第3話

「んっぐっ」


突然おかしな音がして、急に自由が訪れた。

おじさんは前かがみになって唸り声をあげている。


優海禾ゆみか、走るぞ!」


温かい手が私の手をしっかりと握りしめ、走り出す。


「クソガキ!」


後ろで発せられた罵声から逃げるために、知らない道を繋いだ手だけを頼りに走る。


「絶対に立ち止まんなよ!」


「う……ん……」


どこをどう走ったのかわからない。

果てしなく走り続けた気がした。


振り返ると、あの見知らぬおじさんの姿はなかった。

代わりに見たことのない景色に囲まれている。


「ここ……どこ?」


「大丈夫だから」


握った手に力が入る。



既に辺りは暗くなりかけていたけれど、更に雨が闇を纏って降ってきた。

空からの冷たい雨が容赦なく体を濡らし、アスファルトに跳ね返って足元を重くさせる。


遠くで聞こえるサイレンの音に体がこわばった。


「あれ、きらい」


私の訴えに、耳を塞ぐように抱きしめられた。


「大丈夫。怖くない。俺がいるから」


「おにーちゃん……」


怖かったサイレンの音が小さくなって、不思議と心の中が温かいもので埋め尽くされていく。


「もう聞こえない。優海禾、もうちょっと歩ける?」


「ん」


兄は私の額に張り付いた長い髪の毛を手で払うと、もう一度、しっかりと手を繋いで、明かりの方に歩き始めた。

2つに別れた道をどちらに進もうか立ち止まった時、兄の名が呼ばれた。


海梛みなぎ!」


パパの声だった。


「どれだけ心配したと思ってるの!」


続けてママの声。


「大丈夫か? 怪我はないか?」


パパとママは駆け寄って来ると、すぐに兄をぎゅっと抱きしめたので、兄と繋いでいた手は離され、宙ぶらりんになった。


「優海禾も大丈夫?」


兄の次に声をかけられた。


「何やってたんだ? 急にいなくなって!」


父の質問に答えたのは兄だった。


「優海禾と、いろんな店見てたら道に迷ったんだよ」




兄は知っていた。

自分なら何をしようと、決して咎められたりしないことを。



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