三 雷管

「フフ……心が、押し潰されそうです」


 ぬらりと、少年が一歩近づく。


「手に、温もりが、残っています。彼女は生きていました。生きていました。私が終わらせました。転生者さま」


 血まみれの手と、釘をこちらに見せつける。

 その後ろの彼女はぐったりとしていて……もう、動きそうにはなかった。


「……クソっ」

「怒り、怒りですね。あなたはお優しい。だから選ばれたのでしょう」


 ――ドシュッ!


 視界が少年の顔で埋まり、左腕に激痛が走る。

 冷たい何かがメリっと手のひらの奥に入り込んだ。痺れるような、肘が軋むような痛み。左腕から心臓へと伝わっていく。


「っ……」

「静かです。皆、悲鳴をあげます。あなたは違う。心が強いのか、あるいは……全くもって弱いのか」

「報いを、受けろッ……イカれ野郎」

「報い、報い。ええ。私にもその時が来るでしょう。しかし今ではない」


 ジュッと熱が走るような感覚と共に、左手から釘が引き抜かれる。

 ローラーは嫌にあでやかな手つきで俺のTシャツの下に腕を滑りこませ、食道、胃、小腸、大腸の順に、腹の上をなぞる。


「あなたを、伐す予定ではなかった。先走ってしまいそうです」


 とがった釘の先が、へその上で止まる。



「ローラー様ッ!」

「……なんですか?」


 突如、鉄扉が開き、一人の兵士が倒れこむようにして現れた。

 そこでローラーの動きが止まり、彼の顔から狂気の色が消失する。



 助かった……。


 全身から、どっと力が抜ける。

 血管が瞬間的に大きく膨張し、血液の流れる音や、心臓の拍動が耳鳴りのようにうるさかった。


 笑える話だ。前の世界では自ら選んで死んだくせに、今は命が繋がったことに喜んでいる。


「た、大変です……! ヤツが、あの転生者、クロ――」

 ――ドゴォンッ!



 爆発音。

 続けてギャン!と音が鳴って、鎧の塊が壁に打ち付けられる。


 いったい、なにが……?


 ズルリと崩れ落ちる兵士の死体を尻目に、首を振って、土煙を払いのける。ツンとした火薬の匂い。耳に蓋がされたような感覚。

 頑丈な鉄扉があったはずの場所は、まるで抉り取られたみたいに円形の穴があいていた。大砲……にしては威力が凄まじい。破壊光線とかの方がまだ説得力がある。


 ローラーも爆発の衝撃に巻き込まれたようで、部屋の片隅でぐったりしていた。彼の釘がカラカラと床を転がり、排水溝の上で止まる。

 小物っぽくて嫌だが、正直、ざまあみろと思った。見た感じ死んでないのが残念でならない。


 そんなローラーの延長線上、俺の足元に、一つの人影。ゆっくりとこちらに近づいていた。


「あー……ヤバい。巻き込んだかも」


 低い、女性の声。一定の靴音。


「死んでませんように。死んでませんように……」

「…………」


 鬼が出るか、邪が出るか。そんな風に息を飲んでいると、やがてニュッと黒スーツの女性が、外の光から溶け出すように現れる。


 背の高い、おそらくアジア系の女性だった。黒髪をやや高い位置で一つにまとめ、口に一本のタバコ、右手に銃剣のついたライフルを握っている。



 彼女はこちらに気づくと、「お」と呑気に口を開く。


「なあんや。ちゃんと生きてるやん」


 光が横からあたり、彼女の顔が見えた時、思わず時が止まったのかと勘違いした。

 その顔は、かつて見たこともないほど、美しく整っていたのだ。美女をやたらめったに褒める言葉として、「沈魚落雁閉月羞花ちんぎょらくがんへいげつしゅうか」というのがあるが、それはまさしく彼女を表現するために作られた言葉かもしれない。そう思わせるほどだった。


 美しく、神秘的で……そして不気味。魅力的というより、蠱惑的。夜空の月というより、虫を引き寄せて殺す誘蛾灯。そんな、少し不穏な美しさ。



幾許いくばくの時を、幾星霜いくせいそうのように待ち詫びて……夢にまで見たこの時は、なおも泡沫の夢なれや」

「は……?」

「酷いツラやなあ」

 困惑するこちらの反応を味わうように、美女は乾いた笑い声をあげる。


「まるで、鏡を見てるよう」

「……誰だ、お前」

「クロタコ。本名は隠した方がいい。これからたくさん、自分を偽ることになる」

「……」

「さて、お名前は?」

「……ナカムラ」

「そ、ええ子やね」


 俺を拘束する錠を外すと、クロタコは鍵束を放りなげる。「もう行け」ということなのだろうが、こちとらそうもいかない。

 

「何が目的なんだ?」

「鈍感やなあ。こんな美人のお姉さんに、皆まで言わせるつもり?」

「……」


 仕草にいちいちドキッとしてしまう。ばつが悪くなった俺は彼女から視線を外し、鍵束を拾い上げた。


「あら、その子も助けるんや。 優しいんやね」

「見捨てられるわけないだろ」

「でも残念。もう手遅れやで」

「わかってる。ただ、こんな寒くて寂しい場所で死ぬなんて、可哀想だ」

「……」


 クロタコは女性を背負う俺をまじまじと見つめ、肩をすくめる。しっかりと見たわけではないが、何か、深い意味がありそうな目つきだった。

 それが何かを考える余裕など、俺にはないのだが。



「は、ははは……素晴らしい、素晴らしいですね」


 ローラー・ペグ・ロイギラファ。嫌でも頭に焼きついたそいつが、こちらを……いや、クロタコを、ギラついた目で凝視していた。


「最優先崇伐対象……付き転生者。 尭孝、尭孝です。神はまた私に、新たな試練と、偉大なる崇伐の機会をお与えくださった」

「ほら、めんどいのが起きた」


 心底うんざりした様子でため息を吐き、クロタコはタバコを横に吐き捨てた。そしてこちらに手をやり、ヒラヒラと振って「はよ逃げ」と合図する。



「おや、逃すとお思いですか?」


 ローラーが前傾し、瞬時に姿を消す。

 咄嗟に後ずさり、その前にクロタコが割り込んだ。


 ――キィン!


「邪魔、邪魔しないで、ください」

「おこと、お断りや」


 クロタコは無表情でふざけると、銃を車輪のように回転させ、ローラーの釘を弾く。続け様に銃撃。しかしそれは見当違いの場所に当たる。

 それを好機と察知したローラーの頬が緩み、即座に前傾した。


「おや、これは……」


 ところが、ローラーの姿勢は直後に崩れる。

 右膝がガクッと下に跳ねて、前かがみのまま片膝をついた。跳弾だ。


「こんな狭い場所で、無計画に撃たへん」

「ふふ、特記事項、その一……『彼女の撃ち損じを期待してはならない』。失念していました」


 クロタコは「へえ」と興味なさげに呟き、後ろで固まっていた俺の額に、空薬莢を投げつけた。


「あづっ!」

ほうけてんと、はよお行き。聖教会の席騎士は手遊てすさびでやり合えるほど楽やない。うちとて、何度も助けられるワケちゃうで」

「……あんたは?」

「ええから」

「……」



「仕方がない。彼は一旦、差し上げます」


 ローラーが何処からともなく釘を取り出し、クロタコもそれに身構える。


「あなたの声は、お美しい。凛と流れる川のようでありながら、心骨を打ち折る鞭のようでもある。

 あなたの喉笛を貫けば、私はもっと罪の重さを実感できます」

「五分だけ相手したるわ、ローラー。うちとて暇やない」


 あまりに、次元が違いすぎる。

 自分は邪魔だ。そこに無力さを感じもしたが、事実は事実。すぐさまきびすを返し、光の方へと走り出す。




「それでええ。また、すぐに会える」


 去っていくナカムラを背中で見送りながら、クロタコは銃剣を構えた。


「うちらの運命は、繋がってるんやから」

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