四 転生者め!

 所は変わって、ある森の中。


「うぅ……」


 一人の少女が、木々の隙間をふらふらと彷徨さまよっていた。

 軽外套がいとうに身を包み、背中にはリュックサック。頭には、先が鋭く尖った二本角。普段はフードで隠すのだがどうせ見る者はいない。彼女は今、完全に独りぼっちだった。


「あぁ〜、うわぁ〜……」


 悲鳴のような、鳴き声のような、わけのわからない声を上げてみる。特に意味はない。


「あぐっ!」


 そして木の根に足をひっかけ、転んだ。


 これで何度目だろう。足元の根っこを忌々しげに見つめ、不満いっぱいに蹴りをいれる。


「う、うっ……あ゙ぁ〜」


 そして泣き出す。

 もうめちゃくちゃだ。空腹のせいで、情緒がおかしなことになっていた。


「ええ゙〜っ、紅龍王さま゙〜!」



 人間の年齢に換算すれば、彼女はとっくに成人を超えている。二十歳過ぎでギャン泣き。もしかしなくても、かなり恥ずかしいことだ。

 しかしそんなことは関係ない。どうせ誰も見ていないのだ。余計なことは忘れて、この際ギャンギャン泣いてやろう。


「うう……うぐっ、ぐすっ」


 外套についた土を払い落とし、涙を拭きながら立ち上がる。

 下を見ると、むきだしの膝に、小さなすり傷ができていた。傷の存在を知ると、なぜか途端に痛みを感じてしまう。また、彼女の目からボロボロと涙がこぼれ始めた。



 彼女はドラゴン。誇り高き龍の一族だ。

 龍には紅龍こうりゅう蒼龍そうりゅうの二種類が存在し、彼女はその紅龍にあたる。しかも、紅龍の中でもそこそこ上位の龍である。


 偉大なる上位の紅龍、木の根に足を引っかけて大泣きする。


 ものすごく恥ずかしいことだ。

 だが、あえて我慢する必要はない。龍だって泣きたくなる時ぐらいある。自分はそれが、たまたま少し多いだけの話。


 どうせ誰も見ていない。見ていないのだから……



「う、う……?」


 そんな言い訳を内心で並べていると、ふと、視界の端で何かが通り抜けた。


 見ると、川の蛇行部の手前側に、何か二つの人影が倒れていた。一人は男、もう一人は女。


「ひ、人……!」


 彼女は慌てて涙を拭くと、藪をかき分け、それらに近寄る。もし息があるなら、助けてやらないと。そんなことを考えながら。


 しかし、二人の服装を見て、彼女の考えは一変した。


「転生者ッ……!」


 敵だ。

 彼女の本能に刻みこまれた認識が、うるさく警鐘を鳴らす。


 片方の女は死んでいる。しかし、男の方はまだ息があった。死体のように生気のない顔立ちだが、その筋肉質でやや大柄な身体が、浅く上下に動いている。


 放置するべきか……あるいは、ここで仕留めるべきか。


 そうして判断に迷っていると、ふと、彼女の腹が「ぐう」となった。




 ――――



「……ぅ、ゲホッ! ゲホッ!」


 気道に何かがつっかえた感触が走り、思わず地面をのたうつ。


「ゲホッ……ぐっ、おえぇ」


 バシャバシャと地面に落ちたのは、どうやら川の水。血ではなかった。つまり……生きてる。助かったのだ。


 あれから、訳もわからず逃げ回り、牢獄のような場所を抜け出すことには成功した。

 そのまま追手を撒いたり見つかったりしながら森を走っていたのだが、途中で犬の鳴き声が聞こえて……俺は、慌てて川に飛び込んだ。匂いを消し、犬の追跡を振り切るためだ。

 しかし思ったよりも川の流れが速く……



「わ、わ……」

「……⁉︎」


 突然、斜め上の方から声がしたので、慌てて首を回す。


「……誰だ、お前」


 角の生えた少女が、口を開けてたじろいでいた。

 見たところ年は同じか少し下ぐらい。きっとした目つきからして、味方でないのは確実だった。


「お前も、聖教会とかいう奴らの味方か?」

「ぐ……!」


 そう声をかけるや否や、彼女はぎっと歯を食いしばり、羽織っていた布切れを脱ぎ捨てる。



「悪しき転生者よ! 死にたくなければ、妙な動きはしないことです!」

「お、おおぅ……」


 つい、気色悪い声が出てしまった。

 なんというか……扇情的。わかりやすく言えば、エロい格好だったからだ。


 足元は歩きやすそうな靴だったが、下半身はそれ以外だと紋章の描かれた前垂れだけ。上半身は、皮のような素材でできたX字のビキニ(?)のような物のみ。前側から見てもまあまあの露出度だったが、横から見るともっとすごい。街中にいたら警察を呼んでるレベルだ。


「なっ、何をジロジロ見てるんですか! ハレンチ転生者め!」

「ハレンチなのはお前だろうが。露出狂みたいな格好しやがって、ふざけてんのか?」

「くっ……! 卑怯な転生者!」


 割とまっとうな返事をしたつもりだったが、目の前のハレンチ角少女は言うに事欠いて、謎の逆ギレでこちらを睨みつける。


「会う人会う人、こちらを見れば、やれ『転生者』だの『殺す』だの『卑怯』だの……うんざりする」


 心の底に溜まったわだかまりを吐き捨てるように、唸る。いい加減腹が立ってきた。




 一緒に流れてきた「彼女」は、川に飛び込むころにはとっくに冷たくなっていた。最後に一言、「ありがとう」と、か細く言い残して……


 こんな奴らの、一方的な憎しみで、彼女は訳もわからず殺されたんだ。俺たちは何も悪いことはしていない。なのに殺された。こんな理不尽な話があるか?



「あっていいわけ、ないだろうが……!」


 生き延びてやる。


 そんな反骨精神に満ちた生存本能が、確かに俺の中で芽吹いていた。



「ハァ――!」


 少女が唸り声を上げたと同時。突如、周辺の空気がブワッと巻き上がる。

 えっ、見え……とか一瞬思ったが、そんな場合ではない。



第一龍態ラカーシェ……!」


 凄まじい熱気。顔を向けただけで肌が焼けそうだ。


 いつの間にか、彼女の全身には戦化粧のようなタトゥーが走っていて、突起程度だった角は倍以上の長さまで伸びていた。


 風に飛ばされた落ち葉が、その角の近くをヒラリと舞う。

 瞬間、ボッと燃え上がり、真っ黒の灰になって地面に落ちた。


「ヤバい……!」


 ようやく相手が只者じゃないと気づいたが、時既に遅い。彼女はとっくに攻撃の動作を始めていた。



 ――ゴォッ!


 豪炎をまとった、一直線の蹴り。こちらの頬を掠めた。


「っつ!」


 蹴りは避けられても、熱を回避することはできない。頬に針で刺されたような痛みが走る。


 俺は横に崩れた体勢を利用し、地面を転がる形で熱から避難する。その途中で砂を掴み、起き上がると同時に、次の攻撃に入ろうとしていた少女にそれを投げつけた。


「あたっ!」

「砂でも食ってろ!」

「くっ……卑怯な転生者!」


 彼女の怒りに呼応したのか、周囲の温度が一段と上昇し、また空気がブワリと巻き上がる。先ほどの倍以上は距離をとったはずなのに、肌を突き刺す痛みはむしろ強まっていた。

 頬に触れると、強烈な痛みと共に、でこぼことした感触がする。水膨れだ。少なくとも二度以上の熱傷……。


 このままやりあうのは、まずい。


 俺は回れ右すると、背後の川目掛けて走り出す。


「逃しません!」


 間に合わない。

 そう思った頃には、次の炎が飛んできていた。背後から「ゴオッ!」という空気の音が聞こえて身をよじるが遅い。

 左腕にまた、鋭い痛みが走る。


 ――バシャァン!


 思わずもんどり打って、水に顔面を打ちつけた。

 左腕の感覚が、ない。三度熱傷……火傷が神経にまで届いた。


「っ……クソがっ!」


 つまり、俺の左腕はもう、動かない……その事実に打ちひしがれてしまった。


「なんで、こんな目に……!」

「さあ、覚悟しなさい。楽に殺してあげます」


 少女が一歩、足を進める。そんな俺を見下ろして、あざ笑うかのように。

 


「何が転生者だ!」

「……」

「俺は何も知らない。お前らや聖教会の誰それも、なぜ憎まれるのかすらも、わからない……! 知ったことじゃねえんだよ!」

「ええ、そうでしょうね」

「何も感じねえのかよ……! こんな虐殺じみた風潮に加担して、お前の良心は無言のままか⁉︎」

「報いを、受けるのです。悪しき転生者」

「報い、だと……?」


 報いを受けるのは、お前らだろ……!


「……」


 少女がふと、足を止める。そして何か迷ったような表情でうつむいたが、その姿はナカムラの目に入っていなかった。

 渦巻く熱気の後ろで、チリチリと焦げる、女の死体。彼の注意は、もっぱらそこへと向いていた。



「いいか、ハレンチ角女」


 彼女のことはよく知らない。だからその死を、深く嘆いてはいなかった。

 だが――


「俺には許せないことがある。死体から物を盗んだり、傷つけたりすることだ」


 それは俺の、かつて誓った信念ルール。どれだけまかり間違っても、これだけは守り通すと心に決めた。



「安らかに、眠ってンだろうがァッ!」



 感覚がしないはずの左腕が、動いた。

 川底の石を掴み、水音をたてて振り上がる。

 狼狽える少女の、額めがけて。



 ――ゴスっ!


「……き」


 見事に、命中。いい音がした。


「きゅう……」


 そして少女は、バタリと倒れる。



「……あ」


 やりすぎた。

 そう思ったのもある。しかしそれよりも、俺の頭を支配していたのは、むしろ……


「左腕、治ってる……?」


 シューシューと音を立てて再生する、自分の左腕だった。

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