古塔の魔法士の弟子

詠月 紫彩

古塔の魔法士の弟子

 身きれいな服。

 美味しい食事。

 安心できる家。

 憧れの、生活。

 貧しくて、着替えることもできなければ、美味しい食事にありつくのも難しく、いつ崩れ落ちるか分からない家に住んでいた。

 名前すらなかった過去の私へ。

 古い塔だけど、そこで暮らしている今の私は、とても幸せだから安心してね。


「エリー! 魔法の修行を早く始めるわよ!」

「エリー! 魔法よりも先に飯だ! 飯!」


 私の魔法の師匠であるリタ師匠とこの塔の料理番をしているシンさんの声が、今日も同時にパイプを通って私の部屋に響いた。

 二人に拾われて半年。

 まだまだ慣れないことばかりだけど。


「はーい! 先にご飯食べてから魔法の修行を始めます!」


 そう私が答えたらまた二人がパイプ越しに言い合いを始めた。


「先に言ったのは私よ!? ここの塔の主は私なんだから!」

「関係ねぇよ! 飯が先だ! テメーとっとと降りてきて食っちまえ!」

「今日の朝ごはんは何よ! 私は今日はご飯とお味噌汁、出汁巻き卵に焼き魚、お漬物じゃないと嫌よ!?」

「我儘言いやがって! 用意してらぁ!」


 一瞬、声が途切れた。

 リタ師匠がダイニングに移動したみたい。

 直後にまたリタ師匠とシンさんの声が聞こえた。


「とっとと食え! 魔力の補充してからやりやがれ! この魔法狂いが!」

「喜んで食べてあげるわよ! この料理狂い! ……今日も美味しいわね!!」


 これも毎日のこと。

 やっと慣れた。

 リタ師匠のご飯の好みに合わせて何でも用意してるシンさんはすごい人。

 着替え終わった私は部屋を出てすぐにダイニングに移動する。

 五階建ての古い塔。

 一番上の五階はリタ師匠のフロア。

 すぐ下の四階はシンさんのフロアでキッチンとダイニングもここにある。

 三階のフロアは私の部屋と書庫とリビング。

 二階はたまに来るお客さんのためのフロア。

 一階がエントランスになっている。

 私はすぐに四階のダイニングに向かった。

 リタ師匠はすでに食べ始めていた。


「エリー、おっそーい! 早く食べなさいな」

「エリー、ゆっくり食べろよ。早食いはデブの元だからな」

「何ですってぇー!? 太ってないわよ!? いつもの素敵なプロポーションでしょうが!」


 顔を合わせても合わせなくても、リタ師匠とシンさんは言い合いをしてる。

 でも二人が楽しそうだから良いかなってやっと思うようになった。

 言いたいことを言える人がいるって、いいなぁ……。


「ほら、エリー。うるさいババアは「誰がババアよ!」放っておいて。ハチミツ塗ったトーストに、カリカリに焼いたベーコン、ケチャップ付きのスクランブルエッグにサラダ、温かいオニオンスープだ。ゆっくり味わって食べろよ」


 料理に関して、シンさんは本当にすごい。

 今日も朝から贅沢だ。

 そんなシンさんは朝から大盛りの牛丼を食べている。


「朝から牛丼とか美味しそうね!? 少し寄越しなさいよ」

「テメーは和食が良いって言い出すと思ってたから用意してやってたんだよ! やらねーよ!」

「じゃあお昼は丼ね。トロトロつゆだくだくの親子丼にして」

「テメーのそれは、もはや丼じゃねぇ。雑炊だ」


 私もリタ師匠に同意見。


「あの……。リタ師匠に同意見、です」

「ほらみなさい! トロトロつゆだくだくの親子丼は至高よ!」

「作りもしねー奴が語るんじゃねぇ! あ、エリーは良いからな」


 知らない食べ物、知らない知識……。

 多分、この世界のどこにもリタ師匠とシンさんみたいにたくさんの知識を持った人はいないと思う。

 きっとどこの国の人も。

 前の生活と今の生活、天と地ほど違うどころか、天も地もひっくり返ってまったく違う場所に来たみたい。

 私はこの国の貧民街で育った。

 母親は幼い頃に出て行ってしまって帰って来なかった。

 父親はずっとお酒を飲んで、まともな服もなく、まともな食事にもありつけず、いつ壊れてもおかしくない家に住んでいた。

 幼い弟がいたけれどある寒い日に死んでしまった。

 父親もお酒の飲み過ぎでケンカをした上に流行病にかかってしまった。

 次は私の番だ。

 そう思ったある日のこと、穴の開いた天井を明るい星が二つ流れて行った。

 それから何日も経ってから、貧民街にタダでご飯を配りに来た人がいるって聞いた。

 正直、何も食べていなかった私はフラフラとおぼつかない足で皆が走っていく方向についていった。

 本当にご飯が貰えるのだろうか。

 貧民街には私が知っている以上に人がいる。

 私がその場所についた時にはもうすでにたくさんの人が並んでいた。

 良い匂いがする。

 本当に食べられるのかな……。

 たくさんの大人達がいて私を含めた小さな子供達は指を銜えていて、中には大人達の間をすり抜けようとしている子もいるけれど大人達に蹴りつけられたり、殴られたりしてる子もいる。

 指をくわえて諦めるしかないのかな。

 今日食べられなかったら私はもう終わり。

 でも体がもう限界。

 そう思っていると女の人―――私の師匠となるリタ師匠―――が子供にも配ってくれた。

 ……美味しい!

 私が夢中で食べていると女の人は不意に声をかけてきた。


「私の弟子になりなさい」


 貧民は基本的に魔力を持たない。

 魔法が使えるのは裕福な人、貴族と呼ばれる人、国の偉い人達だけ。

 私は偶然、魔力があったから声をかけたんだってリタ師匠は後で言っていた。

 このひもじくて、貧乏で、誰もいない独りぼっちの生活から抜け出せるのなら。

 私は頷いた。

 ご飯を食べ終えて、貧民街の人達が満足して散っていく中、リタ師匠とシンさんは手を差し伸べてくれた。

 塔に到着すると、まずはリタ師匠が魔法で綺麗にしてくれて、すぐにお風呂って呼ばれているお湯がたくさん入った大きな桶に入れさせられた。

 リタ師匠が全部洗ってくれた。

 髪も綺麗に整えてくれて、良い匂いがする油のようなものを塗ってくれた。

 新しい服をもらって、シンさんが穀物の入ったスープを作ってくれて、部屋を与えられて、生まれて初めて何かに怯えることもなくゆっくりと眠った。

 起きたら醒める夢?

 違う、夢じゃなかった。

 しばらく経ってから魔法の使い方をリタ師匠から教わった。

 文字の読み書きも教わってる。

 少しずつできるようになったけれど、今も全然、できていない。

 あれから半年。

 できないことに師匠は怒らない。

 この間も


「魔法は自由! 固定観念なんていらないの。出来るか出来ないか、じゃない。出来るの。魔法があれば何だって。だって自由なんだから。たくさん考えて、たくさん想像して、たくさん実現する。ただこれだけ。これがすごく大変なんだけど、出来たらすごく楽しくて、とても嬉しいことでしょ?」


 とか


「出来ないって諦めて放り投げるのは簡単。やめちゃえばいいんだもの。でもね、出来ないことも楽しめば良いのよ。続けていればいつか出来るようになるもの。いつか意味のあるものに変わるから。意味があるかないかなんて今考えることじゃないわ」


 とか


「いつか出来るわ。それは明日かもしれないし、しわくちゃの年寄りになってからかもしれない。後悔して嘆くぐらいなら今やりたからやる。それだけよ。どうやってやっているかって方法を聞くんじゃなくて、やりたいことをいかにしてやるか、が重要なのよ。自分の心次第よ」


 って言ってくれた。

 リタ師匠はすごく前向きで、太陽みたいな人。

 でもそれはシンさんも一緒。

 リタ師匠と言い合いばかりしてるけれど、同じようなことを言っている。


「料理は自由だ! 食材、調味料、調理の仕方で変わる。毎回毎回、まったく同じようにゃ出来ねー。だから面白い。もっともっと作りたくなる。食ってもらいたくなる。笑顔になってもらいたくなる。それが料理だ」


 とか


「出来ねーことを言い訳に放り投げちまったらそこで終わりだろ? やってから考えりゃいい。出来なかったなら何で出来なかったか考えるだけだ。そしたら、次はどうしたら出来るか考えりゃいい。成功したって失敗したって、やったって事実を誇れ。やる前から意味とか理由とか考えてたら何も出来ねーだろ」


 とか


「いつか出来るって信じてりゃ、いつか出来るんだよ。焦るこたぁねぇ。自分は出来るって信じりゃいい。信じれない時は相談しろ。アレでも、オレでもな。どうやってやってるか、じゃねぇ。いかにしてやるか、だ。やりたいことはやったもん勝ちだからな。自分の心一つだ」


 って言ってくれた。

 シンさんもすごい人。

 きっとリタ師匠と考え方が似てるんだろうな。

 だから言い合いをするのかも。

 この半年のこととかを思い返していると、朝ごはんを食べ終わったリタ師匠が立ち上がった。

 私は―――あ、あともう少し……うん、食べ終わった。

 今日も美味しかった。


「さ! 今日も魔法の練習よー!」

「最低限食ったも下げろ! 上げ膳据え膳か!」

「魔法で綺麗にするから良いでしょー! ほら!」

「エリー、皿洗っちまうからな。昼も期待しとけ」

「ちょっとー! 感謝しないさいよ! 綺麗じゃない! 洗う必要ないじゃない!」

「うるせー! 気分だ気分! 洗い物までしねーとやった気になんねーんだよ! ありがとよ!」

「全然感謝してないじゃない!」


 二人のやり取りはいつもテンポが良くて面白い。

 ソル・ティエラ王国、東の果て。

 山と森と川に囲まれた崖の上、海のそばにある古い、古い塔に私はリタ師匠とシンさんと三人で暮らしてる。

 リタ師匠に名前を貰った私エリーことエリアナは、今日もこの塔でシンさんの美味しいご飯を食べて、リタ師匠から難しい魔法を習ってる魔法士の弟子。

 リタ師匠とシンさんが言う通り。

 明日できるかもしれないし、もっともっと先かもしれない。

 いつかきっと、リタ師匠のような凄い魔法士になって、シンさんみたいに料理も作れる人になりたいな。

 それが今の私の夢。


「エリー! 行くわよ!」

「はい! リタ師匠! シンさん、ごちそうさまでした」

「おー。てか塔の破壊だけはやめろよ!?」


 今日もこの塔には私達の声が響く。

 明日もこの先も、ずっとずっと、良い日でありますように。

 私は今日もリタ師匠とシンさん、創世神ソル・セナイダに感謝して一日いちにちを大切に過ごします!




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古塔の魔法士の弟子 詠月 紫彩 @EigetsuS09

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