ゴムマスク奇談
鬱ノ
ゴムマスク奇談
公園沿いを歩いていると、一匹の亀がゆっくりと歩道を横切り、車道へと進みかけていた。小学生の通学用ヘルメットくらいある、大きな亀だ。危ないな、このままだと車に轢かれる。駆け寄って甲羅をつかみ、公園の池まで運んだ。
亀は、こちらを一瞥すると、静かに水中へ潜っていった。助けたというよりは、目の前で車に轢かれるのを見たくない、という気持ちが強かった。恩返しに来たりして。半ば冗談で期待しながら、僕は家路についた。
その夜、午前0時にインターホンが鳴った。モニターを見て、一瞬心臓が止まる。そこにいたのは、僕だった。
自分そっくりの顔をした男が、黙って立っている。何かの間違いではと、恐怖を飲み込んでモニターを凝視する。男は、立ったまま微動だにしない。やはり自分の顔だ。しかし、どこか作り物のように見える。というか、完全に作り物だ。アゴのラインをたどるように、薄くペラペラとした縁がある。ゴム製の変装用マスクだ。
誰かのイタズラか? 思い当たる友人や知り合いはいない。ドアに鍵は掛かってるものの、チェーンは外れている。僕は居留守を使い、布団を被って息をひそめ震えていた。
10分くらい経っただろうか。結局、インターホンが鳴ったのは一度だけだった。モニターを確認すると、すでに誰もいなかった。
そのまま朝まで眠りたかったが、目が冴えて一睡もできない。5時を過ぎた頃、辺りが明るくなったので、コンビニへ行こうと恐る恐る外に出てみた。周囲を見回すも、特に異常はない。ホッと一息つく。
僕は、こう考えることにした。気味が悪かったけど、もしかしたら、あの亀が恩返しに来たのかもしれない。人間に化けようにも、きっと僕の顔しか知らなかったんだ。
亀が人の姿に化ける話が成立するなら、人に化けた上でゴムマスクを用意する話だって成立するだろう。どっちも同じくらい非現実的だけど、後者の不可解さは人間の理解を超えていて、むしろリアリティを感じる。そんな無理筋な解釈をひねり出しながら、エレベーターを降りる。
マンション入口を抜けると、目の前の大通りに何かが落ちていた。一瞬だけ見て慌てて目を逸らしたが、すぐにわかった。ゴムマスクだ。
全身から冷や汗が出る。僕そっくりのゴムマスクが、車に轢かれていた。潰れたゴムの顔面に、黒いタイヤ痕がついていて、アゴ下の開口部から黄緑色の塊が混じる赤黒い「中身」が、こぼれ出ていた。マスクの目と口からも、赤い物が飛び出ている。
ああ、あの亀だ。
そして何が起こったのかを理解した。不審者による嫌がらせでもなければ、人に化けて恩返しに来た亀の不幸な事故でもない。
僕は部屋で、再び布団を被って震えている。亀は人の姿で来訪した後、亀に戻った。そして、僕の顔のゴムマスクに入ったまま、わざと大通りへ転がり出たんだ。車に轢かれるために。恩返しに来たんじゃない。
自殺の邪魔をされた腹いせに来たんだ。
何という悪意だろう。亀は、あれを僕に見せたかった。
(了)
ゴムマスク奇談 鬱ノ @utsuno_kaidan
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