幕間
「ジリリリリリ」
机に置いてある時計が時間を知らせて鳴り響くのを、読んでいる本からのぞき見るように、私の紅い眼がチラリと捉えた。
時刻は午後三時十分前。
どうやら仕事の時間のようだ。時計のアラームを止めると、読んでいた本に栞を挟んで机に置いた。
長い銀髪の中に手を差し込んでバサッと翻すと、座ったまま両手を胸の前で組んで、それを上に引っ張るように背伸びした。
「くぅ~」
背中からポキポキっと音が鳴るのを心地よく感じる。
「いいとこだったのに、おっとっと……」
そのまま後ろに倒れそうになるもグッと体勢を戻すと、椅子を引いて立ち上がった。
机と椅子とベッドと本棚が二つずつ置いてある二人部屋で、私は一人でここを使っていた。一人だから遠慮なく仕えるので快適だ。
服を脱いで畳んで下着姿になった私は、クローゼットを開けて、いくつもある同じメイド服の内の一つを取り出した。
いつ見てもスカートが短い。だが主な仕事が家事ではないのでこれでいい。
『近衛メイド』――それが私、シャロンの立場だった。
陛下の身の回りのお世話や雑事、そして護衛などが専門だ。
それにしても戦いやすさと可愛さを兼ね備えているらしいこのメイド服、陛下の趣味だとか聞いたが、本当なのか、いつか機会があれば訊いてみたい。
ストッキングを履き、それをガーターベルトで止める。そこからワンピースタイプのメイド服をスッポリと被って頭と手を出して、最後にヘッドドレスを着けて着替え完了。
姿見の前に立ち、どこかおかしな部分はないか確認する。
胸の部分がかなり強調されているが、そもそも大きいので仕方がない。
「……パンツは、見えてませんね」
ガーターベルトで上げたストッキングと、スカートの裾の間に見える太ももを凝視しながら軽くジャンプ。魔法でいい感じに制御出来てる、うん、見えない。
短いスカートを履かせておいて、パンツを見られてはメイド失格らしい。
……意味がわからない。
だけど自分がご主人様として認めた人なら大丈夫らしい。
……もっと意味がわからない。
メイドスキルを学んだときに陛下に言われたことだが、いまだによくわからない。
「それに、ヴァンパイアの女を好きになる男なんていないのにね……」
自然と私の紅い眼は、さっきまで読んでいた本に向けられた。
『俺が愛した女はヴァンパイア』
最近流行の恋愛小説家――イルミナ・カルメルの最新作。
「フィクションはフィクション」
妄想に心をときめかせる時間は終わり。
続きを読みたい気持ちを抑え、自室を後にした。
自分の部屋を出ると、絢爛で煌びやかな王宮の中を歩いて目的地へと向かう。
道中、丈の長いメイド服を着た、顔見知りやどこかで見たことがある人に会釈して廊下を進んでいると、曲がり角から出会い頭に、あまり会いたくない人にかち合った。
「あっ! シャロン!?」
私と同じメイド姿だが、彼女はスカートの丈が長いメイド服を着ている。
『王宮メイド』は、給仕を司る本来のメイドの姿だ。
「ソーニャ、こんにちは」
ボブヘアが似合う茶髪のソーニャ・マドカに、私は最低限の挨拶を返した。
「ふ~ん?」
私と同じ背丈の彼女の黒い瞳は、私は値踏みするように見つめてくる。どうせ言われることはわかっているので、ここから、彼女から離れようとするが、
「待ちなさい。……今は二人っきりでちょうどいいわ」
ソーニャは避けようとする私の前にわざわざ立ち塞がってきた。
「やっぱりあんたにはそのメイド服は荷が重いと思うの。よかったらあたしが取り持ってあげて、あたしと同じ『王宮メイド』に所属させてあげる」
私は心の中でため息をついた。
「またですか? 何度も言っていると思いますが、私は――」
「ヴァンパイアのくせに【初級魔力】……」
ソーニャはニヤリと小馬鹿にするように言った。
魔法が得意ではない人間であれば問題ないが、魔法が得意なヴァンパイアである筈の私に対してそれは蔑称になる。
何度も繰り返したやりとりだ。でも、いつもいる二人組は今はいないみたい。今回も私は反論しようとするが、今日は少しは違ったようだ。
「そうそう、あたしの魔力が青色になったのよ。ほら?」
そう言ってソーニャは人差し指を立てて、指先を青く光らせた。
「え、そんな……」
彼女が嬉しそうにするのを見て、驚いてしまったことに後悔した。
「驚いた? 青色ってことは【中級魔力】よ」
口ほどに物を言う自信満々な瞳から、私は眼をそらすので精一杯だった。
「魔法が得意なヴァンパイアのあんたが、魔法か不得意な人間であるこのあたしに、追いぬかされたってことよ、ほらあんたに『近衛メイド』なんて――」
「……ハーフでしょ」
「何?」
せめてもと、私は反論する。
「ソーニャ、あなたはヴァンパイアと人間のハーフでしょ? なら別に【中級魔力】を使えても、珍しくないんじゃないの……」
「確かにあたしはハーフだけど、ヴァンパイアと人間から生まれてくるのは、人間と変わらないのは知っていると思ったけど、もしかして知らなかった?」
そんなの知っているに決まってる……でも、私は私という悪い例外を知っている。
「生まれで、すべてが決まるわけじゃない……」
反論になっていただろうか、昔のことを思い出すと泣きそうになってしまう。
「……違っ、あ、ごめ……いやシャロン! だ、だからあたしと一緒に――」
「あ、いたいた!」「ソ、ソーニャさん……」
何か言っていたソーニャの声をかき消すように、丈の長いメイド服姿の二人組が彼女の後ろから駆け寄ってきた。
エイミ・マキ。
ビーミ・マキ。
小柄ながらもソーニャの取り巻きの姉妹。二人とも、いつも前髪が眼が隠れていてよく似ている。私はいつもどっちがどっちかわからなかった。
「エイミさんにビーミさん、どうしたの?」
私と違って、ソーニャはちゃんと相手の方に向いて声をかけている。姿が一緒な二人をどうやって判別出来ているんだろう、不思議……。
「聞いてくださいよ! ビーミさんがちょっとミスをしてしまって!」
「ち、違う、エイミのせい、エイミが確認を怠ったから、私も……」
どうやら王宮メイドの仕事で何かあったらしい。
「どうしたってのよ、まずエイミさんから、何?」
甲斐甲斐しく話を聴いてあげるソーニャ。この隙に逃げだす様子を窺っていると、おそらくエイミさんだと思われる方が、髪に隠れた眼が私とあった気がした。
「あっ! あんたシャロンね!」
「シャ、シャロンだ……」
慌てていたのか私に気づかなかった二人が、お互いに顔を見合わせて頷くと、ソーニャの両隣へと前に出てきた。
「どうせあんたまたソーニャさんの勧誘を断っていたんでしょ?」
「そ、そうですよね?」
今日はいないかと思っていたのに……。
「シャロン! 【初級魔法】しか使えないヴァンパイアのくせに、『近衛メイド』なんて分不相応にもほどがあります!」
「そ、そうです……ヴァンパイアという生まれと、へ、陛下に気に入られただけで『近衛メイド』なんて、あ、ありえません、と思います……」
「え? え? えっと……」
左右からの言葉に、右へ、左へ、どうしてソーニャが戸惑っているんだろう。
……前にも二人っきりで喋っていたら、さささーっと取り巻きが現れて、ソーニャが今みたいに慌てていたような覚えがある。
よくわからないけど戸惑っているなら好都合。
「では失礼します」
最低限の言葉と浅いお辞儀をして、私は三人を横に避けて目的地へと進む。
「あ……」
「手を伸ばしてどうしたんですか? あ、もっと言ってやりたいってことですね! ちょっと待ちなさいよ! シャロン!」
何か後ろから聞こえるが、当然止まるわけがない。
「あいつ生意気ですよソーニャさん!」
「ソ、ソーニャさん、どうしますか?」
このまま行かせて欲しい。
「あ、その……」
「青い顔をしてどうしたんですか? このまま何も言わずにあいつを行かせてしまうんですか? まさかソーニャさん、純血のヴァンパイアにビビってるとかですか?」
このまま、このまま、何事もなく……。
「シャ、シャロン! に、逃げるんですか! 才能がなくて親に捨てられた! 家名を持たない落ちこぼれのヴァンパイア! あんたにはお似合いだわ!」
……私は、思わず立ち止まってしまった。
「あ、シャロン……」
「くっ……」
だけど反論できない私は走り出して、この場から逃げ出すことしか出来なかった。
「あ、落ちこぼれたのヴァンパイアが逃げた!」
「は、反論できないから、逃げた……」
後ろから届けられる声に、私の頬には自然と涙が伝っていた。
あれから、平常を取り戻した私は、目的の豪華な観音開きの扉の前にたどり着いた。王宮に住んでいるとはいえ、従者の私の部屋とは扉からしてレベルが違う。
「……よし!」
気持ちを切り替えてからノックする。
「………………」
返事はない。ただの豪華な扉のようだ。
もう一度ノックしてみる。たぶんいる筈なんだけど。
「はあ~ん、いいわ~、よくってよ~」
……?
前に読んだ官能小説の吹き出しみたいな声が返ってきた。
開けて、いいよね?
「失礼します」
扉を開けて中に入ると、私の部屋の三倍はあるであろう広さの部屋に、豪華な天蓋付きのベッドや、オシャレで高貴な家具が置かれた中、
「………………」
陽光が降り注ぐ窓際にある机の前にある椅子に、背筋をピシッと品良く座って本を読んでいる、綺麗な長い金髪を優雅に縦ロールにしたお嬢様がそこにいた。
お嬢様といってもドレス姿ではなく、私と同じスカートを履いている。もしもの戦闘になったときのために、動きやすいためと陛下からは聴いている。
『華麗なる血族』――ヴィヴィアン・ジャンヌ・ダルク。
こうして二人っきりで会うのは初めてだが、他のメイドからは、別名『恋に恋するヴァンパイア』と言われているとも聞いた。
「はあ~ん、ここもいいわ……」
そんな彼女が急に悶えだした。顔がとろけていて、よだれも垂れている。
普段の気品溢れる彼女の姿を知っているだけに意外だった。
「さすがイルミナ・カルメル、今回もよくってよ~」
部屋に入ったときから何となくわかっていたけど、私に気づいていないみたい。とりあえず、ちゃんと挨拶をしようと近づいて、そこで気づいた。
「はっ」
あれは私がさっきまで読んでいた、イルミナ・カルメルの最新作『俺が愛した女はヴァンパイア』じゃ?
「まさか主人公が女神様から特別な力をもらっていて、ヴァンパイアのヒロインをそれで助けるなんて、こんなの興奮しない方がおかしいですわ~」
「がっ!」
まさかネタバレ?!
おとぎ話の存在の女神が関わってくるの?
私それ知らない!
「……あら? あなたどうしたの?」
いつの間にかに地面に膝と手をつけている私に、ヴィヴィアン様は気づいてくれたようで、すでに読んでいた本を閉じて、机の上に置いてしまっていた。
「だ、大丈夫です、失礼しました……」
立ち上がる私を、ヴィヴィアン様は『そう?』と不思議そうにしている。
……さっきまでのあなたも大概だが、立場ゆえに何も言わない。
「おほん、ヴィヴィアン様『ブラッディセブンナイツ』として、皇帝陛下がお呼びですのでご用意を……」
「嫌ですわ。今日は私、心の赴くまま、自分が満足するまで、恋愛小説を読みあさるって決めているですの!」
何それ……私もやりたい。
「それにですわ! 七人いたナイツはもう私しかいないではないですか! 何を話すんですの? さっさと私以外のナイツを連れ戻しなさいよ!」
それは確かにそうなんだけど、今回は少し内容が違う。
「お気持ちはわかりますが、今回は陛下から、あなたに良い縁談の話が――」
「だったら尚更嫌ですわ! どこの馬の骨とも知れない男に、この私、差し上げるつもりはありませんわ!」
娘を嫁がせたくない父親みたいなことを、自分で言ってきた。
「それに! 私、素敵な殿方は自分で見つけると決めていますので! あと恋愛もしたいですわね! あと私より強くて! あと優しくて! あと一目惚れがいいですわ! あと恋愛小説のような展開もいいですわね! あと――」
まだ何か言っているが『あと~』からずいぶん言葉が続いている。
それに理想も高い。
……でも、少しだけ気持ちがわかる自分がいて、まるで自分を見ているような気分になってくる――私って、こんなに痛々しいんだ。
「――なのよ! 同じ女のヴァンパイアとして、あなたにもわかるでしょ?」
「は、いいえ……」
内心共感していた私は、咄嗟に『はい』と言いそうになってしまった。
「んー?」
一瞬とはいえ隙を見せてしまい、ヴィヴィアン様が私をじーっと見てくる。
「んんー?」
彼女の体と顔が近づいてきた。訝しげな表情だが、女の私でも見惚れるほどの品の良い端正な顔立ちが迫ってきて、ふと、それが止まった。
「……あなた、前にお会いしたことがありましたか?」
「え? ……えっと、一応『近衛メイド』ですので、どこかでお見かけしたのでは?」
私はお見かけしたことがあるが、向こうはわからない。人によっては、私の容姿は覚えやすいらしいけど、ヴィヴィアン様もそうなのかもしれない。
「お名前は?」
「シャロンです……」
「家名は?」
「……わかりません」
「ああ、あなたが例の……」
容姿よりも、そういう意味の方が私は有名か、嫌な覚え方されてるな。
「でも、それとは関係ない気がするわね? どこだったかしら? あなた、どこかで見たことがある顔なのよね、うーん……」
と言われても、私には見当がつかない。
しばらく私の顔を無遠慮にジロジロと見つめくるヴィヴィアン様。
「まあいいわ」
しかし一向に思い出せなくて諦めてくれたみたい。
「とにかく! 私は行きませんので! そのことをあのお婆ちゃん陛下に言っておいてくださいまし!」
言ったところでな気がする、あの陛下なら荒っぽいことも無理矢理――、
「だあれが! お婆ちゃん陛下だ! こおらあああっ!」
突然鳴り響いた怒声と同時に、観音開きのドアが両方とも勢いよく開かれた。
「へ、陛下……」
「ひええええええっ! どうしてここに?」
現れたのは幼い見た目をした紅い眼の少女。
しかしながらも、意思の強い紅い瞳に、肩まで伸びる深紅の赤髪、一級品とも思える紅蓮のドレスを着ていて、見惚れるほどの品格を感じさせる。
『ヴァンパティール帝国皇帝』――ファンファノーラ・エリオット陛下。
「どうせお前のことだから来ないだろうと、扉の前で聞き耳を立てて窺っていたら、よくもわしをお婆ちゃん陛下だなんて呼びよったな!」
部屋に一歩一歩と入ってくる陛下。私はそれを固唾を飲んで眺めていた。
「すまんかったな、シャロン」
「……いいえ」
私に労ってくれた陛下だが、それも一瞬で『キッ』とヴィヴィアン様に向き直った。
「いつからお前はわしに楯突こうなんて考えるようになったんじゃ、アンアン?」
子供のような身長の陛下が見上げながら、ヴィヴィアン様に居丈高に言った。
「べ、別に楯突こうなんて思っていませんわ! ただ私は……それよりも! わ、私のことをアンアンなんて呼ばないでくださいまし、ひ、卑猥ですわ……」
「どこがじゃ? アンアン可愛いではないか、そう思うよな、シャロン?」
思わぬ流れ弾が飛んできた。
「卑猥ですわ! その、あえ……ぎ、声みたいで、その、あなたもそう思いますでしょ?」
こっちからも。
左からは余裕の笑み、右から半泣きの訴えに対して、
「可愛いと思います。アンアン様」
私は上下関係の強い方に媚びることにした。
「うわーん! 権力に屈しましたわね! 人のことをアンアン! アンアン! アンアンって! 私はヴィヴィアンですわ! もしくはヴィヴィですわ!」
ヴィヴィアン様は私を指さし、目尻に涙を溜めて訴えかけてきた。
あんまり何度も何度も言わないで欲しい……聴いている私も恥ずかしくなってくる。
「さて、落ち着いたところで」
「全然! 落ち着いてませんわ!」
荒ぶるヴィヴィアン様の訴えを無視して、冷静に陛下は話し始める。
「シャロンから話は聴いていると思うが、お前に縁談の話が来ている。本来、女のヴァンパイアは相手にされんのじゃが、ダルク家のご令嬢であればとのことじゃ。喜べ」
「喜べませんわ!」
「何が嫌なんじゃ? 若いヴァンパイアの男じゃぞ、わしは興味ないがそこそこイケメンじゃぞ。それにお前の方が強いだろうから、男を調教……いや自分好みに染められるかもしれんぞ」
陛下の危ない誘惑に、ヴィヴィアン様の頬が染まっていくのが見えた。
「そ、それはちょっと、興味が……って良い感じに言っても受けませんわよ! 私、好きな人は自分で……とにかく! 私は恋をしたいんです!」
「はぁんっ!」
陛下は見下すように鼻で笑い、
「何が恋じゃ! ろくに男を知らず、ずっと恋愛小説ばかり読み漁って、男に理想を追い求め続けとる喪女ヴァンパイアが、恋をしたいなんて生意気じゃ!」
「「ぐさっ」」
鋭い言葉がヴィヴィアン様に突き刺さった。そして心当たりがある私にも。
「……こ、恋をしたいと思って、何がいけませんの?」
瀕死に近いダメージを負いながら、ヴィヴィアン様は気丈に抵抗している。
「ヴァンパイアとして生まれたせいで、同じヴァンパイアからも、人間の男性からも恋愛対象として見てもらえない。だから物語に思いを馳せるんですわ!」
「うぐ……」
恋に恋する乙女の謎の圧に、陛下はたじろぎを見せた。
「それに男性に対する理想が高いわけでは決してありませんわ! 運命的な繋がりや、許されざる恋だったり、運命的な出会いが欲しいですわ! あ、でも普通の幼なじみからの繋がりもいいんですわね。まあ私には幼なじみなんていませんけど、ゆくゆくそういう関係になっていく。ああ、いいですわね……」
ヴィヴィアン様は熱く語りながら、いつの間にか妄想へとトリップしていく中、
「幼なじみ……」
何だか陛下の様子がおかしい。
「わしも、いずれはそうなるじゃろうと……」
陛下の深紅の赤髪がゆっくりと逆立っていき、彼女の緑色の魔力がオーラのように彼女を纏っていく。
「へ、陛下?」
「幼なじみ、いや、許嫁じゃったのに……あやつ、あやつめーーー!」
凄まじい魔力が、陛下から突風となって襲いかかってきた。その魔力の風からは怒りの感情が伝わってくるのだが、ヴィヴィアン様に怒っているようではない気がする。
「うわっ!」
私は手で顔とスカートを守りながら、何とか踏みとどまるが、部屋の中の小物は吹き飛び、ベッドの天蓋は外れて、窓ガラスも歪な不協和音を奏でている。
「な、なんですのこれーーーー!」
妄想から引き戻されたヴィヴィアン様が、部屋と自身の惨状に慌てふためき、縦巻きロールを押さえながら座り込んだ。
「幼なじみ? 運命? くだらない……」
陛下の紅い眼が一層に強く光っている――ヴァンパイアの魔力が高まっているようだ。
「いつまでも恋愛小説なんて読んでおるから、くだらない幻想を夢見るんじゃ! もういい! 力尽くじゃ!」
陛下の右手に緑色の魔力が集まり始めた。こぶしを魔力で纏って相手を殴る、陛下の得意技――【マホウダン】だ
「ひええええっ! ど、どうするつもりですか!」
恥も外聞もなく怯えているヴィヴィアン様だが、それも仕方がないと思う。陛下は【最上級魔力】魔法が得意なヴァンパイアの中でも、さらに一つ上のレベルだ。
おそらくヴィヴィアン様は【上級魔力】防げるわけがない。
「お前を気絶させてたらグルグルの簀巻きにして、何なら磔にしてでも、そのまま結婚相手と無理矢理契りを交わせてやるわ!」
「ちち、契りってなんですの?!?! 私、初夜はもっとなんて言うか、あの……」
「ええい! ヘンタイ妄想ヴァンパイアめ! しねーーー!」
「殺す気ですかーーーーー!」
陛下の魔力が一層に高まり、今まさに【マホウダン】で殴ろうとした瞬間、
「ん、なんじゃ?」「今度はなんですの!」
陛下とヴィヴィアン様の間に、突如、光り輝く魔方陣が展開された。
……あれは、転移魔方陣?
確か上級魔法以上で、しかも色々と制約がある筈なんだけど、こんなにも複雑な幾何学模様の魔方陣は初めて見る。
そして魔方陣からより強い光りが放たれたと同時に、
「む、いかん……」
突然の魔方陣の出現で手元が狂ったのか、陛下の右手に纏った【マホウダン】の魔力が一層に光り、ヴィヴィアン様に向かって【マホウダン】が暴発してしまった。
マホウダンがぶつかる激しい音が鳴り響いた。煙があがって部屋全体を包み込み、衝撃で部屋の窓ガラスがすべて割れる中、
「きゃああああっ……へ?」
そのマホウダンは、ヴィヴィアン様に届いていなかった。
煙に包まれた紅い盾――と言っていいかわからないぐらい、出来の悪い歪な形をしたそれに防がれていたのだ。
「あれは?」
強い光りと煙の中に包まれた紅い盾の奥に、驚いている様子の男がいた。
「びっくりした! 何だ?」
紅い盾のようなそれは、ヴィヴィアン様を護るというよりかは、【マホウダン】から突然現れた男を護るように展開されたように見える。
強く光っていた魔方陣は消え去り、煙が晴れていくと、男の全貌が明らかになった。見た目は私と同じぐらい? いやそんなことよりも!
「ここはいったいどこだ?」
あの男――【最上級魔力】の【マホウダン】を防いだの? 本気ではないかもしれないが、陛下の【マホウダン】を防げる人なんて、そうそういない筈……。
……いったい何者なの?
私だけではない、この場にいる全員が思っているであろう疑念に、【マホウダン】を防いだ歪な【紅い盾】が、ガラスのように砕け散ったことで答えていた。
それは血が固まって出来ていたことで、彼が何者であるか私は気づいた。
「クルースニク……」
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