第3話

 目を覚ますと、見えるのはいつもの薄汚れた景色。昨日の出来事は夢かと思ったが、手付金の革袋がテーブルの上に置いてあった。結局俺は未だにこの世界の住人で、ろくでもない事に巻き込まれたままか。


「荷物は、この辺を」


 普段使っている革の鞄に、当座の必要な物を詰めていく。人から見たらゴミ袋にゴミを入れてると思われそうで、ただどれもこの世界での生活を支えてくれた物ばかり。捨てろと言われるまでは、持っていておきたい。


「……おはようございます」


 待ち合わせ場所である中央広場の噴水で、例の女が挨拶をしてくる。相変わらずローブを深く被っていて、わずかに口元が見えているだけ。これだけだと、本当に昨日の女かと疑いたくもなる。


「何か、ご希望の条件はありますか」


「出来れば、森に近い所が良い。キノコを狩りに行きたいから」


「その必要はもう無いかと思いますが」


「生活の習慣になってるんだ。唸って良い考えが出るのなら、今の部屋で事足りる」


 女は微かに頷き、俺に歩くよう促した。


「家賃と食費は全額負担。必要な物も、随時こちらで揃えます」


 この話を聞いていると一方的に自分が得をするだけで、どうしても裏があるのではと勘ぐってしまう。とはいえ俺には、何も抵抗する術は無いのだが。



 案内されて辿り着いたのは、俺がいつも入っている森にほど近い一軒家。街中からもそれほど離れておらず、周りには人家の代わりにぽつぽつと木々が生えているだけ。多少寂しげだが、気楽に暮らせそうだ。


「家の裏手には井戸もあります。森の魔物もここまでは来ませんし、好物件かと」


「ああ、ここでいいよ。……畑か」


「野菜でも育てます?」


「それもいいかな」


 食費は出るので育てる必要は無いが、キノコを狩る回数が減れば時間をもてあますはず。野菜は無理でも、花の1つくらいは咲かせたい。


 この世界に来てからそんな事は考えもしなかったが、生活に余裕が出てくると分かったせいか気持ちにもゆとりが出てきたようだ。


「それで、シナリオを書く道具は?」


「こちらをどうぞ」


 手渡されたのはノートパソコンで、開けてみるとやはりノートパソコン。電源も入るし、ソフトも一通り入っている。


「部外者が見てもパソコンとは認識されないようになっています。また制限は掛かっていますが、調べ物程度は可能になっています」


「元の世界とつながってるって事か」


 子供の使うネット環境と考えれば良いんだろうか。理屈を聞いても仕方なく、俺は言われた事をするだけだ。


「紙と筆記用具も用意してくれ。後はカメラとスキャナ、プリンタ。その辺りの必要そうな物を一通り頼む」


「外へ持ち出す機会もあると思うので、同じく偽装した物をお渡しします。シナリオは毎日、最低3本。長さは問いませんが、連作の場合はその旨を事前に記載。ペナルティが無いとお伝えしましたが、あまりにもひどい内容。もしくは3本書けない場合は、警告が発せられます。ただシナリオはストック出来るので、仮に6本出せば翌日のノルマはありません」


 ノルマって言ったな、この女。当然と言えば当然で、寝ていて生活出来る訳も無いか。


「では、私はこれで。シナリオは共有フォルダに入れるか、指定のメールアドレスにお送り下さい」


「ああ」


「良いシナリオをお待ちしています」


 ローブを一層深く被り、来た道を引き返していく女。


 念のためその背中を最後まで見送り、完全に見えなくなったところで大きく息を付く。用があっても会いたくないというのは、ああいう存在を言うんだろう。 


「……取りあえず、キノコを狩るか」



 欲が無くなったのが功を奏したのか、値の張るキノコをいくつか見つける事が出来た。これを以前の自分に渡せればと思うが、それが出来ないからこそ今の俺がいる。


「これ、良かったら」


 いつもの食堂で、カウンター越しにキノコを渡す。差し入れする事自体は時折あったが、普段はもっとありふれたキノコを渡していたので少々驚かれた。


「余ったら、適当に料理して持ってきて下さい」


 店主にそう告げて、いつものテーブルに腰を落ち着ける。食堂内でも端っこの、目立たない場所。ひがみでも何でも無く、自分にはこういった場所が似合っている。


「……パンとシチュー」


「毎度」


 猫耳のウェイトレスはいつものように愛想良く笑い、オーダーを通した。よく考えるとあまり良い客とは言えないのだが、プロの接客とはこんな物なのだろうか。


 金はあるのでもう一品くらい頼んでも良かったのかと考えていたら、すぐにパンとシチューが運ばれてきた。


「後はこれ、マスターから」


 テーブルに乗せられたのはキノコのアヒージョ。いつもシチューばかりだったので、自分でもその存在感に驚いてしまう。


 キノコの旨味と油のコク。その味を堪能しつつ、シチューにパンを浸して食べる。


「……このシチュー、やっぱりうまいな」


 思わず声を出してしまった。アヒージョも勿論美味しかったし、久しぶりに食べたという感動もあった。ただシチューを食べ続けられたのは、単に安いからでは無く味が良かったからだと今更気付く。


「お客さん、それ好きっすね」


 顔を上げると、猫耳のウェイトレスが犬歯を覗かせてくすくすと笑っていた。彼女が挨拶以外で話しかけてくるのは、おそらく初めてではないだろうか。


「金が無かったから。ただ金があっても、こればかり食べると思う」


「それは半分くらい、僕が作ってるっす」


「料理人になりたいの?」


「そうっすね。将来お店をやりたくて、マスターから教わってるっす。僕が作るシチューは、お客さんが半分くらい食べてるっす」


 そんな訳は無いと思うが、そう言われて悪い気はしない。どうして彼女が俺に話しかけてきたのかは分からないけれど、他人から見ても精神的な余裕が見て取れるのかもしれない。


「お客さんも、冒険者っすか?」


「転送組だけど、冒険者では無い。何も出来ないから、毎日キノコを狩ってるだけだよ」


「それでいいっすよ。華々しい活躍よりも、日々の積み重ね。それが大事っす」


「金は無いけどね」


 そう答えたら猫耳のウェイトレスはころころと笑い、トレイを胸元に抱えて他の客の所へ注文を取りに行った。久しぶりに気分が軽くなったというか、人とまともに話した気がする。


 昨日からあの女とは何度か話したが、あれが人とはどうにも思えない。



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