第6話もう一人

未知子が、俺を心配して近所のおじさんと釣りに行く事になった。叔父では無く俺が幼い頃から良く遊んでくれるおじさんだった。おじさんは結婚していて子供が二人いる。俺を自分の子供のように可愛がってくれた。そんなおじさんと会うのも三年振りくらいになる。中学三年間部活に集中していた俺はおじさんと会う機会は自然と無くなっていた。しかし、高校生になった俺は明るさがまるで無くなったと未知子は感じたのだろう。おじさんに俺を預けた。海に向かう車中で助手席に座った俺におじさんは何も言わなかった。ただ黙って運転していた。俺も気まずくて黙っていた。海に着くと「洋ちゃん。これ持って先に行ってて餌買って来るから。」とおじさんは言ってお店に行った。俺は、釣り竿とクラーボックスを持って防波堤に向かった。


防波堤に、着くと週末だからなのか、多くの人が釣りをしていた。俺は釣り竿とクーラーボックスを地面に置くと自分も地面に座っておじさんを待った。海は、風が強くて波が高かった。確か冬場は魚があまり釣れないから来た事が無かった。寒くて俺は震えた。三十分ほどしておじさんがビニール袋を両手に持って来た。餌と俺とおじさんの弁当だった。おじさんは釣り竿に餌を付けて釣りを始めた。俺のというかおじさんのもう一本の釣り竿に俺も餌を付けて釣りを始めた。夏場とは、違って釣れなくて時間がノロノロ過ぎていった。「ちょっと早いけど弁当食べよう。」とおじさんが退屈そうにしている俺に言った。「はい。」と俺はかしこまって答えた。小学生の時は、うんと答えていたであろうに会って無い時間が長過ぎた。敬語になってしまった。「洋ちゃん、小学生の頃はお喋りだったのにね。」とおじさんがシャケ弁当を食べている俺に言った。俺はただ黙っていた。おじさんは、ただの反抗期か何かだと思っているのだろう。


もう一人の自分は今頃、生意気におじさんに釣りなんてつまらないと言ってお喋りをしていただろう。しかし、普段喋らないので言葉が出ない。弁当を食べ終ってもご馳走様でしたすら言えない。空気は固まったままだった。「何で、高校では野球続け無かったの?おじさん洋ちゃんが中学生の時にこっそり試合観に行ってたんだよ。」そう俺は野球少年だった。「うん。」と俺はため息のように呟いた。「エースで四番。洋ちゃん元気だったな。」とおじさんは懐かしげに言った。俺は、ますます声が出せなくなった。今でも俺は、時々、夢に見る。野球を楽しんでしてる自分の夢を見て泣きながら目を覚ます。結局、魚は釣れずに帰って来た。帰りの車の中でおじさんは「お母さんと仲良くね。」と言ってくれた。俺は、おじさんにありがとうでさえ言えずに自宅まで送ってもらった。「どうだった?」と未知子は何か期待するかのように台所からリビングのソファーに座っている俺に聞いて来た。「別に。」と俺は答えた。未知子が、ため息を付いたのが分かった。

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