潮時も知らんアホ
御角
前編
初対面。俺を見るなり開口一番に、お前は「にらめっこ全勝顔やな」と失礼なことを言ってきた。まだお互い、小学生になりたての時。思い出すと今さらながらムカついてくる。
それでも当時、その場にいた誰も、俺ですらそれを悪口だと捉えなかったのは、お前からあふれ出るアホのオーラのおかげだったと思う——。
これが、俺たちコンビがテレビに出始めた時の、いわゆる鉄板トークだった。
そう言うと三上は、大抵頭のてっぺんをかいて、「それほんまに僕? とりあえずごめんな! 覚えてへんけど」と調子よく謝ってくる。レアパターンとして、「ひっどいやつやなあ、そいつ。そんな男捨てて僕にしときや」と返ってくる。
「あかん、重症やな。お前」
「そうか? まだそんなにボケてないやろ。僕」
ため息が出た。相変わらず三上は、本気で言っているのかボケで言っているのかよくわからない。コンビを組んでもう二十年近いというのに、何を考えているのかさっぱりだ。
この前なんかはついに、「そういえばなんで僕らコンビ組んだんやっけ」などど聞いてきやがった。もう限界だ。
「……あのさ」
「ん、何?」
だから今日は、これだけは言おうと決めてきた。
「もう、解散しよか。俺ら」
布団にくるまっていた三上はそこで初めて顔を上げ、つけっぱなしだったテレビを消した。
「もうさ、潮時なのわかるやろ。いくらアホなお前でも……」
「え、なんで? 今集合したばっかやん。僕ら」
そもそも潮時って何やっけ? と首を傾げる三上を見ていると、自分の夢を捨ててまでこんなアホと二十年もやってきたことが急に虚しく、そしてだんだんおかしくなってきた。
「もうええわ、話にならん」
「そんなにおもろいこと言うてた? なんや、自分ちやなくて劇場でやりたかったわあ、今の」
無意識に緩んでいた頬を片手で抑えながら、劇場、劇場ね、と心の中で繰り返す。
「あ、せやせや、劇場で思い出したんやけど。次の仕事っていつ入ってんの? 僕ばっか引きこもりでお前だけ忙しそうなの、なんか嫌やし。最悪僕一人でも出れるやつとか……」
「アホか。マネージャーに言われたの忘れたんか、コンビ一緒じゃないとお前出さへんって」
でも、と食い下がろうとする三上の足元からフローリングを伝ってコロコロと何かが転がった。湿気て色の変わった錠剤。きっと飲み忘れたか、落としてそのままになってしまったやつだろう。
——出れるわけないやん。病気なんやぞ、お前。一人じゃまともに薬も飲めんのに。アホか。
残っていた薬の数をマネージャーに送信して、錠剤ケースをパチリと閉める。
俺と三上は、あと何回このやりとりをすることになるのだろう。そう考えると気が遠くなった。言葉にするのも馬鹿らしかった。
病気が発覚したのは数年前。バラエティ番組内での健康診断とか脳年齢測定とか、確かそんなコーナーがきっかけだったと思う。
昔から物忘れも多く、賢そうな見た目と名前の割にアホキャラで定着していた三上の異常は、「イメージ通り」という言葉で流された。相方である俺ですら当時は「そんなもんだろう」と思ってしまっていた。
それから一年ほど経って、今度はネタ番組に呼ばれた時のことだった。
「お二人がコンビを組まれたきっかけは?」
よくある事前インタビューの質問に、いつものように三上は我先にと飛びついた。
「僕ら元々小学校の同級生やったんですけど、大人になってからバイト先でバッタリ奇跡の再会を果たしまして、ええと、それで……なんやかんやで……とにかくこいつ! 猪俣の顔とか動きがもう、ツボでツボで。それで必死になって頼んだんですよ。一緒にお笑いやってくれーって」
「猪俣さんは昔、演劇をしていたところを三上さんに引き抜かれたとお聞きしましたが、本当ですか?」
「あー! そうそう、そうでした。確か、たまたま劇見に行って……まあ、そんな感じです。お前の役なんやっけ。丸焼きにされてるブタやったっけ」
「ちゃうわアホ。お代官様に脱がされる町娘や。誰がケバブやねん」
インタビューが滞りなく終わった後、三上はこっそり俺のところに来て何やら深刻そうな顔をしていた。
「……なあ、僕ら、バイト先一緒やったよな?」
「は? 何言うてんの、さっき自分でそう言ってたやんか」
「いや、それはそうやねんけど。お前が劇とかやってたのもなんとなく覚えてるんやけど。……すまん」
またいつものボケかと顔を覗き込んでみるが、三上の目は真剣そのもので、唇は少し震えているようにも見えた。
「演技も下手くそで、全然売れんのに脳死でバイトして、夢追いかけるフリだけして腐っとった俺に向かって、『動いて喋るだけで賞レース総ナメ出来る』って言ったのとか」
「……そうやったかもな」
「公演のチラシ配ってたらお前に出くわして、そのままチケット強奪されたこととか」
「……そう、やったっけ」
「公演終わってバイト行こうとしたら、お前が急に腕組んで来て。そういえば今日も同じシフトやったわって思って。どんだけシフト被ってんねん、仲良しかよって思って。そしたらお前が突然、『僕とお笑いやってくれへん?』とか言い出して。俺、お前がアホなの知ってたけど、ほんまに頭おかしいんちゃうかって思って」
一気に言い終わって、しまった、と思った。
「そうやったんや」
だけど俺の予想とは裏腹に、三上は馬鹿にすることもなく、少し悲しそうに笑っただけだった。
その日から三上は、よくネタを飛ばすようになった。アホはアホでも、三上は漫才において一切手を抜かない完璧なアホだった。
俺でなくても、流石に周囲はその異変に少しずつ気がつき始めていた。
いよいよ自分のミスを見て見ぬフリが出来なくなったのか。最初は病院に行くのを嫌がっていた三上も、マネージャーの勧めにしたがって受診し、そこでようやく病気が発覚した。
公表することも考えたが、それは三上が嫌がった。
三上が仕事をするときは必ずコンビで受ける。もしなにかあったとしても、相方の俺が全部カバーする。そう決意した。
増える薬。減る仕事。少しずつ薄れていく三上の記憶。
三上が俺より人気だったのは知っていた。だからこそ今は、俺が頑張って稼がなければならない。三上の印象を振り切って、塗り替えてしまえるほど、もっと人気にならなければ。
そうやって収入が安定すればするほど、俺と三上が顔を合わせる機会も少なくなった。月に一度、錠剤ケースの余った薬を数えるたび、心の底にザラザラとした不快感が広がった。
「なあ、猪俣」
三上に声をかけられて、ハッと我に返る。
「なんや、俺もうそろそろ帰らな……」
「ほんまに解散するん?」
やっぱりさっきのは、三上なりにはぐらかしていただけらしい。布団を綺麗に畳んで、三上はかしこまったように床に正座した。
「ほんまに解散するんやったらさ。最後に解散ライブ、させてくれへんか」
……急に何を言い出すかと思えば。
抑えきれない笑みが、口の端から漏れる。
「頼む、一生のお願いやから! 解散したらもう足引っ張らんようにするから、な? 頼む!」
手を着き、頭を固いフローリングに押しつけて、三上はすがるように「頼む、頼む」とささやいていた。
「……ふ」
その様子があまりにおかしくて、本当におかしくて。俺はいつのまにか、膝から崩れ落ちるように大笑いしていた。
「おい、何笑っとんねん。こちとら真剣に土下座しとんやぞ」
「いや、すまん、すまん。なんか自分が借金取りかヤクザの親分にでもなったみたいで、ツボにはいってもうて……」
「なんそれ、意味わからん」
ふてくされながらも体勢を崩さない三上がまた面白くて、片手では収まらないほどに頬が釣り上がっているのが自分でもわかった。
ああ、こんなに笑えたのはいつぶりだろう。
「はー、負けたわ。ほんま負けっぱなしやわ、三上には」
なんとなく今のまま、このままずるずる行ってしまったら、三上の存在はどんどんとあやふやになって、なかったことになってしまいそうな気がしたから。だから、せめて解散という形でオチをつけるべきだと思った。それが周囲にも、自分自身に対してもケジメをつけることになると思っていた。
「そんなおもろそうなこと、思いつきもせんかった」
全部独りよがりな考えだった。俺はただ、逃げたかっただけじゃないのか。
休憩時間のバックヤードでネタ合わせした記憶。東京被れだった言葉をお前が無理やり大阪弁に矯正してきた記憶。寒空の下、地下ライブのチケットを必死に駆け回って売った記憶。初めて賞レースに出て惨敗した記憶。初めてテレビに映って二人で大騒ぎした記憶。
俺たちの掛け合いで、目の前のお客さんが笑ってくれた、たくさんの、本当にたくさんの記憶。
今の三上を見れば見るほど、過去を思い出して辛くなるから。もう二度と、あの日には戻れないのだから。そう、割り切って進んでいくつもりだったのに。
解散ライブ。その言葉の響きにどうしようもなく心が躍るのは、俺がまだ、三上を諦めたくない証拠だろうか。
「あー、とりあえず正座崩せ。ライブ前に膝やったらおしまいやろ」
「……ってことは? つまり……どういうことや」
「ほんまこいつ……。本番以外であんまツッコませんといてほしいわ、もうお互い若くないんやから」
「僕の病気は若年性やけどな」
「絶対言うなよそのボケ、俺しか笑えへんから」
マネージャーに送信した数字の下に、解散とコンビ復活、
ま、知らんけど。
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