第2話
ラファエルは馬車で王宮に降り立つと、青い軍服に揃えた華やかな上着をばさりと肩に羽織り、輝くような金髪を揺らしながら優雅に歩き出す。
おいでなさいませ。
すぐに忙しそうに茶会の準備をしているらしい侍女たちが、「あっ」と嬉しそうな顔をして会釈をした。
可愛らしいねえ。
みんな忙しそうだから休憩時間にでも食べてね、と差し入れようとした時、ガシッ、と腕を掴まれた。随分積極的な子がいるなあ。でもそういうのも嫌いじゃないよ、と思ってニコニコと振り返ったら、そこにイアン・エルスバトがいた。
「おや。イアン君。君が僕を出迎えるなんて感心だねぇ。
いよいよ君もこのラファエル・イーシャ様の凄さを理解しひれ伏す時が……」
「待っとったわラファ! よーやく登城しやがって……お前なんぞ家にいたってお昼寝するか女とイチャイチャするだけやろ! 俺がお前を必要とした時くらい殊勝な顔してちゃんと城におれや!」
ラファエルはきょとんとする。
「俺を必要としてたの? 珍しいじゃん」
「ええからちょっと来い!」
ズルズルと引きずられて行く。
「ちょっと待ってよ……このカヌレをあそこのお嬢さんたちに差し入れ……」
「カヌレとかどーでもいいねん!」
◇ ◇ ◇
「カヌレに対してどーでもいいって言い方はないと思うなあ」
部屋に連れ込まれて、やれやれ、とラファエルは溜息をついた。
「相変わらず強引だねえ。女の子もこういう連れ込み方してるなら山賊みたいだから絶対やめた方がいいと思うよイアン君」
大切なカヌレをテーブルに置いて、上着を脱ぐ。
「大体俺と親しくしてると思われたくないんじゃないの?」
「思われたくないけどそれは今全く関係あらへん」
近衛兵が一人入って来て、紅茶を淹れた。
「悪いな。扉閉めといてくれるか」
敬礼し、彼は扉を閉めて去って行った。
「君が俺にお茶淹れてくれるなんて珍しい。なんか長くなりそうな話? なんで男の淹れたお茶って女の子が淹れたお茶よりマズく感じるのかなあ。不思議だよね」
「ラファ。お前に聞きたいことあんねん」
「それはもう聞いた」
「お前が森で会った【仮面の男】の話を聞かせてくれ」
「【仮面の男】? 海に落ちて死んじゃったよ」
「そら聞いた。でも詳細聞きたいんや。現われた時どういう感じで会ったんや。お前がなんであんなとこに王妃といたかも分からんが、向こうから襲撃して来たんか? 守備隊が仕留めたって聞いたけど奴の戦いぶりは見たか? どんな武器使っとった? お前自分がヨワヨワでも相手が強いか弱いかくらい分かるやろ。守備隊と斬り合いになったんか?
どんな服着てた? あいつ西の塔から落ちたはずなんや。普通死んでるはずなのにお前のとこ現われたらどう考えてもおかしいし死んでてもいいのに怪我一つないってのは絶対無いと思うねん。両手ホントに使ってたか? 声とか聞かんかったか? 王妃と知ってて襲撃したんか? なんか要求……」
「ちょーっと! 待って待って! なに⁉ 突然溢れる質問! そんな滝のように質問されても分かんないってば! 俺が頭悪いって分かってるなら親切に一つずつ質問紙に書いて来てよ!」
突然矢継ぎ早に質問をされてラファエルはさすがにギョッとした。イアンはいたって真剣だったらしく、指摘されて初めて気づいたようだ。
「なによ。あいつのこと知りたいの? 西の塔から落ちたって今言わなかった? 何の話?」
「近衛隊が西の塔の上まで追い詰めたんや。俺が最上階まで捕えに行ったけど、窓から落ちよった」
「あの高い塔から? あいつピンピンしてたよ?」
「だからそれを聞きたいんや。落ちたのは俺がこの目で見てんねん。この三日間落ちた湿地帯をずっと探しとったんだが、遺体は出なかった」
「出なかったも何も、こっちに出たってば」
「やかましいわこっちは落ちたんや」
「見間違いじゃないの?」
「見間違うか! ここからそんくらいの距離で窓から落ちたの見たんや」
「じゃ、あいつはなんなのよ。双子の兄弟?」
ラファエルはからかうように言ったのだが、イアンは腕を組んだ。
「……兄弟か……」
「じゃあなに? あの【仮面の男】って二人いるのかもしれないってこと?」
幸い、『矢』のことを話さずとも、ラファエルがそう言ってくれた。好都合だったのでイアンは話の流れをそのままにする。
「もしかしたらその可能性もあんのかと思って、お前に話を聞きたかったんや」
別に大した秘密というわけではないのだが、ラファエルは自分が仮面の男と戦ったことは伏せておいた。話しても、イアンはラファエルが剣を使えないと思ってるのでそんなわけあるか嘘つくなと本気にされないのは目に見えていた。すると説明が面倒臭くなるのである。別にここで重要なのは【仮面の男】が海に落ちて死んだことなんだから、それ以外のことは言わないでもいいだろう。誰が戦ったことにしても問題はない。
「声は聞いてないなぁ。侵入者が出て、西の塔の方に行ったってのは聞いたよ。王妃に報せが来た。そうしたら、出掛けるっていうから。仕方ないでしょ、仮面付けた変な奴がうろついてんのに分かりましたいってらっしゃいませー! って王妃だけ行かせるわけにはいかないから、ついて行きますって言ったら連れてってくれたんだよ」
「王家の森に行ったってことは【シビュラの塔】を見に行ったんやろ」
「……イアン君。友達として忠告しといてあげるけど、王宮でその名前はホント出さない方がいいよ。王妃様相当その名前に敏感みたいだから」
「仮面の男の狙いも【シビュラの塔】か。お前見に行ったんか?」
自分の話を全く聞かないイアンに、ラファエルは溜息をつく。長い付き合いなので分かる。こうなるとイアン・エルスバトはやりたいようにやらせるしかないのだ。
「行ってない。塔に行くんだろうなってことは分かったけど、辞退したよ。ヴェネトの神域ですからって島に上陸する所で俺は場所から降りて、待ってた。問題はなかったみたいだね」
「見に行けや。おまえ。シビュラの塔がどんなのかどさくさ紛れに見て来いよ。折角のチャンスを勿体ない」
「あのね……イアン君、俺はスペインのスパイじゃないのよ?」
「フランスだって【シビュラの塔】の情報は必要やろ。なに辞退とかカッコつけてんねん」
「仮面の男の話はもう終わり?」
「終わりちゃう。どんな奴やったか話せよ」
「どんなって言われてもなー。顔見たわけじゃないし……ああ……そういえば」
ラファエルが思い出す。
「……あいつ、女かもしれないよ」
数秒沈黙が落ちた。
「あぁ?」
「おっ。期待通りのいい反応」
「なん……女ってあいつがか?」
「あいつがって、お前の言ってるあいつが誰のことを指してるのか分からないけども。まあそう」
「はあ⁉」
バン! とテーブルを叩くようにして、イアンが思わず立ち上がる。
「そんなはずないやろ! あいつ屈強な警邏隊を何人仕留めてると思うねん。民家の屋根の上に飛び上がったり、フェルディナントとも剣を交わしたことあるんやぞ。そんなこと出来る女、うちの姉貴以外この世にせぇへんわ! しかもうちのは軍人や! 普通の女やないから例外や!」
「知らないよ。女かなって思ったんだもん」
「なんで」
「ん~~~~~~~~~~~~~~……勘。」
イアンは半眼になった。
「なんや……単なるお前の勘かい。んじゃ無意味と同じやな」
「イアン君。君、熱々の紅茶を浴びたいのかな?」
「アホか。俺はなあ、あいつが王宮の屋根の上、とんでもない速さで駆けてくとこもこの目で見たんや。断じてあんなもん、女やない。動物みたいな身のこなしやったぞ」
ラファエルは頬杖をつく。
「んでも、さっきの論理で言うと、君が見たそいつは動物みたいな身のこなしの【仮面の男】かもしれないけど、俺の方に出たのは【仮面の女】だった可能性もあるんでしょ?」
座り直したイアンは眉を寄せる。
「……ラファのクセに妙に鋭いこと言うなや。腹立つから。お前が言ったんやぞ。女やないかとかややこしいことを。何でそう思ったか言えや。勘以外で」
「ん~~~剣合わせた時になんとなくそんな感じがしたのよ。そうとしか言えない」
「お前戦ったんか?」
「最初だけね。しょーがないでしょー。王妃様が一緒だったんだから。王妃様がいなかったらそりゃ俺もすぐ逃げ出したよ」
「それで?」
「いやダメだった。ものすごい強いんだもの。守備隊が来てくれなかったら俺、今頃確実に死んでたねえ」
「だらしない奴やな……。女相手にも勝てへんのか」
「おや。女だって信じてくれんの?」
「信じるも信じないも俺はその場にいなかったんやから判断しようがない。お前が弱すぎて、負けたって聞いても相手の力量が分からんわ。子供でもお前負けるかもしれんし」
「強かったと思うよー。そういえば言われてみると変わった武器持ってた気がする。完全に今言われたらだけど。なんかこう三角形のダガーみたいな。ダガーみたいにも使ってたけど間合いとると紐ついててビュンビュン振り回してた。きゃー。なに怖いって思ったから途中からもう守備隊の人に任せちゃったよ」
アハハと笑ったラファエルに、イアンが思わず頭を抱えた。
「……お前……そんな敵前逃亡みたいな姿見られたのによぉ王妃に怒られんかったな……」
「いや。逃げはさすがにしなかった。逃げましょう! って俺は言ったのに嫌だ絶対塔見に行くもんってあの人言い張るんだもの。困っちゃったよ……。イアン君きみねえ。ちゃんと塔から落としたりせず捕まえといてよ。君があんな奴逃がさなかったら俺たちが怖い思いせずに済んだのに。君のその輝かしくも野蛮な戦歴、こういう時に反映させないとすんごく無意味だよ?」
「やかましいわ! せやから普通あそこから落ちたら死んでんねん! お前らのとこ行けるはずないんや!」
「だったらもう答え出てるじゃん。お前のとこに出たのと森に出たのは別人なんでしょ。
あいつらは組んでて、一人が城の方で騒ぎを起こしてる隙に、もう一人が【シビュラの塔】を狙うって段取りだったんじゃないの?」
「【シビュラの塔】一人で行ってどうすんねん。そんな命がけの見学するか?」
「知らないよ。そもそもあれがどう発動してるのかも知らないのに」
「……王妃にその辺りのことなんか聞かなかったか。なんでもいい。どんな風になってるとか、守備隊の規模とか」
「あっ」
「ん?」
「……うん。そうかそうか。いや、なんでもない」
「いや何でもないことあらへんやろ。お前今絶対『あっ』って言うたやんけ」
「気のせい気のせい」
「気のせいなわけあるか! 今確実になんか思い出したやろ! なんやねん! 言えや」
「聞きたい?」
にっこりとラファエルが笑ったのではイアンは額に青筋が立った。
「聞いとるやろ」
「じゃー聞かせてくださいラファエル様って言ってくれる?」
「うわー……なんやねんこいつ……鬱陶しいわ……。殴りたいけどええかな? 殴っても。ええよな?」
「イアン君、今誰ときみ話してるの。怖いからやめてくれる?」
「さっさと言えや」
「じゃあ君が思う俺の長所三つ上げて褒め称えてくれたら教……あああああああ痛い痛い痛い!」
言葉を結ばせず、素早く立ち上がったイアンが鮮やかにラファエルの首を締めにかかる。
「ちょ、ほんとやめてお前の馬鹿力で締められたら優雅な俺様の首ホント折れるから!」
「そうやなあ。今折れてお前死んだらそこの窓から捨てるわ。ヴェネト王妃には直前に森で敵を前に逃げようとしたことが恥ずかしくて、死んで詫びるしかないって泣いてた言うといたるから心配すんな」
「やめてそんな本当にあり得そうなことするの! 分かった分かった分かったってば!」
ラファエルがようやく分かったと繰り返したので、イアンは首から腕を離してやる。
「女の子に首に飛びつかれるの大好きだけど、君の腕が首に回んの大嫌い。一気に目の前真っ白になるのなんなんだろう」
「それはな。人間のここの首筋んとこものすごい血が通ってるからここ潰すと血が回らんようになって一気に脳がパーン! なるねん」
「へー。……っていらないそんな野蛮な知識! なに胸を張りながら怖いこと説明してんの! ちょっともうあんまり俺に近寄んないでくれる⁉」
汚い野良犬を追い払うような素振りを見せて、ラファエルがイアンを追い払った。
「お前の分際で俺に逆らうからそういうことになるんや」
「イアン君、きみ女の子も部屋にあんな強引にズルズル引きずり込んで首絞めて黙らせて抱いてるんじゃないだろうね? そうだとしたらホントそんなことするの山賊の人かきみだけだよ? 絶対嫌がられるからやめた方がいいと思うよ……。前から妙に思ってたんだよなあ、なんで君みたいな野蛮な人の部屋に女の子があんなに行っちゃうんだろうって。あれはモテてたんじゃなくて君が捕獲してたんだねさては」
「するか! 女に首絞めなんて! 俺がこんなもんすんのは敵兵かムカつくラファエル・イーシャだけや!」
「それならいいけどさぁ~。……いや俺にもやんないでよ」
「はぐらかすな。なんやねんさっきの『あっ』ってのは」
「いいけど。あんまこれ喋んないでね。王妃様は塔が建ってるあの島のこと、本当に他国にはどんな状況になってるかも知られたくないらしいからさ。でもまあ、守備隊が島に上陸しないなら、彼らはその訳も知ってるだろうしね……。ただ本当に他所では口にしない方がいいよ」
「分かった分かった」
「俺さぁ、王妃がどうしても塔が心配だって言うもんだから、言ったんだよね。森の守備隊を塔の方に回して警備を厚くすればいいんじゃないかって」
イアンは腕を組む。
「まあ、そやな」
「そうしたら言われたんだよね。島には警備、いないんだって。昔は大切なヴェネトの神域だから、大規模な警備隊を上陸させてたらしいんだよ。けどある日、一夜でその警備隊が全滅しちゃったらしい」
「全滅……? 原因は。【シビュラの塔】となんか関係あるのか?」
「直接は何が起こったか、全く分からないらしい。なんせ生き残りが一人もいなかったからね。ただ、遺体は残っていたから、確認してたら、なんか人間に殺された感じの遺体じゃなかったらしいよ。王妃様のそのままの言葉で言うと『獣に食い荒らされたような酷さ』だったらしい」
「……獣?」
イアンの脳裏に、スペイン駐屯地で起きた惨殺事件の現場の惨状が浮かんだ。
あれは、刃で明らかに遺体を切断してあったので、獣の仕業ではない。
だがその表現に、咄嗟に浮かんだのはあの光景だった。
「……それはなんかの比喩なんか?」
「いや。違うみたい。それ以来、警備がいるのは森までで、島には上陸しなくなったんだってさ。比喩じゃなくて本当に、獣に襲われたみたいだったからビビっちゃったんだねみんな。ただそれ以降はそういう事件はなかったみたいだから。やっぱり【シビュラの塔】ってのは神話の時代に出来たって言われるだけあって一筋縄ではいかないみたいだねえ。
王妃様の感じ見る限り、もしかしたら、ヴェネトもかなりあの塔の扱いには難儀してるのかもしれないよ?」
「ヴェネトの守備隊が全滅したって……それって、塔に人間が近づくのを嫌う、とんでもない力を持った怪物でもあの島に住んでるとでも言うんか?」
「んーでも、この世界、いる所には『竜』とかいうやつもいるからねえ。俺たちが見たこと無いだけで、その国にだけしか生息しない化け物みたいなものがいてもおかしくないんじゃないの? イアン君は大人になってからはスペインと神聖ローマ帝国は友好的な関係だから戦ったことまだないんだもんね?」
「あぁ? ……まあそやな……。今の神聖ローマ帝国皇帝の皇妃がスペイン出身やねん。うちの何番目かの兄貴とかにも神聖ローマ帝国の家から嫁いでる人もいるしな。友好関係で来とる」
「だから竜騎兵団けしかけられた事もないでしょ。実際見るとあいつらほんと悪の権化みたいな奴だよ。突然空から降って来て城壁も船も家も人でもなんでも踏み潰して殺すし。
竜にそうさせてる竜騎兵も野蛮だけど、竜自体がもう、好戦的な生き物なんだよね。あいつらの外皮って剣も弓も弾くし耐熱性もあるし水も少しの間なら潜れるらしいし、最悪なんだよ。竜騎兵は一人いても一つの街を潰せる。竜がいればね。うちのブザンソン城壁なんて建国以来他国に制圧されたことなんてなかったのに、竜騎兵団が一軍団投入された途端一日で落ちちゃったんだもん。とんでもない奴らだよ。
なんで神聖ローマ帝国が『竜』の国になったかなんて知らないけどさ。
俺に言わせてもらえばいつからそこに建った分かんない古代兵器を抱えたヴェネトと同じようなもんだよ。他国に存在しない、防ぎようのない力で襲撃して屈服させようとする。
貴族の中には、空から降りて来る竜騎兵の姿見て、恐怖のあまりおかしくなっちゃった人とかもいるくらいなんだから。だから俺は、ヴェネトの【シビュラの塔】が建つ島に化け物が住んでるとか聞いても、全然比喩じゃないと思うよ。
例えば、あいつらは神聖ローマ帝国にしか竜はいないなんて言ってるけど、竜なんか空飛ぶんだし、他の国に一匹もいないとは俺は思えないね。全ての竜の起源は神聖ローマ帝国にあり、もし他国が竜を保有、繁殖なんかさせた時は、直ちに我が国に対して敵意があると見て攻撃すると明確にしてる奴らだから、公じゃなく、こっそり神域の番をさせてるのとかはいたっておかしくない。
まあ【シビュラの塔】の近くに生息してる謎の怪物が竜かどうかは分かんないけどさ。
でもあいつらなら一頭で守備隊全滅くらいさせられる力はあるから」
「けどそんなことなったら、自分たちの王宮とかも危ないやんけ」
「王家の森に守備隊がいても同じことは起こってない。竜ってのはかなり賢いやつで、相手が自分の領域を冒して来ないなら、こっちからは打って出ないとかは結構あるみたいよ。
このあたりのことは竜を愛してやまない君の友達の方が詳しいんじゃない? 竜は凶暴だけど、竜騎兵のように、協定関係を結べた相手は襲ったりしないし、命令に従うこともある。王妃は島に上陸するのを躊躇わなかった。彼女があそこを『ヴェネト王家の神域』というからには、王族がその竜と協定関係にあるのかもしれないし。作り話をしてはぐらかしているという感じはあの時はしなかった。あの島に、得体の知れない何かがいるのは確かなことなんだ」
「……あの仮面の連中の正体が分かればなあ……。ヴェネトのやつなのか、違うのか、せめて分かれば」
ラファエルは腕を組んだ。
倒れた仮面の男に近づいて、仮面を剥ごうとした時――男ではない、と直感的に感じたのだ。女だったのだろうか。実際剣を手合わせした印象から言うと、とても女とは思えない強さだった。ただこの世には非凡な人間はいるものなのだ。それは男だろうと女だろうと変わらない。
「さっき、あいつの顔が見たいって言ってたよね。その気持ちは、俺も分かるよ。あれは非凡な人間だ。あの足場の悪い森の中でも踊るような戦う姿だった。どんな顔をしていたかなと思うんだ。……そういえば、追い詰められた最後、不思議な武器を使ってたな。手に仕込んだ自動弓みたいな……」
「ホントか?」
「うん」
「守備隊のやつよぉ避けたな。なんでも街ではあれでほぼ警邏隊が仕留められてるみたいやで。遠くからあれで狙うんじゃなく、近距離で急所に打ち込んで殺す武器みたいや」
「そうなの。そんな怖い武器と絶対戦いたくないなあ」
ラファエルは肩を竦めてみた。
「体格はどんな感じだった? 守備隊と比べて」
「体格?」
「俺と塔で相対した時、初めて奴を間近で見た時、小さく見えたんだよ。お前女じゃないかって言ったやろ。俺はさすがにあんな恐ろしい戦闘力持ったやつが女とは思わんが、確かに違和感を感じた。俺が思ったのは……子供なんじゃないかと思ったんや」
イアンはその時、自分で口に出して、感じてた違和感の正体をはっきりさせることが出来た。そうだ。あの向き合った時の感覚。使い古した、憎悪や敵意を何にも感じなかった。
仮面越しに、冷静さを感じたけどあれは冷静さじゃなく、清々しさ。一番しっくりする表現は、子供の無垢さだ。
「子供……?」
ラファエルはその表現はしっくり来なかった。
近づいた時、胸が騒いだ。
剣をぶつけ合う間中、仮面の下からこちらを見つめる視線を感じた時、素晴らしい才を持った相手と戦っているという喜びを感じた。仮面を剥いで素顔を見てやろうとしたのは使命感ではなく、欲望に近い。ラファエルはあの時、素顔を暴き、自分のものにしてやりたい、という欲情に近いものを感じたのだ。
彼は自分のこういう本能じみた直感には、絶対の自信を持っている。
あいつが子供なら、欲情なんて絶対感じない。
だからあいつは子供じゃないし、男でもない。戦闘力は確かに女とは思えなかったが。
……答えは出ないが、多分そういう存在だ。
「体格だけで言うなら。確かにそんな大男って感じじゃなかったかな。小さい感じもした。でも、断じて子供じゃないと思うけどね」
「そっちに出た奴もやっぱり体格小さかったのか。けど……あいつらがもし、大人じゃない、そういう感じのやつなら、そう躾けとる奴がいるってことやろ。子供なら、殺しをあいつらに教え込んどる大人がいるってことや」
「まあ、あくまでも君の推測が正しければだけど」
イアンは眉を強く寄せた。
……王都ヴェネツィアの警邏隊は、自国の民を守るという使命を放棄し、貴族から賄賂を受け取り、彼らの利権を守るための私兵団のように動いていた。子飼いの、兵士のように。
仮面の男の、話し合う余地もないまま塔から身を投げたあの姿が、ずっとイアンの脳裏に残っている。
物言わぬ兵士……。
ただ、言わないのと、言えないのでは、大きく意味が違う。
(確かにヴェネトは、今、何かがおかしいんや。そのおかしさを、望んどる奴もいるし、中には正そうとしている奴もいるのかもしれん)
【シビュラの塔】
【青のスクオーラ】
【有翼旅団】
そして素性の分からない、仮面の男たち……。
フェルディナント・アークとも話さなければ。
イアンは自分が何か、大きな運命の渦の中に飲み込まれているような気持ちを感じながら、それだけを思った。
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