八 草の子

「……っ!」


 額に何か冷たい感触がして、思わず飛び起きる。


「ここは……?」


 木の”うろ”を掘り広げたような空間。広さはちょうど六畳一間ぐらいで、出入り口は木の枝で作られた、脆そうな格子で雑に塞がれている。


「はぁ……また牢屋かよ」


 さっきよりは遥かにマシだが、一日に二度も入れられるとさすがに気が滅入る。


 脇には枯草をかき集めただけの粗末なベッドがあり、そこにキエリも寝転がっていた。

 念のため脈を測るが、特に問題はない。気を失ってるだけだ。ただ、やはり肌が異様に冷たく、心なしか具合も悪そうにみえる。


 天井からは水滴がポタポタと滴り落ちており、おそらく俺はそいつに起こされたのだろう。額に触れると水でびっしょり濡れていた。


「……クシュン!」


 急に肌寒さを感じ、その辺にあった大きな葉っぱで申し訳程度に身を包む。

 もう、グチを言う気力すら湧かない。だんだん慣れてきた。



 実を言うと、あのおっかないダークエルフに殴られ気絶した後、俺は数分程度で意識を取り戻していた。ただ、話し声や足音があちこちから聞こえてきたので、起きるに起きられず、仕方なく気絶したフリをしていたのだ。

 そして、そこからまた記憶が飛んでいる。どうやら眠ってしまったらしい。

 あんな状況で眠るとは……我ながら図太いものだ。寝つきは悪い方なんだが、疲れていたのだろうか?


「……あ」


 そこで、ふとあることに気づく。


 そう言えば、自分はここに来てから、一度も疲れを感じていない。女性一人を背負って走り回ったし、戦闘も計二回はやった(エルフは抜きだ。一方的だったから)。なのに、足腰に筋肉痛……どころか、疲労の「ひ」の字もない。

 考えられる理由は1つ。


「再生能力……」


 傷の回復がはやければ、疲労の回復もはやい。なるほど。自然な話だ。


 回復というよりも、むしろ「肉体のリセット」と考えるべきかもしれない。傷を治してるんじゃなくて、体を元通りにしているんだ。

 ここに来てから、やけに自分が冷静になった気がしていた。何かに驚いたり興奮したりしても、急にスン……と、熱が引いていくような感覚になる。

 それが俺の能力、「元通り」の特性だとしたら、かなり納得がいく。


 まあ、だからなんだって話だけど。



「へえ、サイセーって能力なんだ」

「うおわっ!」


 驚いて声のする方を見ると、格子の外で、先ほどの少年が頬杖をつきながらこちらを見ていた。


「お前っ……!」

「ちょ、ちょっと待って! そ、その……ごめんね?」

「……は?」


 唐突に繰り出された謝罪に、俺は目を丸くしてしまう。

 その顔たるや、さぞ滑稽だったことだろう。聖教会、ダークエルフはまだしも、一時的とはいえ共に行動しているキエリですら常に警戒心剥き出しだ。ここに来て味方っぽい人間と言えば、クロタコぐらいだった。しかもそのクロタコも目的は不明で、はっきり味方と言い切れるわけでもない。


 そんな状況の中で、俺の左手を見つめ、心底申し訳なさそうに俯く彼の姿がどれほど意外な光景に見えたことか。想像に難くはないはずだ。


「ぼ、僕……当てるつもりなんて無かったんだ」

「……あれでか?」


 キエリの方を見つめる。あの矢は明らかに彼女を狙ったもので、その言い分にはかなり無理があった。


「つくなら、もうちょいマシな嘘つけよ」

「本当だよ! 僕、怖がりだから……動物を狩ることもできないんだ」

「そんなこと言われてもな。矢はこいつの眼球スレスレで止まったわけだし」

「龍だから、あれぐらいの矢は避けられると、思って……」


 怒られた子供みたいに言い訳をして、徐々に小さくなっていく。そんな彼の態度には、確かに若干の説得力があった。

 しかし、それを手放しに信用できるわけがない。俺の認識はとっくに異世界を「敵」だと見なしていた。


「なあ、何が目的だ? さっきの怖い杖女に命令されたのか?」

「杖女……?」

「人をゴミみたいな目で見てくるあいつだよ」

「ああ、姉さんか」


 姉だったのか。

 まるで似ていないな。どちらも美形なのは同じだが、あっちを猛獣の爪とするなら、こっちはさながら肉球だ。


「姉さんの指示で撃ったのは、事実だけど……みんな転生者のこと大嫌いだし。

 で、でも僕は違うよ! 転生者だって悪い人ばかりじゃない、きっと!」

「だから、それをどう信じろと?」

「矢を放つまえに、ちゃんと避けられるようにした」

「……?」

「僕たちダークエルフは、気配を消すのがうまいんだ。に溶け込むって言うんだけど……撃つ前に、君が気づけるようにあえて流れを乱した」


 その説明で、ようやく「ああ」と合点する。

 数十人は隠れていたのに全く気づけなかったのも、彼の姉に音もなく背後をとられたのも、あの時抱いた「嫌な予感」も、全てはそのとやらか。


 まあ、それは多少信頼できる話だ。事実、彼はついさっき突然現れて俺を驚かせたわけだし、気配を消そうと思えばできるのだろう。



「……わかったよ。とにかく、敵ではないんだな」


 こちらの言葉に、少年の顔が「ぱあっ」と音がしそうなほど明るくなる。


 本心を言えば、まだ疑いたい気持ちはすこぶる残っていた。しかし彼に詰め寄るのは妙に良心が痛んだし、自分が大人げない人間にも思えてくる。

 だから、とりあえず「敵ではない」と認識してやろう。そんな妥協案だ。



「名前はたしか……リーフェンって言ったか?」

「うん! よろしくね」


 リーフェンはニコニコしながら牢屋の錠を開けると、たじろぎもせずに中へ入ってくる。警戒心のないやつだ。キエリとえらい違いだな。


「……いいのか? そんなことして」

「ちゃんと外は確認したよ。僕が変なことすると、姉さんまで変なやつだと思われちゃうし……めんどくさいよね」


 近くで見ると、やはりとんでもない美形だ。

 あぐらをかきながら頬を膨らませてるだけなのに、異常なほど印象的な仕草に見えてしまう。


「姉の名前は?」

「ソーンだよ。僕たちに名字はないから、それが名前」

草の子リーフェンに、イバラゾーンか……名は体を表すとは、まさにこのことだな」

「そうそう! 僕は草の子でリーフェンなんだ。よくわかったね⁉︎」

「お、おう……近いな」


 跳ねるように顔を近づけるリーフェンに、思わず後ずさる。なんとなくで「少年」と言ったが、中性的すぎる顔立ちのせいで、女に見えないこともない。


「君はなんて名前なの?」

「あー、俺は……ナカムラ」

「ナカムラ…いい名前だね! どんな意味?」

「村の、中心……?」

「へえー!」


 なぜかリーフェンは異様にハイテンションで、こちらの名前を「すごいすごい」と言って飛び跳ねる。

 イマイチ価値観がわからないが、エルフにとって、名前はそれなりに重要なものなのだろうか。


「ねえねえ、もっと教えて! 僕、ナカムラのこともっと知りたい!」

「つっても話すことあんまないけど……なんで?」

「え、だめ?」

「いや、ダメとかじゃないけどさ」

「やっぱり……僕のこと、嫌い?」

「う……」


 涙目になったリーフェンの上目遣いは、性別のフィルターを貫通してくるほどの破壊力があった。

 誤解を恐れず言うが、今、俺の性癖はかなり危ういことになっている。


「……わかったよ。何が聞きたい?」


 フェチズムの正常性を守るため、俺はかぶりを振ると、仕方なくリーフェンの話に付き合うことにした。

 まあ、キエリが起きるまでの暇つぶしにはなるだろう。そんなことを考えながら。

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