『届け』

『雪』

『届け』

 年期の入ったエレベーターのドアが開き、中から白いダウンジャケットを身に纏う小柄な少女が現れる。彼女はこちらを見付けると小さく手を振り、帰宅した飼い主を察知した犬のように駆け寄ってくる。


「了くん、明けましておめでとう。今年も宜しくね」


 深々と一礼し、可愛らしい面を上げた少女は花が咲く

ような明るい笑みを浮かべる。刹那、気が付けば彼女を強く抱き締めており、頭からつま先に至るまで、全身を撫で回す勢いで少女にベタベタと触れていく。

 何も知らない人が見ればセクハラどころの騒ぎではない。どう考えてもお巡りさんのお世話になる事は間違いない、普通に事案である。胸に抱く彼女からの抗議の声を受けて、名残惜しさに後引かれながら彼女を解放する。

 大きく肩で息をしながら、一歩二歩、と距離を離した少女はこちらを強く睨み付ける。無言の訴えに応じるように、一歩分距離を詰めると彼女の乱れた髪と服装を整える手伝いをしてから、彼女に倣って深々とお辞儀をする。


「明けましておめでとうございます、始織センパイ。今年も宜しくお願いします」


「……挨拶前にああいう事するのはどうかと思うな、私」


「全くですね、正気を疑います」


「了くんの話なんだけどね!」


 始織センパイは小さな体躯を精一杯引き延ばし、威圧するように両腕を上げ、コアリクイの威嚇めいたポーズを取るものの、ぶっちゃけ可愛らしいが先行してそれどころではない。もう一回先程と同じ、いやそれ以上の欲求が襲い掛かるが、寸でのところで押し止まる。


 始織センパイから手渡される鞄を受け取ると、彼女は屈伸運動に入る。その瞳は自信に満ち溢れていた。


「気力十分ですね」


「イメトレも完璧、後は現実にするだけだよ」


 果たしてイメトレにどれほどの効能があるかは分からないが、始織センパイが楽しそうで何よりである。

 エントランスを出て、マンション入り口に設置された自動販売機の前に立った。小銭を投下し、目標を補足する。

 踵を限界まで押し上げて、指も真っ直ぐに引き伸ばした。親の仇でも見るかのような鋭い眼光の先、目標のボタンへと彼女の指が伸びる。

 ーーだが、現実は非常である。プルプルと震える指先、つま先程の果てしなく遠い距離が彼女とボタンを隔てていた。

 唸りながらボタンへと指を届かせようとする涙ぐましい努力を繰り広げる彼女の背後から変わりにボタンを押す。


「……えっと、まあ。次、頑張って下さい」


 始織センパイは古びたブリキ人形のようにぎこちない動作でこちらを一瞥すると、取り出し口から力無く商品を取り出した。




 その後、年始からテンション駄々下がりの始織センパイを励ましつつ、初詣に向かった。参拝の際に、今年中に自動販売機のボタンに指が届くようにと祈っていたが、たぶんそれは整体師さんかもっと別の所に相談すべき事であり、お祈りする事とは違う気がします、という言葉は空気を読んで呑み込んでおいた。

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『届け』 『雪』 @snow_03

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