番外編「漢字バトル対抗戦 ― 五番勝負の熱狂!」

秋の夕暮れ、旧校舎の特設ステージには独特の緊迫感が漂っていた。

そこにはシオンたち漢字オタク同好会のメンバーと、他校からやってきた“漢字マニア”の一団が向かい合っている。

どうやら、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の五人制で行われる「漢字バトル対抗戦」が本格的に始まるらしい。

勝負の内容は実に単純――各対戦相手が、一つずつ“インパクトの強い難読漢字”を提示し、その“印象度”を審査員が判定する勝ち抜き戦。

なんともバカげているが、ここではその非常識こそが最大の見どころなのだ。


先鋒戦:

 先鋒として相手校から出てきたのは、小柄ながら瞳に燃えるような闘志を宿した少女。

彼女は深呼吸をひとつしてから、ホワイトボードへ素早く一字を書きつけた。


「欷歔(ききょ)」 


まるで風を切るように書かれたその文字は、見たことのない画数と、どこか寂しげなニュアンスをまとっている。

意味は“すすり泣く様”らしいが、耳慣れないこの字形は見た者の心を妙に揺さぶる。 一方、シオン側の先鋒はリリカ。彼女は品良く頷いてから筆をとった。

先ほどまで笑みを浮かべていたが、今は視線が鋭い。

「なるほど、《欷歔》……なかなか趣深いわね。でも、こちらも負けないわよ」 

淡々と筆を走らせ、リリカが書いたのは妖艶な気配を漂わせる一字。

審査員が近づいて覗き込むと、紙にはこう記されていた。


「罨(あん)」 


読みだけでなく、その字が放つ不気味ともいえる迫力に、先鋒同士が火花を散らす。二人とも難読漢字を選んだだけでなく、字形の美しさにもこだわっているようだ。

見ている人々の間から、思わずどよめきが起きた。 

しばし審査員が“印象度”を測り、採点を集計。

結果はリリカ側の《罨》に軍配が上がる。

「あの奇怪な画数が目に焼きついた」「読めないどころか、何だかゾワッとする強烈な字形」といった評価らしい。 

先鋒戦はシオンたちの勝利。

会場は拍手と歓声に満ちた。


次鋒戦:

 続いて登場したのは、相手校でいちばん背の高い男子。

どう見ても運動部風なのに、手元には漆塗りの筆を構えているのが妙にシュールだ。「俺の番だな。じゃあ、イカれた漢字をお見せしよう」 

彼は躊躇なくホワイトボードに書きつける。


「驫馬(ひょうば)」 


書き終えた瞬間、周囲から「馬が三つ!?」と驚きの声が飛ぶ。

その馬三頭が重なったような“驫”は、見慣れない者にとって強烈なインパクトを与えることは間違いない。 

それに対するはスバル。日本語がやや拙い彼だが、黙々と自前の紙に独特の書体で大きく一字を記す。


「……燼滅(じんめつ)……」 


どうやら“燃え尽きて灰になる”ような意味をもつ二字熟語らしいが、篆書(てんしょ)体に近いカーブが相まって不気味な迫力を漂わせている。

馬三頭の《驫馬》と、炎の残骸を想起させる《燼滅》。

どちらも重々しい印象の漢字たちだ。 

審査員たちは悩みに悩んだ末、「イメージしやすいインパクト」という点で《驫馬》を勝者に選んだ。

“馬の暴走感”がより視覚的で分かりやすい、というのが理由のようだ。

こうして次鋒戦は相手校が取り返す形となる。


中堅戦:

 一勝一敗の拮抗(きっこう)した状況で登場したのは、運営役の指示で「雰囲気を変えたい」と手を挙げたカグヤ。

相手校からはロングヘアの気迫ある少女が歩み出て、まるでライバル同士のように視線を交わす。 

先攻は相手校の少女。紙にひと筆で鮮やかに刻みつけたのは、


「瀰漫(びまん)」 


どこか霞が広がるような字体と意味を内包した熟語。

部屋じゅうに霧が漂うイメージを喚起させるようだ。

うっとりするほど流麗な筆跡に、観客から感嘆の声が漏れる。

「悪くないわね」 

カグヤはそうつぶやくと、これまで見たことのないほど色気のある微笑をたたえ、スッと筆を走らせた。

「欷歔や驫馬に比べても見劣りしないわ。私の一手はこれ……」 

書かれた字は、


「黼黻(ふふつ)」 


左右対称を意識したような筆遣いで、より一層不可思議な魅力を放っている。

あまり耳にしないこの語は、“礼装や模様に使われる特殊な織り模様の呼び名”として知られるが、周囲にはピンと来ない人が多いらしい。 

しかし、そのレア度とビジュアルのインパクトには圧倒的なものがあった。

判定はカグヤの勝利。

中堅戦はシオンたちがリードを取り戻す。


副将戦:

 2対1とリードを奪ったシオンチーム。

だが油断はできない。

相手校も本気を出してきたのか、急に陽気な男子が副将として前に出る。

ハイテンションな掛け声とともに提示されたのは……


「瓊蘂(けいずい)!」 


「これぞまさに宝石のような文様!」などと大声でアピールしている。

ごちゃごちゃと画数の多い二字が合わさり、見ただけで“何か高級そう”という雰囲気を発していた。 

副将を務めるのはタイガ……ではなく、なんとリリカが指定したのはシオン自身。「お前、まじで俺が大将!?」とタイガが文句を言うが、どうやらリリカいわく「シオンの漢字センスが一番“普通”だからこそ、副将で勝負を決めるのが狙い」らしい。 そう言われたシオンは困惑しながらも、用意された半紙に向かう。

心臓がバクバクするが、ここで逃げるわけにはいかない。

目を閉じ、深呼吸一回――そして筆を下ろす。

「俺の難読漢字は……」 ぐいっと力を込めて書いたのは、

「罨(あん)……じゃない、あれはリリカが使ったし……何を書くんだ!?」 ――と、焦りつつも間違いを犯すわけにはいかない。

実はもう一枚の紙にあらかじめ書きかけていた候補があった。

思い切って筆を滑らせて完成させたのは、


「廛闐(てんでん)……!」


 小声で読みを添えながらシオンはホワイトボードに貼り出す。

こちらは“商店や家々がぎっしりと詰まっているさま”を示す、非常にレアな表現だ。画数の多さだけでなく、濃密な雰囲気を漂わせる文字列がインパクト抜群。 

相手の《瓊蘂》も豪華絢爛な印象だが、審査員の判定は「この《廛闐》の方が脳裏に焼きつく」とのことで僅差ながらシオンに軍配が上がる。

これにより対戦成績は3対1で、シオンたちの勝利が確定。

大将戦を残さずして勝負は決まったかに思われた。


大将戦:

 しかし、最後の大将戦も儀式的に行おうじゃないかという流れになり、両校とも大将がステージ中央へ。

タイガは「やっぱり俺が大将なのかよ」と渋い顔をしながら、相手校の大将と対峙する。 

相手校の大将は、いかにも冷徹そうな眼差しをもつ青年。

彼は無言のままノートを開き、確信的な筆致で一字を提出する。


「嶄絶(ざんぜつ)」


 “山がそびえ立って他を寄せ付けない”イメージを持つ二字だという。

その鋭いスパイクのような文字形に、見ている者の息が詰まる。

「えーと……俺はこういうの苦手なんだが……負けるわけにもいかねえしな」 

タイガはまともに勝負する気がなさそうだったが、周りの応援に後押しされ、仕方なく筆をとる。

普段はシオンのサポート役に回っていた彼だけに、みんなの期待値はそこまで高くない。 

だが、何を血迷ったのかタイガは筋肉で培った安定感を活かして、ブレない字を書き上げてしまう。


「薨去(こうきょ)! ……ってなんだよこれ、全然わかんねえけど、漢字辞典で見つけたときに“お、スゲー”って思ったんだよな」 


“身分の高い人が亡くなる”ことを意味するらしいが、観客は「えっ、そんな意味なの!?」と動揺が走る。

しかし、字形の難解さと重々しいニュアンスがなんとも言えない衝撃を与え、しーんと静まり返った会場に独特の雰囲気が漂った。 

審査員は「やはり意外性で言えばこちらが勝りそうだ」と一言。

結果、大将戦はタイガの《薨去》が勝利となり、最終的には4対1という圧倒的スコアでシオンたちの漢字オタク同好会が勝ち名乗りを上げる運びとなった。


 会場には拍手もあれば、唖然とした顔もある。

そもそも何がどう凄いのかイマイチわからないまま、熱狂と脱力が入り混じった空気が生まれるあたりが、この「漢字バトル対抗戦」の醍醐味(だいごみ)なのだろう。 


難解漢字という黒々とした深い森のような世界で、互いに一歩も譲らずに競い合った先鋒から大将までの五番勝負。

その狂騒のなかで、誰もが本来の常識を吹き飛ばし、ただ字形の美と異様さに身を委ねていた。 

立ち尽くす観衆の視線を浴びながら、シオンたちはその勝利を噛みしめつつ、同時に文字が持つ底知れぬ魅力を改めて感じていた。

雄々(おお)しくも怪しげな画数たちが織りなす光景は、さながら深淵へ続く階段のよう。

それはまるで《悍騰(かんとう)》の渦に巻き込まれたような、ひとときの奇妙な祝祭だった。

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