微笑み

映画館

微笑み

気のせいだとは思わなかった。


ふとした視線、仕草。


目が、彼の指先が、表情が、私を”真っ直ぐ”見つめていた。


「岬さん。」


彼が、私を呼ぶ。それはもちろん名字で、声音に甘さなんてない。


だけど、会社の同僚でしかない私を呼ぶ何気ない声すらも、彼が私を意識しているのだと確信させる。


自分は頭がおかしいのかな?


そう思ったこともあった。だってこんなに人気者で、思わせぶりな素振りも見せたことのない彼が私を”愛している”なんて、そんなことあるわけがないもの。


会社での私は、地味な立ち位置。


与えられる仕事も、地味で大変なものが多い。


それでいいと思うし、それがいいと思える。私という人間は、そんな立ち位置。



それなのに。会社の顔ともいえる、人気者の彼。


言い寄る女性は可愛い子ばかり。誰と付き合ってる。誰々とご飯に行ってた。事実かも分からない噂も毎日飛び交う、人気者。


なのに。


「岬さん。これから時間、ある?」


その誘いに、心踊る。バカねと、冷静な自分が吐き捨てる。


でも私は気づいているの。


「…はい。」


貴方の瞳の奥から覗く、それに。


「ありがとう。」


嬉しそうに彼の口元が弧を描く。そして私は、確信する。


「私こそ、ありがとうございます。」


彼の愛の重さに、息もできないほどの束縛に、きっと私は気付かされるのだろうと。


ーーー重すぎる愛は、私を救う。


「大切にするよ。」


言葉を合図にお互い自然と、動いた。


ゆっくりと抱きしめられて、彼のぬくもりと匂いを感じて、ゾクリと背筋に快感が走る。


なぜだろう。私達の間には、未だに確信を持てる言葉はないのに。


まるでそれが普通だったかのように、私達はお互いを重ね合った。



会社の廊下。みんなが帰って人通りのないそこで、吐息を交換する。


一瞬離れた彼の目の奥で光る盲目的なそれに、胸の奥から、歓喜が湧き上がる。



溺れる。そう、息もできないほどに、私はこれから、彼に愛されるのだ。


一瞬目を閉じて、小さく息を吐き出し、荒い息を整えた。


一際強く抱きしめられ、耳元に吐息がかかる。


ふと視線を上げれば、呆然とこちらを見る2つの瞳。彼と同じ人気者。とても良い人なのだと思う。


だけど行動や、言葉の端々から、私のような人間への侮蔑が感じられた、そんな人。


彼の噂の中心は、常に彼女と一緒。


まるで舞台の上で舞っているように、くるくる、くるくる、美男美女が絡み合う。


あざ笑うかのようにゆっくりと微笑む。嗤ったのは、観客に過ぎなかった自分か、それとも道化の彼女か。


彼女は口元を手で覆う。ショックとばかりに目を見開いて。


思わず笑みをこぼす。気づいた彼が首を傾げた。なんでもない、言葉の代わりに首を振る。


ああ、醜い。優越感に彩られた私の笑顔は、綺麗な心を持った彼女にはとても醜く写っていることだろう。


「俺を見て。」


そんな私の微笑みすら、独占したい哀れな男。懇願されるまま彼を見れば、安心したように小さく息を吐いた。



抜け出せない。きっと私は、抜け出せない。


そして貴方も、私から抜け出せないの。



これほどまでの幸福があるだろうか?


狂っていく。歪んでいく。私達の関係は、感情の中で最も純粋なソレに支配されていく。


それでもいいと思えるほどの感情を、貴方は私に向けてくる。


目を閉じて、満たされていく自分に、微笑んだ。





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