閑話 私の親友

 大人しい、私が守ってあげなくちゃ。当時の私が今の親友に対して抱いていた感情はそんな感じだったか。家が隣同士で、物心ついた時から一緒に居たから、いつも一緒に遊んで、よく喧嘩もする、というもう友達というよりも、ごく普通の仲の良い姉妹のような関係だったように思う。引っ込み思案でみんなの輪に入れてもらうのが苦手な彼女の手を引いて輪に入れたり、男子にいじめられて泣いていた彼女を励まし、代わりに仕返しをしてやったりもしていたが、自分がいじめられたにも関わらず、私が仕返しをすることには怒ってくるような真面目で優しい子だった。


 そして、何よりもニコニコと笑って後を付いてくるその笑顔が大好きだった。




「ひなたちゃん、わたし、四年生になったらサッカーをやるの」


「お姉ちゃんがゴールを決めるとね、今まで静かだったスタジアムがぶわーって盛り上がってみんながお姉ちゃんの名前を呼んでね……………………」




 彼女はいかに自分の姉がかっこよかったかをえらく興奮して話していた。メイがそんな風に何かに興味を示すのは初めてで、今考えてみればひどく子供じみているのだが、いつも私に向けられていた笑顔がサッカーに取られてしまったようで、余り気分は良くなかった。


 気づけば私もつられるように同じサッカーチームでサッカーを始めていた。


 同じことをやれば、いつものように仲良く過ごせると思っていた。けど、ことサッカーに関してはメイは妙に頑固で、昔のようにはいかなくなった。


 私はある程度サッカーの才能はあったらしく、上達も早かったのだが、当時のメイはお世辞にも運動神経は良い方では無く、当然サッカーの基礎的な技術でさえ、身につけるのに苦労していた。それでもへこたれずに努力をする幼なじみの姿は私にとって喜ばしいはずなのだが…………




「今日はもう無理だよ。帰ろう?」


「無理じゃない!私はお姉ちゃんみたいなサッカー選手になるんだから!このぐらいで諦めたらダメなの」




 メイが私に反論するのなんて初めてだったからだろうか、それとも私じゃなくてサッカーのことばかり考えるメイに腹が立ったのか、なんだか少しムッとして私はこんなことを言ってしまった。




「響お姉さんみたいになるってホントに言ってるの?昔から鈍くさいメイが?馬鹿じゃないの?」




 そうしたらメイは私に掴みかかってきて、私もそれに応戦してしまい、取っ組み合いの大喧嘩になってしまった。最終的には二人とも大泣きで大変だった。いや、大変だったのはそれを仲裁した私達のお母さんか。


 


 喧嘩をすることは珍しくないことではあったが、あそこまでお互いにマイナスの感情をぶつけ合ったことは初めてで、それからは少し顔を合わせづらくなり、ご近所付き合い以上の会話をすることがなくなってしまったが、小学校五年生の時には一緒に試合に出るようになり、また話ができるようになった。と言っても、昔のように仲良く話していたわけではなく、喧嘩をしてばかりだったのだが。




「なんであそこで出さなかったの?私が声出したの聞こえてたでしょ!」


「DFが居たし、あそこでボール奪われたらピンチになるから出せない物は出せないの!」




 さっき言ったように、メイはサッカーに関しては頑固で、更にメイはFWであり、私はパスを出す立場だったことから、こんな言い争いが数多くあった。しかし、前みたいに大きな喧嘩になる前にうまく判決を出してくれる仲裁人がこの時には居た。




「お姉ちゃん、どっちが正しいと思う?」


「うーん、今回に関しては正直どっちの言うことも分かるかなー。日向ちゃんの言うカウンターのリスクは確かに見逃せないし、ビデオを見る限り、FWとしてはこのタイミングでほしいのも確かだから」




 サッカー選手であり、もう常に試合に出ていた響さんの言葉はとても説得力があったため、私達も意地になることもなく、すぐに仲直りをすることができた。


 それを繰り返す内に私達のコンビネーションも良くなり、私のアシストでメイが点を取ることも増えてきた。




「日向、ナイスパス!ありがとう!」




 私のアシストでゴールを決めると決まってメイはすぐに私に駆け寄ってきて満面の笑顔で抱きついてきた。この瞬間は私にとっては一番幸せな瞬間だった。




(ああ、昔からこの笑顔が好きだったなあ)




 そんなことを考えながら私は幸せを噛みしめていた。


 






「もう結構昔なんだけど、あの時は、ごめん」


「あの時って?」




 昔のようにわだかまりなく話せるようになった後、改めてその時のことを謝ろうとした。




「私が、メイに響さんのようなサッカー選手になるのは無理だって言っちゃって」


「ああ、あのこと?あんな喧嘩したの初めてだったよね。あの後お母さんにも怒られて大変だったなあ」




 彼女は私が切り出そうとするとすぐに笑ってごまかそうとした。このまま笑い話にしてしまえば明るく当時私達の間に微妙にあったわだかまりも無くなるだろう。しかし、親友に向かってあんなに酷いことを言ったのに、その親友に甘えてこの話を終わらせてはいけないと私は思った。




「そうじゃなくて、ちゃんと謝りたいの。私、酷いこと言っちゃって。私が一番応援しなくちゃいけないはずなのに」




 そこまで言うと、メイは口を挟まずに静かに聞いてくれた。




「ずっと後悔してた。メイと話せなくなって。話せるようになってもなんか上手くいかなくなって喧嘩ばっかりで。あんなこと言うつもりじゃなかったの。なんかさ、メイがサッカーに取られたみたいで、ホント子供っぽいんだけど、それがイヤで、気づいたらあんなこと言っちゃった。ホントに、ごめん!」




 私が頭を下げていると、背中に手を回され、後頭部を撫でられた。




「先に手を出したのは私だし、私の方こそ、ごめん。なんかさ、日向は私のこと、ずっと応援してくれると思ってた。だから、あんな風に言われてショックで、腹が立って、気づいたらあんなことしちゃった。けど、日向がそう言うのも当然だったんだと思う。だって私、ホントに下手だから。だからさ、これから見ててよ。もっと練習してお姉ちゃんのようになりたいって言われても、誰にも笑われないぐらいの選手になるから。今も朝六時にはランニングやってるし、家に帰っても練習とかしてるんだよ?」




 メイはずっと変わってなかった。いじめられてもその子のことを嫌わず、仕返しをすることを望まないように、私にあんなことを言われても、そう言われて当然だと言った。幼なじみの昔と変わらない人柄に、私は安堵したのを覚えている。何よりも、私はサッカーのことを語っている時のメイの笑顔が一番好きになっていた。


 




 


 




 サッカーに対してストイックだったメイは、他の人にも好印象を与えていたようで、六年生になるとなんとキャプテンを任されるようになった。私は副キャプテンとしてキャプテンの重圧を感じるメイをいつも励ましていた。


 その頃には私とメイのコンビネーションは更に高まっており、私達のホットラインは地域の中でもそこそこ有名だったようで、大会でも好成績を残すようになった。特に最後の大会は数々の強豪チームを倒しての都大会ベスト八であり、私もメイにたくさんのアシストを決めた。


 この頃のサッカーをしている時のメイは本当に感情豊かで、ゴールを決めた時は本当に嬉しそうに笑って、外した時は本当に悔しがって、負けた時はワンワン泣いて、勝った時は跳び上がって全身で喜びを表現していた。私はそんなメイを見るのが本当に好きだった。




 中学校に入ると、私達は中学のサッカー部に入らず、都内でも屈指の強豪クラブに入った。私はドリブルの上手さを評価されて、サイドハーフを任されるようになり、下級生の頃からそこそこ試合に出ていたが、メイの方はサイドハーフやサイドバックなど、ポジションを固定されず、色々な所を試されていた。しかし、どこをやらされても監督やコーチ陣を納得させることはできなかったようで、公式戦に出ることはほとんど無かった。


 思えばメイが楽しそうにサッカーをしなくなり、夢のことを言わなくなったのはその頃からだったように思う。いつも誰よりも早くグラウンドに来て練習後には険しい顔でコーチや監督にアドバイスを求め、私に一対一を頼みに来るその姿は一見好ましく映るのだが、私にとっては少し痛々しく見えた。だって私はどれだけメイが響さんのようなFWに憧れていたか知ってたから。


 今思えば私が力強くメイを励ましていたらと思うのだが、私も強豪チーム特有の厳しい練習やポジション争いで精一杯で自分のことばかりになっており、メイと腰を据えて話すこともあまり多く無かった。




 中学校三年生になったメイは見上げなければいけないほど身長が伸びたが、私が十番でチームの中心の一人を任される中、もう春にはCBの控えというポジションに固定されていた。この頃には物憂げな表情も少なくなり、ベンチから声を張り上げてチームを盛り上げ、小学校の時にキャプテンをしていた経験を生かして不満のたまりがちな控えメンバーを纏めるようになっていた。


 試合がどのような結果でも笑ってみんなを労い、笑顔は増えたが、試合に勝って喜ぶことも、負けて悔しがることもなくなった。しかもその笑顔も私にとってはどこか投げやりな笑顔のように感じた。




「メイ、約束する。私が絶対全国に連れて行くからね!」


 なんとか喜んでほしくてこんなことも言ったりした。しかし、私が結構な覚悟をこめて言ったにもかかわらず、メイはしばらく困ったような顔をして、その後頭をわしゃわしゃと撫でてくるだけだった。最後の試合の後もみんなが泣き崩れる中、一人笑顔でみんなに声をかけるのは変わらなかった。その後、メイは練習に来ることがなくなった。




 メッセージは中々返ってこないし、朝は早く学校に行くし、放課後に一緒に帰ろうと誘っても塾の自習室に行くと言って断られ、なんだか避けられているようだった。このまま行くとサッカーをやめてしまうのではないかと怖くなった。メイのお母さんに様子を確認すると、日課にしていた早朝のランニングや今もサッカーの練習をまだ続けていることが分かり、ある朝ランニングに出かけるメイを待ち伏せ、自分の思いをぶつけようと考えた。




 メイが私に嫉妬のような黒い感情を持っていたことは私にとっては衝撃的でショッキングで、それに加えて親友があそこまで苦しんでいたことに気づけなかった自分に腹が立って仕方なかった。親友をあそこまで追い詰めたのは自分だ。そう思うと自分が情けなくなって自然と涙が出てきた。




 それからはどのように話したらいいのかが分からず、私はメイに話しかけられなくなった。私はサッカー部員は全員寮に入らなければいけない高校に入る。このままお隣さんという縁も切れて一生話せなくなってしまうのではないかと憂鬱になったが、大晦日の夜、今から会えないかというメッセージが届いた。私はしばらく迷ったがあれが最後になるのがイヤで、返事をするとそのまま家を飛び出した。




 公園に着くと、メイはもうベンチに座っていた。意を決して公園まで出たが、何を話したらいいかまったく分からず、メイもそうだったのかお互いしばらく目を合わせることもできなかった。しかし、やがてメイはポツポツと三年間の苦しみをゆっくりと話してくれた。それを聞いてより一層メイのことを愛おしく感じた。控えの選手がスタメンの選手のことを妬むのは不思議ではない。ましてやそれが幼なじみで親友という関係であればそれは当然だ。私も逆の立場であれば、我慢するまでもなくメイに当たり散らしていたことだろう。しかし、メイはそんな自分を涙ながら情けない、イヤだと言った。そして私はゆっくりとメイを抱きしめ、どれだけ自分にとって親友であるメイが支えであったか、自分が親友をどういう選手だと思っているかを語った。メイは泣きながらも静かに話を聞いてくれた。




 




「私は行かなくていいって言ってるじゃん」


「だーめ、受験終わったんでしょ?」


「まだ第一志望の合否によっては分かんないよ」


「滑り止めは確実って言ってたじゃん。ちょっとぐらい良いじゃない。みんなメイに会いたがってるんだから」


「そうかなあ。言ってるだけだよ」




 三月、渋るメイを半ば強引にチームの練習に連れて行った。メイは自己評価がやたらと低いが、控えながらも誰よりも努力し、チームを纏めた選手にみんなが会いたくない訳がなかった。それに、試合に出る力が無かった訳ではない。事実、メイが他の選手の代役として出ていた試合では、他の選手と遜色ない働きを見せ、しかもチームとしてはメイが居た方が引き締まっていたように思える。




「みんなー、メイが来たよ!」


「え、えっと久しぶり」




 メイが遠慮がちに手を挙げて話した。




「あ、メイ来たの?まじ久しぶりじゃん。今まで何してたの?」


「なんで今まで来なかったの?」


「ああ、いや、受験が」


「沢渡さん、お久しぶりです!」




 質問に答えようとするがすぐに後輩達に遮られる。




「あー、久しぶり。ってちょっと待ってみんな」




 すぐにみんなに囲まれたメイが助けを求めるように私を見た。


 


(ふーんだ、今まで一回も顔を見せなかったのが悪いんだから。罰としてしばらく助けてあげない)




 そんな思いをこめてあっかんべーをするとその顔が絶望に染まった。ふん、いい気味だ。




「さわちゃんさ~ん、お久しぶりでーす」


「ぐえっ」




 メイが一番仲の良かった後輩に飛びつかれた。彼女は非常に個性的で扱いの難しい後輩だったのだが、最後はメイの言うことだけは素直に聞いていた。




「さわちゃんさん、なんで今まで練習に来なかったんですか!なんでメッセージ無視するんですか!あと高校どこに行くんですか!全部答えるまで絶対に離しませんよ!」


「分かった、全部話すからちょっと離れて」


 


(ほら、だから言ったじゃない。メイはもうみんなに元気を与える選手だって)




 プレーではなく人柄を慕っている人がこんなに居る。みんながメイのことを認めている証だ。




(どうか、この後の舞台でこんなに素晴らしい選手を輝かせてくれる人達が居ますように…………)




 未だにみんなに質問攻めに遭い、困った顔をしている親友を見て私は神様だか仏様だかに願い事をした。

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