第4話

 二〇十九年十月十九日 午後五時  駿府亭


 駿府亭に、二つのタクシーが、しずかにとまる。先頭のタクシーは、若い青年とセーラー服の小学生。後ろのタクシーからは、一国の総理が降りてきた。


「では総理、のちほど」 


 樹が、安芸総理に会釈する。みどりもあわててお辞儀をした。総理はにこやかな笑顔をたたえて、駿府亭の門をくぐる。みどりは大きく息をついた。横を見ると、樹はさらに大きな息を吐いていた。


「あはは、緊張したね。」


 笑いながら樹が答えた。


「ちょっと時間があるし、庭を歩こうか。みどりちゃんも、僕に聞きたいことあると思うから。」


 みどりは、無言でうなずいて、裏口に向かって歩く樹を追った。


「お母さんって占い師ってことですよね」


 駿府亭の敷地にある、見事な日本庭園を歩きながら、みどりは、樹に質問した。


「そう。四柱推命。十二世紀頃の中国で生まれた占い。君のお母さん、葵かのえ先生は、日本一の四柱推命家だよ」

「わたし、ぜんぜん知らなかった。てっきり、このお店の仲居さんだと……」

「まあ、かのえ先生の存在は、ごく一部にしか知られていないからね」

「あの、わたし、何をすればいいんですか? シチューすーめい? を、やればいいんですか?」


 みどりは、おずおずと樹を見上げた。長身の樹を見るには、首がちょっと疲れる姿勢だ。


「大丈夫、君は座っているだけでいい。鑑定は僕がもう済ませてあるから」


 樹は、足を折り、中腰になってみどりと視線をあわせると、にっこりと笑った。


「でも、表面的には、みどりちゃんが先生だからね。僕は秘書で、先生をサポートする立場。総理の顔を見て、直感で思ったことを話せばいいから。そのあと僕が、詳しく占いの説明をする」

「何を言ってもいいんですか? もう、鑑定結果がでているのに? わたしの言葉と、樹さんの鑑定結果が矛盾したらどうするんですか?」

「大丈夫。どうとでもなるよ。占いってそういうものだから。さあ、そろそろ『葵の間』に入ろうか」


 みどりを見つめる樹は、ずっと笑顔だった。でも、なぜだろう。目を細めてしゃべった最後の言葉だけ、ちっとも笑っているように見えなかった。


 葵の間は、まるで茶室のような小さな一軒家だった。入り口のにじり口のふすまを開けて、しゃがんで中に入る樹にならって、みどりもつづいた。

 葵の間の中は、畳をのぞいて、一面が深い緑色をしていた。みどりの制服を同じ色だ。

 普通の茶室のような、炉も、床の間も無い。ただただ真四角の、不思議な四畳半の空間だった。


天鵞絨びろおどって色だよ。先生の遺言でね。みどりちゃんがここを引き継ぐ時に、この色に変えなさいって言われていたんだ。どうだい? おちつくと思うんだけど。」


 言われてみれば、普段より呼吸が楽な気がする。みどりは、葵の間を隅々まで見渡した。真四角の部屋は一部の隙間もなく、天鵞絨に塗られていた。

 よくよく見ると、給湯室につづく茶道口のふすまがある事に気づいた。ただ、それも限りなく目立たないように、壁と全く同じ天鵞絨に塗られていた。

 葵の間は、代々、葵流四柱推命の当主の用神(ようじん)の色で染められるんだ。まあ、ラッキーカラーみないな感じかな」


「・・・お母さんの時は、違う色だったの?」

「ああ、かのえ先生の時は、紺瑠璃こんるりだった。海の色に近いかな」


 樹が言うように、確かにこの部屋にいると緊張がほぐれる気がする。 

 天鵞絨って言うんだ・・・みどりは、制服の裾をじっと見つめた。みどりは、学校の制服の色が好きだった。今にも消え入りそうな内気な自分を、ほんのちょっとだけ社交的にさせてくれる。この制服は魔法がかかっている。ずっと、そんな気がしていた。


「それじゃ、占いの流れを説明するね。葵流四柱推命は、その人の命式・・・八つの文字を墨で書くことから始めるんだ。今回は、かのえ先生が占い途中だったから、書はもう完成している」


 そう言うと、三枚の書を取り出した。


 戊子

 癸亥

 乙丑

 庚辰


 丁酉

 丁未

 壬寅

 丁酉


 丁酉

 壬寅

 丁未

 乙巳 


 母の字だった。しっかりとした基本に忠実な書体。何の迷いもないうっとりするような見事な書だった。


「今回の依頼は、この三人のなかから、次の総理大臣を任命する仕事なんだ」

 樹は、さらっととんでもないことを言ってのけた。

「・・・あの、総理大臣ってお母さんが決めていたんですか⁉︎」

「そうみたいだね。僕が先生の助手なってまだ四年半しか経ってないから、立ち会ったことはないけどね。でも、アメリカの新大統領との外交方針を相談されたときには立ち会ったよ。大統領選挙の結果も、バッチリ当たっていた」


 くらくらする。お母さんと樹さんが、総理から、アメリカの大統領の相談を受けていたなんて。しかも、この場所で。


「みどりちゃん。この三枚のうち、だれが総理になるか、正解がわかる?」

「ええ⁉︎」


 わかるわけない……そう思った直後、ほんの一瞬、三枚の書が光ったように見えた。みどりは一枚の書を手に取った。


 戊子

 癸亥

 乙丑

 庚辰


「これかな、なんていうんだろう。これだけ、紙も字も、一緒に光った気がする……? みたいな?」

「正解! いやすごいな、喋り方も先生にそっくりだ!」


 樹に褒められて、悪い気がしない。調子に乗って質問をしてみた。


「あの……もし、間違っていたら、どうなっていたんですか?」

「間違い? ないない、みどりちゃんの選択が正解だから。どれを選んでも構わないよ」

「え?」

「四柱推命は、歴史が長い占いでね。流派もいろいろある。命式、そこに書いてある八つの文字のことだけど、いい結果も悪い結果もどんな占い結果だって、その命式から導き出せる」

「ええ! それってズルじゃないですか!」

「そうともいえるし、違うともいえる。僕はね。占い師の仕事は、その人の中の『言って欲しい言葉』を探し出す仕事だと思っているんだ。

 成功したら運が良かった。失敗したら努力が足りなかった。質問者が、自分の行動や考えに納得してもらえるように、寄り添って、言って欲しい言葉を選ぶ仕事だと思っている」


 みどりは思ったことを聞いてみる。


「……お母さんも、そう思っていたのかな?」

「正直なところ、わからない。直接聞いたことはないから。でも、先生の言葉は、いつも質問者の『言って欲しい言葉』を語っていたと思う。僕も、その先生の言葉に少しでも近づきたい」


 みどりは、樹の言葉には嘘はないと感じた。信じていいと思った。というか、信じる他はなかった。私は葵の間で、相談者の運命を決めなければならない。答えなければならない。お母さんの仕事は、そういう仕事だったのだ。

 そして、この葵の間で、わたしを助けてくれるのは、樹だけなのだ。

葵の間のにじり口がそっと開いて、仲居さんがみどりと樹に声をかけた。


「そろそろ、お見えになります」

「さ、みどりちゃんは、真ん中に座って。総理の声がしたら、『お入りください』と言ってね」


 みどりは、言われるがままにうなずくと、四畳半の真ん中、半畳の炉畳(ろたたみ)に正座する。樹は、その右手奥の手前畳(てまえたたみ)に座る。

 緊張してきた。緊張しないわけがない。これから総理の占いをするのだ。次の総理が誰になるかを決めるのだ。あの、たった八つの文字。お母さんが書いた書を手掛かりに。



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