彼女を苦しめる10の方法 ~ギャルに二股をかけられ捨てられた俺が、復讐を遂げる~

サバ寿司

「彼女を苦しめる10の方法」

「オタクくん、今日で終わりね?」


 その一言が放たれた瞬間、教室が静まり返った。

綾野ひかりがギャル特有のあっけらかんとした笑顔を浮かべ、何気ない口調で言った。


「はあ? 何言ってんだよ」


 反射的にそう返してしまった俺、犬飼友樹は、その場の空気をさらに重くする。周囲の視線が痛いほど突き刺さる。自分の顔が熱くなるのを自覚した。


「だからさ、キミとは冗談で付き合ってただけってこと♪」


 ひかりは軽い調子のまま、隣にいるイケメン男子の腕を組む。身長は180センチ以上、韓流アイドルのようなルックス、彼女にお似合いだと一瞬で理解してしまった。


「……もしかして、二股をかけてたのか……?」


胸の奥で、怒りがジリジリと燃え上がるのがわかる。イケメンが「何かあったの?」と困惑の表情を向けると、ひかりは笑顔で「なんでもないよー!」と手を振った。


「アンタとなんか本気で付き合うわけないじゃん? オタクくん」


 あっさりと言い残して、イケメンを引っ張り、教室を出ていくひかり。


周りからクスクスと笑い声が聞こえて、俺はつい下を向いた。視線が痛くて堪らない。いつもの猫背が、余計に丸くなった。


「……大丈夫?」


 そっと肩を叩かれて振り返ると、幼馴染の白崎遥香が心配そうに立っていた。


「友樹くん、さっきのは……」


 申し訳なさそうに口を開く彼女の瞳には、優しさが宿っている。


「大丈夫。気にしないで」


 そうは言いながら、声がわずかに震えているのを自覚する。黒髪をゆるやかに揺らし、遥香は不安そうな面持ちで「そっか」と席へ戻った。


 これまでの出来事を思い返す。なぜ俺はあんな金髪ギャルと付き合っていたのか――。


 昔からオタク一本槍のこの俺にとって、自分でも信じられない話だ。





 そう、思い出すのは、数か月前の光景。


授業の合間に漫画を読んでいると、ひかりが隣の席に勢いよく座った。身を乗り出すようにして、興奮した様子で話し始める。


「ねえ、それ今期アニメの原作でしょ? 貸してよ。私、アニメ見てるけど、原作読んだことないんだよね~」


 そのときの俺は戸惑ったのをよく覚えている。今まで何の接点もないクラスの一軍のような女子。住む世界も空気観も違うはずなのに、実はアニメ好きとは意外だった。


まわりのクラスメイトも唖然として「ギャルがオタク男子に話しかけてる……?」と怪訝そうにこちらを見ていた。


 さらに、放課後にゲームをしていると近づいてきて、


「ねえねえ、キミ、それ新しいやつでしょ? どこまで進めてるの?」


 と、グイグイ距離を詰めて覗いてくる。


そんな感じで、何かと俺に声をかけてくるひかりに、最初は正直うっとおしく思っていた。


「別に? 暇つぶしってだけだし?」


 とぼけた彼女は、そのくせ俺のプレイ動画や漫画に興味津々で、いつも目を輝かせていた。


 何度かそんなやり取りを繰り返していると、自然と会話が弾むようになり、そのうち一緒に帰ることさえ増えていった。そして、ふとしたきっかけで彼女から、


「ねえ、アンタさ、彼女とかいないの?」


 なんて唐突に聞かれて――。


 結果的に、ひかりの方から「オタクくんといると退屈しないし、結構楽しいし?」と軽いノリで告白(?)され、付き合うことになったわけだ。


 



 しかし今、その関係はあっという間に終わりを告げた。あれだけしつこく声をかけてきた彼女が、「今日で終わり」と切り捨ててきたのだから、訳がわからない。


 やはり最初から俺をからかって、遊んでいただけなんだろうか。


「このままじゃ終われない。どうにかして、ギャフンと言わせてやる……」


 鞄から新品のノートを取り出し、文字を殴り書きする。頭に浮かんでは消えるのは、ひかりの悔しそうな顔、驚いた顔、混乱した顔……。心臓がドクドクと早鐘を打つのを感じつつ、震える手を止めない。


表紙に書いたそのタイトルは、


「彼女を苦しめる10の方法」


 この怒りは収まりそうにない。こんな屈辱を味わったのは人生で初めてだ。ザコビッチなギャルの分際で、よくも俺をここまでコケにしてくれたな。絶対に仕返ししてやる。


「……何書いてるの?」


 ふいに耳元で声がする。振り返ると遥香が、少し険しい顔をして覗き込んでいた。


「これは俺の問題だ。お前には関係ない」


 怒りで詰まった声が出る。彼女の表情は、不安と悲しみが交じったように見えたが、俺は見なかったふりをする。


「絶対に復讐してやるからな、綾野ひかり……!」


俺は、そう心に誓った。





 翌朝、5時に起きた俺は足早に学校に向かい、人気の無い教室に入った。窓ガラスに映る髪を無意識に整えようとしたが、結局いつも通り、寝癖のような無造作な髪型に戻ってしまう。


 ノートに書き込んだ復讐プランを実行するときが来た。


 綾野ひかりの机の中に、濃いオタク趣味の品々を仕込む。推しキャラの抱き枕カバーから始まり、キラキラしたアニメグッズたち。狙いは、彼女が動揺して恥をかくこと――そう思っていたのに。


 彼女が登校してきた瞬間、俺の目論見はあっさり崩れ去る。


「えっ、なにこれ! めちゃくちゃ可愛いんだけど!」


 彼女は抱き枕カバーを手に取り、クラスメイトに見せびらかし始めた。眩しいほどの笑顔には、戸惑いや恥じらいが感じられない。


「見て見て、この子、超キュートじゃない? あ、これ限定グッズじゃん? やばー、うれしい!」


 彼女のテンションに釣られ、周囲の女子も「マジで可愛い!」と興味津々に集まってくる。


 まさかの好評ぶりに、俺は教室の隅で固まるしかない。恥をかかせるつもりが、むしろ彼女の株が上がっていく。狙いとは正反対の展開に、ただ呆然とするしかなかった。そのとき、綾野ひかりと目があった気がして、俺は教室から逃げ出した。


 次なる一手は、ひかりの教科書に紛れ込ませた大量の不吉なメモだ。たとえば「この公式を間違えたら一生赤点」などと書いた付箋をベタベタ貼りつけておいた。授業中に混乱する姿が見られるはず――と期待していたのだが。


 いざ授業が始まると、彼女は教科書を開いてクスクスと笑い出す。


「先生、私すっごく予習してきました! 見てこれ!」


 唐突にメモだらけの教科書を掲げた。クラス中がどっと笑いの渦に包まれ、教師でさえ「お、頑張ってるんだなー。次のテストは赤点になるなよ」と微笑んでしまうほど。


「なんでこうなる……」


 焦りと悔しさが募る一方だ。せっかく用意したネタが、すべて逆効果になっている。


 そんな俺に、幼馴染の白崎遥香がそっと声をかける。


「あれ、友樹くんがやったんでしょ?」


 心配そうな眼差しが向けられた途端、つい「放っておいてくれ」と突き放してしまう。


「でもさ、あの子が楽しんでるなら、それでいいんじゃない?」


 彼女の優しさに、何も言い返せなかった。


 放課後、俺はまたしてもノートを開き、新たな復讐アイデアを練り始めた。今度はギャグ路線を狙い、ひかりの筆箱に便器型の消しゴムや、ウンチ型キャップのボールペンを入れてやろうという計画だ。下品なものを見たら、さすがに驚いたり恥ずかしがるだろう。


 彼女の机には、いつも奇妙な猫柄のトートバッグがかかっていて、中には教科書や筆箱がぎっしり詰まっている。だから、こっそり仕込むのは簡単だった。


 翌日の朝、息を殺して彼女の反応を待ち構えていたが――。


「うわ、これ最高! ねえ、みんな見て見て! こんなのあるんだ!」


 ひかりはキラキラした笑顔でその珍品たちを見せびらかし、クラスメイトの興味を一気にかっさらう。周囲からは「それどこで買えるの?」「欲しいー!」と大盛り上がり。


「どうして全部が裏目に出るんだ……!」


 またもやショックを受けているところへ、遥香がやって来る。


「友樹くん、そろそろやめたら?」


 穏やかな声音が、逆に俺を苛立たせた。このままでは引き下がれない自分がいて、つい吐き捨てるように声を荒げる。


「うるさい! ほっとけって言ってんだろ……」


 その瞬間、遥香が驚いたような表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻して言った。


「……それでも、友樹くんが苦しんでるのは見ててつらいよ」


「別に俺は苦しんでなんか――」


 反射的に反論したものの、自分でもそれが嘘だとわかっている。昔から彼女には俺の考えていることがバレバレだった。


「ひかりちゃん、二股の話しは、本当なのかな? なにか、違う気がするんだよね……」


「何言ってんだ。おまえも見ただろ?」


 俺は首を振って、その考えを振り払うように復讐ノートを手に取る。しかし、どれだけ考えても次の作戦が思いつかない。遥香の言葉が頭の中で反響して、集中できなかった。


 もやもやを抱えたまま、何も思い浮かばずに復讐は止まってしまった。





週明け、白崎遥香が小声で伝えた言葉に、俺は戸惑いを隠せなかった。


「ひかりちゃん、あの人と、付き合ってないみたい。これ、確認してみて」


 遥香が困ったような様子でスマホを差し出す。画面には綾野ひかりと、この前のイケメン男子のツーショット写真が映っていて「うちらズッ友(わら)」と書かれていた。


「……だから何だ? これだけじゃ分からないだろ」


「昨日、直接この男の子に、聞いてみたんだ。そうしたらね、ひかりちゃんとは、仲は良いけど友達で、あれから変な誤解をされて、困ってるって言ってたよ」


 内心ドキリとする。くすぶっていたモヤモヤが、はっきりと姿を現したような感覚だ。


「……ならどうして、あんなことを……」


「事情が、あるのかも。ひかりちゃん、無理して笑ってるように見えるとき、あるでしょ?」


 遥香の柔和な瞳に見つめられて、言い返そうとしても言葉が詰まる。たしかにひかりの笑顔には、たまに陰りがあったような気がして――。


「……あいつは、単に俺をからかってるだけなのか……?」


「自分自身で確かめるしか、ないんじゃないかな? だって、恋人なんでしょ?」


 遥香はそう言い終わると、スカートを軽く揺らしながら椅子を立った。



 


 その夜、スマホを眺めていると、SNSで彼女の新しい投稿を見つける。


 体調が悪いから、しばらく学校を休むね」という短いコメント。


 それが引っかかって頭から離れない。


 どうしても真相を確かめたくて、ひかりの家を訪れてみた。


 そしてひかりの母親から、病院で入院をしていると聞かされた……。





 翌日、遥香に促されて病院を訪れたとき、俺は思わず息を呑んだ。


 ベッドの上でぐったりしているひかりが、あの派手なギャルと同一人物に思えないほど儚げに見える。


「……なにしに来たの?」


 かすれた声には、まだ彼女らしい尖った響きが残っていた。


「二股の話、嘘だったみたいだな。だから、ちゃんと話を聞きたい」


 震えそうになる声を抑えながら言うと、ひかりは一瞬だけ眉を寄せて、視線を落とす。


「私さ、そんなに時間が残ってないんだって……」


 俺は驚きのあまり、言葉を失った。


 しばらく呆然と立ち尽くした後、椅子に腰を下ろすと、ひかりは力のない笑みを浮かべた。


「脳がスカスカのスポンジになって、ドロドロに溶けて、ぜーんぶ忘れて、最後には死んじゃうんだって。あはは……、なんか笑っちゃうよね……」


 無意識にネイルを撫でる指先が、小さく震えていた。


 こんな綾野ひかりを見る日が来るとは、想像もつかなかった……。いつも元気で、大きな声で笑い、友達も多くて、キラキラに輝いていて、そんな眩しい彼女の姿しか知らない。


 俺は、自分が恥ずかしくて、許せなくなっていた。仮にも付き合っていたはずなのに、どうして気が付けなかったのだろう……。


「なんで、話さなかったんだよ……」


 低い声で問いかけると、ひかりは苦笑交じりに顔を横に振る。


「言っても何も変わらないし、負担かけるだけじゃん。だから、普通に笑っていられるうちに終わらせたかったの。未練も残っちゃうしね……。本当は高校卒業までもつはずだったんだけど、急に悪化しちゃったみたい……。ごめんね」


「それで俺と別れるって、そんなこと、どうして勝手に決めつけるんだ……。俺は、おまえの力になりたいんだ……」


 彼女は目を大きく見開いたが、すぐに切ない表情に戻った。


「わかったようなこと言わないでよ。キミにいったい、なにができるの……」


 そう言うと、ひかりは首を傾げて枕に顔を埋めた。


 それ以上、俺には何も言えなかった。そんな資格すら俺には無いと思ってしまった。俺は心底、自分がクズだと思った。


 ふと視界に入ったのは、ベッド脇の棚に置かれた一冊のコミック。表紙が擦り切れるほど読み込まれた様子が目につく。


「これ……見覚えあるな……?」


 手に取った瞬間、脳裏に幼い日の光景がよみがえる。





 ──小学校、低学年の頃。


 俺はちょっとした検査で病院に来ていた。他にやることもなく、持ってきた漫画を読み耽っていた。


 そのとき、ふと待合室の椅子にぽつんと座る少女を見つけた。ロングヘアで、マスクをしていたその子は、退屈そうに床を見つめている。その子が何も持っていないと気づくと、なぜか声をかけずにはいられなかった。


「これ、読む?」


 彼女は驚きながらも、ぱっと笑顔を見せた。


「いいの……? ありがとう。わたし、ずっとここにいるから……退屈してたんだ」


 やけに話しやすくて、気づいたら二人で意気投合していた。


 それからも時々彼女と会うと、待合室で並んで座っては、「次の巻、すごく熱い展開だよ」とか、幼いながらも熱く語り合ったのを覚えている。





 脳裏の映像から現実へと戻り、目の前にはベッドに横たわる綾野ひかりの姿がある。


 そして当時の俺には、本の裏表紙に自分の名前を書く癖があった。


 恐る恐る、裏返して見ると、汚い字で「いぬかいともき」──俺の名があった……。


「もしかして、昔病院で……」


 そう問いかけると、ひかりは弱々しい笑みで頷く。


「ついに、バレたか……。うん、そうだよ……」


 舌をペロっと出して言った。確かにあのころの少女の面影を宿していた。


「さ、もういいでしょ? 検査があるから、もう出てって……。嘘をついたのは謝るけど、こういうことだから、もう私のことは放っておいて」


 何かを言おうとするが、何一つ言葉が出てこなかった。





 病室を出た後、廊下で待っていた遥香は心配そうな表情のまま、俺の様子をうかがった。


「どうだった? ちゃんと、話せたの?」


 ため息をつき、「ああ」とだけ答えると、彼女はそっと微笑んだ。


「ならいいんだけど……友樹くん、真っ青な顔してるよ?」


 思わず顔をそむけ、拳をぎゅっと握る。


「あいつ、病気で、もう治らなくて、死ぬんだって……」


「うそ…。そんな……」


遥香は絶句している。


「俺は、バカだった……。自分のことしか考えず、あいつを理解しようともしなかった……。なにが復讐だ……。愛想を尽かされて当然だ……」


 俺はそのまま力なく、廊下に座り込んでしまった。


 頭を抱えて、もう自分がどうしたら良いのか分からなかった。


「それで、友樹くんは、どうするの?」


「どうしようもないさ……。あいつが、自分のことは放っておいてくれってさ……」


 涙が流れてくるのを止められない。俺には泣く権利すら無いはずだ。


しばらくすると、遥香が言った。


「犬飼友樹は、そんな人なの?」


「え?」


「私の知ってる犬飼友樹は、すごいオタクで、ゲームとか漫画が大好きで、好きなことならずっと話し続けて、運動とか勉強は、あまりできないけど、いつも楽しそうだったよ。あんな美人な彼女ができて、ビックリしたけど、私は……、お似合いだと、思ったんだ。だから私は、私の方が……、ずっと先に友樹くんのことを、好きだったのに、見守ることにしたんだよ?」


 俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、遥香を見つめた。


彼女もまた、肩を揺らして泣いていた。


「それなのに……! この……、バカやろう……」


 いつも春風のように穏やかで、優しく笑う印象しかない彼女が、嗚咽をこらえて必死に話していた。


「本当にしんどいの、ひかるちゃんに、決まってるじゃない……。友樹くんが、そんな簡単に諦めたら、ずっと応援していた私だって……。バカみたいじゃない……」


 最後に病室で見た、綾野ひかりの顔を思い出した。


 あいつは、どんな表情をしていた?


 俺は涙をぬぐって、立ち上がった。


「遥香、ごめん……。そして、いつもありがとう。俺、あいつの全部、病気のことも、なにもかも受け止めたい。そうしたいんだ」


 まだ自信を持って言えるわけじゃないが、この気持ちだけは確かだった。


白崎遥香は涙を拭いた後、大きく深呼吸をして俺を見つめる。


「何があっても、いつだって私は……、友樹くんの味方でいるよ。たとえ苦しんでも、あきらめないで」

 その優しい声が、心の奥底に染み込んでいく。俺は大きくうなずき、ひとまず病院を後にすることにした。




 

 夕陽が差し込む病院の屋上に足を踏み入れると、フェンスにもたれるようにして、綾野ひかりが立っていた。少し風が強いせいか、その髪がかすかに揺れている。


 俺は彼女に声をかけるタイミングをうかがいながら、静かに近づいた。


 ところが、彼女の小さな呟きが風に乗って耳に届く。


「……あのとき優しくしてくれた犬飼友樹くん。キミは、全然変わってないんだね」


 彼女の視線は手にしている古い漫画の表紙へ向けられていた。


 俺は驚いて足を止め、ほんの少しだけ距離を取る。


 ひかりはそのまま愛しそうに表紙を撫で、切なげに唇を噛んだ。


「でも、こんな私といても……幸せになれないに決まってる。ごめんね……」


 ぽろりと涙がこぼれ落ちるのを、俺は見てしまう。


 胸が痛んだ。彼女は本気で俺を想ってくれているのに、俺は何も分かっていなかった――そのことを改めて痛感した。


 気づいた時には、俺の足が動いていた。


「……な、なに? 見てたの?」


 ギャル特有の軽い調子でごまかそうとしているけれど、声が震えている。


 俺はすぐに何も言えなくなったが、ひかりが先に口を開いた。


「ちょっとだけ、話してあげよう。特別だぞ。どうしてギャルになって、キミに近づいたか」


「……俺、なんにも知らなかったからな」


 そう返すと、彼女は苦笑まじりに頷く。


「何も知らない方が、良かったのにね。私……昔からここの病院に定期的に入院してたんだ。ある日ね、小学生の男の子が読んでた漫画を貸してくれたの。たくさん話をして、私はとても嬉しかった。世界には楽しいことがいっぱいあるって、キミと漫画が、教えてくれたんだよ」


 彼女は手の中の古い漫画を見つめる。


 まるで宝物を抱いているみたいな眼差しだ。


「それが俺……だったんだな」


ひかりは「うん、そうだよ」と頷いた。


「でも、小学生のキミには私がどんな状況でここにいるかなんて、わかるわけないし。ましてや今みたいに髪を染めて派手なメイクしてたら、絶対気づかないでしょ?」


 確かに、そのとき会った子と同一人物だなんて、思いつくはずがない。


「本当はね、病気のこと、誰にも知られたくなかった。深く踏み込まれるのが怖いし、心配なんかされたくない。でも、キミとだけは仲良くなりたくて……それで派手な格好して、ギャルを演じて、軽いノリで話しかけるようにしたの。同じクラスになったときから、私がずっとキミと話したかったこと、知らないでしょ? だからキミが漫画を読んでいるとき、気合いれて声をかけてみた。そしたら意外と話しやすくて、めっちゃ、楽しかった……」


 沈黙が数秒あった後、俺はそっと彼女に尋ねる。


「じゃあ……どうして俺と『付き合う』なんてことになったわけ?」


 途端にひかりはガラッと調子を変えて、わざと明るい声を作りなおした。


「キミが夢中でゲームをしているとき、『うちら付き合っちゃう?』って冗談で言ってみた。ドキドキしながら、どんな反応するのかな?って、ちょっとした遊び心のつもりだったんだ。そしたらまさかの即答で『いいよ、付き合おう!』って返すから、こっちがビビったわけ」


 あの放課後の場面が頭に浮かぶ。


 二人きりの教室でゲームの話題で盛り上がっていると、ひかりが急にふざけた感じで言ってきて――俺はあのとき、本当に少しも迷わずに「いいよ」って言ってしまった。


「こっちとしては、さすがに『はあ!? 即答!?』ってなるじゃん。ずっとキミのことで悩んだりしてたんだから。でも……キミが真剣に私を見てくれたから、それが嬉しくて……」


 ひかりにとって、あのときのやりとりは冗談半分じゃなかった。


 そのことが今さらになって分かったが、嬉しい反面、切なかった。


 彼女は背中を向けて、空を見上げた。金髪が夕陽に染まり、淡いオレンジが揺れる。


 すーっと深呼吸をして、彼女は言った。


「だから、私と別れてください。もう止めにしよう?」


 そこにはギャルのような口調ではなく、感情の無い、暗く冷たいトーン。


 それでも、俺の心の中で芽生えた決意は揺るがない。


「別れない。俺は、君を幸せにするって、誓ったから」


 自分でも驚くほど真っ直ぐな言葉を口にした途端、ひかりは目を見開いたまま振り返る。


「はあ? キミ、何言ってんの? そもそも、あの復讐ノートも、私を困らせるためにやってたんじゃないの? 全部知ってたんだよ」


 腕を組んだ彼女は、あからさまに嘲笑うようなため息をつく。


「復讐だとか言ってたくせに、今さら『幸せ』とか言い出すとか、ふざけないで!」


 彼女の目は怒ってはいたが、今にもこぼれ落ちそうな涙が溢れていた。


「確かに最初は、俺をコケして振ったおまえを、ギャフンと言わせたかった……。でも、今は違うんだ」


 彼女を見つめると、ひかりは苦しそうに口を開きかけては、何も言わずに視線をそらした。


 その肩が微妙に震えている。


「……だから、ふざけないでよ。放っておいてって言ってるのに。なんでそれがわからないわけ?」


 怒りを爆発させるように睨みつけられる。


 人からこんな感情をぶつけられたことがなかったが、ここで怯んではいられない。


「放っておけるわけないだろ!」


 強い口調に驚いたのか、ひかりは一瞬だけ固まった。


「たとえ嫌がられてもいい。おまえの苦しみに寄り添って、一緒に痛みを分かち合いたいんだ。それが……俺の本当の気持ちだよ」


「ねえ、なんで……? なんでキミがそんなことするの? 昔のことだって思い出せなかったくせに……。私たち付き合ったのも一週間ぐらいじゃん」


 彼女は、泣いていた。


 入院中だから化粧は薄めだと思うが、それでもアイラインが涙で黒い筋になり、鼻水も垂れていた。俺は綾野ひかりのことを、なにも理解していなかったと思い知らされた。陽気で強そうなギャルという、表面しか見ていなかった。


そして、知れば知るほど、俺は彼女のことが好きだと自覚する。自分が辛くても、他人のことを考え、強くあろうとするその生き方を、俺は心の底から尊敬する。本当の彼女は、体が弱く、寂しがりで、死ぬことに怯えているんだ。


 そんなひかりを、放っておけるはずがない。


「たしかに、俺は昔のおまえに気がつけなかったし、病気だっていうのも知らなかった。逆恨みもした……」


そう、彼女にとってダメな彼氏だったが、まだ全部終わった訳じゃない。


俺は、彼女の前に復讐ノートを掲げた。表紙に書いたそのタイトルは、


「彼女を苦しめる1000の方法」


「これを読め。俺は、おまえに、まだ復讐していない」


 彼女は呆気にとられたまま、涙を拭ってノートを開いた。


「行ってみたいデートスポット、遊園地、動物園……。絶対面白い漫画のリスト……。海辺を自転車で二人乗りをする方法……。1000個も? ちょっと、なにこれ……」


「おまえの病気は治らないかもしれなし、もっと苦しくなるかもしれない。だから、俺はお前が死ぬまで、ずっと幸せにし続ける。それがおまえの未練になって、困らせることになるなら、それこそが俺にとっての復讐だ」


 プッ、と彼女は噴きだして、それから笑い声を上げた。


 泣きながら、笑いながら、彼女は復讐ノートと思い出の漫画を、その手に持って。


「……なにそれ、信じられない。キミって、ほんと何考えてるの?」


俺は深く頭を下げて、彼女に右手を差し出した。


「綾野ひかりさん。俺とまた、付き合ってください!」


 前は彼女から流されるような感じで付き合ったから、今度こそ俺から告白をした。


 彼女は呆れた口調で、「分かった、分かった。頑張って、私を困らせてよね」と言う。


「もちろん最後まで復讐するさ」


 俺の指先を、ネイルの先でつつく。


「死んじゃったら、呪ってやるんだから」


「ああ、ぜひ化けてでてくれ。それで一緒に、アニメを見たりゲームをしような」

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彼女を苦しめる10の方法 ~ギャルに二股をかけられ捨てられた俺が、復讐を遂げる~ サバ寿司 @sunafukin77

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