第2話 よくあるスタート


 べつに星座に詳しいわけではない。

 けれども、北斗七星くらいは判る。そもそもこれは、あきらかに日本から見える星空ではないだろう。


 ただならぬ茜と田島の様子に気づいたのか、作業員たちに動揺が広がっていく。

 ざわざわと。


 まずい、と、茜は右手で口を押さえて叫びが出るのを防いだ。

 パニックを起こしてはいけない。


 状況がまったく判らないが、ここで短兵急な行動を起こすのが一番まずいのだ。


「ぶっちょ。ちょっといい?」

「へい」


 短く応え、施工部長の佐伯シンが駆け寄ってくる。

 元あしょろ組若頭で、茜にとっては兄に等しい存在だ。


 浅学な身の上ではあったが、組を解散してカタギになろうという茜と先代の理想に古くから共感し、一念発起して夜間高校を卒業したという経歴の持ち主である。


 昔気質で一本気、面倒見が良くて上にもきっちり筋を通す。

 そんな性格だから下の者からの信頼も厚い。

 田島が茜の左腕なら、佐伯は右腕といったところだろう。


 あるいは飛車と角行か。


「状況はさっぱりわかんないんだけど、みんなを落ち着かせて」

「わかりやした」


 こくりと頷く。

 理由を訊ねたりしないのは、もちろん茜に対する信頼もあるが、彼自身がこの状況に困惑しているからだ。


 バラバラに動くのはまずい。

 まずは茜をトップとして、ひとつの意思で動かなくては。


 駆け足で作業員たちの元へと向かった佐伯が、一人一人の肩を叩いて落ち着かせている。

 その様子を視界の隅で捉えながら、茜は田島に向き直った。


「どう思う? じょーむ」

「なんとも奇怪な状況ですね。知らない世界にきたとしか思えない」


 両手を広げてみせる。

 荒唐無稽な、と、自分でも思わなくもないが、それ以外に説明のしようがないのだ。


 知らない星空といい、いつのまにかアスファルトから草地に変わってしまった地面といい。


「全員が眠らされてどこかに連れてこられた、という可能性もありますが、ユニックやローラーも一緒にってのが意味不明ですしね」

「神隠しってやつかしらね」


「似たような状況の映画ならありますよ。『戦国自衛隊』っていうんですけどね」

「それ最後みんな死んじゃうやつじゃん。若い頃の薬師丸やくしまるひろ子が出てるんだよね。ちょこっとだけ」


 二十五歳の茜はもちろん、四十八歳の田島も微妙に世代ではないのだが、とにかく有名な作品だから。


「そりゃまあ、戦ったら負けますよ。いくら最新装備があったって、数が違いますからね」


 ついでに、彼らは戦闘集団ではない。

 ただの土木建築会社である。

 まあ、田島以外の前歴はヤクザではあるけれども。


 この人はもともと普通のサラリーマンで、一級建築士だ。

 茜が専門学校時代にアルバイトしていた建築会社の上司だったのだが、人柄と能力に惚れ込んだ彼女が、手練手管の限りを尽くしてあしょろ組土木に引き入れたのである。


 接待カラオケに接待飲み会だけではない。田島に話を合わせるため、茜まで映画やアニメ、ゲームなどに精通したくらいだ。

 そうまでして求められれば田島だって悪い気はいない。


 中堅の建築会社での約束された出世コースを捨て、茜と杯を交わしてあしょろ組の一員となった……ではなく、あしょろ組土木に入社したのである。


「つまりじょーむは、戦うなっていうのね」

「基本的には、ですね」


 事態はどう転ぶか判らない。

 いきなり問答無用で襲われるかもしれないのだ。


 武器を持って襲いかかってくる相手に、フレンドリーな笑顔を浮かべて右手を差し出したって、普通に殺されてしまうだけだろう。


「そもそも人がいるかどうかも判りませんし。もしかしたらサルが支配してるかも」

「『猿の惑星』は地球だったじゃん」


 これもまた有名な映画である。


「ま、どっちにしても文明っぽいものはありそうね」


 薄く笑った茜が星明かりに照らされた地面を指さす。

 田島はメガネを直して目を細める。五十が近づいて夜目が利かなくなってきているのだ。あとけっこう老眼も進んできた。

 つらい。


「はいはい。おじいちゃん。あかりだよ」


 スマートフォンのライトで闇を照らす茜。

 その際、やはり圏外表示になっていることを確認する。


「なるほど。こいつはちゃんとした道ですな。あと、俺はまた四十七ですから」

「せこく一歳さばよまない。ちなみに私が生まれたのって祖父さんが四十五のときだったらしいよ」


「どうせ俺は孫どころか嫁すらいませんよ」

「中身は、こんなに良い男なのにねぇ」

「中身って何ですか。中身って」


 きゃいきゃいと騒ぎながら検証すれば、間違いなく人工的に造られた道だ。

 踏み固められたというものに近いが、一応はちゃんと整地っぽいものもしている感じである。


 少なくとも獣道の類ではない。

 しかも、何年も放置されたものではなく、頻繁に使われている形跡があった。

 茜の言うように、文明があると考えて間違いないだろう。


「お嬢、常務、社員どもを落ち着かせてきやした。点呼もとって、十三人、全員揃ってます」

「ただ、測量機のGPSがバカになってる。どうなってるんだろうね。姐さん」


 戻ってきた佐伯と一緒にいるのは明城みょうじょうアキラ。

 あしょろ組土木実働部隊の紅一点で二十四歳。

 測量士の資格を持っているが、現場ではツルハシを振るうことも珍しくない。


 道行く男たちの目を見張るほど豊かな胸部の持ち主であり、同時に、道行く男たちが目を剥くほどの筋肉の持ち主だ。


「GPSかい。いよいよもって、ここが地球じゃないって話になってきたね」


 今のご時世、どこの空にだって人工衛星の三つや四つは浮かんでいる。

 にもかかわらず、その支援すら受けられないとなると、ますます異境に紛れ込んだという疑惑が強くなるのだ。


「とにかく下手に動くのはまずそうだね。社員たちにはユニックの荷台で休むように伝えて。ぶっちょとアキラちゃんは引き続きみんながパニックを起こさないように話し相手をお願い」


「わかりやした」

「了解」


 ふたたび駆け戻っていく二人。


「私たちは、あっちの相手だね」


 茜が、はるか闇の彼方を見晴るかす。

 遠く遠く灯りが揺れていた。


 

 

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