九 運命
「だから……いったん死んで、気づいたら牢屋の中だったんだよ」
「なんで? なんで死んだの?」
「車に轢かれたんだ。こう……グシャって」
「車って何?」
「でっけえ鉄の塊。馬みたいなやつ」
「へぇー! それ、速い?」
「速いぞ。めっちゃ」
「ほんと⁉︎ どれくらい速いの?」
「俺が木っ端微塵になるぐらい」
「なんで速いの⁉︎」
「ガソリン飲んでるから」
「それ、僕も飲めば速くなれる⁉︎」
「………」
もう、かれこれ一時間はこんな会話を続けている。リーフェンの質問攻めは止まるところを知らず、こんな長々と話したのに、まだキエリどころかローラーすら出てきていなかった。
格子の隙間からは夕暮れに染まる木々が見えていて、どこからか人の話し声や、夕食のいい匂いが漂い始めていた。キエリは一向に起きる気配がない。
「……大丈夫かな」
「大丈夫! しばらく誰も来ないから、今日一日はお話しできるよ!」
「そっちじゃなくて」
こんなことをあと何時間もやるのか、なんてうんざりした気持ちを隠しつつ、俺はキエリの方を指差す。
「キエリが起きないんだ。陽が沈むまでには目覚めると思ったんだけどな」
「ああ、心配だよね……それだけ大事な人なんだ」
「いや大事っていうか、こいつが無事じゃないと今後生きていけないからさ」
「そっか……そうだよね」
リーフェンは痛ましげに俯く。何か勘違いしてそうな様子だったが、訂正するのも面倒だし、このままにしておこう。
しかしその反応を見るに、異世界人と転生者は全くの敵同士、というわけでもなさそうだ。リーフェンがただの世間知らずな可能性は否定できないが……
「ちょっと待ってて!」
などと考えていると、知らない間にリーフェンが外へ飛び出そうとしていた。
「何をする気だ?」
「大丈夫大丈夫! 左手の
不安になるこちらをよそに、リーフェンは満面の笑みを浮かべる。そして止める間もなく走り去ってしまった。
まだリーフェンのことは信用できないし、仮にできたとしても、あいつが頼りになるタイプの
「傷跡……?」
そう考えて、ふと「
確かに、俺の左手には傷跡があった。ちょうどリーフェンの矢が刺さったあたりに、手の裏表にかけて、円形のクレーターが出来上がっていたのだ。
再生能力を持った自分でも、どうやら傷跡はできるらしい。まあ、あれだけ急速に傷を治してるわけだし、多少のバグくらいあっても……
「ただいま!」
なんて考える暇もなく、リーフェンが地面を滑りながら戻ってくる。速すぎだろ。
「はあ、はぁ……持ってきたよ」
どっと倒れ込む彼の片手には、ソフトボールほどの大きさの、分厚い布の塊。
「……なにこれ?」
「それはね、ゼェ、こうし……ゲホッゲホッ!」
「まず落ち着け。どんだけ走ってきたんだ」
「ね、姉さんに見つかったら、マズいから……」
リーフェンの視線に従う形で、なんとなく外の様子を確認する。
特に異常はなかった。木々が並んでいるだけ。人の姿も、家らしきものも見えない。普通の森だ。
「ここは、村の外れだからね。転生者を近くに置きたくないんだってさ」
「それは好都合だ」
俺はエルフどもの悪感情をできるだけポジティブに解釈し、布……というか雑巾の塊を見つめた。リーフェンもその視線に気づいたのか、急に背筋をぴんと張り上げ、かなり得意げな表情になる。
「これはねえ……なんと、世にも貴重な
リーフェンはそれを「ジャジャーン!」と高らかに掲げるが、そもそも俺は紅晶石とやらが何かを知らない。普通にリアクションに困る。
「……俺には、ただの汚い雑巾の塊にみえるけど」
「違うよ、中に入ってるの!」
そう言って、彼はその中身を床に転がす。
「赤い……水晶?」
まるで血を固めたかのように赤い、淡く光る結晶。その赤色の光は内側から放出されており、一定のリズムで明暗を変化させていた。
「あっ、触っちゃダメ!」
その不思議な輝きに魅せられ手を伸ばすが、すぐさま引っこめる。たしかに、手を近づけただけで、火に当たっているような暖かさを感じた。
「すっごい熱いんだ、それ。気をつけてね」
「光る上に、発熱する石か……現世の人間に見つかったら、音速で発電所行きだろうな」
「ね? すごいでしょ? 僕たちはこれをかまどの燃料に使うんだよ」
「こんなの勝手に持ってきていいのか?」
「い、一部を削っただけだから……バレない。多分」
不安だ。
というか、どうやってこんな石を削ったのだろうか。かなり硬そうだし、ハンマーとかで叩いても逆に溶けてしまいそうだが。
「キエリは、紅龍なんだよね?」
「紅龍が何かはよく知らないけど、多分そうだな」
「やっぱりかあ……キエリ、すごく大変だね」
「……?」
リーフェンはキエリを同情たっぷりの目で見つめる。
そういえば、キエリも紅龍の存亡がどうたらとか言ってたな。他種族のリーフェンですら心配するほど、今の紅龍の立場は危うい事になっているらしい。
まあ、そんなん言ったら俺だって存亡の危機だし、同情できるかは別の話だが。
「紅晶石は、紅龍の力の源なんだ。熱とか炎より、ずっと強い回復力があるんだって」
俺は自分と関係ない情報は脳に蓄積させない主義なので、それを「へえ」と話半分で聞き流す。
「昔は紅晶石もたくさんあったんだ。でも、紅龍の王様が死んでから、めっきり見なくなった」
「死んだのか、紅龍王様」
「うん……だから、キエリはかなり弱ってる状態だと思う」
「それで無理に力を使ったから……なるほどな」
そう聞くと少し申し訳なく……ならないか。普通に腕焼かれたし、何度も言うけど俺だって存亡の危機だし。
「で、その紅晶石は何に使うんだ?」
「え? 普通に食べさせるだけだよ?」
……は?
「僕、何か変なこと言った?」
「こ、これを……キエリの口の中に?」
「そうそう。はい、どうぞ」
にっこり笑うリーフェンの手の上には、真っ赤に輝く紅晶石。それは、こちらにチクっとした熱気を浴びせ、濡れた雑巾をゆっくりと焦がし始めていた。
「……騙してないよな?」
「実を言うと、僕も半信半疑」
「………」
トン、トン、トン。
と、三拍の間。
「俺はやりたくない」
「僕も」
「いや、もってきたのはリーフェンだろ。リーフェンがやるべきだ」
「僕すっごい不器用だから、落っことしちゃうかも」
「いや関係ねえし。そんなん言ったら俺も不器用……」
「やだ! 怖いから絶対やりたくない!」
「俺だって怖えよ!」
そして最終的にナカムラが折れる形で、二人のゴタゴタは決着を迎えたのだった。
流されに流され、再び別の牢屋へと戻ってきたナカムラ。
一族の存亡を背負う紅龍の少女、キエリ。
そして純真無垢なダークエルフの少年、リーフェン。
三人が抱える宿命は、それぞれ全く違った闇や、重みを
しかしそれらが向かう方向は全て同じ、莫大な渦中のど真ん中。
そんな渦中の一端であり、かすかに絡みつつある一本の糸でもある、一人の女性。
「……いい風や」
黒いスーツ、黒い髪、黒い瞳。名前はクロタコ。
彼女は小高い丘の上から森の全景を眺めて、ふとした感傷に浸っていた。少し離れた場所には、ほのかに昇る白煙と、黒く焼けこげた木々がちらほら。
想定の範囲内……上々とは言えないが、まだ
そう考えて、自嘲気味に笑う。頬は動いていないが、これでも笑ったつもりだ。
「………」
咥えたタバコを手に取ると、フィルターの部分に、べっとりと血のりが付着していた。
「……化け物め」
「ここにいたのか、クロタコ」
声が聞こえて、咄嗟に口元をハンカチで抑える。
「……なんや、ミストか」
「お前が副流煙を気づかう
ミストと呼ばれた男性は、落ち着きのある声で軽口を飛ばす。
肌は褐色。髪は銀色。耳は長く、先が尖っていた。
「逆やな」
「……逆?」
「大自然に、うちの美貌を見せつけてんの」
「はははは。面白い冗談だ」
あからさまな演技で笑い飛ばし、ミストはクロタコの隣に立つ。彼の視線は、クロタコよりもずっと先の方を見つめている。そんな風な面持ちだった。
「他の連中は?」
「片方は火の番と掃除。もう片方はどこかに消えた」
「あのどアホ……五分もじっとできひんのか」
「……で?」
「ん?」
ミストの意味ありげな質問に、クロタコはあえてとぼけてみることにした。エルフにしては珍しく気の合う相手だが、それでもミストは多少堅い。
しかし、ミストはそんな彼女の心を読んでいたらしく、心底不快そうに眉を
「お前の考えはわかっているし、その上で、せっかく繋いだ命を無駄にするなと警告しておこう。私を焦らせて楽しもうなど百年早い」
「細工は流流、あとは仕上げをご覧じろってやつや」
「つまり?」
「
焦げた森の少し先。
それらの輪郭はほんの
「さて。
「私は私の、お前はお前の仕事をするといい」
「言われるまでもないわ」
クロタコは携帯灰皿に吸い殻を捨てると、ふらりと来た道を戻る。
「
「もちろんだとも。私はお前のように、他人を
そんな嫌味の応酬を鼻笑で終わらせ、クロタコは去る。
背後には紅茶の甘い香りと、それに顔をしかめるミストだけが残っていた。
「………」
森が、闇夜に黒く染まっていく。
燃え上がったような橙色の空は、今や
やがて全てが寝静まり、夜行性の獣の時間が訪れる。
「……リーフェン」
彼の頬は、歪に緩んでいた。
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