五 ドゥラグォン
『十二日、水無月。商都メルブレンで買った商材が当たり、資金に余裕ができた。それで馬と、ずっと欲しかった本を買った』
「……へえ、旧暦か。
完全に元通りになった左腕で、日記帳のページを一枚めくる。
いったん少女に息があるのを確認した後、特にすることもなかった俺は、暇つぶしに彼女の荷物を漁ることにした。
怒りはいつの間にか消えた。おそらく、秒で再生した左腕への衝撃で、吹き飛んでしまったのだろう。
近くに落ちていたリュックサックには、ピッケル、スコップ、ハンマー……などなど、色々な道具がギッシリと詰まっていた。さらに底を漁ると、いくつか鉱石のような物も見つかった。宝石商か何かだったのだろうか。
日記の内容通り、本も数冊入っていた。
が、どれも見たことのない文字で書かれていて、その内容はサッパリわからない。しかし一つだけ、英語に近い文字の本も見つかった。
それがこの本。彼女の日記帳である。
『しかも、本のおまけで、白紙の手帳まで貰ってしまった!
せっかくなので日記を書いてみようと思う。もったいないかもしれないが、これを紅龍王さまに見せれば、きっと「よく頑張った」と褒めてくれるはず。(ここは後で消す!)』
「……現金なヤツ」
下の方でぐちゃぐちゃっと書かれた注釈に、俺は思わず苦笑いする。
少女は少し離れた所で、外套を毛布代わりにぐったりしていた。風邪ひかないように、念のため俺がかけた物だ。
襲われはしたが、なんとなく話のわかりそうな奴だったので、とりあえず彼女が起きるのを待っている。油断はしていない。すぐ手元に、石は山盛り置いておいた。
少女の奥には土が若干盛り上がった場所があり、その上には一本の枝。
スコップしかなかったので簡素な作りだが……いちおう墓は作った。そのために連れてきたのだ。
「……まだ、ここの方が嬉しいよな。きっと」
景色を眺めて、しみじみと独りごちる。
背後には青々と茂る森林。正面には川。その岸辺には、時おりどこからかやってきた落ち葉が、一息つくように流れ着く。
近くには小鳥が数匹。リュックからパンを拝借して彼らに与えてみると、嬉しそうにこちらに寄ってきた。
一羽が肩にとまり、お礼を言うみたいにピヨピヨと歌う。意外と人懐っこい。
「…………」
風の音。川の流れる音。小鳥の鳴き声。
全てが、心地いい。
耳介にこびりついた凄惨な断末魔を、かき消してくれるかのようだ。
こんな世界でも、自然は相変わらず美しい。
「……ごめんな」
何に対しての謝罪なのかはわからない。しかしふと、そんな言葉がこぼれ落ちた。
自分だけ生き残ったことへの……罪悪感だろうか。結局俺にできたのは、彼女を助からない段階まで放置して、死体を安全な場所に埋めるぐらいだったから。
一度策が失敗して、俺はそこで折れてしまった。
ローラーの狂気に、怖気づいてしまったんだ。
情けない話だ。俺はこの期に及んで生きたくなり、結果として、彼女を見捨ててしまった。本当はもっと、何かできたかもしれないのに。
だからもう、こんな情けない真似は二度としない。約束だ。
「いつか……」
そう。いつの日か、あの”転生者収容所”を……いや、聖教会を、ぶっ壊してやる。
彼女のような人間を、二度と出さないために。
転生者に、息をするぐらいの権利を与えるために。
あんな思いは二度としたくない。誰にもさせたくない。
もしも自分の大切な人が死んで、その次に目にしたのがあの牢屋だったとしたら……そんなこと、考えただけでも恐ろしい。
だから俺は、もっと強くなる。
「……よし!」
決意を固めると、自然と力が湧いてくるような気がした。
内心では無謀な決意だと理解していた。でも、できるできないはともかく、こうして前を向けば苦しみを活力に変えることができる。
「とにかく、今は情報を集めないとな」
俺は学生時代の知識を総動員し、少女の日記の解読に取り掛かった。
――――
「なるほど」
そして、数刻ほどで読み終える。そこまで長い内容ではなかった。
しかし字や文法は限りなく英語に近いものの、急に見たことない文字が出てきたり、謎の単語があったりで、読むのに随分苦戦してしまった。
日記の端までは読んだ。でも、内容はほとんど理解できていない。とにかく愚痴が多かった気がする。
わかったことは、彼女が「紅龍王」とやらに従う、龍であること(俺は龍を倒したみたいだ。すごい)。
転生者はむかし、厳密に言うと三百年前。なにか悪いことをして、今では世界中で憎まれていること。
その転生者を捕まえたり倒したりするのが、聖教会という組織であること。(つまり、聖教会は宗教関係の組織ではなく、むしろ軍隊や警察に近い)
まあ……まとめると、そこまで大した情報はなかった。龍の話は俺と関係ないことだし、せめて三百年前に何があったか、ぐらいわかればよかったのに。
空を見ると、陽がかすかに傾いていたが、そこまで時間をかける価値があったかと考えると……正直微妙だ。
しかし、最後のページ。そこだけは話が違った。
『四日、葉月』
少し肌寒いが、どうやら今は八月末あたりだったらしい。それも意外だった。でも、何より驚いたのはその内容。
とりあえず、意訳してまとめるとこんな感じだ。
『私は今、情けないことに遭難している。森に迷い込み、食料もなく、自分の居場所もわからない。
それもこれも、ぜんぶ転生者のせいだ! 誰かも、目的もわからないが……とにかく連中に攻撃された。それだけはわかる。
おかげで私の馬が逃げてしまった……名前つけたのに。お気に入りの服まで無くなった。絶対許さない。
あの攻撃は知っている……大きな、音。転生者しか使わない武器。覚えておくがいい。いつか――』
大きな音、転生者しか使わない武器。
これを聞いて、思い起こすことは一つしかない。つい先ほど、それを目にしたばかりだったから。
銃剣付きのライフル。俺を助けてくれた、謎の美女……。
「クロタコ……なのか?」
「知ってるんですか」
「うおっ!」
思わず飛び退く。
とっさに石を掴んで臨戦対戦に入った俺だったが、一方の少女は首を横に振り、苦々しげに両手をあげる。
「降参です。もう、力がありません」
「……本当か?」
「嘘をつく理由がないです。本当に力があれば、あなたなんてイチコロですから」
「まあ、確かに……」
「返してください。私の日記」
「あ、うん。勝手に読んでごめんな」
素直にそれを返す俺に、少女は「まあ、根っからの悪人ではないみたいですね」と鼻を鳴らす。そして俺の横で屈み、散らばった荷物をそそくさと片付け始めた。
「……再生能力、のようですね」
「え?」
「あなたの腕、それから頬。一度焼いたはずですが、今では火傷痕すら残っていない」
「……」
改めて、左腕を確認してみる。
三度熱傷は最も重度の火傷で、仮に治ったとしても、傷跡はほぼ確実に残るはずだった。なのに、今ではどこが火傷した場所なのかすらわからない。つるりとした、無傷の肌だ。
「転生者の能力は、やはり常軌を逸している。それがあなた達を害たらしめる要因の一つです」
「強さを、危険視されてるってことか?」
「あなたたちの使う魔法は、人間のそれとは違いますから」
少女は自然な口ぶりで「人間」と「転生者」を区別した。この世界の人々にとって、もはや転生者は人間ですらないのだろうか。
彼女はさらりとした黒髪を整え、体についた土埃を落として立ち上がる。改めて見ると、先ほどのクロタコほどではないにしても、かなり整った顔立ちだった。
この世界は美男美女ばっかりだな。
「クィリエリです」
「……なんて?」
「私の名前。発音しにくいので、キエリで構いません」
涼しい顔で差し出された手に、俺は若干警戒しながら後ずさった。彼女の意図が読めない。
「日記を読んだのでしょう? 私は紅龍。そこらの人間とは考えの尺度が違うのです。
個人的に転生者は嫌いですが、だからといって、聖教会なんぞと同じにされるのは非常に不名誉です」
ふんと息を吐くキエリの態度からは、特に嘘のようなものは感じられない。彼女には彼女なりのプライドがあるのだろうか。
「……まだ、お前を信用できたわけじゃない」
「信用しろなど一言も言ってません。私もあなたなんてちっっとも信用してませんが、ひとまず敵ではないと認識してやる。ということです」
「……」
そういうことならと、俺はキエリの手を握る。かなり温かい……というか、少し熱い手だった。
「俺はナカムラだ」
「いい偽名ですね」
キエリはそんな嫌味混じりの軽口を飛ばすと、きっと顔を強張らせて一歩近寄る。
「それで」
「……え?」
「それで、そのクロタコと言うのは?」
「あー……いや、俺もよく知らない」
「庇っても無駄です。あの特付きが、この近くに居たんですか?」
特付き……そういえば、ローラーもそんなことを言っていた。転生者の中でも、特に目立った存在に対する呼び名だろうか。
「クロタコって人が、俺を牢屋から助けてくれたんだよ。その時に銃を持ってたから、もしかしたらそうなのかなって」
「……まったく、次は何を企んでいるやら。
忠告ですけど、アレは信用しない方がいいですよ。そもそも、同じ転生者だからと言って、信用できるとも限りません」
「詳しいんだな。知り合いなのか?」
「いえ。ですがまあ、特付きの情報は嫌でも耳にしますから。
聖教会の席騎士しかり、どれもこれも頭のおかしな連中です。特付きは五人、席騎士は七人。ですが私に言わせれば、しめて十二人の狂人です」
キエリは愚痴をこぼすかのようにそう言うと、あたりの枝を拾いはじめる。
龍は人間と別の尺度で動くか……なるほど。彼女たちにとっては転生者たちのいざこざなど、対岸の火事なのかもしれない。
「とにかく、彼らと関わらない方が身のためですよ」
「……そうか。ありがとう」
「は?」
「え? いや、教えてくれてありがとうって……」
「あなたの為でも、教えたわけでもありません。調子に乗らないでください」
「さっき「忠告ですけど」って言っただろ。自分で」
「言ってません」
「……」
なんというか、凄まじい奴と出会ってしまった。
キエリはもう一度「言ってません」と、まっすぐな目つきで言い放つ。
仲良くできる気がしない。
そんな確信にも似た不安が、胸の奥底に渦巻いていた。
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