第2話
店主に挨拶し、女と一緒に食堂を出る。
月光の下を歩く女はやはりローブを深く被り、足音も立てずに歩いて行く。思わず影を確かめ、それがある事にふと安堵する。
お互い無言のまま、商店街から離れた住宅街へとやってくる。スラムと言うほど荒れてはいないが、品が良いとも言いがたい風情。その分家賃は安く、キノコを狩るだけでもどうにか住まわせてもらっている。
「郷愁を感じさせる室内ですね」
狭苦しい部屋に入るや、しみじみと頷く女。決して良い意味では無いと思うが、すぐ立ち去らないだけまだしか。
女は手付けだと告げ、大きい革袋をテーブルに置いた。そこからこぼれたのは数枚の金貨で、俺の家では初めて見る色だ。
「何か、飲み物を頂けますか」
「水か、お茶。冷蔵庫があれば、色々はかどるとは思う」
「この世界に来た方は、皆さんそれを仰いますね。後はテレビとネットですか」
「魔法が使えれば、テレビやネットはともかくある程度は代用出来るとは思う」
簡素なかまどに火をおこし、鍋に茶葉を入れる。ティーポットなど俺の収入では夢のまた夢。お茶が飲めるだけましという世界だ。
「砂糖は」
「いえ、結構です」
コップを女に渡し、1つだけある木製の椅子に座っている彼女の前に座る。つまりはベッドサイドに腰掛ける。
「シナリオは、1つの意見が採用されてそれが永遠に続く訳ではありません。良いシナリオがあればそちらへ分岐したり、設定が後付けもされます。リレー小説に近いとお考え下さい」
「俺へのデメリットは幾つも想像付くが、メリットは」
「シナリオが使用されるしないにかかわらず、ある程度の報酬は保証します。勿論採用されれば追加報酬。元の世界に戻る事も、場合によっては可能です」
女の話だと、元の世界では俺の存在自体が今までと同じように生活をしているらしい。俺がそちらへ戻れば今の記憶とその存在の記憶を引き継ぎ、入れ替わる事が可能になっているとの事だ。
どこまでが本当かを確かめる術は無いが、理想はやはり元の世界へ戻る事だろう。
「シナリオの終着点は?」
「魔の根源を倒す事と言いたいですが、今期は中ボスで終わる予定。何より倒してしまっては、完結してしまいます」
「色々突っ込みたいが、その中ボスを倒すまでにシナリオが1つも採用されなかったら?」
「別な機会に使える場合もありますので、ペナルティは特にありません。あなたの自尊心は、大いに傷つくかも知れませんが」
「本当に俺へのリスクは無い?」
「先ほどの繰り返しになりますが、そもそもこんな話を誰が信用します?」
かなり矛盾した答えだが、荒唐無稽なのは確か。またこれが俺をだまそうとしているのだとしても、少なくとも金貨を得たのは間違いない。
「分かった。それでシナリオを実現させる方法は? 魔法的な事で影響を及ぼすのか、そんな都合の良い事は無くてあくまでも現実的に状況を変化させるのか」
「基本は後者。補助的にあなたの言う魔法的な要素は使いますが、死んだ人を生き返らせたり魔物の大群を町に召還するという妄想めいた事はやりません」
「……だったら、どうやって実現させる」
「そこはお答え出来かねますが、ご心配なく。そういった事は全てこちらで行うため、あなたはシナリオに専念して下さい。それとこの犬小屋では何かと支障がありそうなので、明日にでも新しい住居を手配します」
犬小屋は心外だが、下から数えた方が早い環境なのは間違い無い。ここはプライドも何も無く、彼女の提案に乗るとしよう。
「それでは正式に契約を交わしましょう。指をお願いします」
言われるままに右手を差し出し、人差し指を立てる。ナイフで指の腹を切られる事は無く、女がテーブルに置いた書類にそれを添えた。
理屈は分からないが書類に俺の拇印が浮かび上がり、その下には名前も記される。
「これで正式な契約となります。ご心配なさらずとも再三ご説明した通り、あなたへのペナルティは実質無いと思って下さい」
「俺はその他大勢の1人。駄目な奴でも取りあえず雇っておけという話か」
「そういった思考こそ、我々があなたに望むものです。では、また明日」
席を立ち、音も無く部屋を出て行く女。
何一つ信じがたい話で、ついさっきまでそこにいた女の存在すら俺の見た幻想に思えてくる。それならどれだけ救われるかと思いつつ、俺はきしむベッドに身を横たえた。
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