第2話


   5


 昼休み、俺は空を見上げた。

 くもり空。

「先輩、この新作のパン、めっちゃおいしいですよ」

 俺と高橋は社員食堂が満員だったため、外のコンビニで昼食を買って、会社近くの公園のベンチに並んで座ったのだった。高橋はよく食べる。体は細いのに。きっと上半身全部が胃袋だと思えるほどだ。そういうところが面白くて、俺は高橋をよく飲みに誘い、おごってやったりして、くだらない話をしたりして、その時間を楽しむのだが、

「なあ、高橋」

 これまでに、人生相談をしたことはない。「女性と食事に行って、ワリカンにされるってどうなんだ?」

「そりゃあ、その距離感ですよ」

 空に向けていた視線を、俺は高橋の方へ動かした。

 高橋は正面を向いて、むぐむぐと口を動かしている。人生相談より、パンの味に重きを置いている顔つきだ。

 俺はもう一度空に目をやる。誘ってから三日後の昨夜、館野さんと食事をした。楽しかった。話が弾んだ。おごるよ、と俺が言い、館野さんはきっぱりと言った。ううん、ワリカンで。

 つまり、館野さんにとっては、そこはケジメ、これは同期のよしみの食事、景気づけ、勘違いしないでね、落ち込む君を慰めただけ。そういうことだったのか? いや、まあ、たぶん、そうなんだろうな。

「あ、先輩」

「ん?」

 俺は横を向き、次に高橋の視線の先を見た。

 館野さんが公園の入口の方から、こちらに小走りでやって来る。外の歩道に、見知った数人の社員が立ち止まっている。おそらく、どこかで皆で食事をした帰りなのだろう。

 俺はベンチから離れ、目の前に館野さんが来たところで立ち止まった。

「館野さん、昨日はありがとう」

「ううん。私こそ。昨日は楽しかったよ」

 館野さんは笑った。「また一緒に景気づけしようね。じゃあ」

 館野さんは回れ右をして、入口の方へと戻って行った。

 俺は、館野さんが公園を出て、その姿が見えなくなると、ベンチに再び座った。

「先輩、まだパン一つ残ってますよ。早く食べないと昼休み終わりますよ」

「やるよ」

「じゃ、いただきまあす」

 渡したパンを、高橋は素直に受け取る。

 俺も、素直に受け取ってよいのだろうか? 館野さんの態度を。

 館野さんに、また一緒に、と言われて、とてもうれしかった。けれど、彼女の背中を見送っているときに気づいたのだ。

 まさか、俺、真逆の魔法を発動したんじゃないだろうな。

 本当はフラれていたのに、想いが叶った?

 それって、彼女の気持ちを操作したってことか? それは、よくないよな?

 ……。

 いや、よく考えれば、フラれるってほどのことも、想いが叶うってほどのことも、行われていないぞ。

「先輩。この先輩の新作のパンも、マジうまいすよ。俺、今度自分で買いますよ」

 うん、そうだ。マジでうまいパンを発見する機会を得られた高橋と同じだ。

 たとえ魔法が発動したとしても、俺はちぎれそうになっていた紐を結ぶ機会をもらえただけ。あとは、自分の努力次第だ。


   6


 昼食のパンを一個食べなかったせいか、夕方、とてつもなく腹が減った。俺は高橋を誘って飲みに行った。

 店で、焼き鳥を食べ、高橋としゃべりながら、昨夜の館野さんのことを考えた。きっと、俺を慰めるための食事でおごらせる訳にはいかないと考えてくれたのだろう。そして、おそらく、俺と過ごす時間は楽しいと思ってくれたはず。そう考えると、

「ねぎま、十本追加お願いしまあす」

 高橋の脳天気な声も、軽やかな天使の歌声に聞こえた。


「先輩、これ」

 店を出ると、高橋が俺に五千円札を差し出した。

「え? 何だよ?」

「いつもおごってもらってばかりで申し訳ないので半分出します。足りますか?」

「あ、ああ」

 珍しいこともあるものだと、俺は札を受け取ろうとして、はたと気づいた。

 これは、真逆の魔法の発動か?

 確か、さっき俺は、焼き鳥を喰らう高橋を眺めながら、まったくこいつは、たまには自分も金を出そうとかは思わないんだろうなあ、と苦笑気味に思った。

「いや、いいんだぞ。俺が誘ったんだし。おごってやるつもりだったし」

「いえ、俺、いつも甘えてばかりですから、今日は払います。成長しないと、です」

 高橋は、札を俺の手に押し当てた。

 なるほど。高橋は今年二年目。下が出来た訳だし、いつか自分がおごる立場になるからこそ、の成長か。

「分かったよ」

 俺は、札を受け取った。


   7


 翌朝、出勤途中、俺はあの男を見かけ、追いかけた。

「あの、すみません。魔法、の人」

 男に追いついたのは、初めて会ったあの公園だった。なんと呼んだらいいか迷い、選んだ言葉があまりにファンタジーで気恥ずかしく声が小さくなってしまったが、男は振り返った。

「ああ、この前の」

 男は俺を覚えていた。

「はい、そうです。おはようございます。あの、俺の魔法、状況が真逆になる魔法、知らない間に発動してしまうのですが、使いこなすコツはありますか?」

 俺は言った。

 すると、男は数秒怪訝そうな顔で俺を見て(なので俺は焦った。男が果てしなくマトモで自分だけがイカレタ世界、に放り込まれた気がして)、それからほほ笑んで言った。

「あなたは立派に魔法の力を開花させましたね。素晴らしいです。ですが、私の、相手の魔法を見極める能力によると、あなたの魔法は、その真逆とかいうものではなく、ワリカンの魔法、誰と食事をしても必ずワリカンになる魔法ですよ」

「へ?」

 俺の口は開いたままになった。が、思い当たることが複数。

 横井部長のコーヒー百円――あれって、考えてみれば、おごってくれる場面だったよな。いや、そう言えば、あのとき、失敗したのにおごってもらうのは悪いと、ちらっと、うっすらっと、思った。あれが、ワリカン魔法をかけた瞬間だったのかも。

 そして、館野さんの揺るぎなきワリカン。

 高橋の天変地異の如き五千円。

 なるほど、そういうことか。

「はっ、はは!」

 思わず笑ってしまった俺に、にこにことしながら男は言った。

「喜んで頂けてよかった。魔法の力開花の一助をした甲斐がありました。今、お礼を、と私を食事に誘おうとしましたか? お断りします。お気持ちだけで十分ですよ。では、これで」


   8


     ※


 館野さんと、二度目の景気づけの食事をする日が決まった。


     ※


 噂で聞いた。横井部長が娘のようにかわいがっている姪御さんが、人間関係の悩みで休職しているそうだった。俺は、部長をそのうち飲みに誘おうと思った。ワリカンになってしまうけれど、何でもない話でも、どんな話でも、することができればいい。


     ※


 のちに、俺は一つの仮説を立てることになる。

 魔法の人は、必ずワリカンになる、と言ったけれど、相手の魔法の力が俺より高い場合、そうならないこともあるのではないだろうか。

 なぜなら、高橋と飲みに行くと、五回中三回は、魔法の力開花前のように、俺が完全におごることになるからだ。

 とすると、高橋は、いったいどんな魔法を使えるんだろう?

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朝の魔法使い2 @magutan

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