六 荒ぶるすこぶる
「さあ」
龍族の少女、キエリは、俺の前にドサっと枝の山を置く。こちらを見上げる琥珀色の瞳は、まるで猫のように
「さあって……何が?」
「はやく火をつけなさい」
「頼み方も、頼む相手も間違ってるな」
「言ったはずです、私に力は残っていないと。ですが火にあたることができれば、多少は回復します」
「俺としては回復してほしくないんだけど。また襲われたら嫌だし」
「ふっ……なんて器の小さい男。ナカムラはその程度ですか」
「どの口が言ってんだ。頭に小石ぶつけられて伸びてたくせに」
そのセリフで、キエリの眉間にビッとシワが入る。
「……るさい」
「……」
「うるさぁい!」
なんとまあ、移り変わりの激しい情緒だ。
彼女の大声は衝撃波となって木々の枝葉を揺らし、遠くの山々へと反響する。
「だって仕方ないじゃないですか! ごはんは馬と一緒にどっか行って、今はお腹がペコペコなんです!
本当だと、龍はもっとつよつよなんですよ! あー知らない。そんなこと言って、後でごめんなさいしても許しませんからね!」
「むしろまず、人の腕を丸焼きにしたことを謝れよ」
「治ったからいいじゃないですか! 私のお腹は相も変わらずどころか、さっきよりもぉっとペコペコのペコですけどねっ!」
うるせえな。何回ペコって言うんだ。
俺は独特な言葉遣いで憤慨するキエリを一旦無視して、何か使えそうな物がないかと、とりあえずポケットの中を探ってみる。どうせ何も入ってないだろうが、火に当たりたいのは俺も同感……
「……ん?」
ふと、手に何かがあたる。
ぬめっとしたのと、金属のような何か。二つだ。
「なんだこれ……」
それを取り出し、確認する……よりも早く、キエリが目にも留まらぬ速さで動いた。
「かぷっ!」
「うわっ!」
そして、ポケットに入っていた物の片方をひったくる。
驚きつつ彼女の方を見ると、まるでドラ猫みたく、その口には一匹の魚が咥えられていた。
「……!」
「いいよ……別にいらないし、それ」
「あげません……!」と言いたげな視線でこちらを睨むキエリをまたも無視して、俺は手に残ったもう一つの何かを見る。
「ジッポー?」
それは、銀色のジッポーライターだった。見事な龍の刻印が入ったイカついデザインで、特に見覚えはない。
一瞬、墓に埋まっている彼女の持ち物かと思ったが、おそらく違う。
なぜなら、そのジッポーはびしょ濡れのポケットから取り出されたにも関わらず、濡れていたのは外側だけだったからだ。試しに
中が濡れていないということは、少なくとも、岸に打ち上げられた後で入ったと言うことだ。一体どこの誰が、こんなものを俺のポケットに忍ばせたのだろうか。
「なんですか、それ」
生魚を頭から咥えたキエリが、興味深げにジッポーを覗き込む。どうやら彼女ではないらしい。
「……生でいくのか? やめといた方がいいぞ」
「お行儀は悪いですが、仕方ありません。今はいっひょくをあらほうので」
「おい食うな食うな……おお、すごいな。うわぁ」
あまり表現しないでおくが、なんというか、実に野生的な光景だった。龍は腸内システムも頑強なのだろうか。
「ごちそうさまでした」
「うん……腹壊すなよ」
「心配される筋合いはありません。で、それはなんですか?」
口についた血を拭いながら、キエリはまた同じ質問をする。
「ジッポーライターって言って、火をつける道具だ。たぶん現世のものだろうけど……俺のじゃない」
「どうして、それを先に言ってくれなかったんですか」
「言う前に食ってただろ。俺のせいにするな」
「おのれ、転生者め……」
「はいはい」
適当な落ち葉を集めて、火をつける。キエリはその間もずっと、興味深そうにジッポーを眺めていた。
「念のため聞くけど、お前のじゃないよな?」
「違います。でもカッコいいですね、これ」
よほどデザインが気に入ったのだろうか。果てにはリュックから丸眼鏡を取り出し、食い入るようにジッポーを見つめ始める。
「んぅ……んんー?」
「なんだ。さすがにコレは食いもんじゃないぞ。食えたとしてもあげないし」
「食べませんよ。人を知能の低いバケモノみたいに言って、失礼な」
……あながち、間違ってない気がする。
「このデザイン……龍ですね」
「そうだな。俺らの世界だと一般的なデザインだ」
「何か、見覚えがあるんですよね……思い出せません」
「やっぱり自分のだ、とか言うなよ」
「ナカムラ」
焚き火のそばに腰を下ろす俺を、キエリがムッとした表情で睨む。
「あなた、完全に私を舐めてますね」
「……いや?」
彼女は土の上にも関わらず、なぜか正座ですわっていた。意外とお行儀がいい……
「今、私が正座してるのを見て、「バカっぽいくせに座り方だけは行儀がいいんだな」とか思いましたね?」
「なんでわかっ……いや、そこまでは思ってねえよ」
「そして私の太ももを見てぇ! 意外と筋肉質なんだなとか、肉付きのいいエロい足だ、ゲヘヘ……とか思ってましたね!」
「なんてふしだらな思考回路のやつだ、と、俺は今思ってる」
また謎のスイッチが入り、立ち上がって指をブンブン振り回すキエリに、俺は冷ややかな視線を送る。
「失敬な! いいですか、この格好は、まあ……多少好みもありますけど! 龍の力を最大限に引きだす立派な装備品なんですよ!
それをふしだらなど……私をただのエロい格好した変態女だ、とでも言うつもりですかぁ!」
「情緒不安定で、脳内どピンク色の、エロい格好したヤバ女だと思ってる」
「この下衆転生者め!」
「お前だ、下衆野郎は」
加速するキエリの被害妄想を聞き流し、俺は焚き火に枝をくべる。パチパチといい音が鳴って、心が自然と安らぐようだ。
「まったく! 紅龍王様は、どうしてこんな奴らの味方など……! 私に力があれば、すぐにアチアチの火だるまにしてやるのに」
「まあ落ち着けよ。龍のなんたらは別に興味ないけど、その力の回復に火が必要だったんだろ?」
「う……」
「いいのか? ほっといたら消えるけど」
「それは……確かに。その通りです」
キエリは大人しく正座の姿勢に戻り、一度咳払いすると、おもむろに焚き火の中へ片腕を突っ込む。
一瞬ギョッとしたが、特に熱そうにしてる様子はない。
「……我々紅龍は、熱や炎などを象徴する一族。龍の力を回復させるためには、熱を感じるのが一番効率的です」
そんなこちらの様子を見透かしてか、キエリがぽつりと呟く。
「まあ、これでも雀の涙程度ですが……多少は気が紛れますね」
「情緒不安定なのも治ったか?」
「ええ……確かに、少し心が乱れていた気がします」
「少しってレベルじゃなかったけどな」
余計なことを言ったのに気づいて「しまった」と顔を上げたが、キエリは特に気にしていないようだった。
彼女は遠い目をして焚き火を見つめ続ける。その琥珀色の瞳には炎が反射し、絶妙な色合いを形成していた。
「……はやく、この森を抜け出さないといけません」
「急にしおらしくなったな」
「あなたにはわからないでしょうけど、今は紅龍の存亡がかかった、極めて深刻な事態なんです。
思い詰めて……我を忘れている場合ではない」
「……」
「しかし……悔しいですが、私一人では火をつけることすらできません」
キエリの手が、焚き火の中から引き抜かれる。まるで溶けた鉄のように赤く輝いていた。
「この森を抜け出すまでの、協力関係……というのは、どうでしょうか」
彼女は心底嫌そうな顔でそう言ったが、その声色には悲痛な感情がこもっていた。
「ここを出た暁には、報酬として、転生者であることを隠すための身分を授けます。あとそれから、服と、文字の知識と……とにかく、この世界で生きるための全てをあげます!」
這い寄るように身を乗り出し、必死で対価をあげ連ねる。
「悪い話ではないと、思うのですが……ダメでしょうか」
そうして出せるものを出し切り、力なくへたりこむ彼女の姿は、かなり胸に来るものがあった。
この世界で生きるため……か。魅力的な話だ。
こいつに協力するのは癪だが、そこはお互い様。俺だって、とりあえず生き延びるという目標がある。
「まあ、ちょっと上からなのが気になるけど……」
「う……」
「いや、わかったって。手伝うからそんな顔するな」
仕返しがわりに意地悪を言ったものの、キエリの口がへの字に曲がったのを見て、慌てて意見を変える。
どうにも憎めないというか、ほっとけないというか……不思議なやつだ。
「では、交渉成立ですね?」
「ああ、よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ナカムラ」
そのふてぶてしさは少しも変わっていなかったものの、一瞬だけ、彼女がふっと微笑んだ気がした。
イマイチ意図が読めないし、凄まじく変な
「それにしても、やはり火はいいですね。心が落ち着きます」
「まるで別人だな」
「ああ、あなたの余計な一言も、今なら全然気になりませんね。ほんと、ぜーんぜん」
「……悪かったって」
「構いませんよ。なんせ今はすごく静かで……静か……」
「……」
「…………」
「静か……過ぎませんか?」
二人同時に立ち上がる。俺は近場の石を拾い上げ、キエリは戦闘の構えをとった。
――ガサッ!
それを受けてか、周辺の藪から計五人の騎士が現れる。白銀の鎧。青いマント。逆十字の紋章。
「ついに見つけたぞ転生者
「貴様らを……崇伐する!」
一斉に剣を引き抜いた彼らの目は、明らかに俺と、キエリの両方を見つめていた。
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