


「いや、練習外でも走ってはいるから、別に」


「そっか」


「うん」




 それっきりしばらく沈黙が続く。藤堂さんは何が言いたいのだろう。




「それだけ。じゃあ、面談頑張って」




 それだけ言って藤堂さんはグラウンドの方に戻っていく。




「あと、もう一個」




 私がひとつ息をついていると、藤堂さんは足を止め、後ろで手を組み、こちらには顔を向けずに話した。




と高校でも一緒になるなんて思わなかったな。最初に見た時は、すごく驚いた」




 まるで独り言を言っているかのように、彼女は上を向いて過去に思いを馳せるようにつぶやいた。




「私だって、そうだよ」


「……そうだったわね。じゃ、今度こそ、面談がんばって」




 そう言って今度こそ彼女は真っ直ぐな姿勢で気高く、そして凜として歩き出した。




は、何も変わらないんだね、あの頃と。うらやましいよ)


 









 




 気を取り直して息を一つ吐いて、ドアを二回叩いた。




「どうぞ」




 ドアを開けると、長い髪をゴムで纏めた藤堂監督が練習の時とは異なり、柔らかい笑みを浮かべ、ノートパソコンに手をかけて座っていた。




「沢渡 鳴さんね?」


「はい、沢渡です!これからよろしくお願いします!」


(ってやっべ、声裏返っちゃった)




 あの地獄のような走り込みをさせられた後ではやはり少し緊張をしてしまう。




「どうしたの?めっちゃ緊張してるじゃん。もしかして、私怖い?」


「あ、いえ、そういうことでは」


「ま、結構きつい練習やらせた後だし、そりゃ怖いか。けどこの面談はただ私が一年生と雑談したいってだけだから、そんなに構えなくていいよ」




 そうは言いながらも、監督は何やらキーボードを叩いている。ただの雑談と言いつつもそんなことをやっていては点数をつけられているような気がして余計緊張するのだが。




「えーと、呼ばれたい名前は、下の名前ってメイか。確かに沢渡って少し呼びにくいね。よし、じゃあ私もこれからはメイって呼ぶね」


「あ、はい、それで大丈夫です」




 オッケー、と言い、またキーボードを叩く。それに何を記録しているのか気になって仕方ない。




「入学して、二週間ぐらいか。高校生活はどう?サッカー部ではよく斉藤さんや大家さんと一緒に居るよね?」


「はい、えっと、二人とはクラスメートで、普段からよく話してて、友達ができるか不安だったので、安心してます」


「そっかー、それは良かった。三人が並んでると、身長のバランスがいいのかな?なんか三姉妹みたいで絵になるって思っててさ。それじゃあ次は…………」




 しばらくは、Bチームを指導している宮本コーチの話など、私の緊張をほぐすかのような、とりとめの無い質問が続いた。監督も私の辿々しい返しを時折あいづちを打ち、温かい目で聞いてくれた。私も面談の雰囲気に慣れ始めた頃、本題に入る。




「えーっとメイはキーパー以外だったらほとんどのポジションをやったことがあるんだね。中学校の時はどこをやってたの?」


「最初は、小学校の時にやってたFWをやりたいと思ってたんですけど、層が厚くてSHサイドハーフとかSBでした。中学二年の途中からは、身長も伸びてきて、CBがメインです」


「なるほど、色々やってたんだね。監督としてはそういう選手、使いやすくてありがたいよ。高校ではここをやりたいとかってある?」


「別に、特に希望は無いです。CBが多少やりやすいのかもしれないですけど、試合に出られるなら、監督が言ってくれた所で、勝負したいです」




 そこまでいうと、監督のキーボードを叩く手が急に止まり、端正な顔を上げてこちらをしっかり見る。何か自分が見透かされているようで居心地が悪い。




(どうしよう、何か変なこと言ったのかな?)




「メイはさ、自分の武器はこれだ、っていうの、言える?」




 私はそこで返答に詰まってしまった。痛い所を突かれてしまったようで、手から汗がにじむ。




「私に武器と言えるような物は無いです。中学の時はいっつも誰かの代役か守備固めでの出場で、レギュラーじゃなくて…………」






 そう言うと、藤堂監督は私を安心させるように笑いかけてくれた。




「そっか、安心して。今無いからダメとか、そういうことじゃないよ。ただ、どのポジションをやってもらうか決める時にそういうのがあったら少し楽ってだけ。けどね…………」




 監督がどこか遠い目をして続ける。




「やっぱり自分で自分の武器を分かってる選手っていいプレーするよね。試合中も堂々としてるし、自信を持ってプレーしてる。メイもそういう選手、知ってるでしょ?」




 そう言われて、私の頭に即座にお姉ちゃんの姿が浮かんだ。私が初めてサッカーを見に行った時、お姉ちゃんの自分を見せつけるかのような凜とした佇まいで観客を魅了する姿に憧れ、私もそうなりたいと思った。




「私も自分の武器、作りたいです。今の私、サッカー選手として中途半端なんです」


「うん、それを手助けするのが私の仕事だよ。メイが一生懸命練習に取り組んでるのは見てるし、コーチ達も褒めてるよ。高校生なんていくらでも伸びるんだから、これから頑張っていきましょう」


「はい!」


「うん、いい返事だ。よーし、これで聞きたいことは一通り終わったかな。それじゃ、これで面談は終了です。午後練習も張り切っていきましょう」


「はい、ありがとうございました」




 私は席を立ち、一礼をして部室から出た。最後まで監督は練習の時とは違う優しい笑顔を浮かべたままだった。




(私、どう思われたんだろ)




 悪い印象を持たれた、ということはないと思うが、監督の一瞬見せた私を見通すような目が頭に残る。




(そういえば、監督はお兄さんが日本代表なんだよなあ)




 私と境遇が似ている監督に少し親近感を覚えつつ、グラウンドに戻った。

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