十 エルフは頭でっかち

「それで? それで?」

「だから、車にはねられて……」

「ぷぷぷ! レイン、今の聞いた?」

「くすくす、ナカムラって、おバカさんだね」

「……好きに言えよ」



 時の流れは早いもので、あれから一週間ほどが経った。


 その間も俺はずっと牢屋に閉じ込められていて、相変わらず自分がどうなるのかは不明のまま。もはや聖教会うんぬんどころの話ではない。このままじゃ、牢屋の根っこに養分として吸い取られるのも時間の問題だ。


 目を覚ましたキエリは朝から晩まで愚痴ばっかりだし、リーフェンは暇さえあれば質問責め。

 たまにやってくる村人エルフには、罵詈雑言だの、晩飯の残飯だの……まあ、浴びて不愉快なものはだいたい浴びせられた。昨夜は、川から汲んできて余ったのか、やたら冷たい水を頭からぶっかけられた。酷い仕打ちだ。まったく、憂鬱になる。


 この世界はどこまで行っても転生者を憎んでいる。

 それは分かり切ってるし、だからこそ、いい加減くどいと腹立たしくもなる。そしてその怒りがまた一周回って、今は後ろ向きな気分になっていた。


 「収容所を潰し、聖教会を倒し、転生者が息のできる世界を作る」。その野望はまだ消えていない。

 でも、こんなところでまた捕まって、夜な夜な「くしゃみがうるさい」とキエリに怒鳴られてる俺なんかに、果たしてそんなことができるのか。


 ……少し、自信がなくなってきた。

 あぁー、憂鬱だ。


 実を言うと、俺の本性はかなりのネガティブなんだ。初日は落ち込む暇もなかったから耐えられた。でも、こうして暇を持て余し始めると、途端に鬱が心を支配し始める。

 もう、心も体もがんじがらめだ。いっそのこと死のうかな。



「ねえってば! ナカムラ!」

「……え?」

「続き、続き話して!」

「はやく、はやく」

「えっと……ごめん、なんの話だっけ」

「あー、ナカムラまたボーッとしてた!」

「サニたちと話してる時に、余計なこと考えないで!」


 しかしまあ、癒しと呼べるものが無いわけでもない。


 牢屋の格子の向こう側で、ぴょんぴょん飛び跳ねているのは、サニとレイン。ダークエルフの子供たちだ。

 どうやらリーフェンの遠い親戚にあたる子のようで、彼に似て、好奇心旺盛でじつに無邪気(子供だから当たり前だけど)。そして天使のように可愛らしい。

 大人のエルフたちは概してこちらを嫌悪しているが、彼らはリーフェンの影響か、なぜかやたら俺に懐いている。まあ、転生者だのエルフだのの複雑な事情は、子供からすれば知ったこっちゃないのだろう。


「ナカムラ、遊べ」

「中当てしろ」

「もちろんナカムラが中だよ」

「ボールないから、石投げるね」

「……外に出られないから、無理だな。遊んでやりたいのは山々だけど」

「えー、なにそれうざ〜い」

「かわいくな〜い」


 そして、ちょっと俺を舐めてる。


 それでも釘刺してくる奴とか、火炙りにしてくる奴とか、杖でぶん殴ってくる奴に比べたら、全然マシだ。


「ったく……そんな言葉どこで知ったんだ? 親の顔が見たいよ」

「ナカムラが言ってたんだよ」

「覚えちゃった」

「余計なこと覚えやがって……」

「昨日かかさんの前で使ったら、驚いてひっくり返っちゃった」


 ……それは、少しだけ申し訳ない。


「なあ、遊びに来てくれるのは嬉しいんだけどさ、お前らは大丈夫なのか? 親に怒られたりするだろ?」

「大丈夫だよ」

「「あんなのに近づくなー!」って言ってくるけど、サニたちは無視してる」

「いや無視って……俺が言うのもアレだけど、ちゃんと親の言うこと聞かないとダメだぞ」

「いいんだよ。エルフは頭でっかちなの」

「人間も転生者も大嫌いなの。きらいきらいばっかりじゃ、なにもいいこと無いのにね」

「ほんと、もったいな〜い」


 やれやれと首を振り、妙に大人びたことを言う二人に、俺は思わず苦笑する。

 実に屈託のない意見だ。この村のエルフ全員に聞かせてやりたい。


「それ、リーフェンが言ってたのか?」

「違うよ。リーフェンのにぃにだよ」

「にぃに?」

「そ。ミストって言うの」

「ミストにぃ……また会いたいなあ」


 ソーンの他に、リーフェンには兄がいたようだ。

 リーフェン、ミスト、ソーン、サニ、レイン……何かと自然のもので名前がつきがちだな。そういう風習なのだろうか。


「そのミストって人は、この村にいないのか?」

「うん。追い出されちゃったんだ」

「ミストにぃ、優しかったのに……」

「それは……なんで? 何かあったのか?」


 サニとレインは同時に、鏡のようにそっくりな顔を見合わせる。

 どうやら、少し込みいった内容らしい。

 リーフェンのいない所で彼のプライベートに踏み入るような真似をしたくなかった俺は、とっさに「やっぱいい」と言いかける。が、それより先に彼らが口を開いた。



「ミストにぃ、ととさんをころしちゃったんだ」


 一瞬、何を言ったか理解するために、思考が停止する。


 ととさんを……殺した?


「自分の父親を……その、殺したのか?」

「そう。それで村から追い出されちゃった」

「あれからソーンねぇはすごく怖くなったし、リーフェンも元気なくなっちゃった」


 付き合いが短いので詳しくは知らないが、とにかくリーフェンは純粋で、そして底抜けのお人好しだ。そんな彼に、「自分の兄が父親を殺した」なんて後ろ暗い過去があったとは……意外だった。


 しかし意外ゆえに、やはり人のよくない一面を掘り下げているようで、罪悪感が湧いてしまう。

 「なぜそんなことを」というのは勿論気になったが、ひとまず聞かなかったことにしよう。


「でもナカムラが来てから、リーフェンちょっとだけ元気になったんだよ!」

「昨日もサニたちと中当てしてくれたしね」

「ねー」

「ああ、それで昨日たんこぶまみれだったのか。もうちょっと手加減……」


 そう言いかけて、サニとレインの顔が唐突に強張ったことに気づく。

 彼らは左の方に一瞬目をやったあと、「ぴっ!」と小動物みたいな悲鳴をあげ、一斉にこちらへ身を寄せた。


「どうした?」


 声をかけても、二人はぴったりと格子に張り付いたまま動かない。頭に手を乗せてみると、こちらにまで振動が伝わるぐらい、彼らは小刻みに震えていた。


 やがて、土の音と共に、一人のダークエルフの女性が現れる。



「牢屋暮らしはどうだ、転生者」


 銀色の髪を邪魔そうにかきわけて、ソーンはこちらを見下ろす。

 刃物のような鋭い目つき。隠しもしない軽蔑の念。絶対零度の声色。やはり、他のエルフとは格が違う。


「葉っぱ臭えベッドにもようやく慣れたとこだ。あとは手枷なしで便所に行けたら万々歳」

「貴様一人だったら垂れ流しで放置していた。龍のお仲間に感謝するんだな」


 そう言って、またソーンはサニとレインを睨みつける。

 蛇に睨まれた蛙二匹は硬直するばかりだったが、俺が小声で「行っていいぞ」と言うと、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。図太い彼らでも、ソーンには敵わないらしい。


「……子供を手懐けて、命乞いでもするつもりか?」

「そんなまさか。俺はお前と違って性根がいいから、子供にも懐かれるんだ」

「ふん……戯言を」

「それで、俺に何の用だ。一緒に中当てでもしてやろうか?」


 挑発がてらにそう聞くが、実際要件はわかっていた。



「貴様の処刑の日程が決まった」

「…………」


 リーフェンから、それっぽい話は聞いていた。

 キエリは龍だから見逃されるが、俺はそうもいかないらしい。

 エルフは聖教会に負けず劣らず、転生者を強く憎んでいる。理由はリーフェンいわく「転生者は自然の流れと均衡を乱すから」というもの。意味不明だ。


「三日後の明朝だ。皆が起きる前にやる」

「……憎むくせに、死体は見たくねえってか。エルフはご立派だな」

「ああ。貴様のようなクズを一週間も生かしてやるほどに、私たちは寛容だった。まあ、紅龍とリーフェンが貴様を庇ったからだが……それも終わりだ。

 少ない余生を楽しみ、辞世の句を考え、大自然に感謝して眠るがいい。そうすれば楽に死ねる」


 淡々とそんな捨て台詞のような物を吐き、ソーンは足早に去っていく。まるで、一瞬たりとも同じ空間にいたくない、とでも思っているかのような態度だった。

 あんなのがリーフェンの姉で、サニとレインの従姉妹とは。俄かに信じがたい話だ。



「…………」


 ソーンがいなくなった牢獄で、俺は一人、じっと壁際に崩れ落ちる。そろそろ晩飯時だ。入り口の近くにいると、通りすがりのエルフにまたゴミを投げこまれる。


「……クソっ!」


 何が、収容所を潰すだ。


 似たような牢屋に入って、迫害を恐れて壁際に隠れることしかできない俺が……


「っ……!」


 キエリが戻ってくるまで、まだ時間がある。


 死への恐怖、屈辱、自己嫌悪……ありとあらゆる負の感情を、今のうちに、目一杯感じておこう。

 彼女の前で、それをさらけ出したくはなかったから。

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